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ヨルムンガンドの慟哭  作者: 竜胆
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1, 賢竜の娘


吹雪が吹き荒れる山頂で一頭の老竜が卵を温めていた。漆黒の鱗は傷んでいて鋭利に尖った尾は千切れかけている。体は古傷が目立っていたが、視線は鋭く、真っ赤な瞳をギラギラとさせて周りを警戒している様子が見てとれた。


そして、時折心配そうに卵を舐めたり甘噛みしたりして様子を確認している。緑がかったその卵が微かに動くと老竜はほんの少しだけ表情を緩めた。


彼は、この山の守護者だ。数えられないほど永い年月の間この地を護ってきた。


魔王国のちょうど中心にあるこの山、ロストネードロックは世界で一番標高が高い、危険な火山だ。未知の魔物が数多く生息していて勇者と呼ばれる人間でさえ登りきることはできなかったと言われている。

そして、山の裏には魔王国の聖都アトランティスがあるため、ロストネードロックは自然の要塞の役割を果たしており、魔王国の防衛力を増強している。


そんな山の主が、この老竜だ。


名をロスト・イグナーツという。

黒竜という力を持った珍しい種族の竜で、気の遠くなるような永い年月を魔王国の繁栄のためだけに生き続けてきた。彼の寿命はほとんど永遠と言っていいくらい永いものなので、殺されない限り死ぬことはないのだがいよいよ生に飽き始めていた。


そして、彼は魔王と知己の友人であり、唯一の理解者であると噂される実力者でもある。彼の赤い瞳は世の理全てを見通すといわれ恐れられていた。それこそ、賢竜ロスト・イグナーツといえば誰もがその名を知る程には。



そんな老竜が、おそらく彼とは別種の竜の卵をなぜか抱いて温めている。それも、壊れ物を扱うかのように細心の注意を払って触れているのがわかる。

彼はその卵から少しカリカリと音がすれば耳を驚かせ、グラグラと揺れれば嬉しそうに目を細め、落ち着かない様子で卵の匂いを嗅ぐ。


間違い無く、彼の竜生の中でこんな穏やかな表情をするのは初めてのことだった。




その時だった。





まるでビスケットを噛み砕くような、軽い音がして卵にヒビが入った。老竜が割ったわけではない。小さな命が内側から、確かに外に出ようとしていた。


軽快な音が鳴るたびに、老竜の心臓はドクドクと音を立てて拍動する。彼がこんな気持ちになったのは何百年ぶりだろうか。久しぶりに喜びに沸き立つ体が疼いて、老竜は身震いした。


「............マ、マ?」


卵の割れ目から顔を出した小さな竜は老竜に向かってそう言った。

だが、老竜は返事をするどころでは無くて、ただ黙ってその竜を優しく見ていた。


美しい、老竜はそう思った。

少し紫がかった黒曜石のような鱗と、老竜よりも濃い色の赤眼。不思議そうにこちらを見る幼竜は心なしか自分と少し容姿が似ていて、老竜は嬉しく思った。


「ヨルムンガンドか。」


「...........ま、ま」


拙い発音で擦り寄ってくるその竜を老竜は抱き上げて、暫く考えてからまた元の殻の場所へ戻した。老竜が、本当の親ではない自分が抱きしめてもいいのだろうか、と迷った末の行動だった。


「悪いが、お前の母親ではない。」


老竜はきっぱりとそう言った。産まれたばかりの幼い竜にそれを突きつけるのは酷だったな、と言ってしまった後に老竜は後悔した。


上位の竜種は殻を破った瞬間から、ある程度の言葉を使うことができる。それは、殻の外で話されている言語を殻の中でそのまま覚えるからだ。


この幼竜の母親はどうやら、自分のことをママ、と教えたらしい。幼竜は老竜を何度もママ、と呼び老竜は少し困ったように苦笑いした。


「ママ」


発音がはっきりと明確になった。鈴を転がしたような可愛らしい声が洞窟に響く。


まあ、いいか、と老竜は思う。この幼竜の母親はもうすでにこの世にはいないのだから、気を使う必要はないだろう。とも。何よりその吸い込まれそうほど鮮やかな紅色の大きな瞳で見つめられると老竜は何でもいうことを聞いてやりたくなった。


