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風のアモール  作者: 月下美人
2/6

めぐり逢い


 《小竜亭》を逃げ出した三人は、そのままマルコの寝蔵へと転がり込んだ。

 そこは港の古い貨物置場で、今はもう使っていないらしい。

なにもありはしなかったが、そのぶん広々としており、もし侵入者があったとしても一目で知ることが出来るだろうと思われた。

 酒場での騒ぎは、マルコの様子から考えると少年にとって日常茶飯事らしいし、だとすると身の安全を確保するためには最適の場所と言えるだろう。

 「ごめんよ、お兄ちゃんたち。僕のゴタゴタに巻きこんじまってさ」

 少年がすまなそうに言って、うなだれた。

 「気にしないで、あたしたちが勝手に手を出したんだから。でも、あの人たちいったい何者なの?」

 「……」

 シレーネの問いに、マルコは数瞬のあいだ無言でいたが、しばらくすると意を決して話し始めた。

 あの三人組は最近になって街にやってきた海賊、マルコの言葉を借りると港に出入りする中型商船ばかりを狙う二流以下の海賊、であるらしい。

 このところの寒波で多量に現れた流氷で船腹に穴をあけられ、船は海底に沈んだ。

それでも悪運強く生きたまま浜辺に打ち上げられたものたちがいて、その連中は新しい船を手に入れるため、必死になって金を集めているのだ。

 それはそうだろう、船も無しに海賊は名乗れないし、海賊でいることが出来ないからといって山賊に転職できるほどつぶしがきくぐらい器用な連中なら、もっとまっとうな職にありつけている。

結局のところ海賊なんてものは船が無ければ、そこいらの山猿とたいして変わらない。

 で、てっとり早く金を集めるために《安心税》と称し港で商いをする全ての者から無理矢理、その日の利益から三割もの金を、かすめとっているのだ。

 あの三人組は、いわばその集金を担当するものたちで、連中の中では一番下端の使い走り、ということのようだ。

 「まずいな、そんな連中を敵にまわしたとすると、俺たちの計画にも影響が出るかもしれないぞ」

 マルコの話を黙って聞いていたアモールが、ふと呟く。計画とは無論、ブリオニア上陸のことである。

 「…ブリオニア大陸に渡りたいって事なら、僕が案内してあげてもいいよ。今なら安全確実に渡れるはずだから」

 アモールの独語を聞きつけ、マルコが言った。その表情も口調も、率直で気負った感じはなかったが、言われたアモールとシレーネは、その一言に驚き緊張感から身体を固くしてしまっていた。

 「な、なぜ、ブリオニアへ行くと?」

 焦って吃りながらも、アモールが尋ねる。その問いをマルコは笑顔で受けとめ、こともなげに言ってのけた。

 「さっきも言ったろ。この街はブリオニアに渡る冒険者と商人によってつくられ、寄港していく商船や補給する海賊、軍船によって発展してきた。つまり、この街をわざわざ選んで、しかも歩って来る人間なんて冒険者か一山当てようと考えてる商人くらいのものなんだよ。お兄さんたちは、どうみても商人って感じじゃ無いんで、多分そうだろうなって思ったのさ」

 そう言って楽しそうに笑うマルコだったが、シレーネとアモールの胸中は複雑だった。

 こんな少年にまで見透かされる私たちって…一体…。

 思わず、おもいっきり落ち込む二人を無視して、マルコは話を進めていく。

 彼の話によると、このカリスの街から半日ばかり北東に、小さな半島があり、その辺りからブリオニアまでの数キロが年に一度四・五日間だけ凍りつくことが有ると言うのだ。

それは潮流に乗って集まった幾千もの流氷が、ぶつかりあい結合する現象なのである。

今年はすでに時期を過ぎてはいたが、気温の低さと氷の多さは例年の比ではないから、おそらく例年以上に広く厚い氷の道が出来ているはずだとマルコは言うのだった。

 「ただし、帰ってこれるかどうかは保障できないよ。今までも大陸に渡った人の話はよく聞くけど、無事に帰ってこれたって話はあまり聞かないからね」

 それでも、シレーネは行かなければならないのだ。

 【北へ】

 翌朝、太陽が東の空に顔を出す頃シレーネ、アモール、マルコの三人は半島の先端部に立っていた。

 その目前には、遙か遠方黒々とした大陸にまで至る白い道が横たわっていた。

 「お兄さんたちが何を探してるのか知らないけど、遺跡へ行くつもりなら無駄足になるかも知れないよ」

 ただひたすらに真っ直ぐ伸びる氷の道を、先に立って歩きながら顔だけを後ろに向けてマルコが言う。

 シレーネとアモールはマルコの言葉の意味をにわかに理解し切れず、少年の顔を見つめ返した。が、その刹那異口同音に叫び声を上げていた。

 「遺跡がある!?」

「うん。母さんがね、見たんだってさ。母さんの一行も、今の僕らみたいに氷った海を渡って大陸に足を踏み入れた。そこで見つけたんだ。石造りの街をね。ただ、厚い氷に囲まれてて中にはいることは出来なかったらしいよ。母さんたちは氷を掘る道具を持っていかなかったからね」

