社員その⑬ 田沢(男性)[2/3]
本当に長かった。いや、時間でいえば五分程度だったのだろうけど、恐ろしく長く感じた。掻い摘んで話すならこうだ。
六年前に契約社員として雇っていた田沢というやつがいた。そいつがまあ絵に描いたようなダメ社員で勤務態度も悪ければ記憶力の定着も悪く、くわえてジャケットの肩あたりにいつもフケを撒き散らして不衛生と不摂生極まりなかった。なんか臭かったらしいし。
事件が起きたのは、桜も散って瑞々しい青葉が点在してつきはじめる梅雨入り前のこと……というか田沢の説明ごときでこんな美辞麗句を連ねることすら腹立たしいからさっさと本題に入るとする。
その日早番でシフトに入っていた久賀さんは始業前の掃除のためにエントランスへと向かった。掃除用具を取るために用具ロッカーを開けると黒光りしたなにかが足元に転がってきた。
それは留め具がセキュリティロック仕様のクラッチバッグ。聞けばわかるほどの有名ブランドでしかも本革。しかしその留め具は金色の塗装がほとんど剥げ、ダイヤルを合わせなくても開けられるほど損壊していた。
その時に遅刻魔でもあった田沢と久賀さんが居合わせた。
久賀さんと同じ早番勤務の課長が、明らかに挙動不審な田沢を休憩室に呼び出して急遽面談を行った。しばらくして面談を終えた課長がオフィスに戻ってきた時に、久賀さんはなにか異変に気づいた。田沢がいつまで経っても入室して来ないと。不思議に思った久賀さんは課長に「田沢さんはどうしたんですか」と訊いた。課長はなんの気なしにこう答えた。
「クビにした」
そう聞いて狼狽したことを久賀さんは今でも覚えているとのこと。少しばかり恐れ多いが、解雇の理由を課長の口振りに似せて伝えよう。
「田沢のやつにクラッチバッグのこと訊いたら、あの馬鹿が引っ手繰ったものなんだと。ただあいつは別に金ほしさにそんなことしたわけじゃなかったらしいがな。
クラッチバッグに名刺入れがあったから無礼を承知でみたんだけど、最近このあたりで幅を利かせているヤクザがお膝元の消費者金融だった。そこにたまたま知り合いがいたから詳細を訊くことができたんだ。そしたらあいつ二百万くらい借り入れていてもうそれが五百万くらいに膨れ上がっていたんだってさ。追いこみで何度もあいつん家に訪問してたらしいが、あの手この手でそれをすり抜けよったんだと。
そこで田沢はなにを思ったか、借りた金の借用書をくすねて燃やそうとしたそうだ。業者がそんな大事な書類を肌身離さず持っているわけないのになあ。あいつ早計にもほどがあるだろう。それだけの行動力があるんならマグロ漁船にでも乗りこめばいいのによ。戻ってこられないかもだけどな。
……話が脱線したな。まあそのことを先方から電話で聞いたあとに俺はあいつに二つのことを告げた。ひとつはパーフェクトマッチを解雇するということ。もうひとつは借りた金はちゃんと返してけじめをつけろということ。やつの目の前で電話したから、どんなに頭が悪くても今自分が置かれている状況くらい飲みこめただろう。俺がクラッチバッグの中の名刺をみて架電する。先方はもちろんどうやって連絡してきたか訊く。ことの経緯を話す。となると当然、盗んだ張本人が近くにいることを暗に伝えていることと同じだ。そしたらどうなるかっていうと――
俺の職場にいると思われる田沢を追いこみに来るわな」
唖然として聞いていた久賀さんは身体をびくりとさせて「え? じゃあここにヤク――恐い人たちが押しかけてくるってことですか?」と今にも泣き出さんばかりに訊いたらしい。
「いや、来ないよ」
滑稽なくらい素っ頓狂な声で答え、
「そりゃあ、田沢がいたらここに来るだろうけどねえ。あいつ、さっき逃げたもん」
そう、田沢は逃げ出したのだ。




