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転生したら、推しが尊い!

作者: 橘さつき


 『伯爵家には人形がいる』という噂がある。







 屋敷の一室。モノトーンでまとめられた部屋に入ってくる一人の少女。


「お嬢様、お茶の用意ができました」

「そう。ありがとう」


 肌は陶磁器のように白く滑らかで、さらりと流れる腰までの髪は淡く金色に輝いている。くるりと大きな瞳は深く澄んだ菫色。美の神が丹精込めて創り上げたような美しい顔は、しかし今まで1ミリも動いていない。


 彼女こそが人形令嬢、シャーリー・アネラス。アネラス伯爵家の三女だ。


「今日のお茶会もお疲れ様でした」

「いいえ。アンナのほうが大変だったでしょう?」

「全然!それより、婚約者だからと言って毎回お茶するシャーリー様は優しすぎます!嫌だったらベルナルド様の訪問、断っていいんですよ?」

「大丈夫よ」


 侍女のアンナに表情なく返す。

 笑わない、愛想がない、ついでに会話もしたがらない。無表情で最低限のやり取りしかしないから人形なんて渾名がつけられた。

『人形令嬢には感情などないのだろう』

 それが世間での彼女の評判なのだが。


 その張本人であるシャーリーは静かに紅茶を啜りーー




(はあああぁぁ…今日もベルナルド様まじ尊かった!!少しうねった黒髪に藍色の瞳、クールな表情!いつ見ても最高です!カッコいい!ありがとう神様!てかあの冷たげな顔つきが甘いお菓子食べた瞬間ふって緩むの可愛すぎかよ。可愛すぎて脳内シャッター止まらんかったわ。ギャップ萌え?これだけでも天使なのにさらに胸キュン要素増やされたら私死ぬよ?萌えの供給過多で死ぬよ?でそのあとちょっと恥ずかしそうにはにかむ姿とかなんなんですか尊すぎますああ守りたいあの笑顔)


「やっぱりアンナの淹れる紅茶は美味しいわね」

「そうですか?ありがとうございます〜」


 シャーリー・アネラス。

 脳内で『今日も推しが尊い!!』と叫ぶ、転生者である。





 シャーリーが記憶を取り戻したのは侯爵家のお茶会。婚約者と初めて顔合わせしたときだった。


(あれ、幼少期のベルナルド様まじ尊くね?)


 その言葉が、シャーリーの前世を思い出すトリガーとなった。


 ーー彼女が前世でプレイしていた乙女ゲーム。その攻略対象の一人、ベルナルド・オースティン。

 

 少しうねった艶やかな黒髪と、深いブルーの目。いつも無表情で鋭い顔立ちのクールキャラだが、ストーリーを進めると様々な表情を見せてくれるようになる。他のキャラと比べ人気は低かったが、たまに見せるレアな表情は彼女の心をいともたやすく奪い去っていった。

 そんなこんなで、前世の彼女は彼を推しに推しまくっていたのだ。

 

 …その幼少期の姿が、目の前に。

 シャーリーのオタク心が目覚めた瞬間だった。


(ああああぁぁ!!可愛い!可愛い!可愛すぎて語彙力が仕事しない!幼い姿とかゲーム未登場じゃないですかああ尊い!天使!超天使!そのぷっくりしたほっぺとかつつきたい!頭撫でたい!心ゆくまでこの子を()で倒したい!!)


『はじめまして。アネラス伯爵家が三女、シャーリーと申します』

『ベルナルドだ。よろしく』

 

(知ってます前世から推してきました!ああちょっと無愛想なの逆にいい!!人見知りしてるの可愛い!おお神に感謝を!)


 この頃からシャーリーの無表情は健在であった。これなら気持ち悪いニヤケ顔も推しに見せることはない。自らの顔面の耐久性に彼女は深く感謝した。





 そして、今も。



「アンナ、次にベルナルド様に会えるのはいつかしら?」

「さあ?あの方突然やって来ますし。もうずっと来なくていいですよ、あんな無愛想な人。せっかくお嬢様が迎えに出てるのにいつも無表情で…」

「アンナ。やめなさい」

(推しの陰口、ダメ絶対!!いくら私がアンナを好きでも推しを悪く言うなら、私、容赦しないよ?)


「…っでも!」

「アンナ、二度は言わないわ。ベルナルド様を貶すような真似はしないで」

「……わかりました」

「私を心配してくれたのよね。ありがとう、アンナ。でも彼はいい人よ。わかりにくいだけで」

「…お嬢様がそう言うなら、そういうことにしておきます」


 青い空、囀る小鳥の声。精巧に作られたビスクドールのような、無表情の少女は一人思う。


(神様、今日も萌えの恵みをありがとうございます。あぁ、眼福、至福。これからも私はベルナルド様一人を推していきます!!)


