#6 友の言葉
長らく間を開けてしまい大変申し訳御座いませんでした。
「……何と言えば、いいんだろうな」
「……」
エーミールは乾いた笑みを溢し、被っていたフードを掴む。それを聞いたヴィムが眉根を寄せ、苦悶の表情を浮かべた。
__我が身は王の為に。
過去に、ナーハズィヒトも掲げた言葉。
今も、シャルンホルスト家が掲げる言葉。
__王の盾となり、鎧となり、剣となれ。
ろくに言葉も学んでいない頃から常に言われ続ける言葉。
__ともだちになってよ
幼い頃王子に言われた言葉。
ヴィルヘルム・フォン・シャルンホルストという一人の男を形成している言葉と、いつも彼の前にいる青年。
護るべきは彼の命令なのか、家の掟なのか。
少なくともエーミールと出会った20年前から、ヴィムはその課題を背負うことになっていた。
「……俺に聞かれても困る」
ただ、彼が「ゼラニウム」であるときだけ。そのときだけは、年の離れた友人として、弟として接しよう。いつか宮廷の裏庭で彼と交わした一人間としての約束を守ろう。
「ヴィム……」
目を丸くした王子は眉麗な顔を僅かに幼くさせ、心底嬉しそうに微笑んだ。
彼もまた、まだなにも知らず世界を美しいものと決めつけていた日のような無邪気さで。
◇ ◆ ◇
二人の接し方が秘密裏に少し変わった程度で、この混乱した国一つ動かす事はない。
まだ辺りは王子の報に対する動揺と喧騒に溢れている。
道端で話し込む婦人。軍人ではない青年達の討論。酒を煽り泣き出す巨漢。それを慰めるように背中を撫でる少女。何やら花を持って走り回る子ども達……といったようにだ。
「……すごいな」
自分の身1つで起きたこの光景に、ゼラニウムは誰にとでもなくぼんやり呟いた。辺りを見回すと同時に、その視界にヴィムの厳しい表情が映った。
「……ヴィム?」
「! あ、ああ……これも王子の行動の結果だ。皆王子を好いている。こうなるのも致し方ない」
はっとした後どこか誇らしげにそう返したヴィムに、ゼラニウムは嬉しそうに、だが困ったような顔で笑う。
「それで混乱しているとなると少し複雑だな」
「どうであれ今はどうしようもない。……人が減ってきたな。行こう」
物陰から様子を伺っていた二人は、人の流れが多少減ったところで行動を移した。ゼラニウムの私服を買うため、よく軍人が向かう服屋へ向かうところだ。
人混みに出ると、辺りの空気がが目に見えて変わった。勿論、この街に居るものは皆、物心さえついていればヴィムの顔を知っている。この混乱の中で一斉に頭に浮かぶのは、「騎士団長であれば王子の容態を知っているのではないか」という疑問だ。
「お初にお目にかかります、騎士団長殿!!」
その場に居るものの代表であるとでも言いたげな青年が一人、ヴィムの目の前にでてきた。
「……何の用かな」
いつも市民に接する時、ヴィムは物腰が柔らかく、とても優しいと有名だった。しかし、今。その口から発せられた音は、重く、低く、威圧するような物に変わっている。
「ヴィム……?」
不安げなゼラニウムの声にピクリと耳を動かすも、その目は鋭く青年を見据えたままだ。青年はその瞳に気圧され一歩足を下げるも、勇気を振り絞って下げた足を踏み出した。
「おっ、王子は!! エーミール第一王子は本当に体調を崩されているのでしょうか!!」
その台詞に、辺りは大きくざわつき始める。理由は簡単だ。今彼は、王子を心配するどころか国民を騙しているのではないかと疑っているのだから。不敬罪に問われるのが関の山だろう。
「……まあ、昨日まで気丈に国務に励んでおられた王子が唐突に体調を崩されたとなると信じがたいのも納得できる。これがいたいけな国民で、王子を愛しているが故にその様な考えに至ったのなら私も別の返答があっただろうが……」