 「……その遺跡の場所ってのはハッキリ判ってるの?」

 興奮し、かすれた声でシレーネが尋ねる。

 「判ってるから、僕が案内してるんだよ」

 何をいまさら、といいたげな表情でマルコが応じる。考えてみれば、この旅に出るとき、つまりは今朝のことだが、マルコが用意した装備の中にツルハシとスコップを発見したとき、その意味を考えてみるべきだったのだ。

その二つは冒険というより探検に用いられるものなのだから。


 遮るものとてない氷の道を、冷えきり乾き切った風が吹きつけるようにして吹きすぎる。

空気中の水分は、そのほとんどが氷の欠片となっていて、時折風に混じって、凍える顔に叩き付けられてくる。

そして、風の谷間には潮の花が舞い飛び、いつしか三人の服といわず顔といわず、全身が塩と霜にまみれて白くなっていた。

 三人は、あれ以降一切言葉を発していない。

こういった状況で歩きながら話すというのは、著しく体力を消耗するからだ。この先なにがあるか判らないのだから、体力は出来るだけ温存しておくべきなのである。

 大陸の海岸線が見え始めたとき、その判断が正しかったことが立証された。

 視界一杯に広がる氷の道を、アモールがゆっくりと見渡している。

 …なにかがおかしい、そんな漠然とした違和感を感じていたのだ。

 「……!」

 突然、背筋に冷たいものが疾る。

 「これは…」

 殺気だった。彼らに向けられた明確な殺気。

 「だが、どこから…まさか!!」

 瞬間的に出た、その問いに対する答えをアモールは自らの声で否定した。しかし、彼の五感を越えた感覚、狩りをしながらの旅で培われた第六感は、それが事実であると告げている。殺気は彼らの足の下、氷の中から発せられている、と。

