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ガライ街のアレフ  作者: かたつむり工房
始まった廻転と二度目のデート
6/26

1-6 勘違いの勘違い


 嘘だろ?


 姿見の前で襟を整える俺は、鏡の中の自分へ自問自答した。


 それから自分に言い聞かせるように、わざわざ声に出して、自分の疑問に答える。


「ああ、嘘っぱちだ」


 たぶん、その言葉はある側面では真を指し示しているのだろう。


 問題なのは一体なにが嘘なのかということだ。


 シビュラの超能力なのか、一昨日の朝から俺を振り回すあの夢なのか、俺の彩芽への気持ちなのか、了一のいつもの思わせぶりな態度なのか、緒方先生の同級生の金谷くんなのか、昨日の彼女の態度なのか、それとも十二月二十四日の夜に白髪赤眼の美女と駅前のイルミネーションを見に行こうとしている今の状況なのか。


 結局、あの後もシビュラと話すことはできず、なし崩しのままに今日彼女と出かけることになってしまった。待ち合わせの詳細を決めようとする段階で何度かそれとなく覆そうとしてみたものの、半ば押し切られたような形だ。


 分け目がいつもよりも余計に右に寄っているように思えて、俺は執拗に前髪を撫でつける。


 どうもこういうのは慣れない。


 有体に言えば緊張しているのだ。


 シビュラが死ぬかもしれないということではない。もちろんそれも気になるけれど、夢を見てから二日以上が経った今それに対する現実感はずいぶん薄れていた。


 こんな日に女性と二人だけで会うということに対して、緊張している。


 今日は彼女が夕飯を奢ってくれる代わりに、俺は話をする夕飯前に多少街歩きに付き合ってあげる約束になっていた。


 本来はシビュラに未来視を行ってもらいたいだけだったのに、どうしてこんな逢引きじみたことになっているんだろうか……。


 一応の身だしなみを整えたところで時計を見るともう待ち合わせの時間は迫っていた。歩いていく時間を考慮するともう幾ばくも猶予はない。慌ててコートを羽織る。部屋から出て、玄関の戸締りをしていたところで、隣室のドアが開いた。


「あ」


 間の抜けた声が口から転び出た。


 うちはアパートの角部屋だから隣室というのは一つしかない。


 当然、そこから現れたのは、彩芽だった。


 彼女は俺の装いを頭のてっぺんから爪先まで都合三度も見回したうえで、地の底から響いてくるような声で、呻くように尋ねた。


「…………出かけるわけ?」


「あ、ああ、ちょっと隣町まで。その……すまん」


「……なんで謝るのよ」


 小さな声で言い捨てて、彩芽は十数秒前の動作を巻き戻すように覗かせた身体を部屋の中に収めて、扉を閉じた。


 カチャリ、とシリンダー錠の回る音が妙に大きく聞こえた。


 〝でももしも、俺が明後日やることもなく家でゴロゴロしていて、もしも、お前が暇で暇で仕方なかったとしたら、今日みたいにここに来ることまで構うことはねえよ〟


 頭の中で、あの時自分が言い放った言葉が反芻されて、舌打ちする。


 今の彼女の動きを見るに、十中八九俺の部屋にやってこようとしていたのだろう。


 あんなことを言っておいて、結局は彼女を放って出かけるというのは随分と無責任な気がした。


 いや、違う。俺は無責任だし、どうしようもなく身勝手だ。


 今だってきっと彼女が傷つけたことに罪を感じているのではなく、彼女を傷つけた自分へ勝手に無力感を抱いているだけだ。


 こうなることは避けようとして、どうしようもなかったことだったとはいえ、透き通るように美しい女性とデートすることに人並みに浮かれていたことは確かだった。


 あの日あの時あの場所で――彼女が流した涙を、俺が彼女に流させる最後の涙にしてみせると誓ったはずなのに、俺は何度間違えれば気が済むのだろうか。




 待ち合わせは隣町の中心地となっている駅だった。


 なぜわざわざ隣町まで行くのかと問えば、シビュラは「そっちのほうがイルミネーションが綺麗だって教えてもらったの」と答えた。そもそも目的にイルミネーションなんて一ミリも含まれていなかったはずなのに、彼女の中では最初からそちらの方が重要なようだった。


 仕方なく、隣町までとことこ歩くこと三十分。


 そこに着いたのは待ち合わせ時間の五分前だった。


 駅前の広場には時節に合わせて、もうとっくに葉が落ちた街路樹を木枯らしが揺らしていた。しかし空っ風が吹く中でも陽気はぽかぽかと暖かく、クリスマスイヴというタイミングもあってか、結構な人が往来している。


 さりげなく周りに目を配るが、お相手の姿は見当たらない。なにせあの容姿だ。よーく目を凝らさなければ見つからないなんてことは絶対にない。はっきり言って日本という場所において彼女がいて違和感のない場所なんて見つからないだろう。


