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人はそれを兄妹と呼ばない


「使用人になったのは十四歳の頃で、それからずっと? 私が八歳の時から? 子ども好きだったの?」

「…………」

「どうして黙るの」


 パン屋から帰宅して夕食も終え、片づけも済ませてからいつものように他愛ない話をしていた。

 今日は妙に屋敷を抜け出した日のことを思い出し、クロムにもその時の話に付き合ってもらっている。


 ――私は結局あの日、一日屋敷から抜け出すどころか、一生帰らないつもりで屋敷から逃げ出した。

 私はそこまで深く考えられていなかったのだが、クロムはどうやら、自分の境遇に嫌気が差した私が、家出をするつもりなんだと勘違いしていたらしい(ある意味間違っていないが)。そこで出て行くなら自分も付いて行くと言い始め、何を言われているのだか混乱している私をよそに、一番近くの町までこちらの手を引いて歩いて行った。


 その日までクロムは私に声こそかけなかったが、とりあえず、見ていたらしい。なんでもクロムは孤児院から使用人として屋敷に引き取られたらしく、親がいながらもひとりで過ごす私に自分を重ねていたのだという。そこで周囲に人が寄りつきさえしないことが心配になり、気づけば私を見ていたらしい。いや、見守ってくれていたと言うべきだろうか。


 ともかくそんなことを道中で聞かされ、私は……驚きもしたが、嬉しかった。私のことなんて誰も気にしていないと思っていたのに、心配までしてくれている人がいたなんてと感動にも似た何かを覚えた。

 しかし、このままでは『彼』へ執着したように、この人にまで期待して執着して、いずれひどいことをしてしまう気がした。だから途中で手を振りほどこうとしたのだが、やっぱり解けなかった。どんな力だと、切れる息の中考えていたら、こんなことを言われた。


『せっかく声をかけられるようになったんですから、逃げられても俺はしつこく追いますよ』


 困ったような笑みとは裏腹な、どこか覚えのある強い感情の籠った言葉だった。その感情の正体はわからなかったが、これから逃れるのは無理だと悟った。

 だからとりあえず、彼に付いて行ってみることにした。迷惑をかけそうになれば、その時は自分の手を切り落としてでも逃げることにして、あとはおとなしくしていた。


 クロムの逃亡における手際は本当に良かった。

 これまで貯めていた賃金は町の銀行に預けていたらしく、夜中だというのになぜだかそこの主人に口を利いてもらい、全額(八年間分だとか)受け取っていた。必要なものは道中で手に入れればいいと今度は馬車に乗せられ、朝までそれに揺られた。いくつも町を転々として国も越え、何週間もかけて、彼が目的地としていたらしい町イセルに到着した。


 私はお金なんてほとんど持ってこなかったから、その間の旅費は全てクロムが支払ってくれた。何度もそれには謝ったが、彼はその度に私のために使えて嬉しいと満足げに笑った。むしろ、クロムはその道中ずっとにこにことしていた。私の一挙一動を見られることが楽しいと本人は言っていたが、そんなことを言われたのも初めてで返す言葉が見当たらなかった。心配とはそういうものなのだろうか。


「いや、そういう言い方されると、俺が昔からその辺り倒錯してたように聞こえるというか……」


 そう頭上から聞こえた言葉に、どういう意味かと内心首を傾げる。

 まさか『子ども好き』という言葉を恋愛対象のような意味合いで捉えられてしまったのだろうか。


「そういう意味じゃない。今みたいに妹のような感じで、気にしてくれていたのかなと」

「ああ、そういうことか」


 そう安堵の息が聞こえると同時に、腹部に絡められていたクロムの腕が少し緩んだ気がした。


 屋敷から逃げ出した際、ある町の宿で間柄を尋ねられてからは、兄妹ということで話を通している。あまり顔立ちは似ていないのだが、髪色だけはほとんど同じなのでなんとか乗り切ってきた。そもそも六つも離れた男女の組み合わせというのはそれだけで目立つようなのだ。逃避行の最中だというのに、なかなか不味い状況だった。