ヴィムはそこで言葉を切ると、自分の耳に手を当て、見下ろすように青年に目を向けた。彼はまたその身を震わせる。
「俺は、一般的とされている五感の能力値よりそれぞれが少々高くてな……『婚約者に会ってから結婚を決めるため今は国を離れている』『実は原因不明の難病ではなく精神的病に侵されている』『国務に疲れ休みを取っている』『ヴィルヘルムとの稽古中事故で彼が王子を殺害しかけた』」
そこで言葉を切ると、更に眼光を強め青年を見据えた。
「そして、『王子が侍女とまぐわった後子ができ、それを知った王子が侍女を殺害した』……と言うような突拍子もない会話が、この耳に届いたのだが。……その首を落としても?」
ゼラニウムはそれで漸く青年がヴィムの機嫌をそこなった理由を理解した。青年が発したのは王族、そしてシャルンホルスト家に対する多大な侮辱だ。ゼラニウムも今、その様なことを言われたということを知り、悲しげに表情を曇らせている。
まさかそれを聞かれていたとは思わない青年は、その顔を真っ青に染め上げていた。野次馬からも冷ややかな目線を向けられるのは彼だ。
「……先程」
そんな中へ、優しげな声が響いた。
「先程、ヴィルヘルム団長の方からも言ったが、唐突なことで信じられないのも分かる。私たち騎士団もだ。だが、今暫く待っていてはくれないだろうか。……もし今回の病が虚偽だったとしても、王子は、皆を傷つける意図で行動したことは一度もないはずだ。少なくとも、王子はそう言っていた」
仮面の下から、空とも海とも言えぬ碧眼が覗く。
"王子本人"からの、偽りのない真摯な言葉。この場でそれは1騎士の言葉でしかないが、その場にいる者に確かな安心を与えた。
「ヴィムも、少しだけ落ち着こう。王子はきっと、自分への不満があるからと国民が殺されるのは望んでいないよ」
「……申し訳ない」
「何、謝ることじゃないさ。どれも王子を想ってやったことなんだから。用事があるだろう、行かなければ」
「ああ」
優しげに笑ったゼラニウムはもう一度微笑み青年に手を降って去っていく。
◇ ◆ ◇
二人が立ち去ると同時に、青年はへたりと腰をついた。
「ま、まさかヴィルヘルムに聞かれてたなんて……死ぬかと思った……」
「だからやめておけって言っただろマックス!? 団長さん怒ったらこえーんだってぇ!!」
青年__マックス__より随分幼い少年が座り込んだ彼の肩を大きく揺さぶる。
「だー!! 喧しいぞオスカー!! 知ってるよそんなこと!! ヴィルヘルム騎士じゃなくて鬼なんじゃねぇか!?」
「馬鹿聞こえるって!!」
「聞こえるかよあんな遠く__いっ!?」
頭部への鈍痛に驚き何が当たったかと探すマックスのそばに何やら丸められた紙が落ちていた。
「んだよこれ……」
むっとしながらそれを開いた瞬間、マックスの顔は真っ青に染まる。
『聞こえているぞ
ヴィルヘルム』
「うっ__うっせぇ地獄耳!! 王子オタク!! えと、冷血漢!! あー、あと、あと、色男!!」
「なんで褒めたんだよ」
「はあ!? ヴィルヘルムかっこいいだろうが!!」
「かえろーぜマックス。はらへった」
「俺も!!」
◇ ◆ ◇
「なんなんだあの男は……」
自分へ投げられた敵対心を持っているとは思いがたい言葉に、ヴィムはふう、と大きなため息をついてこめかみを押さえる。それをゼラニウムは仮面越しでも分かるほど嬉しそうに見つめていた。
「ヴィムは国民に愛されているね」
「俺をそう言う言葉で褒めるのなら『は』ではなく『も』と言ってくれ」
居心地が悪そうに言うと、また人目に付かない道へと潜り込んで行く。