旅立つ者は
シレーネのくぐった扉とは反対の、左側の扉から部屋の外に出たアモールは石造りの通路を歩き続けた。
通路はただひたすら真っ直ぐに続いている。
先は、まったくと言っていいほど見えてこない。
「・・・ついた先が行き止まり、なんて事はないだろうな」
だが、その不安は杞憂に終わりそうだった。三十分ほど歩いたところで、直線だった通路が右回りに緩やかなカーブを描き始めたのだ。
そして、更に二十分歩くと右側に短い通路と上に登る階段があった。
結局、怪物と闘った部屋で右へ行こうが左に進もうが、真中で出会うような造りになっていたわけだ。
「チッ、そうと知ってりゃシレーネに動くな、なんて言わなかったのにな」
悔やんでも今更どうしょうもない。再び、アモールは歩き始めた。
あと半周、五十分歩けばシレーネのところへ辿り着けるだろう。
が、その必要はなかった。五分とたたないうちに、シレーネとの再会を果たすことが出来たのだ。
考えられる最悪の状況で…。
シレーネは一人ではなかった。
他に二人、いや、二匹の怪物が一緒だった。
その怪物は一言で言ってミミズの化物だった。長さ五十メートル、胴回り三メートルの青色のミミズ。先の怪物同様、どうひいき目に見ても自然に発生した生物とは思えない。
そのうちの一匹が背中にシレーネを乗せ、もう一匹は邪魔する者がいれば即座に踏み潰そうというのだろう、先導するように前に出る。
アモールが剣を抜こう、と思うより早く。前に出たミミズによってアモールは高々と跳ね飛ばされ、宙に舞っていた。
激しい衝撃が彼の全身を走り抜ける。
それでも、アモールの視線はシレーネの上にあった。
生気を失い青ざめた顔がみえる。死んでいるのかと絶望的な気分になった。が、次に目に入った今だ発育途上の胸が、怪物が起こす振動とは関わりなく、自分の力で上下していることを見て取って、アモールの心に希望が戻った。
シレーネが生きているのは確かなのだ。
なら、彼がすべき事は一つである。目の前の怪物を斬り殺し、彼女を取り返せばいい。
頭上に床を見ている姿勢のまま、空中で剣を引き抜き、着地の勢いもそのままに振り向きざま、剣で払う。手応えがあり、刃が怪物の肉に食い込んだ。
しかし、そのミミズはシレーネを乗せていたミミズではなかった。シレーネを背に乗せた怪物はアモールを無視して突き進み、もはや姿を見ることさえ出来なかった。
「シレーネ! クソッ!!」
もはや追いかけても無駄であることは狩人としての経験が否応なくアモールに教えている。シレーネを運び去ったミミズはもとより、目にしていながら救えなかった自分への怒りが込み上げてくる。
その怒りはそのまま、目前でのたうつ、もう一匹のミミズに向けられた。
数分後、そこには巨大ミミズの姿はなく、ミンチにされた肉の塊があった。
「…こんなんじゃ気晴らしにもならねぇ」
大量の肉塊を前にしても、苛立ちを抑え切れずアモールが叫ぶ。と、同時に剣を肉塊の中に突き立てた。
カチン!
「なんだ?」
それは明らかに肉や岩の床とは違う、金属同士がぶつかった音であった。
興味にかられ、剣の先で肉を選り分けていくと、そこには女性用の装身具、であったらしい銀細工の破片が散らばっていた。銀は金と違って腐蝕するものであるから、長い年月怪物の体内にあってボロボロになってしまったのだろう。
細やかな彫刻が施されていたらしい腕輪や、色とりどりの宝石を鏤めた首飾り、どれも色褪せて形が歪んでいる。だが、そんな中細く緻密な鎖に、大きな碧色の宝石が取り付けられている額冠だけはもとの形を留め、新品同様に輝いていた。
我知らず、アモールの目は宝石に釘付けになる。
深い、空の青さを持ったこの宝石は、見詰めていると空の彼方へと落ちて行くような錯覚を誘い、遙かに巨大な蒼弓を心の鏡に写し出す。
だが、そのままジッと見詰め続けていると、何か別の象がボンヤリとではあるが写り始めた。
「ん?」
それは、一人の女性の姿だった。
アモールが見守る中、その女性の姿はしだいしだいに大きくなり、ほどなく宝石をはみだして空間一杯に膨らんで、一般的な人間女性の大きさで落ち着いた。
どことなく、サラサに似た雰囲気を持つ女性だった。サラサが人形なら、この女性は絵と言ったところだろうか。
流れる清水のごとく、真っ直ぐに伸びる白金の髪。月の光にも似た、柔らかく美しい肌。その肌を薄い緑の服とショールが覆っている。服は肩から紐でつり、胸から膝上までを覆うもので、膝から下は樹皮そのものの色、模様のブーツを履いていた。
なぜか哀しげに潤む、赤い瞳が印象的だ。
「…美人に逢えたことは嬉しいが、幽霊に興味はねぇぞ」
内心の動揺を抑え、精神の安定をはかろうと軽口を叩く。そんなアモールを無視して、事態は急激に進んでいく。
【わたしは幽霊ではありません】
これを幽霊と言わずして、何を幽霊と呼べばいいのだ。と、思はず尋ね返したくなる姿のまま、その女性が話す。話すと言っても、肉体がないために空気を微妙に震わせて、声のような音を出しているのだ。