 「マルコ、この辺りで人を襲うような生き物に心当たり、あるか?」

 「…そうだなぁ、雪影と氷走り、それと氷女グモぐらいかな」

 アモールの記憶にも、その三種以外に人を襲う生物はなかった。だが……。

 「その程度の奴が、これほどの殺気を放つとは思えねぇな。シレーネ、マルコ。気をつけろ! 来るぞ!!」

 アモールが二人に警告の叫びを発した。

その刹那眼前の氷の道から、水から出るような身軽さで、なにかが飛び出してくる。それは、今まで見たことの無いような異形の生き物…怪物だった。

 足はなく、ウロコに覆われた二メートル近い巨躯の下半身は、まるで蛇のようで、剥き出しになった脳髄のような頭部からは、眼球が一つギョロリと飛び出している。

体躯とはアンバランスなほど長く細い腕を持ち、その先にある節くれだった指の先には生半可な小剣の刃より長く鋭い鈎爪がついている。

どう考えても、この世の生き物とは思えない。

 その怪物の鈎爪がアモールへと伸びる。

 それをアモールは反射的に後方に飛びのいて躱し、その動きの反動を利用して、目の前で空を切った怪物の右腕に斬りかかっていった。

怪物は最初の一撃を躱されるとは予想していなかったらしく全力で攻撃してきたのだが、それが空振りに終わったために身体のバランスを崩していた。

アモールはその隙を逃さず、遮二無二斬りつけていった。

 幾度となくアモールの斬撃を受けた怪物は、よろめきながらジリジリと後退していく。

もはや反撃するだけの力も残ってはいないようだ。が、終わったわけではなかった、怪物は残された力の全てを振り絞って跳躍する。

アモールにではなく、マルコに向かって…。

 不意を突かれ、アモールの行動がワンテンポ遅れる。

怪物の身体を捉えるはずだった切っ先が虚しく空を切る。

 「わっ!」

 「マルコっ!!」

 アモールとシレーネの脳裏に悲惨な光景が過る。振り下ろされる鈎爪、飛び散る血飛沫、そして辺りを血で濡らしながら倒れ伏す小さなマルコの身体。

 しかし、その光景は空想の中に留まった。

マルコは襲いかかる鈎爪を間一髪で躱していた。

鈎爪の一撃を躱された怪物は、シレーネのいる後方をチラリと見たあと、氷中に潜り込み消えた。

 「マルコ、無事か?」

 怪物の姿が消え殺気と気配が消えるのを確認したアモールは、倒れているマルコのもとに駆け寄った。

立ち上ろうとしているのに手を貸してやりながら、そう尋ねている。

 「うん、かすっただけだよ」

そう答えるマルコの姿を見たとき、アモールは驚きのあまり貸していた手を、危うく放してしまいそうになった。

 「マ、マルコ。おまえ……!」

 「えっ! あぁっ!!」

 鈎爪に裂かれた服の間から、わずかに覗いていたのは、まだ膨らみ始めたばかりの小さな胸だった。ということは……

 「お、おまえ、女だったのか?」

 マルコは答えなかった。うつむいたまま目を合わせようともしない。

 怒り、戸惑い、哀しみ、そう言ったさまざまな感情がせめぎあって、何を言っていいか判らないのだろう。

 「…そうだよ。男の振りしてたこと、怒ってるんだろ。でも、どうしてもみたかったんだ。母さんの見た遺跡を…街の人みんな信じてくれなかったけど、僕、…あたいは信じてるんだ。だから確かめたかったんだよ。自分の目で…」

 ややあって、ポツリと言ったマルコは、ひどく大人びてみえた。母親を早く亡くし、父親は一年の間に数えるほどしか帰ってこない。広い街の中で、ただ一人、生きていくのは並大抵の苦労ではなかったに違いない。

 「…男であろうが女であろうが、マルコはマルコだ。気にしないって言ったら嘘になるが…気にしたところで、おまえが男になるわけじゃないだろ?」

 アモールはそう言って、マルコに外套をかけてやった。

ふと見ると戦いのあいだ、足手まといにならないように後方に下がっていたシレーネが、こっちのほうを見ている。その微笑みが、一部始終を聞いていたことを物語っていた。

 「…さて、おまえが着替え終わったら出発だ。こんなところでグズグズしているわけには行かないからな。さっきの怪物が仲間を連れて戻らねぇとも限らねぇし」

 「うん!」

 マルコは着替えのために、荷物と共に氷山の陰に姿を消した。その後ろ姿を眺めるアモールに、シレーネが近づく。

「いいこと言うじゃない…でも、あたしは八方美人の男って嫌いだわ」 と、シレーネはクスクスと笑った。しかし、その顔はすぐに真剣なものになる。

 「あの怪物に心当たりある?」

 「…残念ながら、俺の知り合いにはいないタイプの奴だったな」

 冗談めかしていったあとアモールは笑おうと表情を動かしたが、その動きはシレーネの視線に居すくめられて止まる。

実際、笑おうとしたアモール自身も唇の端をめくるのが精一杯という感じで、少なくとも目は笑っていなかった。

 「あんなもん、見たことはおろか聞いたこともないよ。とてもじゃないが自然に生まれた生き物とは思えないな、考えたくはないが、あの化物を造った奴がいるのかも…人間技じゃねぇけどさ」

 怪物を造る。

言うのは簡単だ、かつて神々と親交のあった時代には現実に行なった魔術師も居たと言われている。

ということはつまり、神と同格か、それ以上の《力》を持った何者かが存在する。と言うことになる。

その何者かは恐らく、否、確実に敵として彼らの行く手に立ち塞がるに違いないのだ。

 その考えるだに恐ろしい推論を前に、アモールとシレーネは沈黙してしまう。

何を言っても悲観的になることが判っているからだ。

 そこへ着替えの終わったマルコが、戻ってきた。

 「…行きましょう。ここであれこれ考えたってどうにもならないわ」

 シレーネの言葉で、三人は再び氷原の旅に戻った。その後は何の障害もなく進むことが出来たのだが、三人ともそれが何故なのか肌で感じていた。

 北へ進むに連れ、我知らず肌が鳥肌を立てる。それは冷気と言うよりも霊気に近い何かに、身体が、生物としての本能が反射的に出した拒否反応であろうと思われた。

 生き物が長居できるような場所ではない。

意志有る人間だけが足を踏み入れるのだ。

 どっちを向いても灰色の世界が広がっている。

 三人はすでに氷の道を踏破して北の大地ブリオニア大陸に足を踏み入れていた。

 冒険者の一人だったと言う母が、その息子、実は娘であるマルコに伝えた話によると《遺跡》は三十数個を数える《白き竜》の中でも特に大きな七つに囲まれた平原に存在すると言う。

