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風のアモール  作者: 月下美人
5/6

目覚め行く


        1


 怪物の触手から解放され、虚脱状態で床に横たわるシレーネを抱き起こすアモール。

 その腕の中で自身の汗と怪物の体液でビショビショになったシレーネが弱々しく微笑んでいる。

 「…やったわね」

 「あぁ、なんとかな」

 シレーネの笑顔に微笑みを返すアモール。その一方で彼の右腕は剣を後方に投げている。 剣は放物線を描きながら宙を飛び、床にのびているボロ雑巾に突き刺さった。

 「ぐぎゃあぁぁぁ!!」

 同時に上がるダルトンの断末魔の悲鳴。

 数々の小道具やトラップで相手を動けなくしてから、嬲り殺す。人の命を弄ぶようなゲス野郎には似合いの末路と言うべきだろう。

 「…アモール」

 たった今、最低最悪のダニとはいえ一つの命が失われ、傷口から噴き出し、流れ出る血の音が聞こえているというのに、そんなことにはお構いなしでシレーネはアモールに抱きついた。

 「アモール、アモール。アモールゥ」

 後は言葉にならない。アモールの胸にむしゃぶりつき、耐えていたものが一気に込み上げてきたのだろう、シレーネは火のついたように泣き始めた。

 ただただ、泣きつづける。

大粒の涙がいくつも、なめらかな頬をつたいアモールの胸をしとどに濡らすのだ。

 「シレーネ」

 アモールは、シレーネの泣くにまかせて、言った。

 「好きなだけ泣きな。そしてあんな奴のことは涙と一緒に流して、忘れてしまうんだ。俺達には、まだやらなきゃなんない事が山ほどあるんだからな」

 アモールの胸に顔を埋め、泣きじゃくるシレーネが、微かに頷く。その肩をアモールは抱き寄せ、小刻みに震える身体を優しく包み込んだ。

 「ヒューヒュー、お熱いねぇ。お二人さん」

 まるで、恋愛映画のワン・シーンのような、いいムードのところへ素っ頓狂な声とともに割り込んできた奴がいる。

思わず、舌打ちのマシンガンを連射したくなるアモールだが、相手が判っていることと闘いの場でムードを出していたことへの負い目が、実行に移すことをためらわせた。

 「メモリー、サラサ。のぞきなんて、レディのすることじゃないぞ! だいたい人が必死に苦闘してたあいだ、おまえらはなにやってたんだ?」

 扉の間から、顔だけを出しニヤニヤ笑う二人を見つけ、アモールは問いつめる。

 だが、シレーネに抱きつかれ、自分でもシレーネの細い身体を腕の中に抱き留めている姿では、まったく迫力が出ない。それに気がつき、アモールは自嘲気味に苦笑する。

 「こっちは大変だったんだぞ」

 「そんなこと言ったって、扉が開かなかったんだから仕方ないでしょう!!」

 「魔術で封印がされていたのです。ひどく強力で、わたくしの力ではどうすることもできなくて…すみません」

 メモリーはともかく、サラサのほうは本当にすまなそうな表情で、アモールはそれ以上責めようとする意志を失ってしまった。

 「…、まあいいか。それより、剣呑のダルトンは死んだんだ。あとは女神スラインローゼを蘇らせて、ゼナの暴走を止めれば万事解決する。シレーネ、君は知ってるんじゃないか? 女神の実体がある場所を」

 あの竜頭蛇尾、自意識過剰で尊大がマントをまとって歩いているようだったダルトンのこと、捕まえたシレーネに自分の力をひけらかそうと、手の内をすべて話しているのではないか、そんな気がしてアモールが尋ねる。

それは、ついにアモールがダルトンの性格をまったく理解しきれなかったことの証明でもあった。ダルトンは、自分の偉大さを人に知らしめるとき、弁舌ではなく自身の創造物、つまりは怪物をけしかけ相手を襲わせ恐怖に顔を引きつらせるのを見て楽しむのである。したがって、シレーネをいたぶるときも下卑た冗談と神経を逆なでするような笑い声以外の言葉と声を発っすることはなかった。

 だが、シレーネは知っていた。女神の実体がある場所を、気絶から覚めてからダルトンが現れるまでのごく短い間ではあったが、話をしていたほどなのだから。

 「あの、氷の中よ」

シレーネが、氷の中にいる女神を、母を指差す。幼い頃に捨てられたことにたいする怒りはすでになかったが、かわりに娘が襲われているのをそばで見ながらなにもしてくれなかったことに、多少の腹立たしさと寂しさを感じていた。

