38話
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「「遅くなってしまい申し訳ありません」」
私とルキは鬼のような形相を前にして、深々と頭を下げながら自分の足のつま先を見ていた。
「おかえりなさいませ。···遅すぎます!今の時間が何時だが分かっていらっしゃいますか?キチンと予定通りに行動するように言いましたでしょう?公爵家の初めての大イベントですのに、ふたりを祝うために来てくださったお客様方をお待たせすることにでもなったら―――」
邸内に戻ってくると、遅れて帰ってきた私とルキを侍女頭のミネルバさんは仁王立ちで出迎えカンカンに怒っていた。ふたりの姿を見るなり、彼女の説教のゴングが鳴ったのだ。
ミネルバさんを怒らせると、母様よりも怖い。
···ま、まずい。これは、土下座?
···土下座した方が説教が早く終わる?
時間が押していると言いながらも、説教は直ぐには終わらない。その様子を見兼ねたエリーが助け舟を出してくれた。
「イルキス様!リュシエル様!自室にて、すぐに軽く昼食を摂って下さいますか。早くしないと間に合いませんよ。遅くなっては大変ですわ!早くしないと···」
ミネルバさんの後ろに控えていた使用人らは、遅れて帰ってきた私とルキの姿に安堵したが、説教が始まるとみんな顔面蒼白でオロオロしていた。
エリーの一声のおかげで、説教から解放されると「ミネルバさん、お叱りは後で聞きます」と私は眉を下げペコリと申し訳なさそうにしてから、エリーに手を引かれその場を回避することができた。さすが私付きの侍女!ナイスタイミングである。
「あら?ルキを置いてきちゃったわよ」
後ろを振り返ると、ルキが付いてきていないことに気がついた。エリーは「生贄です」なんて言って笑ったが、ルキはすぐ着替えが終わるけどドレスの着替えは時間もかかるので仕方がない。今は自分のことだけで精一杯なのだ。「ごめん、ルキ」心の中で謝って私は私室へと急いだ。
昼食を軽くすませると、そのまま速攻でエリーは私の体を洗った。バスローブ姿で出ていくと部屋にはすでに針子らが待ち構えていて、あれよあれよとあっという間にドレスを着せられた。
先ほどまで着ていたウエディングドレスと同じ形で、レースの全くないシンプルなマーメイド型の純白色のドレスだが、立襟と袖先それと裾には鮮やかな紫色の刺繍が施されていた。肩と首の間から流れるようなシースルーのマントの先にも刺繍がされているがゴテゴテしておらず、こちらも陽の光が当たると所々でキラリと輝きを無数に放つようになっていた。
「全く同じドレスなのに、刺繍が入っただけで全然違うドレスに見えるわ。紫色の刺繍が白色を引き締めているのね」
姿見の前でクルクルと回り、自分の容姿を確認する。
「時間がないので、座って下さいますかー。髪も結わなきゃだしー、メイクもしなきゃなんですよ」
口を尖らせながらエリーは椅子をトントンと叩いた。
「私の侍女らはさすがね。ひとりで何でも出来て···」
エリーは、スーパー侍女だと思う。普通なら、こんなときは何人かのベテラン侍女が必要になるはずなのに、エリーは一人でこなしてしまうのだ。
「仕方ないでしょう?アンは何にも出来ないからかえって邪魔だし、私しかいないじゃないですか?」
「えっ?···アン···も、できるわよ」
「···ん?アンが?」
そう、アンもスーパー侍女なのだ。
エリーが居ないときは、アンが一人で全てをこなしているのだが?なぜ、エリーは気がついてないのか?エリーがいると、アンは仕事をエリーに任せて手抜きしてるからだと思うが。エリーもエリーで、暇さえあれば菓子を強請って厨房で一人でくつろいでいる。スーパー侍女らは、仕事を効率良く回すが手の抜き加減も天才でもあると私は思う。
そうこう話しているうちに、髪を結い終わらせたエリーは今度は化粧に取りかかった。
「リュシエル様?ドレスがかなり艶っぽい出来映えなので、大人っぽいメイクにしてみませんか?···このドレスを見たときにピンときたんです」
「大人っぽい?···任せるわ!」
「はい!新しいリュシエル様を誕生させてみせますわ!」
彼女は、目を輝かせ鼻歌を歌いながら『パパッ、ササッ、スルッ』意気揚々と職人のように筆を振って最後に筆を置くと、腕で自分の額の汗を拭った。おいおい、どこのオヤジだよ。
