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わたくし佐倉は男ですが毎日殿方にラヴメール送ってます  作者: 香井 八輔
社員その⑧ 樋春(女性)
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社員その⑧ 樋春(女性)[3/3]

「それじゃあ私はお先に失礼させていただきますね。お疲れ様です」

「ちょちょちょ! 今日は本当に相談があるのよ! とっても大事な!」

「そのとても大事な相談にいきつくまで、どれだけ段階を踏まなきゃいけないんですか……」

「いつも悪いなっては思ってるのよ。ほら飴ちゃんあげるから」


 そういいながらポケットからくしゃくしゃになった飴玉を差し出した。樋春さんの手のひらの上に乗る飴玉は、皺だらけの皮膚に同化してみえる。親指と人差し指で挟むように取る。妙な生温かさが指腹から伝わった。どうしておばちゃんたちって、常に飴を持ち合わせているのだろうか。しかも誰かにあげることを前提にして。


 肩にかけていた鞄に飴を乱暴に放りこんだ時だった。


 メルレとして働く石毛(いしげ)さんが虫の息のような声で「お疲れ様です」といいながら通り過ぎていった。ホワイトマッチ第二支部で一番の古株だが、あいかわらず年中鉄仮面の無愛想な人だ。


「ちょっとぉ、なに石毛ちゃんのことちらちら見てんのよぉ。気になるのぉ?」


 より一層間延びした猫撫で声に脊髄反射でグーパンしそうになった。


「石毛ちゃんってどことなく幸薄そうなオーラ出してるわよねぇ。四十半ばくらいだったと思うけど五十過ぎのわたしと同年代に見えるもの。もうちょっと小奇麗な身なりにすれば華やかになるのに」


 ここに在籍するメルレの人たちは一癖も二癖もあるが、その中でも石毛さんは他の人たちと一線を画している。とにかくなにを考えているのか全く読めないのだ。煩悩で溢れかえっている助兵衛な男性会員のメールをただ無心で返信する。トータルでは樋春さんに劣るが、とにかく長く継続してやり取りできるのが石毛さんの強みである。


「前にわたしが手ほどきしてあげようとしたのに断られちゃったし。あの子誰とも接点を持とうとしないのよ。流行の最先端をけん引するわたしのファッショナブルなセンスを真似しないなんて、もったいないわよねぇ」


 樋春さんの妄言を半身で聞いていた最中で、数か月前のことを思い起こしていた。




 それは業務内容をマニュアライズしたハンドブック作成と、メルレ全体の質の向上を図った稼働調査だった。


 メルレの業務自体ある程度個々の裁量がものをいうのだが、その中でも樋春さんと石毛さんのツートップには模範となる部分があると上層部が睨んだのがきっかけだった。樋春さんの調査報告書をここに示すと長編になりそうだから割愛させていただく。知りたきゃうちに入社してくれ。だけど石毛さんのなら紹介できるだろう。どうしてかって? だって石毛さんの調査報告書は作成しなかったから。正確にいうなら、作成することができなかったからだ。


 石毛さんのこなし方こそ本人の感覚的なもので、このようなメールがきたらこう返信するなどの定型した方法を持っていなかった。似たような返信メールはあるものの、同一の文章がまったくない。訊けば「なんか頭の中で文章が勝手に浮かんでくるからそれを返しているだけ」と一本調子な声で答えた。その天才肌的なスタンスは今でも変わらない。


 ツートップの調査報告を楊井主任にするや否や、大目玉を食らった。石毛さんはメルレとしての調査よりも人間学に基づく調査を行ったほうが生産性ありますよといい返したかったが、柳に風と自分にいい聞かせ楊井主任が管巻き続けるのをただ耐えた。最終的には楊井主任が石毛さんの調査を引き継ぐというところで話が落ち着いたのだが、その最終報告書はいまだに提出されていない。




「……もったいないですね」


 ドアの向こうへと消えていく石毛さんをどこ吹く風といった表情で見送った。


「そうよねぇ、もったいないわよねえ」


 樋春さんの的外れな戯言もついでにスルーした。そして本題に入らないと帰れなくなると察して口を切る。


「それで? お話とはなんですか?」

「うわぁ、なんか事務的ぃ。まぁいいわ、わたしのお気に入りのボールペンがなくなったのよ」

「ボールペン?」

「ボールペン」

「ボールペン、ですか?」

「ボールペン。知らないの? ものを書く時に使うこれくらいの長さの――」

「馬鹿にしてるんですか。それくらい知ってます。いつなくなったんですか?」

「気づいたのは今日。出勤した時」

「……どこに入れてたんですか?」


 ――一番上の抽斗、か。


「一番上の抽斗よ」

「今日出勤した時はオフィスに誰かいましたか?」


 ――誰もいない、はず。


「いいえ、誰もいなかったわ。わたしが一番」

「樋春さんの次に出勤したのは誰ですか?」


 ――石毛さん、だろ。しかもいつもより早い出勤。


「石毛ちゃんだったかしら。めずらしく早かったわ」


 天井を見上げて茶色味の光をばら撒いている蛍光灯にため息を吹きつける。


「……わかりました。このことは一度預からせていただきますのでなにかが判明次第ご報告します」

「あ、うん、ありがとう。なあに佐倉ちゃん怖い顔しちゃって。可愛いお顔が台なしよん。でもわたしのために親身になってくれて嬉しいわ。別に犯人捜しをしたいわけじゃないから報告は大丈夫よ。また買えばいいだけの話だし」

「はい……じゃあ私はそろそろ。樋春さん、無理なさらぬようご自身のペースで引き続きお仕事よろしくです」


 樋春さんは白くなった舌先をちょこんと出しながらウインクをする。それに愛想笑いで返し、八階のオフィスを辞去した。


 息を吸うたびに心臓がちくちく痛むような嫌悪感で身体中が満たされていく。樋春さんの若作り満載のおどけた笑顔によるものでなく、数年前に起こった事件を思い出したからだった。そして、今回もまた。


 エレベーターホールに着く。下矢印のボタンを押さず、非常階段のドアを思いきり開ける。階段を二段飛ばしで駆け上がりながら九階の倉庫へと向かった。

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