決して開けてはならぬ
昨今のハロウィンは、渋谷の騒動をはじめとして、いいイメージを抱かれない。
ハロウィンの名を借りて、ただ騒ぎたいだけのようにしか見えず、本来の仮装してカボチャのジャックオーランタンを玄関に飾る家々を訪問して「トリック・オア・トリート」と元気な子供の声などない。
都内のとある場所でホストをしているまだ若干二十歳の青年が、なかなか贅沢なタワーマンションの二十階で一人暮らしをしていた。
突然、チャイムが鳴る。
青年のマンションは、もちろんオートロック。インターホンの画像を確認するが誰も居ない。
イタズラかと思い首を傾げる。
水着姿のアイドルがデカデカと飾るカレンダー。
その隣にあるクリスタル彫刻に嵌め込まれた時計を確認すると夜中の二時を過ぎており、久しぶりの休日に迷惑だと憤る。
カレンダーにも目をやると日付が変わり、今日が十月三十一日、ハロウィンだと気づく。
「女がハロウィンに、かこつけてイタズラでもしたのか?」
そう独り言を呟くと、玄関の扉がノックされる音が耳に入る。
もしかして、女が勝手に入り込んだのかと呆れつつ、彼は玄関先で声をかけた。
「誰だ?」
しばらく間が空き、勘違いだったかなと玄関を離れようとした時にそれは聞こえた。
「トリック・オア・トリート」
野太いガラガラの声が聞こえる。ホスト仲間のイタズラかとも思ったが、よくよく考えると誰にも住所を教えていないはずだと気づく。
「ったく、誰だよ!?」
玄関の扉を開けると、目の前に壁が現れる。いや、そんなはずはないのだ。
青年は、数歩退くとその壁が肉壁──いや、筋肉壁なのに気づく。
発達した腓腹筋、青年の腰はある大腿筋。
ブーメランパンツの上の腹直筋は、まさしく壁の如く固いのが見て取れる。
前鋸筋が発達しすぎて脇が閉まらず、ハートマークを描いたビキニと大胸筋はピクピクと絶えず動いていた。
青年は嫌な汗が止まらない。都市伝説かと思っていた。ハロウィンにイケメンの前にカボチャを持って現れるという伝説。
その名も──ポチョムキン。
ただ、青年の嫌な汗の理由はそれだけではなく他にも……
窓から逃げ出したいがここは、二十階。
逃げ道はない。
しかし、それは立っているだけで、何もしてこない。
今、玄関扉を閉めれば。そう思ったが開ければ勝手に閉まるはずの扉が開きっぱなしになっていた。
足で止めている様子はない。が、青年はぎょっとする。
扉の上の蝶番が力ずくで外れていることに。
「いつの間に……」
青年の呟きに反応したのか、再び野太いガラガラ声が青年の耳に入った。
「トリック・アンド・トリート。甘~い、イタズラは好きかしら?」
青年からは、巨体すぎてビキニトップ辺りまでしかポチョムキンが見えてなかった。
しかし、玄関上の壁がミシミシと悲鳴をあげ、遂にポチョムキンの顔が露になる。
崩れ行く壁と共に。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
分厚い唇に真っ赤なルージュ、二つに縛った三つ編みは恐怖の証。
ポチョムキンの顔が見えて、無我夢中で逃げ出した青年は、ベランダに飛び出てそのまま二十階から飛び降りた。
マンションから落ちていく青年の眼前には、何故かポチョムキンの顔が。
青年の意識が遠のくのは、マンションから落ちたショックからか、それともポチョムキンの顔でなのか。
薄れ行く意識の中で、青年は、昔封印した記憶を辿る。
◇◇◇
青年がまだ幼く、周囲から美少年だと噂されていた頃。
彼は父親にこう言った。
「お化けなんか怖くない」と。
父親は、まだ幼い少年の強がりを褒め称えてあげた。
当時は、まだ地域の子供会などでの規模でしかハロウィンなどやっていなかった。
子供は仮装させられて、大人に手を引かれて決められた家々を回りお菓子を貰う。
しかし、少年は参加しなかった。
少年には父親しかおらず、ハロウィンというものが父親にはよくわかっていないのもあり、ただお化けに関する何か程度の知識しかない。
それゆえに少年は父親に参加したいとも言えず、ハロウィン当日に、お化けから身を守るために、お化けに仮装した子供が来ることだけを教えた。
「仮装しなくても、お化けなんか怖くない」と強がって。
ジリリリリッと、古いボタンのみのインターホンが部屋に響く。
少年と父親は、子供達が来たのかと玄関に行くと「トリック・オア・トリート」と野太い声が聞こえる。
ハロウィンをよくわかっていない二人は連れの大人が、何か言っている程度にしか疑問に思わず、少年は扉を開けてしまった。
「「うわあぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」」
やはりそこにはポチョムキンが。
少年の目線に合わせる様にしゃがむポチョムキン。
(お化けなんか怖くない、怖くない、怖くない、怖くない)
足がガクガク震えて、涙目になり、カチカチと歯を鳴らす。
少年の精神も限界になり、助けを求めるべく振り返って見た父親は、アパートの三階であるベランダからダイブする姿だった。
「あなたはきっとイケメンになるわ。その時に迎えに来るわね」
ショックの余りベランダ方向に固まっていた少年を力ずくで、自分に向けたポチョムキンは、そう言い残して去っていった。
◇◇◇
青年は、失った意識を唇に違和感たっぷりと残して取り戻す。
その目の前にはポチョムキンの顔が。
「約束通り迎えにきたわよ」
そういうと、青年をお姫様だっこで抱えたまま、ポチョムキンは消えていった。
◇◇◇
渋谷で乱痴気騒ぎをしていたイケメンと思っている人、自称イケメンさん。
安心してください。あなた方の元にポチョムキンは現れない。
ポチョムキンの好物は品のあるイケメンだけ。
品のあるイケメンの人達は、十月三十一日はしっかりと鍵を閉めて外出しないように。
誰かが来ても決して開けてはなりません。
なぜならそこには、ポチョムキンがあなたを迎えに来ているから。