 だが……。

 「どうやって行けばいいの?」

 シレーネら一行の目前には確かに《白き竜》が荒れ狂っており、七つの巨大な竜も容易に確認することができる。その中央にはマルコの話し通りに平原があった。

 海抜五百メートル近い山の頂上に、である。

恐らくは元々平野の広がっていた大地が、《遺跡》のみを残す形で、削り去られた結果なのだろう。そのことはまた、別の結論をも導き出す《遺跡》は何かの強大な力によって護られている、ということだ。

 「ま、素直に入れてもらえるとは思っちゃいなかったがね。これは…マルコ、おまえのかぁちゃんはどうやって、あそこに行ったんだ?」

 アモールが尋ねる。マルコはただ首を横に振るだけだ。

マルコの母も、まさか自分の娘が大陸に渡るとは思わなかっただろうし、自分がそんな早くに命を落とすことになろうとは考えず、詳しい話はせずじまいだったらしい。

「ただ、この話をするとき、母さんが必ず口にする言葉があったよ。『目に見えるだけが真実とは限らない、目に見えないところにも真実はある』ってね」

 アモールの問いに答えようと、必死になって幼い頃の記憶を蘇らせてマルコが言ったのは、こういった伝説や冒険には付き物の謎かけのような言葉だった。

 「俺、昔から謎解きとかは苦手なんだよなぁ。シレーネ、君は判るかい?」

 「……」

 シレーネは無言だった。アモールの問いを無視したわけではない、自分の考えに夢中で、耳に入らなかっただけだ。

 「……もしかしたら目に見えるものを意識しすぎて、別の大切な何かを見逃してるのかも…もう少し近くまで寄ってみましょう」

 彼らはすでにギリギリのところまで近づいてはいた。これ以上進めば、平原の周囲を巡る《白き竜》の影響下に入ってしまう。

 それでも、シレーネは歩き始めていた。危険であることは覚悟の上の旅である。こんなところで立ち止まるつもりは毛頭無かった。

 それは他の二人にしても同様である。

あわてて先を行くシレーネを追いかけた。

 《白き竜》とは、早い話氷雪を巻き込んで吹き荒れる竜巻のこと。ただし、その巨大さと、まるで意志をもつかのような動き、そしてなにより人類の有史上途絶えたことの無い異様さから人々はそれを《白き竜》と呼ぶのであった。

 近づくにつれ、山の様子がはっきりと見えてくる。

その山は、頂上を地上と平行に切れ取られた、ほぼ正確な円錐形で何者かの意志を感じずにはいられなかった。

自然の造形美とはかけ離れた存在である。

 三人はとてつもない強風の中、地を這うようにして竜巻と竜巻の間を抜け、山の表面に手で触れられるくらいに近づいた。その表面は意外なほど滑らかで、上ることの困難さを伺い知ることが出来た。

 アモールとシレーネは思わず頂上を見上げて途方に暮れてしまっている。

 登っていけるような突起は皆無であったし、ピッケルなどを打ち込もうにも凍りつき、凝固した土は打ち込まれるそれらを頑なに拒絶し、人の登頂を許そうとはしなかった。

 「ね、ねぇ。これって血じゃない?」

 頂上ばかりを見つめていて、疲れてしまったマルコが疲れをほぐそうと首を下に向け、足元にへばり付いている赤黒いシミを指さして、アモールに問うた。

 「…あぁ、確かに血だ。だが、何でこんなところに?」

 血は、点々と山の外周に沿って左回りにつづいていた。三人は嫌も応もなく、その後を追って進んでいく。

 三十分ほど歩いたところで、血痕は途切れたが、変わりに地下へと続く穴が見つかった。

恐らく、この血を流したものは穴の中に入ったのに違いない。

自分の意志かどうかは別にして…。

 穴は、人間の大人が腹這いになって入るのがやっとの広さしかなく、一度入れば身動きが取れなくなるのは疑いない。

底のある単なる穴と言うだけなら、ロープもあることだし地上に戻るのは訳ないが万が一先刻のような怪物が現れれば生きては帰れないだろう。  

「俺が行こう!」

 「だめよ、アモールが先にやられちゃったら、そのあと誰が戦うの? あたしが行く」

 アモールを制し、意を決していったシレーネであったが、恐怖に震える足元は隠しようが無い。

 「無理しないで、あたいが行くよ。あたいなら身体も小さいし小回りが利く、それに何かあったら、ロープを足に巻き付けていくから、二人で力一杯引いてくれればいいよ。ねっ!!」