 「意識はあるみたいだったから、氷を壊せば出てくるわよ」

 苦しんだのは自分だけではなく、そばでなにもできなかった母にしても同じ、否、それ以上の苦悩を味わったに違いないと、判ってはいてもなぜか言葉の刺を禁じられない自分に苛立ちながらシレーネは話している。

 「この氷は普通のものではありません、強力な魔術処理が施されています。物理的な衝撃では壊せませんよ」

 このメンバー唯一、魔法の知識を持つ神官サラサが、氷の表面に掌で触れて断言する。

 「じゃあ、どうすりゃいいんだ? 魔晶石でも使って吹っ飛ばすか? まだ半分以上残ってるんだが…」

 懐にしまってあった黄色と青、そして白の魔晶石を取り出しながらアモールが言う。

 「いえ、それでは中の実体にも害が及びます。…シレーネさんの話では意識があるということですし、ここは本人に中から割ってもらうのが一番でしょう。緑の石は持っていますか?」

 氷の壁に手を当てたまま、サラサが訊く。それには応えず、アモールは無言で緑の魔晶石を取り出した。

 この石には、体力の回復や毒、麻痺などを治癒する能力がある。

 「こんな場合に、この石が役に立つのか?」 氷を割ろうとしているときに、体力を回復することに意味があるのか、といぶかしみ、尋ねながらもアモールはサラサに袋ごと石を手渡す。

 「この氷は中にいるもの、この場合は女神の実体なわけですが、体力を奪いとり自己の防御力を高めるようになっています。ですが、その高められた防御力を凌駕するほどの生命力を、中にいるものが発すれば氷は内側から崩壊するはずなのです。この石を使い女神の実体に生命力を取り戻させてあげれば、自分の力で出てこられましょう」

 そう言って、サラサは何のためらいもなく緑の魔晶石、二十個全部を取り出し、氷の中の美女に、その力を注ぎ込み始めた。

 緑の光が、サラサの手から氷の壁へ、そして氷を通して女神スラインローゼの実体へと伝い移っていく。

 その光の輝きが最高に高まり、消える。

 ついで、女神の実体を封じた氷柱はサラサの言ったように、内側からヒビが入り、崩れてくる。そんな中、女神の目蓋が微かに開きかける。女神スラインローゼの蘇生が始まったのだ。

 一度崩れ始めると、後は早かった。

 アモールたちの見守る中、氷柱は崩壊を続け、十分の後には女神の実体は氷柱を脱していた。

 「スラインローゼ!」

 「おかぁさん!!」

 アモールとシレーネが同時に声を上げ、倒れかける女性に手をさしのべた。とった行動は同じでも、それぞれの心情は微妙に、ある意味まったく違っている。

 安堵しているという点では一緒だが、その出所が違っていた。

 アモールにしてみれば、これで一連の騒ぎに決着がつく、という意味の安堵感が全てで、シレーネにはなによりも、女神ではない母の身が気掛かりだったのである。

 「…おかぁさん。って、どういうことなんだ。シレーネ、君が女神の娘だってのか? そうだと言うんなら、なんで黙ってたんだよ。今まで」

 「あたしだって知らなかったのよ。正直初めてそう言われたときは面食らったし、信じられなかったわ。でも、判るの。ううん、感じるのよ。この人が、あたしを産んでくれたんだって…」

 細く華奢な腕で、力一杯母の身体を抱きしめて、シレーネが涙まじりに話す。

 幼い頃の遠い記憶の中にある母は暖かな温もりにあふれていた、しかし、今腕の中にいる母は、余りに冷たい。

 その冷たさがシレーネを苦しめ、さらなる涙を誘った。

 「おかあぁさん。おかぁさぁぁん」

 悲痛な叫びが石の室内に響き渡った。

 「シレーネ。このわたしを、母と呼んでくれたのですね?」

 神族の強力な生命力の成せる技なのか、それとも魔晶石のおかげなのか、スラインローゼの顔は青ざめたままであったが、意識も言葉も明確で、とてもついさっきまで氷柱に封じられていたとは思えないほど回復している。 「仕方ないじゃない。いくら否定しょうと思ったって、あたしの血が、肉が、魂があなたを母として感じちゃうんだから」

