33話
婚姻式まで後5日、カリュザイール公爵邸では朝から使用人らがバタバタと忙しい日々を送っていた。
私たちの婚姻式に参列するために遠方から来た貴族らが、公爵邸に連日挨拶に来ているからだ。
そのため、突然の来客に備えて私とルキも朝から身なりを整え、いつでも接客できるように邸内で仕事をしている。
今、私は執務室で休憩中だ。
チェリーとウィルさんがリンドールに帰った日から色々とやることもあり、カリュザイール公爵邸に引っ越しできたのはあれから10日後のことだった。更に、その4日後にはマキシがチェリーを連れてガトゥーラ邸へと転移してきた。
チェリーがガトゥーラ邸に戻った知らせを受け、私も次の日にガトゥーラ邸へと朝から向かいチェリーが私の婚姻式に出席するためのドレスをマキシに急いで作るように話した。
昨日は、公爵邸にファイニール辺境伯夫妻、ラファイエ様とフローレンス様が手土産のガトーショコラを持って挨拶にきてくれた。私とルキの婚姻式に参加するため、遠いファイニールから来てくれたのだ。
物思いに耽っているところに私付きの侍女のエリーが、それを片手に執務室の扉を叩いた。
「お茶にしませんか?」···カットされたガトーショコラにクリームとベリージャムを装飾した2枚の皿が、執務机前のテーブルの上に置かれた。
···ん?お皿が2枚?
···食べたいから、休憩なのね
「エリーも、一緒にいただきましょう」
「···棒読みで言わなくてもいいじゃないですかー。このガトーショコラ、ベリーに合うんですよ。リュシエル様はオレンジジャムと合わせるのがお好きですが、今回はベリージャムを添えてきました」
さすがエリーだ、先に味見をしてきたってわけね。
「ありがとう。そうだ、お茶を飲み終わったら厨房まで資料を取りに行ってきてもらえる?料理長から披露宴の料理に必要な材料を発注した、注文書を預かってきてもらえるかしら」
「分かりました。···あっ、茶葉を持ってくるのを忘れました。執務室に常備してある茶葉で淹れますね」
そういってエリーは舌をペロリと出して、侍女頭のミネルバさんに見られたらお説教3時間コースだわ。その前に、侍女が自らのスイーツも用意していた訳だから···説教だけじゃ終わらないと思うけど。
貴族らしからぬエリーだからかな?ある程度のことは、なんでも許せちゃうんだよね。
お茶を一口飲んで、これからガトーショコラをというときに執務室の扉がガチャリと開いた。
「リュシー、シルベスター伯爵夫妻が到着されたようだ。応接間に行こう」
「···分かりました」
ルキが迎えにきたため、休憩は中断。彼の後ろには、公爵家の執事マギリオンが控えていたので、エリーには、そのまま食べてから戻るように話して執務室を後にした。
応接間までの回廊を歩いていると、執事から「侍女との線引きを」と使用人たちは遊びに来ている訳ではなく、貴族社会を学びに来ている者が大半だと、ちょっとだけ叱られた。
応接間では、シルベスター伯爵夫妻と挨拶を交わした後で他愛の無い会話をしていた。会話も終わりお見送りに席を立とうとしたときに、夫人から思わぬ言葉が
「そういえば、お聞きしたいことがございましたの。バインダル公爵令嬢だったリュシエンヌ様のお生みになられたお子様は、今はどちらにいらっしゃるのでしょ――」
「だ、黙れ!何ということを···。も、申し訳ございません。妻は、元バインダル公爵夫人とは仲の良い友人だったらしく···とんだ御無礼をいたしました」
シルベスター伯爵は、顔を真っ赤に怒りを隠せず夫人を叱咤すると、ルキを振り返り今度は顔面蒼白で頭を下げた。
夫人が言った、元バインダル公爵令嬢のリュシエンヌ様は、ルキの元婚約者だ。そして、元第一王子でルキの兄アーサベルト殿下との間に子供を授かったのだ。私は、生まれた子供は金髪碧眼だっとルキから聞いていた。元王子と元公爵令嬢の子、王家の血を濃く引いている子供だ。
元第一王子のアーサベルト殿下が男爵にと王命が下ったときに陛下は生まれてくる子供には罪はないことと、王族の血が流れていて政権事に巻き込まれる可能性が高いため、元バインダル公爵の養子とするよう王命を追加した。
