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ガライ街のアレフ  作者: かたつむり工房
輪転にこめる願いは鈍く
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2-1 再会には足踏みを


 チリリリリリリリ、と耳慣れた音が地獄を打ち破った。


 そこにあるのは見慣れた天井。俺の睡眠を邪魔する慣れ親しんだ目覚まし時計の音と、いつでも疲れた俺を迎えてくれる布団の感触。


 それから、身体を震わせる悪夢だった。


「夢……?」


 今まで目の前にあったのは夢だったというのか。


 彩芽が俺を振り回すわがままも、ギャンブルに煽られた一時の興奮も、傍らの美少女に抱いた胸の高鳴りも、そして――目の前で零れた命も?


 はぁぁー、と深く息を吐く。


 もしもあれが事実でないとするなら、それに越したことはない。


 周囲を見れば、そこに昨日まで自分が過ごしてきた形跡があって、それは間違いなく自分の記憶に一致した。


 状況は、それが悪夢うそだったと告げている。


 けれど、感覚はそれが現実だったと答えている。


 目を閉じれば血色の消えたシビュラの顔が浮かび、手のひらは急速に消えていく体温を掴もうとした形のままで、耳の奥には自分の叫び声が反響しているようだった。


 もしかしたら、それはどちらも間違いではないのかもしれない。


 だらだらと冬休みを過ごしていた昨日の自分と、シビュラに出会って彩芽と過ごした自分と、そのどちらもが正しい。


 二重の記憶があるというか。


 昨日と今の間にその記憶が挿しこまれたような。


 ――人はそれを〝夢〟と呼ぶのかもしれないけれど。


「十二月二十二日七時四十八分、か」


 時計の文字盤を見て、俺は確かめるように口を動かした。


 もしもその記憶が正しいのであれば、それは『未来の記憶』ということになる。自分の力をそんな風に語っていた〝自称〟超能力者に心当たりがあった。


 そんなことを考えていた頭がその時刻にはたと当てをつける。


 待てよ。


「俺の記憶が正しければ――」


 待ち構えていたように、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。


 記憶の通りだった。俺は驚きよりもうすら寒さを感じながら、それに続くはずのピンポンラッシュを防ぐために立ち上がる。


 二度目の呼び鈴が鳴る前に扉は開いて、玄関先に立つ彩芽は驚いたように目を丸くしていた。


「早かったわね。起きてたの?」


 こいつがあの時ためらいもなく呼び鈴を連打していたのは俺が寝ていると予想していたからだったようだ。目覚ましにしてももっとやりようがあっただろうに。


 三年ぶりのはずの彼女の姿も、この朝の空気もまるで見覚えがあって、全く同じ事を繰り返しているようだった。


 ……本当に、悪夢じみている。


 喉に込み上げる得も言われぬ気持ち悪さを飲み下す俺の表情をどう思ったのか、彩芽は妙に殊勝な様子でこちらを見上げた。


「えっと、慎――」


「寒いだろ。彩芽、いいから中入れよ」


 こちらからしてみれば二度目だ。服を着ているという違いはあるものの、わざわざまだるっこしいことをやる必要もない。


 俺の態度に首を傾げながら彩芽は靴を脱いで、しかし遠慮なく俺の部屋に上がった。


 コーヒーを淹れて、お茶請けの雪見大福を今度は半分にして、落ち着いたところで、俺は答えを知っている質問を繰り返した。


「それで、彩芽はどうしてうちに来たんだ?」


「うん。実は、引っ越しの挨拶に来たの」


「そうか」


 こちらとしては知っている答えだったので熱いコーヒーをすすりながら、生返事をする。


 だが、彩芽はそれでは不満なようだった。


「え……それだけ?」


「ほかになんていえばいいんだよ」


「もっとあるでしょ! 『えっ!』とか『嘘!』とか『引っ越しそば食べるか?』とか!」


「引っ越しそばっていうのは引っ越してきた方が渡すもんじゃないのか?」


「なんでもいいでしょ! いいからなんか作ってよ、おなか減った!」


 えぇ……、とさすがの暴君ぶりに若干引き気味になりながら、俺は備蓄のパスタを取り出してお湯を沸かし始めた。




 十数分の後、目の前には焼うどんの要領で出来上がった焼きパスタを朝食として頬張る彩芽がいた。


 ぱくぱくとフォークに巻きつけた麺を口に運ぶ彼女を見ていて、前回聞くことのできなかったことを思いだした。


「そういえば、なんでまたこんなところに引っ越してきたんだ? 言っちゃなんだけど隙間風は吹くし空調は効かないしボロアパートだぞ」


「んー……それ、わからない?」