 「ありがとう。シレーネ、こんなわたしを母と認めてくれて。なにひとつ、母らしいことのできない母だというのに…」

 「おかぁさん」

 互いに互いを抱きしめ、七年間の溝を埋めようとするかのように見える。

 いつまでもいつまでも抱き合っていたいだろう、アモールたちも七年ぶりの母子の再会に水を差す気はなかった。

 気のすむまでそっとしておいてやりたかった。しかし…

 「盛り上がってるとこ悪いんだけど、もうそろそろ先に進まないと間に合わなくなる。親子水入らずを楽しむのはゼナの暴走を止めてからにしてくんないかな?」

 そっとしておいてやりたい、そう思ってはいても誰かが言わなければならないことである。言ったアモールにしても、喉が焼けるような思いであった。

 「そうでしたね。今はゼナを止めるのが先決。急がなければなりません。アモール、サラサ、二人とも協力してくださいますか?」 「ここまで来てやめるわけにはいかないさ」 「わたくしはそのためにこそ、ここにいるのです。お供させてください」

 アモールにしろサラサにしろ、ここまで来てしまった以上、最後まで行くつもりだった。ここでやめたりすれば、今までの苦労が中途半端のまま終わることになってしまう。それでは寝つきが悪くなるというものだ。

 二人の答えにスラインローゼは軽い頷きを返す。二人がそう答えるであろう事は、初めから判っていたのである。

 「シレーネ、メモリー、あなた方はここで待っていなさい。ここから先は真の戦士と正式な神官以外のものには危険がありすぎます。あなた方をかばいながら闘えるほどゼナは甘くない…判りますね?」

 闘いに際して万全の体勢でいたい、娘を危険にさらしたくない、女神であり母でもあるスラインローゼが言う。

 要するに先だってアモールがサラサに言ったことと同じ事を、スラインローゼはシレーネに言っているのである。

 それは、シレーネにも判ることだった。心の中では複雑な思いが渦巻いていたが、その思いを口にできるほどシレーネは子供ではなくなっている。

 それに引き換え、メモリーは実に単純だった。頭から自分はシレーネの護衛役、と割り切っていただけにシレーネと残留するよう言われても、何の抵抗も感じなかったのだ。

 「判ったわ、あたしたちはここで待ってる。待ってるからちゃんと帰って来てね」

 涙をこらえ、潤んだ瞳で微笑むシレーネ。その後ろにメモリーが立ち、そっと頷く。それは女神とアモールへの無言の合図であった。シレーネはわたしが守る、と。

それを確認し、スラインローゼはアモールとサラサに向き直る。

 「アモール、サラサ。直接上の階へ飛びます、わたしのそばによってください」

 二人が女神の身体に触れるほど近づく、途端に三人の姿は白いもやに包まれ、消えた。

 「…いってらっしゃい」


        2


 辺りが一瞬白いもやに包まれ、睡魔にも似た甘い酩酊感に襲われる。

 思わず目を閉じ、しばらくして開けると、周囲の情景が一変していた。

 さっきまでの岩肌剥き出しの壁や床ではなく、まさに部屋と呼ぶにふさわしいものに変わっている。

 つやのある、おそらくは黒大理石であろう敷石、それとは対照的に白大理石をタイル状に張ってある壁、どこぞの王宮にでもまぎれこんだような錯覚すら覚える豪華な造りになっていた。

 もっとも、今のアモールやサラサに室内の装飾を感心している余裕などありはしなかったが…。

 「今のゼナの力は、わたしにもはかりしれません。充分な覚悟ができてから行きましょう。これで最後にする覚悟が必要になります。一度ゼナの前に出れば後戻りはできませんよ」 スラインローゼの言葉はもっともだが、アモールにしろサラサにしろ、何をいまさらという思いにしかならない。もはや、迷っているときは終わり、行動の刻なのだ。

 「正直に言って、わたしはゼナと再びまみえるのが恐い。敗れるかも知れないという恐さではなく。顔を合わせるのが、会うのが恐いのです」

 「…なんなら、俺達だけで行こうか?」

 《記憶》の記憶を見たおかげで、何となくゼナの暴走を引き起こした原因が、わかったような気がするアモールが言う。

 スラインローゼの、そしてゼナの気持ちがわかりかけていた。

 「ごめんなさい、別に弱気になったわけではないのです。ただ…」

 「ただ、神族といえど、自身の感情をコントロールすることのできない、不完全な生き物であって、悟ったような考え方ができるわけではないって言いたいんだろ? んなことは判ってるよ。シレーネとの再会を見てれば、おのずからな」