【わたしの名はスラインローゼ・シュテラール。この地に眠る神の一族の一人です。三千年の長きにわたり、わたしはこの日が来ることを信じ、待ち続けていました】
神の存在をあえて否定する気はないものの、信じたことも祈ったこともなかったアモールだが、なぜか、このスラインローゼと名乗る女性の言い分だけは一応聞いといてやろう、という気になり、その場に腰を下ろす。
【三千年ほど前のことです。世界の創造主わたしたちの父、母にあたる神々はすでに次元の彼方へと消えて久しく、わたしたちは男神ゼナ・リムズベルを新たな指導者と定め、世界を見守る役を担っていました。しかし、あるとき女神の一人が、当時、この大陸に栄えていた人間たちの一人と恋に落ち、神の座と力を捨て去り、人間の女として男の元に走りました。そのため、神々の力のバランスが崩れ、ゼナの心と力が暴走し、それを止めようとした男神は全滅、わたしたち女神も心と力を封印され、眠り続けることになったのです。もちろん、ただ封印されたわけではありません。ゼナの暴走に方向を与え、被害を最少に食い止めるべく手を打ちました。それが、あの氷の竜であり、この大陸を覆う寒波なのです】
「だが、それとて完全ではなく、何の解決にもなっていなかった。やがて時は流れ、この時代になって限界に達した。そういうことだな?」
黙って聞いていたのでは、日が暮れるどころか夜が明けてしまう。そんな気がしてアモールは話に割り込んだ。彼にとって原因などどうでもいいことだった。問題なのは、今、どうなっているかであり、どうすればいいのか、だったのである。
【・・・簡単に言ってしまえばそうです】
「簡単結構、あんたには色々と思い入れもあるだろうけど、そんなこと俺達には関係ないことだからな。俺が知りたいのは二つだけだ。一つ、シレーネ、俺の連れの女性を連れ去ったのが何者で、目的がなんなのか。二つ、そのゼナとかいう奴を正気に戻す、もしくはブッ殺す方法。それだけだ」
アモールの言動や態度は女神に対するには無礼きわまりないものであったが、これでもアモールとしては充分すぎるほど丁重な言い回しのつもりなのである。なにしろ、神々の間で起こったトラブルをこのスラインローゼという女神は人間であるアモールに押しつけようとしているのだ。
そうでなければ、聞いてもいないのに歴史を語りだしたりはしないだろう。
ただでさえ、シレーネを連れ去られて焦っているのに、相手が神だというだけで下手に出る義務があるとは思えなかったのである。
【そうですか、そうですね。・・・・・・そのシレーネという女性をさらったのは恐らく魔導師ダルトンの仕業でしょう、彼はゼナの力を我が物にしょうと画策していました、ですが自分にゼナの力を受け入れるだけの器があると考えるほど自信家でもありませんでしたから、もっと安直で安全な方法を考えたのでしょう」
「その方法とは?」
【若い女性をよりまし、言い換えれば生け贄とし、その胎内にゼナの力を一度引き入れます。女性の身体には新たな命を宿すために強力な生命力と、それを支えるだけの器がありますから、これはさほど難しくありません。その上で、その女性と交われば間接的に少量ずつではありますが安全確実に力を得ることができるわけです】
キタナイ、言葉にすると、そうとしか言えない方法である。だが、それは目的のためなら他人を犠牲にすることも卑劣な手段を用いることも辞さないということで、そういう輩ほど敵に回してやっかいな相手はいないのだ。
できることなら相手にはしたくないタイプである。
第一、スラインローゼの言葉を信じるなら、ダルトンは三千年ものあいだ生き続けている、まさに化物ということになる。
シレーネのことがなければ、回れ右、で立ち去り二度と近づきたくない。と思うのが正常な人間の心理であろう。
「なるほど、シレーネは器。道具あつかいなわけだ」
多分そうだろう、と思っていただけに別に驚きはしなかった。若い女の子を付け狙う理由なんてそんなものだ。
「で、ゼナへの対処法は?」
【・・・わたしを、女神スラインローゼを覚醒させるしかありません。今、スラインローゼの意識はゼナの封印を抜け出してはいるものの、無理な突破をしたために散り散りになっているのです。かくいうわたしも、その一つに他なりません。もう本体の位置を特定することもできないような状況なのです。散った意識は全部で四つ、残る三つと本体を探してください。そうすればスラインローゼがなんとかできるはずです】
「・・・なんか変だな、スラインローゼがなんとかできるはずってどういうことなんだ。君がスラインローゼなんじゃないのか?」
なぜか【私】と【スラインローゼ】とを区別しょうとする意志を感じて、アモールが問い質す。
【疑念を抱かれるのも無理はありません。わたし自身戸惑っているのですから。先刻も申し上げましたように、スラインローゼの意識は、わたしを含め四つに別れてしまっています。そして、別れた意識は各々別の人格を持っているのです。従って、四人ともスラインローゼではありますが、一人の人間として考えることもできるわけなのです。わたしたちは、それぞれスラインローゼとしての部分を持っていますが、実質は他人でしかありません】
