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わたくし佐倉は男ですが毎日殿方にラヴメール送ってます  作者: 香井 八輔
社員その④ 酒々井(女性)
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社員その④ 酒々井(女性)[2/3]

 ゆっくりと顔を酒々井さんへ向けた瞬間に「えっ」と空気が抜けるような細い声が整ったご尊顔から漏れた。予想だにしなかった言葉が襲い、繕っていた笑顔が保てなくなっていくのがわかった。


 あれ、なんでだ? やばいやばい、なにがいけなかった? いい方か? 内容か? もしかして肩凝りって女性にとってはすごくデリケートな問題なのかしら? それこそ生理と肩を並べるくらいに、肩凝りだけにね! って寒すぎて氷河期再来してまうわ! ていうかなんで関西弁になってんねん!


 額と脇の発汗を塞き止められないまま目線を落としてだんまりしていると、空調の音に混じって「ふひぃっ」と子豚が鳴くような音が耳に届いた。


 今度は私が「えっ」と漏らしそうになった。漏らさぬようにからからになった口の中で唾を掻き集めて一緒に胃の底へ落とした。顔を上げると酒々井さんは携帯を片手にいやらしい笑みを浮かべていた。


「ちょっとやだぁ佐倉さんてばー! 入社して間もない新人にセクハラ発言ですかぁー!? いやらしかー!」


 多少方言は混じっていたものの、同じ日本語なのに話がまるで理解できなかった。やはり肩凝りって女性にとって禁句だったのだろうか。取り急ぎこの現状を打破しなければと訂正する。


「えっと……ごめんなさい。なにか失言してしまったみたいですね。不躾……いや、そんなセクハラまがいの質問でしたかな?」


 でしたかなってなんやねん。私も日本語狂ってるやないかい。つーかいいかげん関西弁どっかいけや。


 そう心のうちでセルフ突っこみしたが、明らかに気分は落ちていた。そんな自分とは反比例で酒々井さんは特殊な笑いをやめられないのか、ふごふごと口を手で抑えながら必死に制止しようとしている。美人が台無しだった。


「だって……だってえ……」

「だって……なんですか?」

「だって……肩が凝りやすいってことは、あたしの胸が大きいってことですよねー!?」


 室温調整のためか天井の中央で稼働していた空調が動きを止めた。おいおい私を置いてけぼりにするなよと射すくめるような目線を上方へ投げつける。空調はそれを華麗に受け流して沈黙を貫いていた。私は顎を上げたまま、口をぽかんと開けたまま、反論の余地などないただの抜け殻になっていた。


「……なんかごめんなさい。そういう解釈になるとは露知らず。不勉強でした」


 毛穴という毛穴から噴き出してしまうほど謝罪の念が身体中を占めた。どう咀嚼してもこの会話は私にとって不条理だろうが、致し方ないのだ。堪忍袋の緒が切れるほどの罵倒を浴びさせられても、抗うことのできない罪を被せられても、柳が風になびくかのごとくさらりとやり過ごす。それが殿方のたしなみであり性であろう、多分。


 中身のないすっかすかの美談でひとり勝手に締め、謝罪と反省もそこそこに今度こそ席を立とうとした。これで終わるはずだった。


「そういえば佐倉さんって、週に何回するんですか?」


 上品(この()なく下())な物言いにまた動きを制止させられる。


「何回って……なんのことですか?」

「ぷっ、わかってるくせにー。自家発電ですよ」

「別に私は自家発電で電力供給するほどの限界集落に住んでおりませんが」

「ふひぃっ、ウケ狙いですか?」


 なんじゃその笑い方。構わず酒々井さんは続ける。


「佐倉さんって一見お堅そうな感じなんですけど、あたしから見れば結構遊んできた人かなーってにらんでいるんです。どうですか? 違いますか?」

「違います」

「えっ、まさかチェリー君ですか? 佐倉だけに、ふひぃっ」

「それウケ狙いですか?」


 だからなんだその笑い方は。この上なく癪だ。


「あたしは週に何回もしてますよー。自家発電もですけど、相手との相互発電も」

「なんすか相互発電って。安直すぎ」

「えー? じゃあ佐倉さんだったらどう表現するんですかー?」


 ここで真面目に(?)答えてしまったことを思い返すと、今でも気恥ずかしくなる。


「情交。同衾(どうきん)。粘膜の擦り合い。次世代の遺伝子が生命を授かるためのエクササイズ」


 そう吐き捨てた直後、猿が奇声を上げるかのごとく甲高くて下卑た声が右耳と左耳の間を行き来した。


「ふひぃふひぁっあ! ちょ、ちょっと佐倉さんそれこそウケ狙いでしょう? エクササイズって……ふひぃっ、面白すぎて倒れそう……」


 あぁこういう内面をお持ちの人かと定着すると、私の中で好印象だった酒々井さんが瓦解していった。当然といえば当然だった。


 今度こそ一服しに行こうと席を立つと、酒々井さんが「あっ、佐倉さん」と声をかけた。


「ほらこれうちの実家のワンちゃんたち。可愛くないですかー?」


 酒々井さんは携帯の画面をこちらに向けた。二匹の小型犬が嬉々として戯れていた。この女は脊髄反射で自分の興味があることだけ投げてくるなと心の中で毒づく。先ほどの攻防で疲労困憊になった自分の頭では「ああ、うん、かわいい」とおざなりに返すことしかできなかった。それが仇となったのか、酒々井さんは次の動画へと遷移させた。


「そしてこれ! この子たちがエクササイズしている動画もあるんですよー? ほらほら、後ろから何回も突いてる! やばーい」


 貴様の煩悩まみれの頭がやばーい、だよ。


 そうぶちまけてやろうかと過ったがそこは大人な私の理性がちゃんと抑制してくれた。グッジョブ、私の理性。そう褒め称えながら私はそそくさと喫煙所へと向かうべく休憩室をあとにした。自分が週に何回自家発電しているかと想像してしまったためか、煙草が限りなく不味く感じた。舌全体に走る嫌悪感に辟易しながら、今後酒々井さんに敬語なんか使うもんかと密かに決意した。


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