 そうして、シャーリーは今世もベルナルドを推し続けるのである。

 




***



『侯爵家には氷の男がいる』という噂がある。







 馬車から降り、書斎に向かう。重厚な扉を開け入室してくる一人の青年。


「若、お待ちしておりました」

「ああ。すまないな」


 猫っ毛の黒髪は柔らかく艶やかに輝き、筋ばった手は無骨で大きい。涼やかな一重瞼の下には上質なラピスラズリのように美しい藍色の瞳。美の神に愛し愛されたように整った顔は、しかし今まで1ミリも動いていない。


 彼こそが氷の男、ベルナルド・オースティン。オースティン侯爵家の長男である。


「今日の訪問もお疲れ様でした」

「いや、エリクのほうが大変だっただろう」

「いえいえ!それよりも若、毎週訪問なんてしなくていいんですよ?負担なら婚約破棄もできますし」

「大丈夫だ、負担でもないしな」


 従僕のエリクに感情なく返す。

 いついかなる時もその相貌を崩さない。相手が泣き喚こうが怒鳴ろうが、冷淡に人を切り捨てるその姿から、氷の男なんて呼ばれるようになった。

『表情だけでなく心まで凍ってしまっているんだ』

 それが世間での彼の評判らしいが。


 その張本人であるベルナルドは書斎の椅子に腰掛けーー




(うわあああああぁぁ…シャーリーまじ尊い!!さらさらのプラチナブロンドに菫色の目、ちょっとすました表情!いつ見ても可愛い!綺麗!ありがとう神様!しかも何、クッキー自分が作ったって言ったとかに少し不安そうにしてこっちみてくるの反則!上目遣いは可愛すぎて有罪です!で食べたら嬉しそうにするのマジかわ。俺の尊いメーターが振り切れますわ。そのままでも天使なのに笑ったらやばい。もうそれはやばい。俺、今日命日?天に召されるの?ああとりあえずまじシャーリー尊い守りたいあの笑顔)


「エリク、次の書類を」

「かしこまりました」


 ベルナルド・オースティン。

 脳内で『今日も推しが尊い!』と叫ぶ、転生者である。





 ベルナルドが記憶を取り戻したのは自分の家の開いたお茶会。婚約者と初めて顔合わせしたときだった。


(あ、この子尊い。天使)


 そんな言葉とともに、ベルナルドは前世を思い出した。


 ーー彼が前世でプレイしていた乙女ゲーム。彼が嫌がりそうなので誓って言うが、妹に無理矢理押し付けられたものだ。


 そんなゲームで彼が推していたのは攻略対象でも、ましてやヒロインや悪役令嬢でもない。ある攻略対象のルートにだけ現れる、彼の婚約者だ。一目見て好きになった。

 出てくるシーンは片手で数えられるほど。名前すら出てこない。そんな人物を、前世の彼は推しに推しまくっていた。


 …その幼少期の姿が目の前に。

 ベルナルドのオタク心が目覚めた瞬間だった。


(ふぁぁああああああ!!可愛い!推しの幼い姿とか俺得でしかない!超可愛い!ほっぺめっちゃもちもちしてそう!触りたい!両手で挟んでぎゅってしたい!てかドレス似合いすぎだろ、妖精かよ。あー可愛い、天使!心ゆくまで()で倒したい!!)


『はじめまして。アネラス伯爵家が三女、シャーリーと申します』

『ベルナルドだ。よろしく』


(シャーリー、シャーリー、よし覚えた。名前まで可愛いとか推しが本気で天使な件について。え、俺、推しの婚約者?Oh…神に感謝を!!)


 この頃からベルナルドのポーカーフェイスは健在であった。これなら自分の気持ち悪いニヤケ顔を推しに見せずに済む。彼は自らの顔面の耐久性に安堵した。





 そして、今も。



「エリク、届いた書類を全て俺にまわせ。今日中に終わらせる。明日アネラス嬢に会いに行くからな」

「ええっ!昨日の今日ですよ!?別に行かなくてもいいじゃないですか。あの人形令嬢、ずっと無表情で薄気味悪いし…」

「エリク。やめろ」

(推しの悪口、ダメ絶対!!いくら幼馴染のエリクでも推しを悪く言うなら、俺、容赦しないからね?)


「…すみません。でもっ」

「エリク、二度は言わない。彼女を貶すような真似をするな」

「……わかりました」

「いいや、お前は俺を心配してくれたんだよな。ありがとう。でも彼女は優しい子だよ、誤解されやすいだけで」

「…若がそう言うなら、おれは従います」


 紙に並ぶ文字の羅列、静寂の中で走るペンの音。氷のように醇美で、温度のない表情を浮かべる青年は一人思う。


(神様、今日も心の施しをありがとうございます。あぁ、眼福、至福。これからも俺はシャーリーだけを推していきます!!)