しかし、元バインダル公爵の養子となった子供が一歳になった頃、ファイニール辺境伯の令息ファウルドが誘拐される事件があり、その誘拐の主犯が元バインダル公爵だった。そのため、元バインダル公爵は罰として子爵に降爵した。
そして、子爵に降爵した元バインダル公爵のもとから、国王陛下は養子となった子供を養子縁組の解消をさせたと聞いている。
「私には、預かり知れぬ話です。陛下に直接聞いてみるといいでしょう」
ルキは、返しの言葉とは裏腹にニコリと何事もなかったかのように微笑んだ。
ソファーから立ち上がると執事から耳打ちされた後で、シルベスター伯爵夫妻の宿泊先を伝える。
「シルベスター伯爵様の宿泊先は、ナイチェイル伯爵邸となっております。ここからだと、馬車で1時間くらい北へ移動します。カリュザイール公爵家の騎士に案内をさせていただきますが、すぐに出立でもよろしいでしょうか」
「はい、ガトゥーラ様。よろしくお願い致します」
公爵邸の前で3人の騎士が待機していた。
「今回は、3人で行くのですか?」
いつも、案内役は2人なのだ。
「「「はい」」」
「では、よろしくお願いします」
3人の騎士は馬に跨ると、1人は先頭にて御者に指示を出しシルベスター伯爵家の馬車が動き出した。
「あの子達だけ浮いてるわね」
「何が浮いてるのかな?」
「白馬の騎士」
「リュシーが白馬に乗りたいと、以前に言っていたからね。公爵邸の馬は全て白馬にしたかったんだが。ファイニールに向かっているときに黒馬を見て凛々しいって褒めていたから、黒馬も数頭買ったよ」
そんなこと言ったかな?黒馬は確かに···記憶が正しければ、ファイニール領に入ったときに数名の騎士様達が集まっていて、その中に大きな黒馬に乗った騎士様がいた。
兜を外しお辞儀をしてくれたのは、藤色の髪の毛をなびかせた絶世の美男子。超イケメンで目が離せなくて、ルキに「どうした?」と聞かれたから不味いと思って黒馬を凛々しいと褒め称えたのだった。
「そ、そうよ!黒馬って凛々しいわよね。時間があるときに厩舎に見に行ってみるわね」
ルキは、ジト目で私を見ながらため息を吐いた。
「先ほど、シルベスター伯爵夫人がルキに尋ねた元バインダル公爵家の養子となった子供は、養子縁組の解消になってからどうなったの?」
「あぁ、あの子供はドゥルッセン公爵邸にいるよ。まだ、公爵家の養子にはしていないが。養子になれば四男になる。子供が婚姻するときにどこかの候爵家か伯爵家の婿にする予定だ。ドゥルッセン公爵と父上との話の中では、騎士として育てて行くらしい。将来は王宮騎士にさせ、マティレクスの目の届くところに置くという話になっている」
どうなるかは成長してみないと分からないが、マティレクス殿下の治世では、監視が入るのは間違いないだろうということだった。
そして、邸の中に入ろうとルキが手を繋いで私を引き寄せると、馬車の車輪の音が聞こえてきた。
後ろに控えていた執事が書類を確認する。
「本日到着予定は残りウィスティア伯爵家、ルボラ伯爵家、メガルート伯爵家です」
意気揚々と答えた執事に、ルキは書類で確認しなくても覚えられるだろう?と呆れ顔だ。
「出迎えは、そのまま私達が残るからマギリオンは次の来客の準備をさせろ」
すると、執事はドヤ顔で「準備出来ております」といい馬車が到着するまで2人はピーチクパーチク言い合っている。
「とても仲良しなのね」
私が、ポツリと口を開くと「俺等、学院の同級生だけど···覚えてないの」執事のマギリオンは信じられない者を見るかのように問うてきた。
私は目を背けると、丁度そのとき都合よく馬車の扉が開かれた。
☆
「それでは始めたいと思います。リュシエル様、目を閉じていただいてもよろしいでしょうか」
「本当にやるのね···分かりました」
エリーに目を閉じるように促されると、彼女は私の視界を奪うため布を目から頭部にへクルクルと巻き付けた。
何度もきつくないかを確認して、ようやく巻き付け終わると、待機していたお針子達が動き出したみたいだ。
私の視界が奪われているため心細くないようにだろう、次々と声をかけられる。
