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ガライ街のアレフ  作者: かたつむり工房
始まった廻転と二度目のデート
1/26

1-1 悪い夢と来襲の過去

夢を見た。


 チリリリリリリリ、と音が響く。


 友人である了一に聞いたところによると、夢というのはオカルトの温床なんだそうだ。


 ギリシア神話ではゼウスやアポロンが人間に夢を送信していたとされ、旧約聖書では夢によって神の啓示を得る話が多く記されている。予知夢なんていうのもよく聞く単語だ。ついさっき話に出たアポロンの預言者にも関わらずキリスト教世界にまで名前が轟くシビュラなんて預言者もいる。


 もっと古くの話をすれば、夢とは眠っている間に魂が身体を抜け出して体験したことと言われていたらしい。


 実際に体験したことだって?


 今の夢が?


 俺は冬の冷気を蓄えた部屋で汗を拭った。いつもはぬくぬくとした布団から一生抜け出したくないと思っているのに、興奮して熱くなった肌を冷気に晒さざるを得なかった。身体は真っ赤になるほど熱いのに、かいた汗は脂汗で背筋には寒気が走った。


 俺は夢を見た。


 人が死ぬ夢だ。


 目を瞑れば、夢の情景が浮かび上がる。まるで瞼の裏に焼き付けられたように、目の前で人の頭が吹き飛ぶ景色が瞳の奥から離れない。


 妙に現実的で、なにもかも鮮明な夢だった。


 最初は良かった。


 白髪赤眼の美少女に出会う夢。


 彼女とは道端でひょっこり出会った。話してみれば目的地が同じで、道中話しているうちにすぐ打ち解けて、目的地である研究室での実験の後、俺は彼女をダメ元でクリスマスのイルミネーションに誘った。夢だからか、あっさりとOKが出て、まさか承諾されるとは思っていなかった俺は浮かれたまま彼女とデートに出かける。カップルの群れの中、大きなクリスマスツリーが電飾に照らされる前で勇気を振り絞り、告白しようとして、そして――彼女は頭を破裂させて死ぬ。


「うっ……!」


 吐き気が込み上げてきて自分の顔を叩くように口を抑える。が鳴りたてる目覚まし時計の音が不快感を煽った。


 現代では夢は記憶の整理だと言われている。脳が正しく働くために回路を整え、ごみを処理する行為だと。


 でも俺はそんなもの知らないはずなのに、彼女の温もりも、肌の感触も、血の匂いも、肉片の断面も、俺の脳は鮮明に描き出していた。


 吐き気をどうにかこらえて、ガツンと目覚まし時計の上部を叩いた。「12/22 7:43」という数字がデジタル表示の文字盤に映って、俺は長い旅の末に現実に戻ってきたような気がして少し落ち着いた。


 ベッドの上で、もう住み始めて二年近くなるワンルームを眺める。ベッドとこたつが置いてある他にはせいぜい冷蔵庫や洗濯機があるくらいの殺風景な部屋。コンロには昨日食べた鍋の残りがあって、間違いなく昨夜自分はここで生活していたということを確認できた。


「……シャワーでも浴びるか」


 気づけば随分と汗をかいてしまっていた。今日は人と会う予定がある。汗臭くては困るだろう。


 温かいお湯がシャワーヘッドから流れ始めると、冷気で強張った身体がじんわりと緩んでいくのを感じる。身体の芯から広がっていた熱が足の先まで届けば、自然に「はぁー」と息が漏れる。さっきまで恐れていたものも、それを作っていた感覚も、お湯とともに排水口に流れていってしまった気がした。


 朝からこういうのも悪くないな……、とのんびりと朝のひと時を楽しんでいるところに、ピンポーンと軽やかな音が届いた。


 チッと舌打ちしながらシャワーを止める。間の悪いことだ。時間的にも了一が「たまたま早起きしたから」とか言って起こしに来たんだろう。できるだけ人間関係を作るのを避けてきた俺に訪ねてきそうな友人は他にいない。セールスや宗教もさすがに始業時間前だろう。


 風呂場から出て軽く身体を拭いている間に、また呼び鈴が鳴る。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 ピンポーン。ピンポーンピンポーンピンポンピンポピンピンピンピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ!