 とりあえずそういう設定になってからは、お互いに敬語をやめて名前にも敬称をつけなくなった。場合によっては私が『兄さん』と呼ぶこともある。


 実兄とは話をしたこともないので戸惑いもあったが、今ではなんとなく兄妹らしさというものを掴めてきたように思う。


「そうそう。今日、店主さんに『本当に仲が良いのね』って言ってもらえた。私たち、兄妹らしく見えてるのかな」

「うーん、そう見えて欲しいんだけどな。未だに仕事仲間から『本当は駆け落ちでもしてきたんだろ』なんて言われるから、微妙なところだ」

「本当は私を連れて逃げてくれただけなのにね」


 駆け落ちと言えば聞えはいいが、クロムは私を心配して付き合ってくれているだけなのだ。そんなものとは程遠い。

 『異端』である私と一緒にいなくなったとなれば、今クロムはあの屋敷、むしろ国でどう思われているのだろう。私なんかがいなくなったところで厄介払いができただけかもしれないが、『融解』の特性だけは心底危険視されているものだった。それを理由に追われている可能性は十分にある。 

 私は迷惑をかける前に手を切るつもりだったが、彼と逃げ出した時点でとうに迷惑だったのだ。そうなればもう、無人島でもどこへでも、彼と一緒に逃げ回るしかない。クロムが嫌だと言えば、話も変わるけれど……。


「……ごめんなさい」


 そう自分の足と重なるようにある彼の足元を見つめながら呟くと、背後からぎゅうと抱きしめられた。

 片づけを終えていつものようにお互いベッドに腰かけ、その時からすでに半分抱かれているようなものだったが、それよりもずっと強いものだった。


「俺は自分の好きなようにやってるだけです。あなたとなら、どこへだって逃げてやりますよ」


 そんなことを耳元で囁かれると、こちらはもう「ありがとう」としか言えなくなってしまう。だって彼は、私と一緒にいられることが嬉しいと、本当によく微笑むのだ。さすがにその言葉まで否定することは、できない。


「……でも敬語はやめて」

「はいはい。距離感じるから嫌なんだよね」


 そう満足げに言うクロムに、その通りだけれど少しだけむっとして、彼の足を軽く蹴る。


「兄妹って設定なのに、敬語はおかしいって言ったのクロムじゃない」

「でも今は他に誰も聞いてないから、いいかなと思って」

「…………」

「ごめんごめん、冗談だから! 意地悪言ってごめんっ」


 慌てたようにそう言って、彼は私の頭を撫でる。なんだか変な話だが、クロムに敬語を使われるのは本当に嫌だ。やはり使用人だったから、気を遣われている気がして不安になってしまう。前にもそう言ったのに、なぜだか彼は楽しげに度々それを使って、こうしてすぐに謝ってくる。


「だってアリア、反応淡白なこと多いだろ? 敬語使うと拗ねてるってちゃんとわかるからつい」

「……そうなの?」


 そんなつもりはなかったのだが。そう自分の顔を触りながら、私も悪かったのかと反省する。

 

「ごめんなさい。その、反応頑張るから」


 努力の仕方もよくわからないものだが、少し振り返って彼を見上げる。すると僅かに丸められていた青紫の瞳がきゅうと緩み、身体が前屈するほど抱きしめられた。


「頑張らなくていいよ、今のままで十分」

「でも、嫌そうだったから……」

「嫌じゃない、嫌じゃない」


 そうベッドの上で半ば身体を拘束されたまま言葉を交わしていると、不意にコンコンと玄関の扉をノックする音が聞こえた。

 それと同時に、私たちも身体が一瞬固まる。夜にその音が聞こえた時は、どうしてもそうなってしまう。大抵の場合はクロムを訪ねてくる女性のノックなのだが、万が一ということもある。


 ゆっくりと離された身体で立ち上がり、無言で一緒に玄関へと向かった。初めは部屋の奥にいるようにと言われていたが、もしそれが追手であるなら、即戦力になるのは私の方だ。むしろクロムの方こそ隠れているべきだとこちらが主張して少し口論になり、最終的にふたりで見に行くという結論に落ち着いた。

 ともかくまず扉の覗き穴で訪問者を確認してみると、ふんわりとした金髪に青い瞳の女の子がそわそわとした様子で立っていた。十七、八歳だろうか。見覚えのない顔だが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。完全に私の悪いクセなのだけれど、この手の少女を見ると頭の芯がすうと冷める。