「何もここまでしなくてもいいと思うの」
「公爵様から言いつけられていますので仕方がないのです」
立ったままの私の手をエリーが握りながら「右脚を上げて、次は左脚を上げますよ」テキパキとお針子たちに着替えさせられる。そのまま仕上げをしているところに扉のノック音が鳴った。
「私だ。今、入室してもよいだろうか」
扉の向こうから声が聞こえると、エリーが扉を開いたらしく「只今、調整中です」というと、私の周りにいたお針子らは手を止めて後ろに下がったのだろう、気配が遠のいた。
「目隠ししているのが残念だが、とても綺麗だ。当日が楽しみだな」
「ルキ、私も自分の姿を確認したいわ」
「我儘は駄目だ。当日のお楽しみなんだから」
多分、この世界初だろう。目隠しされながらウエディングドレスの仕上げをするなんて。
そんな事を考えていると、顔を両手で挟まれて唇を重ねられた。段々息遣いが荒くなってくると、体のラインを手で上下に擦り始めた。彼がドレスをまくし上げたところで―――
「このまま···いいかい?」
唇を離すと、耳元に顔を寄せ小さな声で私を求めてきた。
···いいわけないだろー
···直ぐ様出ていってくれ
「はぁ?ダメに決まってるでしょう。さっさと出てってくれる?早く仕上げを終えたいの。ずっと目隠しされていて、我慢にも限界があるのよ」
キリキリ声で訴えると、ルキは「わ、分かった」と言って後ずさりするように部屋から出て行くとともにお針子達を呼び戻し、直ぐ様仕上げを再開し始めた。
婚姻式と披露宴のドレスの仕上げが終わると、厨房からの使いの者が来た。
「焼き菓子とパンの材料が届きました。奥様に確認してもらってから各調理場へと運搬する予定です。邸裏にある北側食料倉庫に保管しておきました」
納品書を渡されると、私は執務室に戻り発注書と納品書を確認してから厨房にいた料理長を連れて倉庫まで移動した。
「めちゃくちゃ大量!2日間で作り終わるかしら」
「追加で購入した豆は全部煮ておきましたし、ベリー等も全てジャムにしておきましたよ」
さすが料理長だ。仕事が早い。
「明日は、ガトゥーラ候爵邸の料理人たちが手伝いに来て下さるのですよね。公爵邸の料理人たちは、半日なら手伝えますが、その後は披露宴の仕込みがありますからお忘れなきようお願いします」
その後、私が納品書を読み上げると料理長が材料を確認しながらテキパキと仕分けし、倉庫前にいた使用人らに材料を別邸の厨房へ移動するよう指示を出していく。本邸の厨房は、明日の午後から披露宴の仕込みもあり使わせてもらえないのだ。
すると、そこにマキシが息を切らしてやってきた。
「あら?マキシ、そんなに慌ててどうしたの?」
「マキシリアンは、もう少し体力をつけるべきではないか?」
後に控えていたダンに痛いところを突かれて、苦笑いをしたあと「魔力で補えてます」と、息切れしながら口を尖らせてそっぽを向いた。
走ってきた割に大した用でもないのかと、呆れ顔でマキシに何事がと一応聞いて見れば、
「そ、それが···国王陛下から今夜の晩餐を一緒にという手紙が···イルキス様が、今···見た···いや···今、届い―――」
「な、なんですってぇー!」
「あ、いや···今、届いたのです」
「···んなわけあるかぁー!···それより、間に合わないわ!どうにかしないと···あんの、バカルキー!婚姻前に何やらかしてんのよ」
こうしてはいられない。この場を料理長に任せて直ぐ様私室に戻り、侍女らに詳細を話す。
「い、今からですか?分かりました。すぐに準備しましょう」
アンはテキパキとクロークルームへドレスを選びに移動して、エリーはチャチャっと私を洗い始める。
いつの間に現れたのか、浴室の前でルキが「リュシー、悪かった。怒ってる?」などと聞いてきた。
「怒ってるわよ!邪魔だから出ていって」
慌てずゆっくり用意してと言いながら、ルキが出ていくと、エリーが「ゆっくりで間に合うみたいですね」なんて···真に受けてるし。
「ソッコーで準備するの」
用意する前から疲れさせられて、晩餐に出向くのが今から憂鬱だ。