 完全な生物であれば、親と子が不本意な別れをすることも、七年ぶりの再開ぐらいであんなに感激することもないだろう。

 不完全だからこそ、哀しむことも、喜ぶこともできるのだ。

 あるいは、それこそが何より大切なことなのではないだろうか。

 「話し合ってる暇はないようです。この辺りの魔気が急激に増加しています。このままでは本当に世界は破滅してしまいますよ」

 サラサが警告を発する。

 普段と変わらない口調ではあったが、それでも微妙に震える声は隠しようがない。

 彼らがいるのは少し広めの広間のようなところで、両開きの扉が一つあるほか、変わったところは何もないようだ。

 「ゼナは扉の向こうにいます。扉を開けたらすぐに対魔障壁を張ります。サラサ、貴女にはわたしのサポートをお願いします。あなたの力とわたしの力、二つを合わせるのです。女神の力が分離している今のわたしでは、ゼナの力を受けとめることなどできはしませんから…。アモール、貴方はわたしの側を離れないでください。どんなに優れた魔術師でも、同時に二つの魔法は使えません。わたしがゼナを攻撃しょうと思えば、障壁を解かなければならないのです。しかし、それはゼナにしても同じこと、機会を待ってください」

 「それはいいけど、俺にはゼナを殺すことはできても、正気に戻すことなんか出来やしませんよ」

 ゼナと直接対持するのは女神の役目、俺は援護するだけでいい、と勝手に考えていたアモールが慌てて言う。

 「心配には及びません。サラサ、わたしの意識を封じた宝珠をアモールに渡してあげて、あの宝珠にはスラインローゼと同一にして異なるもの、女神としての意識だけが封じられています。逆に言えば今現在、最も神らしいのがあの宝珠ということになります。あの宝珠をゼナにぶつければ、正気に戻すことは無理でも、暴走に歯止めをかけることぐらいは可能になるでしょう。そうなれば、後のことはどうとでもできますから。…行きますよ」

スラインローゼが先頭に立ち、扉を開け放つ。アモールとサラサは黙って後に付いていった。

 扉の向こうにあったのは、今まで三人が居た部屋と大差ない広間だった。

 ただし、こちらの部屋には床が一段高いところがあって、玉座とでも言うべき椅子が置いてある。

 そして、その椅子の前に両手を広げた恰好で立っているのが。ゼナだった。

 《記憶》の記憶で見たときにはボロボロだった服が、今は元のきちっとしたものに戻っている。

 しかし、ゼナ自身の狂気が治っていないことは、血走ってギラつく瞳が否応なしに示している。

 治るどころか、更なる狂気に取り付かれているのは明白だった。破壊されたゼナの人格の上に、別の人格が乗り移ったかのような印象だ。

 「まっていたぞ」

 それがゼナの第一声だった。ゼナはアモールもサラサも眼中にない様子で、スラインローゼに集中している。

 「久しぶりだな、スラインローゼ。新たな力に目覚めた私の魔術を見る事ができるとは、あなたは運がいい」

 「…その驕りが、貴方を滅ぼすでしょう。魔に魅入られ、支配された者の末路ほど哀れなものはありませんよ」

 「ふふふふふっ、口ではなんとでも言える。実力で証明してもらおう。…小僧、私を倒しに来たのであろう? かかってこないのか? 足がすくんで動けないと言うのなら、私が引っ張ってやろうか?」

 おためごかしを言って、ゼナは何かを引っ張るような仕種をする。その腕や手が妖しく蒼い光を放った。

 「何をする気なんだ? あいつは」

 「魔気を集めているのです。そして、魔気とともに移動する空気の圧力で、わたしたちを押し潰そうとしているのです。サラサ、障壁に力を貸してください。これに堪え切れれば、勝機はあります」

 「はいっ」

 スラインローゼとサラサが、アモールの左右に移動し力を解放する。二人の胸元で結ばれた印を中心に光が渦を巻いて流れ出し、光は二つの光球となる。やがて、その光球は重なり合い一つになって、スラインローゼ、サラサ、アモールを包む魔法力による障壁となった。

 「これが魔気の力だっ!」

 ゼナの叫びとともに、辺りの空気が発光しながらゼナの元へと集まっていく。その圧力はすさまじく、障壁をあらかじめ張っていなかったら、いかに女神が付いているとは言え、アモールもサラサも一撃のもとに押し潰されていたに違いない。

 「どうだ。これが今の私の力だ。貴方もじきに、私の足下に平伏すことになる」

 「愚かな。力を誇示し、人を虐げることのみ追うような者に、このわたしが平伏すことなど決してありません。そんなことをするくらいなら、…命を絶ちます!」

 「強情な女だ。力ずくで物にしてやってもよいのだぞ」

 「貴方ごときに遅れをとるわたしではありません。やれるものならやってご覧なさい」 この後スラインローゼとゼナは、アモールやサラサのことはもちろん、自分らが何のためにここに居るのかさえ忘れて、舌論を闘わせ続ける。

