拝啓、我が息子よ (三たび父より)
拝啓、我が息子よ
これを三寒四温と言うのだろうか、無駄に年輪だけを重ねてきたせいか、父にはよくはわからぬ。ただ、気温の変化について行けないのは、まさしくその年輪のおかげだ。皮肉なものだ。
どうも昨日から熱っぽいようだ。人に注意しておきながら、何たる不甲斐なさだと、つい思ってしまう。
今朝、郵便受けを覗いて、年甲斐もなく小躍りしてしまった。よくぞ忙しい中、返事をよこしてくれた。まずは、礼だけは言っておく。ああ、パソコンでこしらえた文字だろうと一切気にはしていないから、この点は安心してよい。
早速中身を読んだが、どれもが稀有な内容の話で、唯々驚くばかりだ。おまえの書いているとおり、そのどれもがキナ臭くはあるが、仮にこれが事実だとすれば、誠にお気の毒と言うほかなかろう。
昨今はパソコンなる便利な辞典がある故、この父でも、様々な事柄を今更ながら知り得る機会がある。誠に有難い事だ。人差し指一本だけの心もとない操作ではあるが、時間の余裕があるので、何ら支障は感じない。加えてこの歳になると、狭いながらも相応の人脈もある。それらを駆使して、おまえの同期三名の不可思議な話を、勝手ながら吟味してみた。親馬鹿と、笑えば笑え。
まずは山村なる青年の話だが、父も、かつて関西にて数年生活した経験がある故、これは理解できた。
東京では、エスカレーターを利用する際、急ぐ人らの為に右側を空けるのが一般的だが、こと関西に限っては、逆に左側を空けるのが常識となっているのだ。理由については、あれこれ言われてはいる。が、どれも決定的なものではないようだ。よって、先を急ぐ気の荒い大阪のオバチャンがぶつかってきたとしても、何ら不思議ではないと思う。だから事実だ、と言っておるのではなく、あながち嘘ではないかもしれん、と言っておるのだ。誤解せぬよう。
次の川田氏についてだが、これは近くにある消防署の懇意にしている署長に確認してみた。おまえも知っている、あの海原さんだ。いかにも、古き時代の探偵小説にでも出てきそうな話だが、驚くなかれ、我が国においても実例があるらしい。彼が言うには、老眼鏡やら水槽やらのレンズ状のものが発火源になりやすいようで、太陽の高度が低く、部屋の中まで光が届く冬場が特に危ないらしい。よって、先の話同様、これまた嘘とは言い切れないのだ。人間、普通はそこまで考えて生活なんぞはしない。仮に事実であれば、やはりお気の毒な話ではある。
最後の、谷中なる男の話に入る。これもまた耳にした事がないような内容だが、パソコンで調べた限りは、まんざら嘘でもないようだ。
かれこれ三十年ほど前に出来た制度によると、警察に持ち込んだ偽札と同額程度の謝礼金が支払われるとなっておるようだ。だが、この謝礼金なるやつが味噌で、すでに解決した事件に関わる偽札に対しては、どうやらそれは支払われないらしいのだ。
この谷中氏の話が事実だとすれば、彼が提出した偽札とは、解決済みの事件に関わったものだ、となる訳だ。
以上により、これら三つの話の信憑性については定かではないが、嘘とも断定できないのだ。今思うに、言い訳に使うのであれば、このような、いかにも嘘っぽいものなんぞは、普通は口にしないのではなかろうか。世の中には、もっと嘘っぽい嘘も五万とある筈だ。
しかしながら、最も嘘をついている可能性が高い人物がいるのも事実だ。これをしたためている最中に、遅ればせながらも、ようやくこの事に気づいた。
ちなみに、今更言うには及ばんが、おまえの勤めている会社は個人経営なんぞではなく、他人様の金によって成り立っている会社だ。業績が悪く、ここまで株価が下がれば、株主らに何を言われるやわからん。決算前のこの大事な月、特に営業部門は、おまえも書いているとおり一円でも多く拾うよう発破をかけられている筈だ。それを、一月半も先の打ち上げ会なんぞに、意を注ぐだろうか? 打ち上がるかどうかもわからん時期に、だ。ましてや、いくら一年目の社員とは言え、この重要な時期に、四名もの営業マンが定時に退社できるとも思えんのだ。とりわけ、会の幹事役の遂行などいう戯けた理由で、だ。
親馬鹿かも知れぬが、それなりに賢いおまえの事だ。この父の言わんとするところが、すでにわかっていると思う。それにしても、どこから探してきたなどとは聞く気も起こらぬが、なかなか興味惹かれる話だった事だけは認めよう。
またしても、長文になってしまった。これでは、熱も下がるまい。おまえもこうならぬ様、深酒なんぞせず、せいぜい健康には気を配る事だ。
では、これにて筆を置くとする。
敬具
平成二十一年二月十八日
父
追伸
一つだけ言うのを忘れておった。再来月の四月に母さん、おまえに自身の名前を託した幸子、の七回忌を執り行う予定だ。誠に、時の立つのは早いものだ。だが、心配は無用だ。今更、になるやも知れぬが、この父と身近な親類とでしっかりと供養をする故、多忙なおまえは戻る必要はない。ならびに六年後の十三回忌、いや、この父の目の黒いうちは、一切故郷に足を踏み入れる事はまかりならん。これを肝に銘じておくよう。