「スラインローゼとしての部分?」
【はい。それぞれが、《理性》・《記憶》・《力》・《感情》のいづれかを内に秘めているはずなのです。わたし自身は《理性》を持っていて、それを正常に保つため、あえて肉体を有しておりません。ですが、他の三人は肉体、実体を持っていて普通の人間となんら変わるところはないのです。それを、スラインローゼの意識に戻すためには定められた手順に従い、意識を覚醒させるしかありません。覚醒は必ず、《理性》・《記憶》・《力》・《感情》の順でなくてはならないのです。理由は大方想像できるかと思いますが】
狩り以外のことには鈍すぎ、と自他共に認めるアモールにも、その理由は何となくだが理解できた。記憶、すなわち使い方が定まらぬまま、力が暴走すればゼナの二の舞になる。
そういうことなのだと。
「それはわかった。で、その覚醒の方法は?」
これが、最後の質問だ、と内心で思いながらアモールは尋ねる。自然、力がこもった。
【その問いに対する答えは、わたしも知りません。前例のないことゆえに、また他の三人に会ったことがないゆえに知りようがないのです。ですが、わたし自身のことは判っています。これからわたしがする質問に答えてください。それが、わたしを覚醒させるキーワードとなります。…ゼナの暴走を止めてくださいますか?】
アモールは一瞬、答えを返すのに躊躇した。下手な答えを返すわけには行かない。そんなプレッシャーがあったから、だが、ごく短い沈黙の後、彼は悟った。深く考える必要はないのだと、自分の気持ちに素直になることが答えになるのだと…。
「あぁ、止めてみせるさ。俺と、俺の愛する人たちのために……倒すのではなく、な」
アモールのその言葉に静かな頷きを返し、女は姿を消し、その後には緑色をした小さな宝珠が落ちていた。一般的な宝珠の四分の一ぐらいの大きさである。
「これが、女神スラインローゼの理性、ね」
この階から上に行く方法は一つしかない。
アモールは一度、もと来た道を戻り、階段を使って上に昇る。
上の階に出た途端、アモールは先を思いやって溜め息を吐いた。
ものすごく広かったのだ。すでに塔の中ではなく、その奥にあった山の中に入り込んでいるらしい。
「こいつは、捜し甲斐がありそうだな」
迷っている暇も、考えている時間もなかった。シラミ潰しに探していくしかない。
だが、意外なことに目的のもの、スラインローゼの記憶を有する女性は簡単に見つかった。
声が聞こえたのである。
閉鎖された空間での声は、あちこちで反響し、位置を確認するには聞き分ける耳と、極度の集中力を必要としたが、なんの手がかりもなく歩き回り足を棒にせずに済んだ分、気分的に楽だったのは事実である。
女は、その階のかなり奥まったところにある一室にいた。
その部屋の扉を開けたとき、その女は壁に全裸の状態で、逆さまにぶらさがっていた。
見た瞬間から、先刻の理性との関わりが深いことはハッキリと判った。容姿風貌ではなく、漠然とした雰囲気が同じだったのである。
逆に、その風貌はまるっきり似ていなかった。抜けるような白い肌は同じだが、髪は黒く、肩までしかなかった。瞳も黒く、白い肌によく映えて、無幻の住人を思わせた理性と違い、現実に存在する活力、生命力の強さを感じさせる。
女性と言うよりも、少年と形容したくなる容姿をしていた。
「なにをしてるんです?」
自分でも間の抜けた質問だな、と思いつつアモールが尋ねる。
「私は女神スラインローゼの《記憶》を有するもの、ゼナの暴走を止めることを快く思はない魔導師ダルトンによって結界のうちに繋がれているのです」
そういわれて目を凝らすと、それまで壁だと思っていたものが、実は多数の触手であることが判った。彼女は、その触手に身体を絡めとられ、身動きが取れなくなっていた。
「あんたが、女神の《記憶》を持っているのだとすると、俺はあんたを覚醒させなきゃならない。どうすればいい?」
雰囲気が似ているとはいっても、先ほど逢った理性とは違う姿の女なので、不審を感じたアモールだが、肉体を持たない理性と生身の身体を持つ、この女が同じ姿であることのほうが不自然なのだと自分を納得させて、尋ねている。
「この部屋を中心にして、正三角形を形作る場所に、結界を張るための魔術による仕掛けがあります。この結界があるうちは、私の覚醒はありえません。何故なら、スラインローゼの意識が分離して、それぞれ別の人格を持つ最大の理由は魔導師ダルトンがスラインローゼの復活を邪魔するために呪いを掛けたことにあるからです。分離した意識が人格を持ち、その人格が強ければ強いほど、もとの形に戻る妨げになるのは当然のこと、この結界は、私の人格をより強くするように働きますから、私を覚醒するには結界を破壊して頂くしかないのです」
神様ってのはどんだけ説明好きなんだ?
