社員その⑬ 田沢(男性)[3/3]
課長が退職に必要な書類を倉庫から持ってきて休憩室へと戻ると、そこにはもう田沢の姿はなかった。いないからといって追いかけるなんてことはしない。来るもの拒まず、去るもの追わず。ああ、なんてお心が広いのだろうか――なんてな。
単純に面倒臭いことを避ける課長の性格を、それこそ美辞麗句で連ねただけだ。無論、逃げ出したことは先方に伝達済みだし、盗んだクラッチバッグは宅配便で送ることも併せて伝えたとのこと。
こんな感じだ。その話を聞いたあと、ぼんやりとした頭で「クレジットレンダー 消費者金融」と乱暴に打ちこみ、とりあえず検索結果の最上部のリンクをクリックした。
消費者金融クレジットレンダーは知る人ぞ知る高利貸しだった。トップページには「即日融資!」「はじめての方でも安心!」「無職歓迎! ブラックも歓迎!」と強調された文字で胡散臭く謳っていた。
そして別のリンクを参照すると、債権回収に特化した部署を設置したあとで分社化した債権管理組合がクレジットリタイアだと判明した。なにかが引っかかっていたがヒートアップした脳みそでは処理しきれず、取り急ぎ課長へ報告に行った。
なぜか感心したような目を私にくれながら課長はいった。
「誰かから田沢のことは訊いたか?」
「はい、久賀さんからです」
「俺がクラッチバッグの名刺を見て電話をかけたことも知ってるな?」
「あ、はい。そのことも聞きましたが」
「今日お前が電話を取って要件をうかがった時に先方は『本人しか伝えられない』なんていってなかったか?」
「そうですね。なんだか高圧的でした」
課長がなにを伝えたいのか掴めないまま、返答を続ける。
「だけど、そのあとで俺が代わりに応対したらすぐに終話したよな」
「はい、そうですね」
「……佐倉、今月のブラックリストを思い出しな」
数秒の熟考の後、頭の中でなにかがかちりと音を立ててはまった音がした。
なにかに対して合点がいった時は折に触れて胸のつかえが取れる思いがこみ上げるのだが、その時だけは心に鎖を何重にも巻かれ南京錠でロックされるような塞がされた思いだけが襲ってきた。
「か、課長。クレジットリタイアってうちと取引のある債権管理組合じゃないですか!」
課長は不敵な笑みを浮かべて、満足気に頷きながらいった。
「な? 世間って狭いだろ? ご丁寧にも田沢って人間はうちと縁のあるサラ金を選びやがった。運がねえよなあ」
低音でドスの利いた笑い声が課長の胸のあたりから鳴っていた。まるで、というよりも、まんま悪党の笑い方だった。私は今度こそ本当に、膝から崩れ落ちそうになった。
このクソ田沢め。私の貴重な一生のうちの刹那の時間といえども、お前ごときに私の命を費やすなんて。心労で倒れるかと思ったぞ。一刻も早く捕まって、徹底的に搾り取られてしまえ。つーか数年経っても捕まんないって、田沢のなけなしの運がそこで使われているのか、それともクレジットなんちゃらが無能集団なのか。もうそんなことどうでもいい、機は熟したから。
自席に戻り、机の上の古びたハードディスクを認めると、自然と口角が上がっていくのを感じながら抽斗の中にそっと入れた。