婚姻式後に一度外しておいた、淡いアクアブルーと淡い藤色の宝石がいくつも施されたティアラを頭上に、彼と私の色のお揃いのダイヤの指輪。そして、ドレスの刺繍と同じ色の石をトップに下げたシンプルなネックレスとピアス。
「ふふふ···完成ですわ!さあ、どうですか!」
そういって、エリーは後ろから合せ鏡で髪型も見えるように私に確認を求めた。
「···す、すごいわ!いつもと全然違う私が出来上がってる!大人っぽい?」
「ね!とっても美しいです。···イルキス様の反応が楽しみです」
アップにした髪の後部は、花の女王と言われる牡丹をイメージしていくつもに編み込んだ髪で大きな花の形にしたと「渾身の作ですわよ」エリーは私の隣から鏡を覗きドヤ顔で力説した。
メイクは、いつもはアイラインを細く入れて目元をキュートに見せているのだが、今回は太目に描くと同時に眉毛も尻上がりにしたことで上品さをアップさせたらしい。ほんのり薄くチークを入れ、唇は艶々グロスでプルプルと瑞々しい出来映えだ。
「エリー、ありがとう。かなり時間がかかってしまったわね。エリーも早く準備しないと、ジューク様が待っているだろうから」
ササッと片付けをしてお茶を淹れているエリーにそういうと、彼女はテーブルにカップと置く。ソーサーの上にはチョコレートが二粒載せられていた。
「では、私も準備してきます。んー···20分後に戻ってくるので、お茶を飲んでお待ち下さい。あ、あと···婚姻披露宴では食事が出来ないので、今出したそちらのチョコレートでお腹を満たして下さいね!ドレスはコルセットを付けていないので、食べるとお腹が出てしまいますから···分かりますね」
言うだけいってエリーが出ていった。しかし、20分とは?用意が終わるのだろうか?披露宴の席に向かうまでの時間は1時間以上あるのにと思いながら、とりあえず冷める前に彼女が淹れてくれたお茶をゆっくり味わうことにした。
しばらくすると、今朝は早起きしたためかウトウトと眠気が襲ってきた。「戻りました!」ガチャリと扉が開かれるとエリーがドレスアップし笑顔で戻ってきた。しかし、私が見て釘付けになったのは――。
「エ、エリー···?もしかして?」
ピクピクと頬が引きつる。彼女が手に持つそれは、2つのグラスに注がれている···あの『青汁もどき』だった。
「そうです!そろそろ午前中の疲れが出ているころだと思って、料理長に頼んでおいた『栄養ドリンク』ですよー!今回は私の分も作ってもらいました!一緒に飲みましょう!まだまだ後半も頑張らないと!はい、リュシエル様の分です」
テーブルの上にあったカップをどかして、『青汁もどき』のグラスを置くと、彼女も私の右斜め前の席に腰を下ろす。「いただきまーす」そして、それを口に入れたのだ。
「ブ···ブハッ···何ですかこれ!不味いっ!青臭い!もしかして毒?あり得ない!」
「それを私に無理矢理飲ませたのは誰らだったかしら?私は飲み干したのよ!エリーも飲み干しなさい」
「信じられないわ!よくこんな臭いものを飲みましたね」
その言葉にギロリと睨むと、彼女は視線を逸らして一気にそれを飲み干した。その後で私も飲み干したが、二度と飲みたくないという彼女の意見に賛同した。
「リュシエル様、準備ができ次第応接間の方へお越し下さい。両陛下とガトゥーラ候爵夫妻がお待ちでございます」
扉のノック音のあとにミネルバさんから告げられると、私とエリーは身なりの最終確認をして応接間へと移動する。
応接間に入る前に、ジューク様が母親のミネルバさんと並んで立っていた。軽く挨拶を済ませると、チラチラと視線を向けていた瞳は、いつの間にかうっとり蕩けるような甘い瞳でエリーを見つめている。ミネルバさんが「コホン」咳払いをするが、そんなの気にせずお構いなしだ。
私はエリーに、先にジューク様と会場へ向かうようにいうと、彼は輝かんばかりの笑顔を向けて私にお礼をいった。その後、ジューク様は満足そうに直ぐ様エリーの手をとった。エリーは小言で「売りやがった」などと私をチラリと睨んだが、ジューク様に腰に腕を回されたために回避も出来ず2人仲良く?会場へ向かっていった。引っ張って連れて行かれたような感じだが···?