 そう言うマルコの声は、呆れるほど明るく響き、なにも心配はいらない、そんな気にさせてくれる。

 アモールとシレーネは、何か言いたげに口を半ば開きかけたが、その声の前ではいかなる否定の言葉も、意味を無くすことを二人は理性よりも感性で知っていた。

 「…判った。だが、何かあったらすぐに叫ぶんだぞ。いいな」

 「うんっ」

 穴は、ほぼ垂直に下へ向かって降りている。

やむなく、マルコは右足をロープで縛り、頭を下に向けて滑り降りることになった。

 スルスルと穴に吸い込まれていくロープを見詰め、最悪の事態が起きないよう祈るアモールとシレーネであったが、無限とも取れる不安な時間は何事も起きぬうちに二十分少々で終わった。

 ロープの動きは完全に止まり、下からくぐもったマルコの声が伝わってくる。

ハッキリとは聞き取れなかったが、少なくとも危機を報らせる叫び声ではなく、安全を確かめることが出来た。

 と、なれば躊躇することはない。

二人も降り始める。

背後から襲われる可能性を考慮に入れシレーネが先に、アモールはロープの先を穴の入り口付近に打ち込んだ数本のピッケルにしっかりと結びつけ、穴の中でズレたりねじれたりしないよう数カ所を固定しながら、ゆっくりと降りていった。

最悪、逃げ出さねばならない状況に迫られたとき、ここは唯一の逃走経路と言うことになる。確保しておくための整備に念をいれるのは当然であろう。

 穴を降り切ったとき、アモールの目に最初に写ったのは血の気が引いて青ざめた顔のシレーネとマルコだった。

そして、二人に近づくにつれ、彼女らが目にしている光景がアモールにも見えてきた。二人に追いついたときには彼もまた顔面蒼白になり、その場で立ち尽くしてしまった。

 そこはドーム状の氷の広場だった。

彼らの目前には上に向かって螺旋状に削り取られて造られたらしい坂があったが、彼らの怯えの原因はそんなもののためではなかった。

螺旋状の坂、その坂に沿って氷の壁に埋め込まれたものこそが、彼らの心から勇気を奪い去り、歩を止めた真の理由だった。

 「人間…か?」

 気力を奮い起こし、アモールが呟く。それは事実を認めることを拒絶し続ける自分自身に事実を認めさせるためのものだった。

 ドーム状の広間、その空間全てを埋め尽くすようにして並べられているのは、紛れもない人間の氷づけであった。

 「お墓…なの?」

 気丈にも疑問を口にするシレーネだが、アモールは答えない。

シレーネもまた答えなど期待してはいない。

何か話していないと、自分までが氷に閉じ込められそうな、そんな気がしたのだ。第一、ここが墓などでないことは明らかであった。

 そこに並んでいるのは皆、鎧を付け剣を持った剣士やローブをまとい杖を手にした魔術師、各教団の神官、吟遊詩人など、冒険者ばかりだったのである。

しかも、一様に額と胸に穴を穿たれていた。疑い無く、彼らは何者かによって計画的に殺され、意図的に並べられているのに違いない。

 「女はいないんだね」

 意外に冷静だったのはマルコである。

幼い頃からブリオニア大陸へと渡る幾多の冒険者を見送り、渡れば帰ってくることができないと肌で感じてきたのだ。

この旅に対する覚悟は三人の中で一番できていたのかもしれない。

 「こんなところに突っ立ってたんじゃ、本当にあたいらまで氷づけになっちゃうよ。先に進もう」

 ここでも沈み込む一行の心に活力を与えたのはマルコの明るい、場違いなほどに明るい声であった。アモールとシレーネは、光に吸い寄せられる虫のように、マルコの声に引きづられて行った。

 それがなければ、マルコの言葉どうりに心だけでなく身体までも凍りついていたに違いない。

圧迫感あふれる壁を右に見て、長々と続く坂を上り切ったとき、彼らの目に飛び込んできたのは、床一面に散らばった剣や杖、戦斧などの残骸であった。

 どれもこれも折れたなどという生易しい壊れかたではなく、砕けたと形容したくなるような有り様である。

 「なんなの? これ」

 足元一杯に広がる武器のスクラップにつまずかないよう注意して歩きながらシレーネが問う。

 だが、その問いの答えはすぐに見つかった。

 彼らの行く手を遮るものがあったのである。

 それは、厚さ三メートルにも及ぶ氷の壁であった。半透明である壁、その向こうにはボンヤリとではあるが間違いなく、石造りの街が見えている。

 「これが、母さんの言っていた遺跡だ。やっぱり母さんは正しかったんだ」

 喜色満面の態で叫ぶマルコ。

その視線の先に、街の端から端を繋ぐ壁の中心が有り、その比較的薄い壁面、と言っても有に二メートル強はあったが、その部分が約一メートルほど削り取られていた。

あの、山のような武器のスクラップは、ここに到達した冒険者たちが、壁の向こうへ行こうとして果たせなかった失望の証だったのである。

 「…さてと、じゃ事前情報の恩恵にあずかるとしょうか。マルコ、ツルハシ」


 四十分後、そこには人一人が出入りするには充分すぎるほどの穴が開いていた。厚さ一メートルの壁といえども所詮は氷、剣や斧ならともかく固い岩盤を掘り返すために造られたツルハシの敵ではなかった。