ちょっとうんざりしそうになったが、何とか耐える。
「壊すといっても、どうやって?」
物理的に造られたものなら、どうとでも壊してやるが、魔術で造られているとなると、単なる狩人のアモールでは畑違いもはなはだしい。やり方を間違って逆効果にでもなっては目も当てられない。
「結界を繋ぐ三カ所には、この部屋同様に触手を持った魔獣がいます。それを倒せば良いのです。私を捕えている魔獣に力を与えているのが、その三匹なのですから」
「実に単純な方法だな。判った。行ってくるよ」
「気を・・・つけて・・・・・・」
彼女の声を背に受けて、アモールはその部屋を出た。
「正三角形を形作る、か。…なんだかなぁ、そのまんまじゃないか」
アモールの目前には、四つの通路があり、その一つは先刻この部屋に来るために通った道で、他の三つのうち一つは左に真っ直ぐに伸び、二つは右へ、Yの字型に伸びている。これでは迷おうとするほうが難しい。
「その分、魔獣は目茶苦茶強かったりして・・・。それでも闘うしかないんだよな、俺は・・・」
ブツブツと独言を言いつつ、アモールはまず右側、手前の通路を突き進んだ。
案の定、魔獣のいる部屋は、その突き当たりにあった。
扉を明け中にはいると全身針鼠のような魔獣がいた。針の変わりに触手が生えていた。
そして、・・・・・・。
「なんちゅう好色な奴だ」
背中にびっしり生えた触手には数人の女の子が捕えられていて、無数の触手が彼女らの身体をまさぐり弄んでいる。女たちの口からくぐもったよがり声が漏れ、女たちの意識が、すでに悦楽の園へと飛んでいるのは明白だった。
どうやら、この魔獣は捕えた女たちの生命力を吸い取っているらしい。
「さてと、どう攻めようかな」
魔獣はオブジェのように、その場に留まり動く気配もない。結界を張るのに集中しているのだろう。隙だらけである。だが、へたに魔獣を刺激しては、捕まっている女の子たちが危険だ。
「本当なら、サラサにもらった魔晶石で、一気に消しちまうところなんだがなぁ」
全長三メートル、全幅二メートルほどの魔獣の身体を見るにつけ、剣一本で斬りつけることの困難さをおもんばかりアモールは呟いた。
考えた末に、アモールは、
「…直接当てなきゃいいんだよな」
黄色の魔晶石を取り出し、魔獣に向ける。と、石は一瞬の沈黙の後数条の雷となって魔獣の足下に突き刺さった。稲妻が床石を吹き飛ばし、バランスを崩した魔獣は女の子たちを投げ出して、こちらに向かってきた。
結界を張る使命感よりも、自己保存の本能が勝ったのである。
「フン、思う壺だ」
ただ闇雲に突っ込んでくるだけの魔獣の攻撃を、立っているそのままの態勢から仰向けに倒れて躱し、勢い余って通り過ぎる魔獣の腹に、魔晶石の白で出した氷柱を突き刺す。
魔獣はモズのはやにえの様な姿で息絶えた。
「ふう、みんな無事か?」
魔獣が息絶えたことを確認し、安堵の溜め息を吐いたアモールが、助け出した女の子のもとへ駆け寄る。
だが・・・
「うっ! こ、これは!!」
そこに先ほどの若い娘たちの姿はなく、カラカラに干からびたミイラが転がっていた。
恐らくは彼女らの命は何年も前に尽きていたのだろう。魂だけが肉体への終わることのない快楽に縛り付けられていたのだ。
「かわいそうにな。あとはせめて、安らかに瞑れ」
幸薄い少女たちのために、短い黙祷を捧げ、アモールは先を急いだ。
魔獣に捕われている女たちが、すでにこの世のものではないことが判った以上、もう遠慮は無用である。
同じ右側の奥にいた魔獣は、部屋に入るとすぐに黄色の魔晶石で直撃し、一撃のもとに黒焦げ。左側にいた奴は青の魔晶石による竜巻でボロボロに切り裂いた。
あとは、スラインローゼの意識を覚醒させればいい。
気軽に考えて《記憶》のいる部屋へと戻ると、期待に反して触手の猛威は衰えておらず、それどころか、活性化して以前にも増して、蠢いていた。
「なっ!! そんな…なぜ!!」
結界の壊し方を間違いでもしたかと不安になる心を抑え、アモールが叫ぶ。
目の前では、女神の《記憶》を有する女の身体がくの字に折れ、魔獣の触手になされるがままになっている。
