拝啓、父上様 (息子より)
拝啓、父上様
相変わらず寒い日が続いていますが、体調の方は如何なものでしょう? まあ手紙を読む限りは、お元気そうですが。
今回は、父さんにいろいろと心配をかけて、本当に申し訳ないと思っています。父さんが手紙に書いていたように、会社の業績がことのほか不振で、さらに来月が決算期という事もあり、しょっちゅう上司にケツを叩かれている始末です。やはり社会人とは学生時代とは違って、そう簡単にいくものではない、このように痛感している次第です。
父さんの言うように、最初の手紙が届いた時には、返事を書くぐらいの時間はありました。しかし、その時は精根尽き果てていたので、すでに机に向う気力もなく、早々にベッドに潜り込んでしまいました。本当にすみません。
わが社では、毎年三月末の決算終了時に恒例の打ち上げ会が開かれるのですが、実は上司から、この幹事役に任命されました。今回は、私がいる営業部門が会の担当らしいのです。現在営業部門には三十人ほどいますが、その中から幹事役には、私含めて四名が選ばれた次第です。もちろん、全員が社会人一年目の下っ端です。一年生には何かにつけお鉢が回ってくるので、父さんの言うとおり、もう嫌になるぐらい忙しいです。
それだけならまだしも、その後、他の三名がことごとくアクシデントに見舞われてしまいました。
その中の山村という男は社用で大阪に出張していたのですが、大阪駅構内でエスカレーターの下りに乗っている際に、突然後ろから体当たりされ、下まで転げ落ちたそうです。想像するだけで、何とも恐ろしくなる話ではありますが。そのぶつかってきた中年の女性とは、すでに示談が成立しているようですが、その際に負った打撲が全治二週間との事で、こちらに戻ってきた今でも、定時後は毎日近くの病院へと通院しているようです。本人曰く、時間に余裕があったので右側を空けていた、との事ですが、いつ何時不幸なんて訪れるのか、わかったものではありません。しかし、それにしても大阪という町は怖い所です。
次の川田という男は、近くにある実家が全焼したとの事で、その見舞いの為、やはり定時になるや否や、さっさと退社しています。何でも実家というのがマンションの五階らしいのですが、ベランダに面した部屋に置いてあったお父上の老眼鏡が原因とかで、近くにあった新聞紙から出火したらしいです。詳しくは知りませんが、それにしても、とても信じがたい話ではあります。そして、知らせを聞いた消防車が駆けつけた時には、すでに手が着けられない状況で、隣まで被害が及んでいたとも聞きました。その際にお父上は脚に火傷を追い、今も入院されているらしく、代わりに本人が、その後の弁償等に関して保険会社との話し合いをしている最中、との事です。
そして、谷中という男です。これまた風変わりな事件に巻き込まれたようで、日々、定時が来ると同時に、彼もまた会社を飛び出して行きます。その行き先は、噂によりますれば、どうやら警察のようです。何でも、どこで手に入れたかは本人も不明との事ですが、いつのまにか自分の財布の中に偽札が混じっていたらしいです。
うちは、父さんも知ってのとおり印刷関連会社でして、いくら一年目の社員とは言え、その真偽の見分けぐらいはつきます。彼は、その偽の一万円札三枚を持って銀行を訪れたらしく、そこで本人の予想どおり偽物だと断定され、警察に行くよう指示されたとの事です。
しかし警察では偽札は没収され、しかも、謝礼金の一つも出なかったようです。正直に届けたのにこれでは納得いかないという理由で、日々警察詣でをして、三万円だけでも返してくれるよう頼み込んでいる、と彼は言っています。実際に、それだけの損失ですから当然といえば当然の話です。確かに、不謹慎ですが、黙って使っておけばよかったという訳です。
以上の三名の様々な理由で、結局は私一人で幹事の仕事を行う羽目になり、毎日定時以降、こうやって場所探しにあちこち奔走している次第です。毎日、寝る為だけに帰宅しているようなものなのです。
思うにどれもキナ臭い話なのですが、嘘だと断定できるほどの知恵も経験も、生憎持ち合わせていません。嘘とわかり次第、上司に報告するつもりではありますが。
言い訳がましくなって、すみません。一応なりとも元気で生きていますので、どうかご心配されないように。
では、これにて失礼します。父さんも身体には十分注意してください。
なお都合がつき次第、母さんの墓参りの為にそちらへ戻るつもりです。何しろ、一字だけとはいえ、名前を譲り受けていますので。
敬具
二月十四日
幸平
追伸
パソコンによって打ち出された文字、どうぞお許しください。