 うるせえ!


 目にも止まらぬというか耳にも止まらぬ速度で来客は呼び鈴を連打し始める。堪え性がないっていうかもうこれは遊んでいるだろ。


「はいはい、今行くって」


 あんまりしつこいものだからさっさと玄関へ向かう。さすがに外は寒いから中に入れて欲しいのかもしれない。そんなことを考えて俺は鍵を開けてドアノブを捻る。


 扉を開くと廊下から大きな声が響いた。


「遅い! 私が何回呼び出したと思ってるの!?」


 そこにいたのは女だった。


 腰まである亜麻色の髪をハーフツインにしているのが特徴的な一人の女の子。


 しかし、第一声はまるで自分を女王様か何かと勘違いしているのではないかという偉そうな態度で、それを〝女の子〟と称するのは俺の希薄な男女意識でも憚られた。怒鳴りながら仁王立ちのようにまっすぐとこちらを見上げてくるのは〝女の子〟っていうか〝もののふ〟とかだろ。


 でも、俺はそんなことよりももっと違うことに驚いていた。


 俺は知っていたからだ。


 その手の込んだ髪型も、不遜な姿勢も、偉そうな態度も、ひとつ残らず。


「お前……どうして……」


 彼女は纐纈彩芽こうけつ あやめ。


 染めているわけでもないのに生まれつき薄い色の髪。小学校のころから変わらない頭の後ろで縛ったハーフツイン。黒目がちで大きな目とくるくるとよく動く表情。 


 桜色の唇を開いて、首を傾げた彼女は俺に言葉をかけた。


「どうしたの? 幼馴染の顔も忘れちゃったわけ?」


 そう、幼馴染だ。


 五歳のころから中二まで十年近く一緒にいて、クラスが違ったりもしたけど俺たちの関係は変わらなかった。朝になれば家までやってきて俺を連れ出して、放課後になれば一緒に家まで帰って、休日になれば隣町まで遊びに行った。


 そして、俺たちは三年前に決別した。


「ところで慎? その……一つ聞いてもいい?」


「……ああ」


 さっきまでの不遜な態度とはうって変わって殊勝にも彼女は質問することの許可を求めてきた。


 俺が知っている彼女は、さっきの偉そうな彼女だった。天上天下誰に憚ることはないと堂々としていて、強く、煌びやかな人格。さらに俺に対してだけはいつでもわがままで奔放で、なにかをする時に許可を取るなんてしたこともなかった。