「・・・くっ、うっ、あ、あぁ・・・結界の要が失われたため、結界魔獣の魔力と、捕われていた少女たちの意識が逆流してきているのです。は、早く魔獣を、で、でないと・・・あっ、あぁ・・・い、急いでえぇっ」
なにがなにやらよく判らなかったが、相当に切羽詰った様子の彼女の声に、アモールの身体は自然に反応し、彼女に巻き付く触手に次々と斬りつけていく。
初めのうちは切っても切ってもすぐに再生した触手だが、エネルギーの源だった結界魔獣を失った後だけに、長くは続かず、やがて力尽き消えていった。
女神スラインローゼの意識を構成するものの一つ《記憶》を持つ女は、魔獣から解放され、ぐったりと床に横たわっている。瞳がうっとりと虚空を見詰め、半開きの唇からは荒い吐息が聞こえている。その引いては返す波のような呼急に応じ、豊かな胸が上下する。
「おいおい、しっかりしてくれよ。あんたをスラインローゼの意識として覚醒させなきゃ先に進めないんだぜ。目を覚ましてくれよ」
アモールの必死の呼びかけにも、彼女は心がここにない、といった感じでまったく反応してくれない。
「こんなところでグズグズしてたら、あのダルトンとかいう奴にシレーネが襲われちまうだろうが」
と、アモールの口から襲われるという表現が出た途端、彼女はいきなり腕を立てて、上体を起こした。
「あぁ、あぁん。あぁっ」
彼女は悩ましげな声を上げながら、全体重をかけてアモールに覆い被さる。
「えっ?」
なにが起こったのか、起ころうとしているのか理解できないアモールは、そのまま押し倒されてしまった。
彼女の目つきが異常だ。
「う。う~ん、はぁあぁ、あんっ、はぁ」
その声で、アモールもようやくなにが起こっているかを理解した。さっき、彼女自身が、魔獣に襲われた少女たちの意識が逆流してきていると言っていた。多分、そのせいで彼女の人格が崩壊しかけているに違いない。
だとすれば、このまま彼女の人格を打ち砕けば、女神スラインローゼの意識を覚醒させることができるはずだ。
「え~い。こうなりゃ、俺も男だ。据え膳食わぬは男の恥、いくとこまでいったろうじゃないか」
見るからに清楚な感じの彼女、元々は女神なのだから当然だが、その彼女が乱れているというのは、異常にくるものがある。
彼女の身体は非常に感じやすくなっていて、アモールの指や舌が触れる度、実に素直に反応し、可愛らしくも悩ましげな声を発する。
その声を聞きたくて、アモールの指が、舌が彼女の身体を這い回る。
「ああぁ、はやくぅ」
薄くて形のいい唇から、あまり似つかわしくない言葉が漏れた。
これは今の彼女の人格から出た言葉なのだろうか、それとも人格とは別の本能によるものなのか、まさか女神の記憶から出たのだったりして、もしそうだとしたらスラインローゼって、どんな女神なのだろう。
先刻の理性や、意識がはっきりしていたときの彼女、少し話した感じでは、落ち着きのある貞淑な娘に思えたのだが・・・。
求められておいて、やめるわけにはいかない。アモールはゆっくりと、彼女の中に埋めていった。
彼女は、身じろぎもせずに徐々にアモールを受け入れ、完全に呑み込んだ後、ため息に似た呻き声を上げた。
「ぁあぁぁぁ」
もしこれで、女神の意識が覚醒しなかったら、俺のしていることって一体…。
何なんだろう、そんな考えと共に、一瞬シレーネの顔が頭の中を過った。
別に付き合ってたわけじゃないから罪悪感を感じる義理はないのだが、妙に気になるのも事実ではあった。
もっとも、実際やっちゃってるんだから今は、目の前の女に集中するべきだろう。また、彼女が身悶える姿は、アモールをそうさせるに充分な魅力を放っている。
「あっ、あぁ、あはぁ、ああぁぁ」
彼女は華奢な身体を大きくのけぞらせて、少しの間硬直してから、ガクリと力なく崩れた。数瞬の沈黙。
「・・・・・・・・・いやぁあぁっ!!」
けだるい沈黙と共に鼓膜までが破れるかと思うほどの悲鳴を耳元で発した後、彼女はアモールをはねのけ、その場に座り込んでしまった。全身が淡い緑の光に包まれている。