 しかし、その代わりに奇妙なものが見つかった。あるいはこの場所ではありふれたものかもしれない。広場の中央のベンチに人だかりができている。


 大道芸人でも来ているのだろうか。シビュラが来るまでの暇つぶしにはなるかもしれない、とその人だかりに近づいていく。


 その中心に、俺は信じられないものを見る。


 信じられないというか、笑えないというか、なにより理解できない。


 そこにいたのは、子どもにまとわりつかれ、老婆と話し込み、チンピラにお茶を淹れられている白髪赤眼の女性――つまるところシビュラだった。


「はぁ?」


 言葉にできずとも明らかに示された疑問に、周囲の人間が一斉にこっちを見る。


 それによって、自分が明確に異分子であることを知らされた。


 一体これはどういうことだ。


 近づいて分かったのは、この人だかりの正体は、あの子供の両親であり、老婆の連れ合いであり、あそこで跪いてお茶を渡しているチンピラのツレであるということだった。


「あぁ? キミ、どうしたわけ?」


 字面だけ見れば優しくも見えるが、そこに込められた意味は間違いなく威嚇だった。荒事に向いていない俺はそんな簡単な恫喝にも怯む。


「あ、いや、俺は……」


 一歩、二歩となぜか正当な待ち合わせ相手であるはずの俺がそこから離れていく。それとも、実は彼らも今日の話に呼ばれていて、一緒に今日を過ごすつもりなのだろうか?


 不穏な空気を敏感に察したシビュラは彼らを諫めようとこちらに視線を向け、ようやく俺に気づいた。


「あら、あなたたちそういうのは――って、慎!」


「シビュラ……これはどういう……?」


 認知を受けてチンピラが道を開ける。すると、彼女のそばについていたチンピラAが訝しげな視線を向けた。


「するってえと姐さん。あれが待ち合わせ相手ですか?」


「ええ。付き合ってくれてありがとうね」


「おお、もう行ってしまうのかい」


「ごめんなさい。タマさん、お話聞けて楽しかったわ」


「お姉ちゃんまた遊ぼうね!」


「はい、もちろん。今度はお友達も一緒にね」


 優美な仕草で立ち上がった彼女は周囲にいた人だかりにも一人一人挨拶をして、それから俺の下へ歩み寄る。


 粗暴な青年にも、いくつも年上であるはずの老婆にも、分別もついていない少女にも分け隔てなく接する姿は、昨日まで彼女をカテゴライズしていた超能力者というイメージから全く離れていて、それはまるで――聖女のようにすら見えた。


 ここに至って、俺はまた一つの疑問を繰り返していた。


 彼女は何者なんだ?


 俺を迎えたシビュラは、クリスマスイヴに男と出かける女性としてもまた全く自然に手を引いて微笑みかける。


「どうかしたの? さあ、早く行きましょう?」




 思えば、俺は彼女についてなにも知らない。


 初めて出会ったのはほんの一昨日のことなのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど、それにしては随分と彼女が親しみを持って接してきたものだから忘れていた。


 俺に対してなにか好感を持っていたのかとか、超能力者だとカミングアウトできたからリラックスできたのかとかいろいろ考えてはいたけれど、なんのことはない。ただ、誰に対してもそうだったというだけのことだった。


 なんと言ってもあそこで親しげに接していた彼らはほんの一時間の間に出会った人々だったというのだから。




 シビュラと連れ立って歩き始めて、俺はまずさっきの状況について尋ねた。


「なあ……今の人たちは知り合いだったのか?」


「ええ」


 そうか、往来でたまたま出会ったのか――と思ったところで。


「待ち合わせ場所で手持ち無沙汰にしていたところに声をかけてくださったの」


「え? 知り合いだったって言わなかったか?」


「そうですよ? 待ち合わせ場所にやってきたつい一時間ほど前にお知り合いになりました」


 それから彼女に詳しく彼らとの出会いを訊いてみると――


「最初に、若者たちが声をかけてきたの。『俺たちとお茶しないか?』ってことで、でも私は待ち合わせ中だったでしょう? だからここでならいいですよって言ったらお茶を汲んできてくださって、おしゃべりしていたの。それから、子供が一人で寂しそうにしていたから、一緒にお茶を飲まない? って誘ったらすぐに打ち解けてくれて。そのうち、タマさんが同じベンチに座ったからお裾分けして、お話を聞いていたんです」


 わざわざ事情を聴いたことが馬鹿馬鹿しいほどに、彼女は普通だった。


 シビュラにとってそれは自慢して聞かせるようなことではなくて、ただ日常として普段からそうしていることなのだろう。


 そんなことをきっかり思い知ってしまったから、俺は聞かなくてもいいようなことを口にしていた。


「なあ、俺は――シビュラの知り合いか?」


 もちろん、彼女は即答だった。


「当たり前でしょう? なにを言ってるの?」


 なんだか浮かれていた自分がバカみたいだった。


 自分に優しい人間は誰にでも優しい、なんていうのは思春期の男の子が最も深く心に刻みつけておかなければならない訓告だと思う。


 ああ、あの夢は告白をする前に終わってくれて本当に良かった。


 もしあの夢が彼女から返事をもらうまで結末を迎えなかったならば、ずっとずっと悪い夢になっていたに違いないのだから。

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