 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。二人の舌論は果てるともなく続き、すでに数十分に達しようとしていた。

 「…これでも神の一族なのかよ。これじゃ、人間の子供のほうが分別があるぞ」

 アモールが呆れて呟く、サラサも同じ気持ちでいるようで、あくびを必死に噛み殺している。

 「……。このままじゃ、どうにも埒があかねぇな。無茶を承知で大博打を張るしか手はねぇかな。この際多少のリスクは覚悟の上ということで……よし! やるっきゃない。サラサ、さっき渡した魔晶石の入った袋と、女神の宝珠をくれ」

 決意を固めたアモールが、傍らのサラサに囁く。

 「なにをする気なのですか?」

 言われた通り、袋と宝珠を手渡しながら、サラサが尋ねる。

 「なぁに、あの二人が素直になるためのきっかけを作ってやるのさ」

 そう言って、アモールは袋から白の魔晶石を四つ取り出し、ゼナに向けた。

 石はすぐさま巨大な竜巻となってゼナに襲いかかる。

 予告もなしに四方向から同時に迫る竜巻には、いかに強大な力を持つゼナといえども成す術はなく、強力な空気の流れの中で、ゼナは動きを止めた。

 「ぐっ、お、おのれっ! 人間ごときがずにのりおって!!」

 この機を逃さず、アモールの連続攻撃が始まった。つづけざまに黄の石が三つ三本の雷光を放つ、稲妻がゼナの身体に突き刺さり肉の焼け焦げる匂いが辺りに漂う。

 「やめてっ!」

さらに追い討ちをかけようとアモールが青の魔晶石を手にとったのを見て、スラインローゼが叫ぶ。

 「やめて、ゼナを殺さないで」

 シレーネとの再会に際してもみせなかった涙をあふれさせ、スラインローゼはやめてと繰り返し叫んだ。それはスラインローゼが、女神であり母である前に女であったことを示すものだった。

 「なぜだ。なぜ、あなたが私の命を乞う。この後に及んで、私に恩を売ろうと言うのか。私に情けでもかけたつもりか!!」

 「死んではいけません。そばにいてほしいんです」

 「なんだと! 言うなスラインローゼ。おまえは屈伏させるべき存在」

 「ちがう! ちがうの!! わたしたちはいつも一緒だった。この世に生を受けてからずっと、二人仲良く、それが永遠のものだと思っていたわ。でも、貴方は変わってしまった。神々の長となったあの日から」

 「私の役目は神々を一つにまとめ上げること、そのためには力が必要なのだ。全てを従わせるほどの力が! 初めの頃はうまくいっていた。だが、刻がたつにつれ神々は二派に分かれてしまった。私に従うものと、貴女の優しさ、甘さを慕うものとに、神々の分裂を防ぐには私か、貴女のどちらかが消えるしかなかったのだ」

 「わたしは、貴方の役にたちたかった。わたしが貴方とは違うやり方をすれば、貴方に反対するものはみな、わたしのところに集まるわ。そうすれば、わたしがそのものたちを監視しておく事ができる。貴方を守ることができると思ったのです。貴方のこと、好きだから…」

 「やめろ~!」

 ゼナの絶叫。両手で頭を抱え、人相が変わるほどの苦悶の表情でヨロヨロと頼りない足取りで後退っていく。

 目を凝らしてみると、ゼナの身体から何やら煙のようなものの漏れているのが見て取れた。今回ばかりは鈍いアモールにも、その意味が判った。理解できたのではなく、判断が付いたと言うことである。つまり、彼の姿を見たとき初めに感じた印象、崩壊したゼナの人格の上に、別の人格が乗り移っているのでは、そんなふうに感じられていたが、その別の人格とやらがゼナ本来の人格が戻りつつある為に、体内から追い出されようとしているのだと。

 「アモール! 今よ!!」

 サラサの声。

 その声に押されたのか、アモールは懐から女神の意志を封じた宝珠を取り出し、ゼナに全身の力を込めて投げつけた。 宝珠がゼナの身体に触れ、砕け散る。

 目映い光が、一瞬のあいだ視力を失わせた。それでもまばたき一つせずゼナの様子を見つめているスラインローゼ、アモール、サラサの計六個の瞳は、ゼナに起こった劇的な変化を目にすることができた。

