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ガライ街のアレフ  作者: かたつむり工房
尽くす言葉は消えぬれど
17/26

10-4 過去は再び夢に帰して今


「あー、俺これからどうすりゃいいんだろ……」


 明けて、二十三日。俺はまた目覚めたベッドの上でひとり呟いた。


 昨日、了一に言われるがままに彩芽に接触してみたものの、お互いなんだか昂った感情をぶつけあった挙句、結局あの後彼女は昼前には自分の部屋に戻ってしまった。


 予定では俺は今日も彩芽に接触するという予定なのだが……あんなことの後では少々顔を合わせづらい……。


 大体あれを了一やシビュラにどう報告すればいいのか。あんな――


 〝だから――もっと呼んで。ずっと呼んで。あなたの口が動かなくなるまで〟


 ぶんぶんと頭を振って、過ったイメージを振り払う。


 懇願するように絞り出した吐は熱く湿っていて、彼女が妙に大人っぽく見えた。ゆうに三年のブランクがあるのだから当たり前ではあるのだけれど、彼女も俺と同じように成長しているのだ。


 いつの間にか俺は男になっていて、彼女は女になっていた。


「……もっとちゃんと守ってよ、か」


 俺は、彼女を守るべきなんだろうか?


 彼女に病気のことはばれてしまって、そのことを謝ることができた。俺の主義というのは彼女を傷つけたあの時から始まっている。しかし、その出来事は一応の清算が行われて、こだわる必要はもうない……?


 でも別に状況はなにも変わっていないし、俺は変わらず爆弾を抱えている。


「難しく考えすぎなのかもしれないな」


 困難は分割せよ。


 少なくとも、シビュラのことを解決しなければ俺にとっての明日はこない。そしてそのためには彩芽と会う必要がある。


 だから――


「飯でも作るか!」




 どうせ彼女に会わなければならないのであれば、ご機嫌くらいとっておきたい。それにお詫びみたいな気持ちもないわけでもないわけだし、彩芽のためにちょっと豪勢な飯を作るというのは悪くない考えのような気がして、俺は街に繰り出した。


 街はうんざりするほどクリスマスムードで、俺は飽き飽きしながら、耳にタコができるほど聞いたクリスマスソングが流れるスーパーに入る。


 一人暮らしを続けてもう二年近くにもなる。俺は料理をするのは嫌いなほうじゃないからこうしてスーパーに買い物に来るというのも少なくはない。だが、今日は少し贅沢をしようと考えていたから、行きつけのところよりも客層の良い店を選択した。


 それが良かったのか、それとも悪かったのか。


 自動ドアをくぐってすぐの野菜コーナー。


 買い物かごをもって通路をすいすいと進んでいくのは――彩芽だ。


 驚きのあまり、うおっと声が出そうになってしまった。いや、別に会ってはいけないわけではないのだけれど、というかこの後彼女と会うつもりではいるのだけれど。


 それでも顔を合わせづらいと考えていたところで、偶然出会うというのは少し因縁的だ。


 今まで狭い町内でもそうそう顔を合わせなかったというのはこういうからくりだったわけだ、と得心がいく。


 まあ、こうして出会ってしまうのは不運だったとはいえ、何を作るかというのは悩ましかったところでもある。どうせなら直接何を作ってほしいかということを聞いたほうが都合がよいかもしれない。


 そう考えて、俺はトマトの積まれた棚の前で立ち止まった彼女に近づく。


 〝なあ、〟と言いかけたところで、いや、違う、こうじゃないと気がついた。


「彩芽」


 はっきりと名前を呼ぶと彼女はこちらに振り向いて、俺はさらに続ける。


「買い物か? ああいや俺もそうなんだが、昨日のこともあるし、せっかくだからちょっと豪華なものでも作ろうと思うんだけど、彩芽はなんか食べたいものとか――」


 照れくさいのもあって、俺は彼女を直視できず、そのくせべらべらと余計に口を動かす。ああ、だからやっぱりこんなところでは会いたくなかったんだまったく。こんなことしてやるのは今回きりだからな、と彼女の様子を窺って、違和感に気づく。


 彼女の目は驚きに見開かれたまま、震える唇が何かを紡ぐこともない。俺と同じようにこんなところで会うとは思わなかったから驚いている? それにしては、その視線にはどこか怯えじみたものが混じる。


「おい――」


 なにか恐ろしいことでもあったのか、と俺は黙ったままの彼女の肩に触れる。


「やめて!」


 悲鳴にも似た声がフロアに響き渡る。俺の手を振り払った彼女の手から買い物かごが滑り落ちて軋むような音とともに、売り物のセロリと玉ねぎが床に転がった。


 これは、どういうことだ? 間違いなく彼女の様子は尋常ではない。ただ、それにしても昨日から今までになにがあったというんだ?


 彼女は浅い呼吸を繰り返して、睨みつけるように俺に視線を向けた。


「今更……なんなのよ! あの時から三年間ただの一度も私のことを見なかったくせに! ようやく、あんたのことを忘れられるようになったのに! 昨日ってなによ? 今更私にかかわらないでよ!」


 叫びが俺を殴りつける。


 そうだ、俺が彼女にしたことはこういうことだったはずだ。


 彼女の震える唇が、俺に触れられた肩を握る真っ白になった指が、目の前の男をまっすぐに刺す琥珀色の瞳が、俺にその傷を突きつける。


 昨日までずっと感じていた違和感。


 どうしてか、目の前にいる彼女はどこか幼く見えて――


「……あ…………」


 一番初めにやってきたあの日から昨日までの彩芽の姿がフラッシュバックするように脳裏をよぎる。そして、今俺に怒りをぶつける彼女の姿を再び注視する。


 俺は彼女の声を遮って尋ねずにはいられなかった。


「おい……お前は、纐纈彩芽か……?」


「は? なにを言ってんのかわかってんの!?」


「いいから答えてくれ。お前は屋根裏部屋があって庭に柿の木が生えていて、ガレージが二台あるあの家に住む、纐纈彩芽なのか!?」


「当たり前でしょ! そんなことも忘れたの……!?」


 そう、当たり前だった。


 そんなこともわかっていなかった。こんなことで幼馴染だなんて、まったくもって笑ってしまう。


「君! 離れなさい!」


 彩芽の叫びを聞きつけてか、警備員が駆け寄ってきたようだった。


 捕まればきっと面倒なことになるだろう。それでも最後に自分の幼馴染にこれだけは言っておかなければならなかった。


「……すみません。人違いだったようです」


「なっ……」


 彩芽は突然そんなことを言いだした男に絶句するしかないようだったが、返答を待つ時間はない。


「勝手だけど、全部忘れてくれ。……謝る以外にできることなんてないと思うから……本当に、ごめん」


 捨て台詞のように言葉を置いて踵を返した。


 俺は静かに自分の足跡を踏む、クリスマスソングの流れる店内に浮かれた気分を残して。

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