社員その⑬ 田沢(男性)[1/3]
端を発したのは取引先専用の回線に受電した一本の電話だった。
「お電話ありがとうございます。ホワイトマッチの佐倉でございます」
ちなみに取引先に偽名は使用しない。
「お忙しいところ恐れ入ります。私はクレジットリタイアの打越と申します。御社に在籍しております田沢周太朗という社員はみえますでしょうか」
「田沢、ですか?」
一瞬だけ言葉に詰まった。うちには田沢という名の社員はいない。本名にしても、偽名にしても。
「確認してまいります。念のためご用件もうかがってよろしいですか?」
「……チッ」
し、舌打ち?
「えっ、あ、あの」
「……申し訳ないが本人にしかお伝えできません」
丁寧なようで怒気を含むような喋り方。不穏な空気が受話器から漏れ出すような。いずれにせよ、嫌な感じ。あれ、クレジットリタイアってどこかで耳にしたような……。
少々お待ちくださいといいながら保留を押して受話器を置き、隣の久賀さんに尋ねた。
「姐さんすみません。今ですね、クレジットリタイアっていう会社の打越様って方から電話かかってきまして。そんでですね、田沢周太朗って人に繋いでほしいとのことなんですけど、そもそも田沢なんて社員うちにはいませ――ね、姐さん?」
いつも毅然とした面持ちの久賀さんが、これでもかというくらい顔をしかめている。不意に周りを見渡すと、なにか失言をしたのかと思うくらい非難に似た目線が私に集まっていた。一瞬にして場が凍りつき、悪寒が足元から這い寄った。
「おい佐倉」
はっとして声の聞こえる方へ顔を向ける。内海課長が訝しい形相をしていた。
「それ何番?」
「は、はい。保留回線の四番でしゅ」
甘嚙みをスルーして、内海課長は受話器を上げた。
「お電話かわりました内海と申します。あ、はい、私です、お世話になります。ええ……はあなるほど、そういった用件ですね。申し訳ありませんが田沢は五年前に退職しておりまして……ええ、自己都合の退職ですよ、はい……ええ、承知いたしました。はい、はい、失礼いたします」
内海課長は受話器を置き、煙草を吹かすようにため息ひとつ空へと吐き出す。私はなにが起こったかも把握できないまま、課長のデスクへと恐る恐る近づいた。
「あ、あの課長すみません。私なにか粗相を……」
お馴染みの澱んだ目で私をみる。瞬時に強張らせるその目はまるでメデューサのよう。
「いや、気にすることはない。こんなものを対応したのは俺でもこれが三回目くらいだ。それにしてもまだ続いてたんだな……ま、とうの昔に辞めた人間のことだ。俺も佐倉も関わることはまずないだろう」
一気に安堵で満たされていくのがわかった。思わず腰が砕けそうになったくらいだ。
「あ、は、はい。対応していただきありがとうございました」
そう告げて自席へと戻ろうとした、その時だった。
「おい佐倉」
課長が不意に私を呼び止めた。私は一時停止したように固まってしまった。
「気が向いた時でいいから『クレジットレンダー』をネットで調べてみな。『消費者金融』のアンド検索でね」
「クレジットレンダー、ですか?」
心臓を針で刺されたような、微かな痛みを感じた。
「あと田沢のこともだ。いっておくがネットでじゃねえぞ。お前より社歴の長いやつなら誰でも知ってるから、さわりだけでも訊いてみろ。そうしたら俺が調べさせた意味がわかるから」
そういうと課長はディスプレイへと目線を移し、ブラックリストの紙を交互にみながら黙々と作業をはじめた。
頭の中でクレジットレンダーと田沢、そして消費者金融という言葉が何回も跳ね返り、嘔気を誘っていた。先ほどまでびくともしなかった足は、枷が外されたように軽くなっていて思わず躓きそうになる。少しばかりよろめきながら自席へと戻ると久賀さんが珍しく心配そうな目を寄越してきた。そして腰が砕けたように座りこむや否や、久賀さんに訊いた。
「あの、姐さんにちょっと訊きたいことがありまして……」
「田沢さんのことでしょ? 私のところまで聞こえてたよ。佐倉さんが気落ちするような案件ではないから安心しな。とりあえずまあなんだ、お疲れさまでしたってことで」
悪いことをして反省する子どもを宥めるように、久賀さんはチョコレートをくれた。なにも悪いことしてないのに。
「そしてあれか。田沢さんのことを訊きたかったんだっけ? ちょーっとだけ話が長くなるかもしれないんだけど――」