 閃光が辺り一帯を照らし出した途端、ゼナの体内から紅紫の影が遊離し、後方に弾け飛ぶ。そしてその代償なのか、辺りにバラバラに散っていた宝珠の欠片が、ゼナに吸収されてゆき神族らしい後光となってゼナの後背に輝やいた。


        3


 「スラインローゼ。私は何をしていた? 私は、私は…貴女を殺そうと……」

 「ゼナ! 気持ちを静めて!! また魔気に魅入られてしまいますよ」

 気持ちの呪縛が解け、正気に戻ったらしく自己批判をはじめたゼナ。それを見て喜びを隠し切れないスラインローゼが注意する。その顔に不安の色はすでになく、夢と期待がにじみ出ていた。

 「スラインローゼ。すまない、私が浅はかなために、こんな…」

 「いいえ、わたしが意地を張りすぎたのがいけなかったのです。あの時、もっと自分の心に素直になっていれば、貴方を仲間としてではなく、一人の女として慕っていることを告げていれば…こんなことにはならなかったでしょうに」

 「意地を張っていたのは、私も同じだ。あの時、私に貴女を止めるだけの勇気があれば…」

 口々に自分を責め、互いに互いをかばいながら、ゼナとスラインローゼは歩み寄り、強く抱き合った。

 「チェ、これだよ。薄々感づいてはいたけど、やってらんねーよな。実際。痴話喧嘩でこの始末だもんな。他人の迷惑を考えてほしいよ。まったく」

 あまりにあまりな事の顛末に、本気で命を捨てる覚悟までしてきた自分がバカに思えてアモールが呟く、もちろん、二人だけの世界に浸っている二人には聞こえないよう、気をつかいながら。

 「そう? 素敵じゃない二人とも、いいなぁ。二人の気持ちが通じあった瞬間ってわけよね」

 「呑気なことを、この二人の痴話喧嘩のおかげで何人死んだと思う? 両手両足の指じゃ算え切れないんだぜ。俺やあんただって何度も死にかけてるじゃねぇかよ」

 塔内に入る前に見た無数の氷付の死体や、《記憶》の封印を解くときに見た幸薄い少女たちのミイラ化した死体の山を思い起こし、アモールは次第に怒りが込み上げてくるのを抑えることができなくなっていた。自然、声も大きくなる。

 「それは、ダルトンの仕業で、あの二人の責任じゃないわ」

 「つけいられる隙を作るのがいけないんだ。二人につけいる隙がなければダルトンごとき矮小な悪党が、大手を振って歩き廻ることはなかったはずなんだからな」

 怪物に襲われ、メチャメチャにされたシレーネの苦悶の表情が頭をよぎる。

 「おっしゃるとおりです。わたしたちに人間たちを諭し、導く役は重すぎのかも知れない。いえ、その資格のないことが身に染みて判りました。わたしたちもまた、かつての神々同様に異界へと旅立とうと思います」

 見ているほうが恥ずかしくなるほど、二人身を寄せ合ったままゼナとスラインローゼはアモール、サラサの二人に向き直り、そう告げた。迷いのない顔で…。

 「…シレーネはどうするんだい?」

 七年の月日の果てに、ようやく巡り会えた母と娘、このまま異界とやらにスラインローゼが旅立ってしまえば二度と逢うことはないだろうと思い、アモールは尋ねていた。よけいなことだとは承知の上であったが、質さずにはいられなかったのだ。

 「…あの子の父親は名もない漁師でしたが、人の痛みの判る優しい人でした。彼はわたしに愛されることのトキメキを教えてくれたのです。シレーネにも、そんな人と巡り合い、愛することの喜びと愛されることのトキメキを知ってもらいたい。わたしは、そう願っています。あの子の幸せはこの世界でこそ大きく膨らむことでしょう。愛する人と生きること、そしてその人の子供を産み、育てていくこと、それらはこの世界でしか得られぬものなのですから」

 この時のスラインローゼは、間違いなく女神ではない、母であった。

 「では、行くのですね。もう、すぐに」

 サラサが問い。スラインローゼは無言でうなずいた。

 「逢ってしまえば、未練が残ります。身勝手とは思いますが、後のこと、お願いします」 その言葉を最後に、スラインローゼとゼナは長い呪文の詠唱とともに姿を消した。

 なんともあっけない幕切れである。

 結局アモールは剣を抜くこともなく、サラサも魔法の一つも唱えることなく全ての決着が着いたことになる。

 「最後まで自分の都合だけで事を運びやがったな、あいつらは…。俺、もう神なんて信じんぞ。祈る気もなくなった」

 元から、神に祈ったことなどないことも忘れて、アモールが毒突く。スラインローゼが異界へゼナとともに旅立ったことをシレーネに伝えなければならない立場にあることを、自覚しているからこその苛立ちと、意図的にではなくとも、そうなるよう仕向けたスラインローゼへの恨みを、体外へ吐き出すための一種の儀式である。