「来い。温めてやろう」


幼竜の体を破れた羊膜が汚していた。母親は産まれたばかりの吾子を舐めるらしい。羊膜での窒息を防いだり、体温がうまく調節できない子供のための母親の愛情だ。

老竜もそれに倣って幼竜の体を舐めた。できうる限りこの子の母親がわりになってやりたいと老竜が思ったからだ。


幼竜はくすぐったそうに身を捩って、小さく鳴いた。老竜は子供は少し苦手だったが育てるのも悪く無いと思った。


すると、幼竜の腹がグルグルと鳴った。

腹が減っているのだろう。老竜は卵を温めていたので食事を取ってくる余裕はなかった。


普通の家族ならば食事は父親が取ってくるものだ。だが、食事を取ってきてくれる父親がこの幼い竜にはいない。その事実を突きつけられた気がして、老竜は心苦しかった。


しかし、幼竜はそんなこと気にしていない風に、自分の卵の殻をバリバリと食べ始めた。


鳥類などは発育しきっていない状態で外を出てくるため、早成性の鳥でも普通は2、3日は食事をしない。が、竜は別だ。特に上位種であればあるほど食事を必要とする傾向があるため、多くの食事を生まれてすぐにとる。


だが、自分の卵の殻を食べる竜というのは聞いたことがなく、賢竜と呼ばれる老竜でさえ、少し不安になった。


特に、ヨルムンガンドは猛毒を持つ。その毒は吐く息にも若干混じる。そのため、矮小な人間はその生息圏内に知らずに入るだけで命を落とすこともある。それほどまでにヨルムンガンドという種は強い。


実際、今もその毒は老竜の鱗からじわりじわりと体内に入ろうとしていた。いくら上位種の黒竜であっても刺激を強く感じる。老竜はヒリヒリする鱗に軽く息を吹きかけて、毒を軽くとばした。


「まま、らいじょうぶ?」


そんな様子の老竜を気遣うように、殻を食べている幼竜はそういった。拙い言葉だったが老竜への心配が伝わってきて、老竜は優しく頭を撫でた。


「心配ない。それより、大人しく待てるか?」


「どこかへいっちゃうの?」


「食事をとりにいってくる。」


それだけいうと、老竜は洞窟から出て翼をひろげ、大空へ飛び上がった。

冬の澄んだ空気が心地よく、静かに老竜の鱗を撫でた。彼は世界にはもう興味が尽きかけていたため、久しぶりの飛翔だった。凝った筋肉がほぐれていくのを感じながら山を見下ろす。


すると、老竜の友人の炎竜、グランツが山の中腹を飛んでいるのが見えた。向こうも気がついたのかこちらに徐々に近寄ってくる。


目が合うと、彼は軽く目を伏せた。上位種、又は年上の竜には、目を伏せて挨拶をするのが礼儀だ。グランツは上位種ではあるが、まだ年若いので久しぶりに会った老竜に挨拶に来たらしかった。


「お久しぶりです。長。」


「炎竜には冬のこの寒さは辛いだろう。元気にしていたか」


「えぇ。もう冬の終わりがけですから、春を待っているところです」


ロストネードロックは火山だ。本来ならばもっと暖かいのだが、標高が高いせいで冬になると一ヶ月ほど積雪する。もうすぐその期間が終わるので、グランツは山の中腹から頂上付近へ移動してくる。


彼は冬以外は、老竜のただ一人の隣人だ。


「長の狩猟エリアはもう少し上なのでは?ここでは小さいものしか取れませんよ」


しかも、冬だと肉の硬いのしかいませんとグランツはため息をついた。しかし、老竜は狩をしに来たのではない。


ヨルムンガンドは基本的に肉食だが、毒を持つ獲物しか食べない。その味覚は、毒が強ければ強いほど美味く感じるため全く毒を持っていないものは不味すぎて吐き出してしまうのだ。

だから、食事には毒を混ぜてやる必要がある。老竜はそのための毒草を採集するためにこの場所まで来ていた。


「肉は余っているんだが、毒草がなくてな」


「毒草、ですか?」


飛びながらでは長い話になるので、毒草の群生地近くで地に降りた。それから今まであったことを掻い摘んで話す。


「いくら長といえど、ヨルムンガンドの子竜は.........」


危ないのではないですか、とグランツが言おうとしたのが、老竜にはわかった。だが、老竜には、命を預かる以上そのくらいの覚悟は既に出来ていた。


老竜の瞳には強い覚悟が浮かんでいて、それを感じたグランツは小さくため息をついた。


「賢竜である長が決められたことなら、きっとそれが正しいのでしょう。」


老竜が何もいえないでいると、グランツは優しく微笑んだ。


「ですが、俺にも何か手伝えることがあるはずです。長の力になれないでしょうか」


「お前がいるならば心強いな」


老竜がフッと、力の抜けたように笑うとグランツも嬉しそうに笑った。


「それなら、早速、毒草集めを手伝ってくれるか」


「もちろんです」


思わぬ協力者ができ、老竜は嬉しく思った。




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