 壁の内側は大方の予想に反して清浄な空気に満たされていた。

伝説のとおりなら、ここは数千年ものあいだ閉ざされていたはずなのだが、まったく淀んでいない。

 だが、廃虚であることは確かで、建物は全て程度の差はあるが壊れ、倒れ、まともな姿をとどめているのは、彼らが入って来た反対側の壁に寄り添うように立つ塔だけであった。

 「迷うまでもないな。サクサク行こう」

 三人は、一路その塔を目指す。

 死の大陸ブリオニアに存在する前人未踏の街、ということがなければ単なるガレキにしか見えない街を横切り、塔の前に立つ。

塔自体は石造りのしっかりしたものであったが扉は木造だったらしく腐敗し、すでに原形を留めてはいなかった。

 「マルコ、シレーネでもいいが、何か布切れでも持ってないか? このまま歩くと息がつまりそうだ」

 塔内部に足を踏み入れたアモールが顔だけ振り返り、訊く。その足元には数センチにもなる埃が積もっていた。

 「包帯とかならたくさんあるけど……口を押さえるようなものは持ってないよ」

 寒さ対策には万全の装備を用意したマルコだが、埃に対する用意など必要とも思はなかったのだろう、哀しそうに頭を振る。

 「あたしハンカチなら二枚持ってるわ。かなり大きめだからマスクにもなるはずよ」

 そう言ってシレーネは一枚をアモールに手渡し、もう一枚で自身の鼻と口を被い両端を首の後ろで結ぶ。マルコは初めから付けていたマフラーで代用している。

 それぞれの準備が整うと、三人は同時に塔内に進入した。

途端に舞い散るホコリ、三人はホコリが目などに入らぬよう祈りながら、ほぼ真っ直ぐに突き抜ける。

中は率直に言ってガラリと広い広間になっていた。

 奥に上に通じる階段があった。

 どうやら他には行けそうもない。

三人は、その崩れかけた階段をゆっくりと昇っていった。氷原の寒気も、氷と岩に囲まれたこの廃虚までは伝わってはこないらしいし。

 塔の中は、さすがに空気も澱んでいて微かに湿り気を帯び、カビ臭い。

その空気の中に微かな異臭が混じる。

間違いなく、ここには何かがいる。

数千年ものあいだ閉ざされていた空間で生物が生きていけるはずはないのだが、事実は事実である。

厳密には生き物とは呼べないものなのかも知れないが、しかし何かがいるのは確かなようだ。

 階段を昇り切った先は、一つの部屋だった。

光源がなんなのかは不明だが、部屋全体がうっすらと光っており、部屋の中のものを照らし出している。

光に照らし出されたのは氷原で戦った怪物だったどうやってかは知りようもないが、この怪物は氷に閉ざされた空間にも自由に出入りできるらしい。

 「あ! あれっ」

 二度と再び見たくも思い出したしたくもなかった怪物。その背後で動く影に気付きマルコが声を上げる。

 怪物の影になっていて、ハッキリとは見えないながら、それが若い女性であることだけは、そのなよやかな体つきと、時折聞こえる苦悶の声で判った。

 「…傷を負っているようだな。俺とシレーネで奴の注意を引くから、マルコ、おまえはあの人の手当をしてやってくれ。シレーネも、いいな?」

 「うん」

 「えぇ、当然よね」

 二人の答えを受けて、アモールは剣を抜き、ジリジリと間合いをつめていく。

 「雑魚に長々と構ってるヒマはない、一気にやる。シレーネは右から回り込んでくれ」

 「判ったわ」

 シレーネが猫のような俊敏さで右に移動するのを目で追った後、マルコに目配せをし、アモールは怪物に正面から斬りかかった。

 その攻撃を避けようと、怪物はアモールから見て右側に身をひねった。もちろん、それはアモールの読み通りの動きだった。

怪物の動きによって生じた左側の空間をマルコがリスのように駆け抜けていく。

 「さて、んじゃ、ケリをつけようぜ。怪物ちゃん」

 一度戦い、勝っている相手である。しかも、今回はシレーネが怪物の動きを牽制してくれている。