 「まぁ、いい。目的は達したんだ。胸を張って帰るとしょう」

 後ろにいるサラサに、振り向きもぜずに言葉を掛け、先に立って歩き出すアモール。

しばらくして、後から付いてくるはずの足音がまったく聞こえないことに気付き、一抹の不安を感じながら振り返る。

 「…んぐ、んんんんんんっ…」

 サラサのくぐもった呻き、何かに縛り上げられた、その右肩に見える醜悪な顔。

 「…勘弁しろよ。いまさら、てめぇの顔なんぞ見たって、何の感慨も感じやしねぇぞ」

 そこにあったのは、紛れもないダルトンの顔だった。あんな醜い顔は一度見たら忘れようたって忘れられない。

 二度と会いたくない、思い出したくもないと想っていた顔である。

 「目的を果たした勇者が、感傷に浸ろうというときに邪魔しやがって、何しに迷い出やがったんだ。てめぇは!!」

 『迷い出たわけではありませんよ。全て計画通りです。そう、わたくしにはお見通しだったのですよ。あなた方が現れることも、スラインローゼを蘇らせ、ゼナの暴走を止めることもね。それに、全てが終わったときゼナとスラインローゼがともに異界へと旅立つことも…なにもかも、わたくしのたなごごろの上のことだったのです。わたくしの最高最大の魔術は、たった今完成を見た。恐怖なさい、わたくしの美しいほどに完璧な強さに」

 固まりかけた血のような色、霧のような捕らえ所のない身体を自慢げにゆらめかせて、ダルトンか嗤う。

 もはや、心も身体も人外境に沈み込んでいることは疑いなかった。

 「ふん。たかだか老魔術師の残りカスの分際で、ずいぶんとでかいことを言ってくれるじゃないか。女を人質にとるなんて、お決まりの卑劣な手を使いやがって!!」

 叫びざま、斬りかかるアモール。

 しかし、その剣は空を切った。アモールにとっては必殺の、ダルトンにとっては致命の間合いのはずだった。現にアモールの斬撃は、ダルトンの身体を捕えていたのである。

 それでも、ダルトンにダメージを負わせることはできなかった。

 『愚かですねぇ、剣で霧を切ることなどできはしますまい? 今のわたくしは霧そのもの、どんな攻撃もわたくしを殺すことはできないのです。意志の力で自ら存在しつづける霧を完全に消滅させるなど神とて不可能なこと、まして今この世界には神など存在しないのですからねぇ』

 確かに、剣で霧を切ることはできない。剣に限らず、どんな物理的な攻撃も今のダルトンには意味がない。

 アモールは魔法が使えないし、よしんば使えたとしても霧を完全に消滅させるには及ばないだろう。認めたくはないが、確かに今のダルトンは世界最強に違いなかった。

 「…むかし、村の爺が話してたことがあったな。おまえのような化物のことを…。確か毒霧、とか言ったっけな。無惨な殺されかたをした人々の恨み、哀しみ、憎悪、そういったものを融合して造り出される魔物の総称だって話だったが…」

 毒霧は、命ある全ての生き物たちの生への執念と、死への恐れが具現化したものとされている。夢なかばにして生を失い、死を賜った者たちの怨念が、一つの強大な意志を得て、不死の生命力を持ったもの、それが毒霧なのである。

 この不死の怪物を消滅させることは、困難を極めるものだった。この化物に死を与えることができるのは、光の魔法だけなのだが、光魔法を操る魔術師の出現は、三百年に一度といわれるほどに希有なことなのだ。

 無論、ほかに方法がないわけではない。毒霧のもとであり、エネルギー源でもある怨念を取り除くか、核となっている意志に自分の死を認めさせればいいのだ。もっとも、それとて口で言うほど簡単なことではないのだが…。

 「…この状況じゃ、確かに無敵だな。てめぇのエネルギー源、それはたぶん地下にあった氷付の死体だろ? 取り除こうにも、ここからじゃ手が届かんものな」

 今にして想えば、地下に並べられたあの死体の並べ方や頭と胸に穿たれた穴は、どれもなんらかの呪術的な意味が込められていたようにも感じられる。そう考えれば、全てが予定通りだと言ったダルトンの言葉が満更うそではないことが判る。