「わからないから聞いてるんだよ。そもそもどうして急に一人暮らしを?」


 俺の質問がなにか癇に障ったようで、彼女はかちゃりとフォークを置いてこちらをまっすぐに見据える。


「それはこっちのセリフよ。学校分かれて知らないうちに引っ越してるしさ、大体高校生のくせに一人暮らしなんて、なにがあったのよ?」


 それも全部俺が聞きたかったことなのだが、どうやらこっちの質問には答えてくれないようだった。まあ彩芽が俺の話を聞いていないなんていつものことなんだけどさ。


「強いて言うなら親との不仲が原因だな。詳細は訊くなよ」


「不仲……ねえ。それおばさんの方? おじさんの方?」


「母親の方。色々あって父さんが一人暮らし勧めてくれて、高校入学と同時で引っ越した」


 実際は親との不仲が原因というのは半分くらい嘘だ。


 不仲というのが嘘で、母親が原因だというのは本当。


 一人息子の病気が発覚して、それが手の施しようがないとわかった時、俺の母親は壊れてしまった。


 青春のただなかで余命を告げられた哀れな息子の顔を見るたびに、母親は彼を喪った時のことを想像して、自分が手塩にかけて育ててきた息子が死んでしまうことを考えて、そのたび多大なストレスを抱えていた。自分のなにがいけなかったのか、息子がなにか間違いを犯したのか、ただあまりにも早い死の原因を探して、母はノイローゼに陥ってしまった。


 顔を合わせるたび暴れだし、さらには健忘の症状が出て、日々の記憶があいまいになり、俺が誰かわからなくなった辺りで、俺は家を出ることに決めた。


 遅すぎたかもわからない。もっと早く離れていれば、ここまでひどくしてしまうこともなかったかもしれないと後悔することもある。


 これは、俺が失いたくないと思ってしまったから招いた出来事。俺が死ぬくらいのことでこれからも生きていく人間が苦しむのは間違っていると思い知った。


 そもそもの核心を隠している彼女にはこの話はできないのだけれど、ふぅん、と微妙に消化不良を残したような表情で頷いた。


「これ、意外と美味しいわね。見た目はアレだけど」


 話を聞いて満足した彼女はまたぱくぱくとフォークを動かし始めていた。どうやらあんな朝食でもお口にはあったようだった。


 こないだも夕食を作ってやったし、なんだか餌付けをしている気分だ。


 本当のところを言えば、こんなことしていてはいけないのだけれど。


 シビュラとのデートへ出かけるとき、俺の目の前から消えた彼女の丸まった背中が記憶から蘇る。


 結局、俺がすることはすべてそれ以上の意味を持たなくて、どんな言葉もいかなる約束も裏切る羽目になる。もう定めは覆らないし、覆す気もない。そう、俺が決めたのだ。


 けれど、ふとした瞬間に頭をよぎるシビュラの虚ろな紅瞳が俺を苛んだ。


 こちらを見ない双眸が、お前のせいだと、お前が殺したのだと、責めているように思えた。


 こうやって昔馴染みの顔を眺めていないと、そんな根拠のない妄想がガチガチと俺の身を震わせるのだ。


「慎――」


 フォークを握りしめてパスタと戦っていたはずの彩芽がいつの間にかこちらを心配そうに見ていた。その口が二の句を継ぐことも、俺が意味のない言葉を吐くことも、そのどちらをも遮って、電話が鳴る。


 もしかしたら、これが始まりの入り口なのかもしれない。


 この電話を取って、了一の言葉に従って研究室に向かえば、俺はまたシビュラに会うことになるだろう。


 これが円環ループなのか、それとも悪夢なのかはどうやってもわからない。ただ、夢の中で自分がした慟哭、自分が殺したのかというじわじわと内側から崩れるような絶望を繰り返したくはなかった。


 だから、携帯電話を手に取った俺は迷いなくその電源を切る。


 こうするだけで、俺が直面した恐怖から目を逸らせるのであれば、安い買い物だ。了一にはまた埋め合わせをしよう。


「――いいの?」


「ああ、どうせ大した呼び出しじゃない」


「私に気を遣わなくてもいいんだけど」


「なんだそれ。おかわりが欲しいってことか?」


 あまりにも彼女らしくなかったから、意味を取りかねた。類稀なる奴隷根性による翻訳は完璧のように思えたが、彼女の気には召さなかったらしい。


「うるさい、いらない。紅茶飲みたい」


「はいはい」


 おざなりに返事をして、俺はこたつから立ち上がった。


 確か、結構前に買って使っていないティーバッグがあったはずだ。


 未来視の聖女は言っていた。


〝未来は変わってしまう〟と。


 このままボタンを掛け違えて行けば、きっと俺の知らない未来に辿り着くはずだ。


 未だ来ない先を目指して、俺は使い古したやかんを火にかけた。

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