「・・・・・・」
例によってアモールにはなにが起きたのか把握しきれなかったが、ただ一つ確かに言えることは、今彼女の中で激烈な変化が生じていることと、それが女神の覚醒に関わりを持つと言うことである。
アモールの見守る中、彼女を包んでいた光が、しだいに下腹部へと集まっていく。そして……
不意に、その光がひときわ大きく輝いたかと思うと、次の瞬間には宝珠の形に姿を変え、彼女の足の間に転がっていた。
静まり返った室内に、彼女の荒い息だけが響いている。
誘ったのは彼女のほうだ。
そういってしまえばそうなのだが目的を手っ取り早く済ませるために、正気を失っている状態に付け込んだ、少なくとも彼女を拒否しなかったアモールには、今の彼女に何を言えば、何をしてやればいいのか、咄嗟に判断がつかなかった。
「ご、ごめんなさい。全部覚えてます、私が誘ったんです」
「い、いや、俺もおんたが普通じゃないのが判っていて、利用した立場だから、謝ってもらう必要はないんだけど・・・」
気まずい空気が、二人の間を流れている。
「・・・あっ! そういえば、スラインローゼの《記憶》が…」
とりあえず、話題を変えようと、アモールが宝珠に目を向ける。
「・・・魔獣は私の人格と共に女神の《記憶》までも破壊しょうとしていたんです。そのために私の意識の外郭を破壊して、十数人分の快楽を流し込んだのです。その後は…あなたがご覧になった通りで、あんなに乱れちゃって、女神であるスラインローゼにとっては、ひどく屈辱的な事だったわけで、自分のカラにこもっちゃって、でも肉体の快楽も捨て切れなくて、結局、女神の《記憶》と女としての記憶、って言うか動物的な本能が分離しちゃったんですね。だから、スラインローゼは覚醒したけど、私も残っちゃったんですよ。肉の喜びへの未練として・・・」
そう説明しながら、彼女は今だ火照ったままの裸体をアモールへとスリ寄せ、上目遣いに見詰める。
何を期待しているのか、子供にも判るような扇情的な態度だ。
「あ、あのさ・・・えっと・・・あれ?」
どぎまぎしながら、なんとか彼女をなだめようとして、彼女の名を知らなかったことに気づく。
「メモリー、って呼んで」
「あ、じゃあ、メモリー。悪いんだけど、俺ものすごく急いでるんだ。そういうのは後にしてくんないかな」
何としても、この場を離れてほとぼりを冷まそう、などと考えながら、すでに逃げ腰になっているアモールである。
「きゃははは、そんな逃げなくても、さっきの今で迫ったりしないってば。それに、ここから上に行くには隠し通路を通ったほうがいいわ。急ぐんでしょ、私が案内してあげる。た・だ・し・・・」
この語尾にスタッカートを使うってのは、思わず嫌な悪寒を覚えるアモール。
だが、そんなアモールにはお構い無しに、メモリーは言葉を続けた。
「キスしてっ…まだしてくれてないでしょ」
「・・・・・・」
何となく、複雑な思いが込み上げたアモールだが、真摯な瞳で見詰めるメモリーの純粋さと艶っぽさのコンチェルトが生み出す魅惑的な美しさには坑しきれず、吸い付けられるように唇を重ねていた。
「・・・・・・これでいいかい?」
「うん、ありがと」
微笑みを浮かべ立ち上がるメモリー、その手には女神の《記憶》が握られている。
「しっかり案内してくれよ。これで道に迷ったりしたら・・・生殺しにするからな」
さっきまでの丁寧な口調もどこへやら、いつのまにかそこいらの町娘風になってしまったメモリーに戸惑いを感じながらも、その細い肩に自分の外套を掛けてやり、アモールが促す。
「わかってるって、こっちよ」
その妙に明るい返事に一抹の不安を覚えつつ、アモールは後に続いた。
そして、その不安は物の数分で現実のものとなった。
「あ、あれ? あんまり使ったことない通路だから・・・」
「だから・・・?」
「まよっちゃったみたい、あはははは」
仏頂面で睨み付けるアモールの視線を躱し、ひたすら笑ってごまかすメモリー。
「あのな、あははははじゃないだろう。なんとかしろよ」
「しょうがないでしょう、今の私は女神の《記憶》と何の関係もないんだから、曖昧にもなるわよ」