怪物はまともな反撃もできないまま幾度となく斬りつけられ、深手を負い、倒れる寸前になっていた。

 「これで、終わりだっ!」

 勝った。そう思った途端、アモールの気が緩んだ。その機に乗じ、怪物は生に対する強い執念を力に変え、最後の悪あがきに出た。

 狂ったように暴れ回る怪物の鈎爪を回避しょうとして、シレーネは咄嗟に近くにあった腐れかけの扉を蹴破って隣の部屋へと移った。

その後を、手負いの怪物が追いすがろうとする。

 「行かせるかっ!!」

 アモールはシレーネの後を追おうとする怪物めがけ、左手に持ったままだったツルハシを投げつけた。ツルハシはクルクルと回転しながら飛び、怪物の背中に突き刺さる。

突然の痛みと重みで、シレーネに飛びかかろうとしていた怪物はバランスを崩し、扉の横の壁に激突した。

 すさまじい激突音とともに骨の砕ける音が室内に響く。

ずるずると崩れ落ちる怪物に、止めを刺そうとアモールが近づこうとしたとき、扉の上の天井が抜け落ちてきた。

なにしろ古い建物である天井もかなり脆くなっていたらしい。

瓦礫の雪崩がおさまったとき、右の部屋に通じる入り口は完全に埋まっていた。

アモールは慌てて、瓦礫の向こう側に大声で怒鳴っていた。

 「シレーネ、無事か? 生きてるんなら返事しろ!!」

 「…大丈夫。ケガはしてないわ。…身体中ホコリだらけになっちゃったけど…」

 ややあって、微かな返事が返ってくる。

この様子なら、心配することもなさそうだ。

アモールはひとまず胸をなで下ろす。だが、ここの壁はかなり厚そうだ。瓦礫の量もかなりのもので取り除くのは不可能に近い。

 「多分、どこからか廻り込めるはずだ。俺が行くまでうろちょろするなよ」

 「期待しないで待ってるわ」

 強がるシレーネの声が返ってくる。無理に明るく振舞っているのが見え見えだ。

 「ま、当面はこっちのほうが重要ではあるがな」

 瓦礫に潰されぬよう、部屋の反対側にまで退いていたマルコと謎の女性に目を向け、アモールが一人言ちる。この女性が何者なのか、それがハッキリしないことには、次の行動に移るわけにはいかない。

 彼女は、ほとんど全身を血で真赤に染めていたが、それは彼女自身の血ではなかった。

身体中スリ傷とキリ傷でボロボロではあったが、どれも直接命にかかわるものではない。ただ怪物に襲われた精神的なシヨックと、怪物に引きずられた肉体的疲労によって意識が朦朧としていたにすぎない。

もちろん、それは当事者ならぬ第三者としてみればと言うことで、彼女の受けた精神的な外傷がどれほどのものであるか、それは伺い知ることはできない。

アモールにできることは、彼女が自分の力で精神の再建を果たすまで見守ってあげることだけである。

 「…申し訳ありません。お手数をおかけしてしまって…」

放心状態が解け、正常な意識を取り戻したのか、自分を見詰める二対の目に気付き、彼女が頭をさげる。

 年令は二十代の後半だろうか、物静かで落ち着いた雰囲気の女性だ。化粧っ気はまったくない、しかしそれを必要としない整った顔立ちに、抜けるような白い肌。そして心持ちウェーブのかかった腰まで届く長く細い、絹糸のようなしなやかな栗毛。

言葉にすれば、まるで人形を思わせる容姿だが、こうして会って感じるのは冷たい印象ではなく、穏やかで優しい…言うなれば清楚可憐を絵に書いたような女性だ。

 「私はサラサ。サラサ・サクラン・メルクマール。水と大気を司る女神シャイナ・シュテラールを祭るシリア教団の神官です。教団にくだされた信託により、この地に派遣されたのですが…途中で怪物に襲われ、私以外は殺されてしまいました」

 なるほど。あの怪物に氷原で襲われていたとき、怪物が突然姿を消したのは、ダメージが大きかっただけでなく、この女の一行を新たな獲物として察知したせいだったのか。と、怪物の動きの不自然さを気にかけていたアモールは気が付いた。が、口にも顔にも出しはしなかった。