 そうして、ベルナルドは今世もシャーリーを推し続けるのである。





***


 一時、社交界を賑わせたある話題。

 ーー『人形令嬢と氷の男が婚約した』という話。

「いいじゃないか、同じ気味の悪い者同士で」

「クスクス。お似合いだわ」

 そうまことしやかに囁かれていた…



 晴れた空の下。

 伯爵家のテラスには、二人の人物がいた。

 

 かたや端然とした可憐な少女。

 かたや冷たげな相貌の閑雅な青年。


「いい茶だな」

「ありがとうございます」


 紅茶を啜りながら言葉少なに会話を交わす二人、シャーリーとベルナルド。れっきとした、婚約者同士だが、そこに年頃の男女特有の甘やかな雰囲気など微塵もない。




 そんな空気感の中張本人たちは…




(ふぁあーーーー!!シャーリー手ずから淹れてくれたお茶!優しい!大切すぎて飲みたくない!でも美味しい!うわぁぁ昨日仕事頑張った甲斐あったー地獄やったーでも今日シャーリーの顔見れた、幸せ。というか俺今更だけど態度悪くない?カッコつけてるとか思われてない?大丈夫!?)

(きゃあぁぁぁーー!!二日連続!ベルナルド様に会えた!奇跡!!今日も相変わらず麗しい…ああ人外級の美貌が眩しいです拝む。あれ、推しの顔が曇った…ハッ!まさか令嬢が紅茶淹れるなんてとか思われた!?どうしよう嫌われたくない…)


 心の中で盛大に悶えて苦悩していた。

 


 ちなみに表面上は両者ポーカーフェイスを貫き、二人の間には沈黙という第三の人物が横たわっている。とても仲が良さそうな婚約者同士には見えない。

 だんだんと空間を占める沈黙の面積が大きくなっていく。


(やばい、沈黙がつらい…何か話さなければ)

「…このクッキーも君が作ったのか?」


(はっ、推しが私に話しかけている!?しっかりするのよシャーリー・アネラス!嫌われないよう、単純明快に答えなきゃ!)

「はい、私が作りました」


(ふおおおお!!シャーリー手作りクッキー!シャーリーの作るものはなんでも美味いんだよなぁ)

「そうか。君の作る菓子は美味いな」


(…えっ私今日死ぬ?推しからの褒め言葉?しかも笑ってるし!少し口角を上げて、ふわって!!超可愛い。萌え。)

「…ありがとうございます」


(何気障なセリフ言ってんだ俺ぇぇぇ!!でもシャーリー嬉しそうだし、結果オーライ?ちょっと安心したみたいに微笑む姿もめちゃキュートです控えめに言って最高)

「いや、こちらこそ」



 その拍子に二人の手と手が触れた。ほんの指先をかすめる程度だったが。




(うわあああああああっ!!手が!俺の手が!シャーリーの手と!うわああああ!!微かにしか触れてないけど柔らかかった気がする。色も白かったし。あと良い匂いした。ハーブ系?やばいドキドキする。女子ってみんなあんな香りするの?)

(ひゅあああああああっ!!手が!私の手が!ベルナルド様の手に!ひゃあああっ!!硬かった。剣ダコみたいなのもあって。私より何倍も大きかったし!なんだろう…男らしい?なんか触ると安心できるって言うか…胸がぎゅっとするって言うか…)



「あ、すまない」

「いいえ。大丈夫です」


 対外的にはさらりとすます二人。心で叫んだ気持ちの1ミクロンも入っていない義務的な返事である。きっと彼らの気持ちを知る人がいれば、『言ってしまえばいいのに…両想いなんだから』と嘆くことだろう。

 まあ残念ながらそんな人はいないのだが。



 そんなことには気づかずに、二人は今日も心の中で叫ぶのだ。





((ああ、転生したら推しが尊い!!))



※両方とも無表情なのに相手の表情の変化が分かるのはお互い相手を推しているからです。


《登場人物》


シャーリー

…転生者でベルナルド推し。常時無表情。ベルナルドの表情の変化にはすぐ気づく。推しを敬愛する気持ちとは別の感情もあるが、気づいていない。鈍感。発想が暴走気味。今日も推しが尊い。


ベルナルド

…転生者でシャーリー推し。常時無表情。シャーリーの表情の変化にはすぐに気づく。推しを敬愛する気持ちとは別の感情もあるが、気づいていない。鈍感。シャーリーよりは現実を見ている。今日も推しが尊い。


アンナ

…シャーリーの侍女。後日シャーリーの言葉を受けて観察してみて、彼女がベルナルドに好意を持っていることを知った。エリクとも情報交換して両想いなことに気づき、今とってもニヤニヤしている。


エリク

…ベルナルドの従僕。後日ベルナルドの言葉を受けて観察してみて、彼がシャーリーに好意を持っていることを知った。アンナとも情報交換して両想いなことに気づき、今とってもニヤニヤしている。

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[一言] 私も今とってもニヤニヤしています。かわいい!
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