「他のところを探したほうがいいんじゃないのか?」
はじめから、たいして期待していなかっただけに、アモールの諦めは早かった。
「う~ん。でも、なんか変なのよ。この辺りに来ると先が見えなくなるの、記憶の中からそこだけ抜け落ちてるっていうか、隠そうとしているっていうか…そんな気がするのよ」
隠そうとしている、だとすれば女神スラインローゼが隠しておきたいと考えるなにかが、この先に在るということになる。
それは多分、男神ゼナの暴走となんらかの関わりがあるはずだ。
ならば、その暴走を止めると約束したアモールが避けて通ることは許されないことであった。あるいは、それは女神の心の中に土足で立ち入ることを意味するのかも知れなかったが、放っておく訳にもいかなかった。
「あっ、ここだわ。ここの壁が開くのよ」
そう言って、メモリーが指さしたのは周囲の壁となんら変わらない石壁である。
「本当だろうな?」
露骨に不審そうな目をするアモールの前で、メモリーは積み重ねられた石壁の一つを奥に押し込んでいく、と離れた場所にある別の石がせり出してくる。それも一つではなく幅一メートルほどにわたって次々とである。それにより、その壁のあった場所に隙間ができ、奥に続いているらしい通路が現れた。
「スラインローゼの《記憶》。私が覚えている限りでは、この先に部屋があって、その天井に上へ続く抜穴があるはずよ」
人一人歩くのがやっとの細道を先に立って歩くメモリーが話す、今度は彼女の言葉にウソはなく、確かに通路の先には石の扉があり部屋があった。
重々しい扉を開き、中を見渡す。別段これと言って変わった様子のない普通の部屋だ。 だが、メモリーが中に入った途端、雰囲気がガラリと変わる。
メモリーの手に握られたままだったスラインローゼの《記憶》が光を発し、それに応えるかのように室内の空気がゆらめき、室内に何者かの姿が浮かび上がった。
それは一組の男女の姿であり、そのうちの女性のほうには見覚えがあった。先刻出会ったスラインローゼの理性、そのままの姿だったのである。
「・・・やっぱり、ここでなにかあったんだ。それもゼナの暴走に関係する重要な何か、女神が隠そうとし忘れようとしていたなにかが、多分、この部屋に入ったことで自分の中に封印しょうとしていた《記憶》を思い出してしまったんだ。今まで抑え込んでいた分、あふれ出るエネルギーは強大で、室内の空気に影響して、この映像になったんだ」
目の前に起こっている現象を、自分自身に対して説明するアモールだが、その実口にしたことの半分近くは言葉にはできたものの理解するにはいたっていない。
理解する必要はなかった。
何故なら、その場に現れた女神の記憶映像は、その時、そこであったことを再現してみせたのだから。
「スラインローゼ、おまえ本気で人間のところへ行くつもりか? 神族としての誇りを忘れたのか?」
最初に口を開いたのは男、多分ゼナ、のほうだった。
「神族の誇りなど、何の役に立ちましょうか。その誇りとやらのため、我らは子供を残すこともできずにいるではありませんか、このままでは我らは緩慢な滅亡への道を歩み続けることになるのですよ。この世に生きる全ての命は、己の命を己の子へ伝えることを最大の目的としております。それは、遙かなる古の時代に、創造神が命持つ全てのものに与え給うた権利にして義務、それを実行せんとするを、何故邪魔なさるのですか?」
「しかし、その相手に人間ごときを選ぶなど、神族の血を汚すつもりだとしか思えぬ」
語気を荒げ、怒鳴りつけるゼナ。それに正面切って立ち向かうスラインローゼ。どちらも一歩も引かぬ覚悟でいるらしい。
長い沈黙。
そして、しびれを切らしたゼナの一言。
「なら、勝手にするがいい。だが、この聖域を一歩でも出たら最後、二度と再び戻れるとは思うなよ」
言い捨てたまま、背中を向けて立ち去るゼナ。スラインローゼは、その後ろ姿を唇を噛んで見送っている。
「バカ・・・」
噛み締められた唇から呟きが漏れる。それは、誰に対してのものであったのか、ゼナ?
