社員その⑫ 内海課長(男性)[2/2]
そんな絵空事を頭の中で並べながら課長が自席に戻るのを見、姿勢を戻して受け取った二枚のファックスを机の上に置く。そのひとつを取って、あたかも医者がシャウカステンにレントゲン写真をかざすように目の前のディスプレイとフレームの隙間にさす。
顔写真と住所欄がマジックペンで塗り潰された免許証だった。素顔と所在が透けてみえるかもしれないなんて思ったが、ただ単に印刷されたブラックトナーがぼんやりと灰色味となって曖昧に浮き上がるだけだった。
マッチングサイトと一言でいっても誰も彼もが利用できるのではなく、意外とお堅い部分もある。そのひとつが十八歳以上しか登録および利用ができないように、身分証の提示が必須であることだ。そこを怠って、不当な金額請求や援助を助長させるような悪質な業者もいるが、そういうやつらは決まって哀れな末路を歩んでいる。悪銭身につかずってやつだ。そこでホワイトマッチは身分証の提示を義務づけて健全な運営を心がけている。
とはいえ今日の情報社会だ。ネットの海には不特定多数の身分証なんぞいくらでも転がっている。だから、登録希望者が所持しているものかどうかなんて正直わからない。じゃあどうして義務づけているのかっていうことなんだが、とどのつまり有事の際に法律、法令、青少年保護育成条例やら淫行条例などに抵触しないようにするためだ。実態としてはそれらも形骸化となっている場合が多いのだが。
そんなことをいっていると、登録者が所持していない身分証を承認するなんて管理が杜撰なんじゃないかって思うだろう。ちゃーんと規約に明記してるぜ。提出された身分証と本人情報との間に齟齬が生じる場合は当該会員に全責任があるってね。
結局は自分たちの保身のためだけにやっている作業なのだ、悲しいことに。
取り急ぎ免許証の生年を確認する。昭和三十四年。対象年齢かどうか確認するまでもないが早見表を見ると六十才、還暦。うちの親父と同い年、といったことも普通にあることが恐ろしいところだ。恋愛に対する関心、もとい性欲はいくつになっても尽きないのだろう。
よく見ると北海道公安委員会、か。ほんの少しだけ心に翳りが生まれる。
免許証のファックスに済印を押して承認箱に放りこむと、もうひとつのファックスを手に取った。銀行のATMの送金時に発行される利用明細書だ。
マッチングサイトに限らずだが、現存する有料コンテンツの支払い方法のひとつで銀行振りこみはオーソドックスであるだろう。無論、パーフェクトマッチでもそれを採用している。
しかし、銀行に振りこんだからといってポイントが即時加算されるシステムは残念ながら有していない。他社がどんな処理を行っているかは知らないが、うちでは既定の時間に銀行から入金データを入手して金額と日付を確認後、ポイント換算表に従って付与する。
そのため早くポイントがほしいと躍起になる会員もいて、指定口座に送金後すぐファックスで利用明細書を送ってくることもある。その情報を元に入金データを確認し照会できれば既定の時間外でもポイント付与が可能だからだ。そのシステムを把握していない会員からは「振りこんだのに追加されてねえぞ! 詐欺か!」なんて見当違いの問い合わせもくる。
そして折に触れて、ファックスで送られた利用明細書の残高を見ると意気消沈してしまう。十中八九、一万円を切っているのだ。稀ではあるが、不要であるにも関わらず振りこみ元の銀行名と支店名をご丁寧に記載する人もいる。今だと奇を衒った銀行名もあるからそれと組み合わさると一周回って滑稽だ。ちなみにこの人の場合――
パヴァティ銀行 プラチナ支店 普通預金 残高 六千とんで九円。
これだけじゃ……お持ちの口座はこれだけじゃないんですよねえ……と問いただしたくなる。さらには利用停止すら促したくなる。まあこれが私たちの給料となって還ってくるのだから止めはしない。自己責任だ、もういい大人なんだし。
つーかパヴァティって「貧乏」って意味じゃねーか。支店名がまたプラチナってのが滑稽というかなんというか。頭イカれているなその銀行っていうか。
そう頭の中で屁理屈を塗りたくりながら席を立ち、課長の席の後ろにある清算済のクリアボックスに利用明細書のファックスを入れた。そのついでに主任に指示されたブラックリストを課長に提出する。
「課長失礼します。今お時間よろしいですか?」
「おう、なんだこの野郎」
初っ端から居丈高な物言いはやめてほしい。
「あ、はい。主任より依頼されたブラックリストをまとめましたので、ご確認いただけたらと思いまして」
「お、そうか。ありがとう。そこのボックスに置いといてくれ」
たまにひょんなことからもらう課長の感謝の言葉を聞くと純粋に嬉しくなる。一体どんな生き方をしていたら、こんな人になるのだろうか。やっぱり関わってきた人たちが特殊というか異端だったんだろうなあ。思っていることが漏れないように息を止めて心の中で呟きながら、自席へと戻った。
言葉として口にしなかったはずなのに、その思いに言霊が勘違いをして宿ってしまったのだろうか。私が後日、課長が関わったある人と対峙するなど、この時はゆめゆめ思わなかった。本当に貧乏くじばかり引くな、私って。