言ったところでどうなるというものではないし、これ以上、彼女サラサの心と頭を混乱させることもあるまいと考えたからである。

 「それで、これからどうなさるのですか? 先に進むのですか?」

 相手が聖職者であると知り、また彼女の丁寧な言葉につられて、言葉づかいを改め、問うアモール。その問いにサラサは黙ってうなづいた。

 「…この地に発生する災厄を未然に防ぐこと、それが私の役目。たとえ、そのために生を終えることになろうとも、行かねばなりません」

 なみなみならぬ決意を感じさせる言葉ではあったが、勝算が立たないことをサラサ自身よく判っているようだ。

 こんな美人を簡単に死なせたのではもったいない。心密かに思ったアモールだったが、その後自分の口から出た言葉は彼自身予想だにしていなかった。

 「あんたじゃ犬死にするだけだ。おとなしく、ここでマルコと待ってな。この先には俺一人で行く」

 言ってしまってから、何故そんなことを言ったのか、自分の心情を理解できず、自分の正気を疑ったアモールだったが、不思議と取り消す気にもなれなかった。

きっと理屈ではないのだろう。

シレーネに付き合って、ここまで来たのと同じように、サラサを行かせてはいけない、そう思ったのだ。

 「で、ですが…」

 慌てて引き止めようとするサラサ。

 それを振り切るように、アモールは語を続ける。

 「あんな使い走りの怪物にも遅れをとるようなのとじゃ動きが鈍るんでね。あんたにはマルコのお守でもしててもらうよ。神官だって言うくらいだ、動かずジッとしている分には結界張って怪物を追い払うぐらいのことは出来るんだろ?」

 足手まとい、と言わんばかりの突き放した口調でアモールが言う。

 むろん、それはマルコとサラサの身を、案じるがゆえに出た言葉である。そのことはサラサにも痛いほど判った。だから、彼女にはもう黙って引き下がるほか、道がなかった。

 「…判りました。私はここに留まり、あなたの成功を祈ることにしましょう。私にはそれぐらいしか出来そうもありませんから。それと、これを持っていってください。攻撃術が弱い私のために仲間が持たせてくれた教団秘蔵のアイテムです。私は使いこなせませんでしたが、あなたのように実践経験を積んだ方なら、うまく使うことができるでしょう」

 そういって、サラサが懐から取り出した皮袋には、不思議な色の光を発する石が数十個入っていた。

 「これは魔晶石と言って、ある種の魔法力を凝縮し、結晶化したものです。何の魔法なのかは、石の色で判るようになっています。 

青=石を持つ角度をかえることで任意の場所に氷柱を打ち出すことができる。敵に対する攻撃だけでなく、崩れ落ちる天井を支えたり、抜けた床の上に橋を架けることも可能。

 黄=大気の流れを変え、空間の磁束密度を急速に変化させプラズマを発生させる。一度に数条の電流を放電することにより複数の敵にダメージを与えることができる。

 白=黄同様、大気の流れを変えることで気圧を調整し、竜巻を発生させる。石に込められた魔法力が失われるまでの数分間、自由に動かすことができる。

 緑=生物の体液の流れを調節することで新陳代謝を早め、傷の治癒能力を高めたり、疲労を回復する。毒などの中和にも効力を発揮する。

 「緑の石が二十個。他は五つづつしかありませんし、一度使うとなくなってしまいますから使うときはよく考えて効率良く使ってくださいね」

 「へェ~、そいつは便利だな。有り難く貰っておくよ。…そうだ。マルコ、ちょっと」

 皮袋を懐にしまいこんだアモールが、思い出したようにマルコを呼ぶ。

 「なに?」

本当ならアモールと共に行きたい、行くと駄々をこねたいところだろうに、それが不可能であることをマルコは知っていた。

彼女の心の中では今、子供の我儘と大人の理解がせめぎあっているに違いなく、その勝者が後者であることは明らかだった。

小走りに駆けてきたときの表情が静かに物語っていたから…。

 「いいか。マルコ、よく聞けよ」

 マルコの耳に口を付けるくらいに近づき、アモールは小声で話し始めた。

 「これは実に重要なことなんだ。もし、夜明けが来ても何も起きなかったときは縄を付けてでもいい、サラサをつれて街へ戻れ。そして援軍をつれてこい。あの女を無事に街につれていけるのも、援軍を案内できるのも、おまえだけだ。判るな?」

 夜が明けても何も起こらないとき、つまりアモールが失敗したとき、ということである。マルコにも、その裏の意味は呑み込めている。だが、彼女は何も言わず、泪で潤む瞳でアモールを見詰め、やがてコクリと頷いた。

 「あっ! 今気付いたんだけど、おまえ本当は女なんだからマルコって名前は変だよな。本名はなんて言うんだ?」

 おどけた調子でアモールが尋ねる。だが、その目はあくまで真剣だった。

 「マリーナ。マリーナ、リスニィ・・・よ」

 言い終えた途端、マルコ、ではなくマリーナはクルリと身を翻し、サラサのところまで走っていってしまった。出会ってから始めて、女言葉を使ったことによる照れがあったのだろう。

サラサと並んだ彼女の手が、二度、三度振られたのを確認して、アモールは二人に背を向けた。歩く先には、数千年を経て、なお息づく謎と神秘があるはずであった。




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