7-4.接近 (4)
作業を続けていくうちに、少しずつ慣れてくる。
順調に入力を続けていると、再びノックの音とロック解除の音がした。
仁奈が様子を見に来たのかと思いきや、ひょこっと顔を出すと結翔がいる。
「結翔君?」
「あ、いた!」
菜花の顔を見るなり、結翔が小走りに駆けてきた。いつも水無瀬と一緒にいる印象なのだが、今は結翔一人である。
「どうしたの?」
社内では顔を合わせても、それほど親しく話したりはしない。最低限挨拶くらいはするが、それだけだ。必要以上に仲良くしていると、それを見た女性社員がここぞとばかりに菜花の元に集まってきてしまうのだ。理由はもちろん、結翔の情報を得るため。人気がありすぎるのも困りものである。
「ちょっと菜花の仕事ぶりを見てみようかなと思って」
結翔は菜花の背後からパソコンの画面を覗き込む。
支払い依頼書の入力なのだが、これは見られてもいいものだろうか。そう思えど、部署のデスクで入力している仁奈の画面だって見られ放題だろうし、相手は結翔だし、ということで、いいことにする。
しばらく画面を眺めていた結翔が、感心したようにハァ、と息を吐き出した。
「へぇー、支払い処理か。これ、確か高橋さんの仕事だよね?」
「よく知ってるね」
「当然。でも、なんで菜花が?」
「今月は処理が多いみたいで、高橋さん一人では手が回らないんだって。だから、お手伝い」
「やるじゃん。他の社員を差し置いて、菜花にやらせるんだ」
「うーん……経理の知識がないから、入力ならってことじゃないかなぁ?」
「それもあるかもしれないけど、それでも、菜花が高橋さんの信頼を得てるって証拠じゃん。エライエライ」
そう言って、結翔が菜花の頭をワシャワシャと撫でる。子ども扱いされているようでムッとするが、結翔の菜花に対する扱いはいつもこんなものだ。
撫でられた後、手櫛で髪を整えていると、結翔が勝手にパソコンを触って画面を変えた。
「ちょっと、結翔君!」
「お、やっぱり。一覧には高橋さんが入力した分も出るんだ。……なるほど、水無瀬さん担当の会社は高橋さんが入力してるっぽいな」
結翔が開いたのは、入力されたデータの一覧ページだった。
結翔は水無瀬と行動を共にしていることもあるので、水無瀬の担当している会社は全部頭に入っているようだ。
「ちょっと失礼」
「結翔君……」
次の結翔の行動は簡単に予想できたが、思ったとおりだ。
結翔は、パソコンの画面をスマートフォンで撮影し始めた。水無瀬の担当する会社の請求を記録しようということなのだろう。
結翔は営業の研修を兼ねて水無瀬についているのだが、請求については情報を共有していないのだろうか。
尋ねてみると、結翔は口をへの字に曲げながら頷いた。
「そうなんだよねぇ。その辺、ガードが堅いというか。水無瀬さんの取引先って老舗が多くてさ、請求システム導入してないとこがほとんどなんだよ。だから請求書はPDFでメールで届くんだけど、CCに入れてもらえてなくてさ」
「それは残念だねぇ」
水無瀬への調査は、主に女性関係だ。しかし、彼の仕事ぶりにも問題がないか、注意を払っておかなくてはいけない。
結翔は必要な部分を全てカメラに収めた。
「よし、これでオッケー。ちょっと様子を見に来ただけなのにラッキー! 菜花、ありがとな!」
「……いいけど。そろそろ戻らないと、水無瀬さんに怪しまれるんじゃ?」
「それは大丈夫。今日はもう早退したから」
「え? なんで?」
水無瀬が早退など珍しい。
菜花が目を丸くしながら尋ねると、結翔からはこう返ってきた。
「デートだよ」
「デート? 誰と?」
「いやいや、そこは専務のご令嬢、純奈さんとに決まってるでしょ?」
「あ……そうか」
金桝と目撃したあの美女のことが頭にあったので、うっかりしていた。もちろん、あの件については結翔にも共有している。
それとは別に、水無瀬がよく使っているキャバクラ店のナンバーワンキャバ嬢の存在もある。
今現在、水無瀬には二人の女性との怪しい関係が浮かび上がっていた。
「会社を早退してデートなんて、あり?」
普通ならなさそうだが、相手はなにせ専務の娘だ。彼女にどうしてもと言われると、断りづらいだろう。
「ありでしょ。専務から直接言われてたし」
「専務さんが?」
「今日は純奈さんの誕生日なんだよ。で、早めの時間に専務夫妻も交えて食事して、その後は二人っきりのデート。明日は午後からの出社だってさ。よくやるよねー。夜は励みますよって宣伝してるようなもんだよね」
「う……」
菜花の頬が熱くなる。
もう大人なので、結翔が言わんとすることはわかるのだが、しれっと聞き流せるほど大人ではない。
そんな菜花を見て、結翔はニヤニヤと頬を緩め、揶揄うように顔を覗き込んでくる。
「相変わらずピュアだなー! でもいくら初心だからって、さすがに初めては済ませてるんでしょ?」
「結翔君!」
「あはははは! 冗談だってば。それじゃ、そろそろ退散しますか。じゃあね!」
結翔はそう言って、軽い足取りで書庫を出て行った。
その後ろ姿を眺めながら、菜花は大きな溜息をつく。
「結翔君、セクハラ。かねま……じゃなかった、惇さんに言いつけてやる!」
気を抜くとつい「金桝さん」と言ってしまいそうになる。なので、普段から「惇さん」と言うように心がけていた。
金桝はよほど自分の姓が気に入らないらしい。
菜花が「金桝さん」と呼ぶ度に指摘が入るし、しまいにはペナルティーをつけられそうになった。
「惇さんは惇さんで、いろいろ謎だよね……」
ふむ、としばし考え込むが、定時までに与えられた仕事を済ませてしまいたかったので、菜花はすぐに仕事を再開させるのだった。