 三年ぶりに会って、彼女はやっぱり変わってしまったのかと少しだけ寂しくなる。あの時のわがまま娘はもう帰ってこないのかと。


 俺が頷くと、彼女は目を泳がせながら、いいづらそうに口を開いた。


「ええと……なんで、裸なわけ?」


 指摘されて、俺は自分の身体を見下ろす。


 そこにあったのはいくつかの傷が残る裸の上半身とバスタオルを巻いただけの原始人じみた下半身だった。


 これではまるで――変態のようだった。


「あっ……! 待て! これには事情が!」


「ふぅーん?」


 言い訳をしようとするが、口を開いても出てくるのは意味のない言葉だけで、「こっちを見るなっ」と言っても彼女はむしろ面白そうに男の身体をじろじろと眺める。


 気づかなかったときは気にならなかったのに、急に恥ずかしくなって脂肪が薄すぎて腹筋が浮き出ている貧相な身体を隠すように腕で抱く。


 しかし、これが悪手だった。


 ただ巻かれただけのバスタオルは突然の身体の揺れに耐えられず、はらりとタオルが重力に従う。


 気がついて伸ばした手が空を切る。


 彩芽は大きな目をさらに大きく見開く。


 もう目も当てられない、と俺は逆に目をそらした。


 二人の悲鳴がアンサンブルして、アパートの住民の起床を助けた。




「……それで、彩芽はどうしてうちに来たんだ?」


 思わぬモノを見せてしまった俺は、とりあえず服を着て、黙ってなにもしゃべらなくなった彼女を家の中に入れて、文句を言いにやってきた住人の生温かい視線をやり過ごし、気まずい空気を気にしないようにしながらコーヒーを淹れて、それからようやく彩芽が家にやってきた用事を聞くことにした。


「そういうところも子供の時とは違うんだ……」


「蒸し返すな!」


 感慨深そうにさっきの話を始めようとする彼女を黙らせる。いくら昔一緒にお風呂に入った幼馴染だからといって、同い年の女子とそんな話をするメンタルはない。ニヤニヤと俺は嫌がるほど面白がってその話を続けようとする彩芽に冷凍庫に入っていた雪見大福を献上すると、ようやく本題に入った。


「そんな大したことじゃなくてさ、ただ引っ越しの挨拶に来たの」


「引っ越し? おじさんの転勤とかか?」


 彩芽がどこかに引っ越すのだと思った俺がそう問い返すと、餅のこびりついたフォークをかじりながら彼女は首を振った。


「や、そーじゃなくて、私が、引っ越し」


「お前が?」


「そ。私がこの部屋の隣に引っ越してきたの」


「は?」


 そういえば確かに昨日は隣の部屋に引っ越しのトラックがやってきていてたな、なんて冷静に頭の中で考える自分がいる一方で、大量のクエスチョンが頭の中を飛び回った。


 なんで彩芽が引っ越しを? どうしてわざわざこんなところに? もしかして一人暮らしか? まさか高校生で? そもそもいったいなんのために?


 ピリリリリリ、とまた唐突に音が響いた。


 その音が頭の中から大量の謎を吹き飛ばしてしまって、俺は考えるのをやめた。ベッドの上で着信音に合わせて震えている携帯電話を開く。


 受話口から聞こえてきたのは、聞き馴染んだ男の声。


「やあやあ。おはよう、慎。なんだちゃんと起きてたのか」


「了一? なんかあったか?」


 電話を始めると彩芽は少し不満そうに首を傾げた。小さな声で軽く謝ると、それは受話口の向こうにも届いていたようだった。


「あれ、起きているようだから安心したのに客がいるようだね。今日は実験の手伝いをお願いしていたはずだけど」


 彼に指摘されて、こんな冬休みの日曜日に自分がなぜこんな早起きをしようとしていたのかを思い出した。


「すまん、今ちょっとややこしい状況で……まあ大丈夫、ちゃんと行く」


 切り際に彼は「今日はお客さんも来るし、緒方さんも張り切ってるからね」と念押しして通話を終えた。それから、立ち上がって出かける準備をしながら、こたつでぬくぬくとコーヒーを飲む彩芽に声をかける。


「あーすまんが用事を思い出したから、部屋に戻るかどうにかしてくれ」


「私まだコーヒー飲み終わってない」


 即座にそんな答えが返ってきて、苦笑する。その言葉はまるっきり俺の知っている彼女を感じさせて、懐かしかった。


 でも、俺は彼女をどうしてやればいいんだろうか。


「じゃあ適当にしてくれ。鍵は開けたままでいいから」


 靴ひもを結びながら、首だけ振り返って告げると、彼女は眉根を寄せたままこちらを見返した。


「空き巣に入られても知らないけど」


「失って惜しいと思うものは作らない主義なんだ」


 彼女はその言葉を聞いて妙に驚いたような顔をしていた。茶化すこともなく、痛ましいものを見るような目でこちらを見つめる。でも、そのうちマグカップの中に視線を落として、小さく口の中だけで呟いた。


「いってらっしゃい」

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