応接間の扉を開くと、みんなの視線が私に注がれた。
「お待たせ致しました。婚姻式の後は、ゆるりとできましたでしょうか?この後の披露宴が終わるまでもうしばらくの間、私達夫妻にお付き合い下さい」
満面の笑みで私がそう告げると、義母様と母様はニコリと微笑んだが、義父様と父様は口をポカンと開いたまま固まっている。
「あ、えーと···どこか···変な言い方でもしてしまいましたか?」
ヤッチマッタのか?と思いながらも、とりあえず聞いて見る。
「リュシエル···この後の披露宴···イルキスを叱責して···叱咤しながらでも大変だろうが予定通りに進めるように。ふぅー(···息子が繰り返すのか)」
義父様の最後の言葉は?義父様はそう言った後で、私から視線をずらして父様を残念そうに見た。私にはよく聞こえなかったが、父様は聞こえたのだろう、キョロキョロと目を泳がせて顔が青ざめている。
「ぐぅ。···リュシー、何があっても最後まで予定通りに···披露宴を無事に終わらせなさい」
ん?父様?当たり前でしょう?今にも倒れそうな表情をしてまで言うこと?披露宴は予定通りに行うわよ?
「大丈夫ですよ。体調も万全ですし、お祝いにきて下さったお客様に楽しんでもらえるようにしますわ。心配しなくても無事に終わりますわ」
そう二人に告げると、義母様が「さぁ、どうなることやら?」などとクスッと笑った。その後で母様が私に視線を送ってくると、
「はぁー。リュシー、美し過ぎよ!私に似たから仕方がないけれど、化粧で可愛らしくしていたのに···まさか?···エリーね!エリーがメイクしたのね?」
「ん?そうよ!エリーに大人っぽくメイクしてもらったの」
「はぁー。大人のメイクは婚姻してからって、あれほどエリーに言ったのに(···あっ!今朝、婚姻したんだったわ···。今更直す時間もないわね···)」
途中から母様の言葉が小声になり、何か考えているようだ。
その様子に義母様は、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。リュシーは、イルキスの扱い方には長けていますからね」
何のことだろう?私が不思議そうにしていると、義母様がクスッと笑う。
「貴女のお父様とお母様の披露宴は、予定よりかなり早く終わってしまったのよ。···フフッ。···お父様が、美しく着飾ったお母様と···早く、ふたりきりになりたくてね!」
な、なんと···初めて知らされた両親の失態に驚愕した。父様の顔が青ざめたのは、こういった理由があったのね。まぁ、ルキは大丈夫でしょう!···大丈夫だよね。
すると扉のノック音の後に、執事のマギリオンの緊張しているような大きすぎる声が響いた。
「そろそろ時間になりますので、皆様は会場の方へ移動となります。扉前にてカリュザイールの馬車がお待ちしておりますので、お使い下さいますようお願いいたします。リュシエル様は、最後にイルキス様との移動になりますので、そのままお待ち下さい」
棒読みだ。
マギリオンは緊張しすぎていただけではないらしい。彼は、手のひらに見えないように置かれていたカンペをササッとポケットに入れたあとで礼をとった。
応接間から出ていく両親たちは、皆残念そうな表情を浮かべ次々と執事の肩を『ポン』と叩きながら「40点」、「20点」、「30点」、最後に母様は「残念で賞」といって応接間を後にした。
マギリオンは、半泣きで私を見たので「賞をもらえて良かったね」と一応慰めたが、更に顔をしかめて泣きっ面になった。
そして、見送りのため踵を返してトボトボと両親らの後に付いて歩いて行く。彼の後ろ姿には哀愁が漂っていた。