 世界を破滅させる寸前にまで追い込んだことに責任を感じ、神々が地上を離れるように仕向け、自分は不死の身体と永遠なる力を得る。そうなればまさに完全無欠の世界の支配者となれるわけだ。

 「俺には、痴人の夢としか想えないがね」 やってるダルトンは真剣そのものなのだろうが、支配するのもされるのも嫌、というアモールにとっては馬鹿げた妄想でしかない夢、野望である。

 『ふふふふふ、なんとでも言え。所詮は負け犬の遠吠え、真に受けるほうが愚かというもの』

 あくまで尊大な態度をとり続けるダルトン、完全に世界を手にした気でいるらしい。確かに力はあるし、不死なのだから不可能ではないだろう。それは認めてもいい、だが……。

 「あんたに傷を負わせることは誰にもできない、エネルギー源を絶とうにも俺にはできず、できる奴はこのことを知らない。八方塞がりではある。だけど、手がまったくないわけではないと、俺は想うんだよね。なにしろ、女を人質にとらなきゃ、俺と顔も会わせられねぇようじゃ、なんか弱みがあるんじゃねえかと考えても不思議はないだろ?」

 アモールの言葉を聞き負えた途端、ダルトンは霧状の体を揺すって笑い出す。そして、サラサを離れた場所に投げ飛ばしてみせた。自分に弱点などないことを誇張したいがためのパフォーマンスということだろう。が、それはアモールにとっては思う壺の行動だったのである。

 サラサがダルトンから離れたのを確認し、アモールは剣ではなく、残っていた最後の魔晶石をダルトンへと突き出した。瞬時に伸びる四本の氷の柱。その柱はアモールの左手を中心に放射線状に伸び、ダルトンの後方厚い壁へとめりこんだ。

 「消滅が無理なら、動けなくすればいい。簡単な理屈じゃないか」

 ダルトンのからだは霧と同じ、どんな物理的ショックも素通りするだけだ。だが、周囲を隙間のまったくない壁で囲んでしまえば、空気すらも漏れない密閉された空間に閉じ込めれば、外に出ることができなくなるのも霧と同じである。

 魔法のエネルギーはどんな物質も透過するが、今のダルトンが魔法を使うことはできない、なぜなら不死の生命力を維持するために常時大量の魔法力がダルトンに流れ込んでいる。つまり、ダルトンは常に魔法を使っていることになるのだ。

 いかに強大な魔力を得ようとも、同時に二つの魔法を使うことはできない以上、ダルトンが別の魔法を使おうとしたとき、それがダルトンの死を呼ぶのである。

 「こいつこのまま封印しちまってくれ」

投げ飛ばされ、軽い脳震盪を起こして朦朧とした意識を、はっきりさせようと頭を振るサラサにアモールが言う。

 サラサは力強いうなずきとともに立ち上がり、氷壁へと近づく。

 『や、やめろ~。正々堂々と闘おうじゃないですか。いきなり封印するなんてルール違反ですよ!』

 必死にダルトンが訴える。しかし、アモールもサラサも、そんな声は無視して封印作業を続ける。もともと魔法で出された氷柱が固まったものなのでたいして手間はかからない。サラサが氷壁の到る所に文字や図形を書き込み、魔法力を注ぎ込むだけである。

 「…終わりましたわ。早く戻らないと、シレーネさんやマルコが心配しますよ」

 ダルトンを囲む氷壁の全てに魔法力が行き渡ったのを確認して、サラサが促す。

 「そうだな、早く戻ろう」

 背後から半狂乱になったダルトンの叫びが聞こえていたが、二人は知らぬ顔でもときた道を引き返していく。

 女神が異界へ去ったとはいえ、その影響力は残っているので、この階層に飛んできたときと同じ場所に立つだけで、アモールとサラサはシレーネとメモリーの待つ部屋へ瞬時に戻ることができるのである。

 『貴方たちのことは忘れませんよ。必ず復讐しに行きますからね。首を洗って待っていなさい!』

 瞬間移動する寸前。ダルトンの悲鳴にも似た声が耳に刺さった。

 「…世界が終わるときまで、そこにいろ。てめぇは」

 空間転移の魔法の光に包まれながら、アモールが怒鳴り返す。

 それがダルトンに聞こえたかどうかは定かでないが、アモールの、封じることができたとはいえ消滅させられなかった事への後味の悪さが声の形で吐き出されたものだった。



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