それとも・・・・・・。
「・・・・・・」
おもむろに両手を上げ、瞳を閉ざす女神、額冠に着いた宝珠が光を発し同時に、その姿は鳥へと変化する。
「ホーッ」
カン高い泣き声とともに、鳥になった女神は全身を光で包み、消えた。
数瞬の間。
そして・・・。
「キャッ!」
「あっ!」
「うっ!」
カラン。
室内に四つの音が響いて、三人の女と一つのものが落ちてくる。いや、より正確に表現するならば、三つの人格と一つの額冠が落ちてきたのだ。
三人の女たちに肉体はなかったから…。
「ケケケケケッ、さすがは女神様、わたくしごときの魔力では完全な封印は無理なようですなぁ」
しゃがれた声が聞こえ、床から一人の小柄な男が現れた。
『ダルトン』
三者一様、異口同音で三つの人格が叫ぶ。
『貴様、なにをした!!』
怒声の三重唱が、ダルトンと呼ばれた男へと叩き付けられる。
「ククククク、なぁに大したことじゃありませんよ。わたくしの夢の実現のために、スラインローゼ様にも一役かっていただこうと考えましてね。しばらく姿を消していただこうと記憶の封印を試みたわけです。ところが流石に神の一族、わたくしの術だけでは全てを封じることはできませんで、肉体と精神を分離するのが精一杯だった、とそれだけのことですよ」
頬肉を震わせ、楽しそうに話すダルトン。だが、その目は無気味なほど冷めている。
「ですが、ご安心ください。皆さんもすぐに封印してあげますからね」
「世迷事を!!」
先にしかけたのは《力》だった。動こうとしたのは同時でも、実際に行動を起こせたのは《力》だけだったのである。他のものは何をしたらいいのか、なにができるのかを知らなかったのだ。
精神体に過ぎぬとはいえ、否、だからこそ《力》が放った魔力の威力はすさまじかった。全身全霊を掛けた怒りのエネルギーが束になってダルトンを襲う。
「・・・すばらしい。すばらしい力ですよ、これがもうじきわたくしのものとなる。わくわくしますね。フフフフフ…」
自分に向け放たれた高密度で多量の魔力を見て、ダルトンは逆に北鼠笑む。己の勝利を確信したものの顔である。
「ほい、これで一つ封じましたよ」
そう叫んで、ダルトンは懐から短い錫杖を取り出し、高々と掲げてみせた。
と、ダルトンに向けられていた《力》の魔力が、錫杖の先についた宝玉へと吸い込まれる。そして、そのままの勢いで《力》までもが吸い込まれてしまった。
「キャハハハハ。おバカさんですね。女神にケンカを売るのに何の準備もせずに来るわけないでしょうが? 策は重ねて弄するものなのです。…次はどちらを封じてあげましょうか? ヒッヒッヒッ」
こうなってしまっては、どうすることもできない。《力》を失った今、《心》と《記憶》だけでなにができようか。
ズガッ、ガガガガ・・・・・・。
大地を揺るがす衝撃波が伝わってきたのは、その時だった。
「ヒョッヒョッヒョッ、うまくいってます。かぁんぺきに、わたくしの思うがまま順調に進んでますよ。・・・・・・あなた方も、この衝撃の意味を知りたいでしょう? 見せてさしあげますよ最期のはなむけにねェ」
振動でひっくり返り、床を転がりながら、ダルトンは左手で水晶球を取り出し、宙に放った。すると水晶球は落下することなく空中で制止し、その内に映像を浮かび上がらせた。
『ゼナ!』
《心》と《記憶》が叫ぶ。一目見てなにが起ころうとしているかを感知したのである。
いつも堅苦しいほどに整った出で立ちのゼナが、引き裂かれたようなボロボロの布をまとい、立ち尽くしている。だが、問題はそんなことではなかった。
ゼナの全身から青白い炎が立ち上っている。
もちろん、本物の炎ではない。本来精神世界の産物である魔法力が、物質界の空気に触れ、発光しているのだ。
いかに強い力を持った魔術師でも、物質界で空気を電離させ発光するほどの魔法力を発することはありえない。
それは自身のみならず、この世界そのものを消滅させる引き金ともなるタブー行為であり、本能的に拒否反応が出るからである。これは神族といえども、例外ではない。
『そんな! ゼナともあろう者が魔に憑かれるなど…』
例外ではないが、神族だけは特殊な、極めて特殊な場合にのみ、そうなる可能性を持っている。
魔法力学上の密閉された空間、魔法力を増幅する増幅器、そして、怒り、哀しみ、憎しみなど強い感情の爆発があったとき神々が魔に憑かれる、という現象が生じるのである。
魔法力の源、魔気は喜びなどプラスの気によって放出され、怒りなどマイナスの気に吸い寄せられる性質を持つ。特に同じ精神世界出身の神々には、その傾向が強く現れるのだ。
『ダルトン、あなたほどの臆病者が、世界の破滅など望まないことは判ってる。狙いはゼナの《力》ね!!』
「ご名答。さて、事態を御理解いただけたことでもありますし、そろそろ眠っていただきましょう・・・永遠にね」
言うと同時に、ダルトンは両の腕を《心》と《記憶》へ向けて突き出した。球状に凝縮された高密度の魔法力が飛び出し、二人を捕える。
「・・・ダ、ダメ! ゼナ・・・止めなきゃ、ゼナを止め…」
苦痛に身悶えしながら《心》が呟く。ゼナを止めなければ、その気持ちだけが彼女の全てだった。
しかし、間接的にとはいえ、女神の《力》を手にしたダルトンの力には抗し切れず、徐々に姿が希薄になっていく。
「あなた方には、別の《器》を用意してあります。わたくしの術が完成するまで、果てることのない悦楽の日々をお楽しみください」
離れた場所に用意されているであろう《器》に心ならずも吸い寄せられ、意識が薄らぐ中、《心》はゼナを止めることだけを考えていた。
その思いは極限状態で異常に高まり、ゼナを止めようとの考えそのものの《理性》と、他の雑多な思考《感情》とに判れたのだった。
そうして分離した《理性》はダルトンの力から逃れようと、そばにあった額冠へと乗りうつる。
《記憶》の記憶は、そこで途切れた。




