拝啓、我が息子よ (再び父より)
拝啓、我が息子よ
思ったとおり、春とは暦の上だけの話だったようだ。これで本当に我が星が温暖化に向っているとは、父には俄かには信じられぬ。
さて、時の経つのは誠に早いもので、もう二月十一日になる。今か今かと首を伸ばしている間に、すでに一週間が経ってしまった訳だ。しかし、どうやら待ち人来たらず、とみた。
月並みな言葉で誠に恐縮だが、子供はいくつになろうと子供なのだ。おまえも、親になればわかる。まあ、そのころには、こちらは爺になってボケてるかも知れんが。
ここからが本題となる。几帳面なおまえの事だ、手紙には目を通していると思う。それでも返事をよこさないところをみると、相当に忙しいのか、はたまた軽んじているのか、このいずれかであろう。前者である事を切に願うところだ。何に忙しいかまでは、遠く離れたこの父にはよくはわからぬ。まあ、元々が真面目にできているおまえのことだから、女なんぞに現を抜かしているわけでもなかろう。
別に長文を欲している訳でもなんでもない。僅かの数行でも一向に構わないのだ。ここを誤解なきよう。要は返信する気があるか否か、たったこれだけの話だ。
但し、俗に言う、便りがないのは良い便りなぞ、もはや通用しない事を肝に銘じよ。残念ながら、父はそこまでは人間ができてはいない。これは、おまえもよく知っているはずだ。
くどいのは性分に合わないので、今回を持って最後としたい。いいな、今回だ。僅かでもこの父の事を思うのであれば、たったの数行でよい、とにかく返信せよ。
では、この辺りにしておく。身体だけには、引き続き注意する事だ。
敬具
平成二十一年二月十一日
父
先日同様、ベッドに腰掛けたまま、青年が新たな便箋に目を通している。時刻も、そう変わらない。唯一異なるのは、片手にあるのが缶ビールではなく煙草だという点だけだろうか。おそらく、もうすでに、十二分にアルコールが染みついているのだろう。
だが、ここからの行動は、前回と大きく違っていた。彼は、読んでいるうちに突然笑い出したのである。それも所謂、馬鹿笑いとまで言えるくらいに、だ。十数秒もただひたすら笑い続けた後、さすがに息苦しくなったのか、彼は一つだけ深い溜め息をつき、着替えもする事なく机へと向った。そして、その上に飾ってある母親の写真を一瞥し、ここにきてようやく傍らのパソコンを開いたのである。