「……金髪の青い目の可愛い女の子。私見たことない」

「ああ、今日の客人の連れてた娘がそんな子だった」


 さも当然のように思い出すクロム。彼は一度会った人間の顔は忘れないそうだが、女性相手に発揮されている気がする。別に私には関係ないけれど。

 もう一度覗き穴を確認して周囲に人影がないことを見てから、「大丈夫みたい」とだけ伝える。本当はもう奥に引っ込んでしまいたいが、クロムに万が一のことがあれば大変だ。自分でも覗き穴を確認してやっぱりと頷く彼を傍目にそっぽを向くと、左手を引かれて彼の後ろに立たされる。


「何かあったら大変だから」


 そういって静かにと言うように人差し指を口元にやって、にこりと微笑まれる。それはこちらの台詞なのだが、それだけで冷めていた芯はゆるゆると溶けた。私のような人間は、満足するのに簡単なのだ。

 扉を開けるクロムの背後でじいと扉の向こう側を凝視していると、びくりとした金髪の少女は慌てて腰を折った。


「こ、こんばんは! 夜分遅くにごめんなさいっ」

「こんばんは。オルディ家のお嬢さんですよね、今日はありがとうございました」

「あっ、覚えていてくれたんですね!」


 嬉しそうに頬を染めるオルディ家のお嬢さん。ますますどこかの誰かを思い出して、今度は冷や汗が止まらない。気分も優れず悪寒まで始まったが、クロムが彼女を帰すまで離れるわけにはいかない。

 

「もちろんです。それで、今日のことに関して何か問題でもありましたか?」

「いえいえいえ! 全然問題なかったです、父も満足していましたし……ただ、ひとつお伝えしたいことがあるんですけど」


 そう言うと、お嬢さんはちらりとこちらを窺うように目を向けた。なるほど、妹である私がいてはできない伝言であるらしい。


「……行って、きたら」 


 不自然でないように口元に手をやりながら伝えると、クロムは少し振り返って目を細め「十秒で戻るよ」と小声で呟いた。

 そうして出て行ったふたりの背が扉で遮られるのを確認し、ひとつ息を吐く。


 十秒経って帰って来なかったらすぐ飛び出す。何かあったと考えて扉も蹴飛ばす。融かすのは我慢、もしもの時に言い訳できない。

  

 頭の中でそう考えながらカウントしつつ、吐き気を誤魔化すように咳払いをした。


 屋敷から逃げ出し、『彼』との遭遇も避けて早二か月近く。今のところ、まだこの身体は繰り返してきた私の意思通りに動いている。『彼』に会わなければいけないと、勝手に屋敷へ戻ろうとすることもない。 そして、学院の入学式まではあと七か月。『彼女』が学院に来るまでは九か月。まだ確証を持つには早いが、やはり『私』がおかしくなる切っ掛けは『彼』との遭遇だったのかもしれない。『彼』に出会うという出来事さえこの身体が体験しなければ、私はこのまま逃避行にだけ専念できるのだろうか。


 そうあって欲しいと思いながら九と数えかけ、すぐに扉が開いた――と同時に真顔のクロムに身体を抱え上げられ、ベッドに直行させられた。


「大丈夫じゃないね、顔色悪い」


 大丈夫? と尋ねることもなくそう言い当て、ベッドに腰かけている私を心配げに彼は見下ろす。


「なにか飲み物持ってくるから、そこに座ってて」


 そう言って離れようとした彼のシャツの裾を掴み、「待って」と呟いた。

 

「……クロムが傍にいてくれたら、治る」


 これまでにも何度かあったことなので、経験則からそう言った。

 本当に体調が優れないなら別だが、これはほぼ精神的なものだ。幻聴幻覚まで聞いて見た私が言うのだから間違いない。こんな時は人の体温が一番だ。

 

「だから、さっきみたいにしてください」


 頼みごとだからとそう彼を見上げて言うと、満面の笑みで抱き着かれた。



 ――私の今の日常はこんなものだ。

 一番近くにクロムがいてくれて、周りにも店主さんや町の人がいてくれる。

 まだ何も油断はできないけれど、こんな時間が続くならば私はどこまでも幸せ者。

 

 なんだけど。

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