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花風に流るる春の歌声

 息を切らせて講堂に飛び込んだ透陽。何とか間に合った。新入生が初っ端から遅刻は印象が悪いだろう。

 講義室を見渡して、空いて居た席に腰を降ろす。ちょうど真ん中あたりだ。


 そうして始まった透陽の一日。それは全て座学で潰れた。作物学、植物形態学、基礎生物学――学問としては何をとっても楽しいのだが、しかし透陽の心をときめかせるには少し力不足だ。

 やはり座学より実学。とりわけ菌類学。脳味噌にキノコの菌糸がはびこっているような青年なのである。

 長い一日を終え、透陽は凝り固まった筋肉をほぐすように、賑やかなキャンパス内を闊歩していた。



 さすがは農林学部を抱える大学と言うべきか、大きな建物の合間を縫うように、木立や花壇や芝生が見受けられる。とにかく、緑が多い。

 ありがたい、目の保養になる。透陽はふらふらと草木に誘われるように歩いていた。


「君、一年生?」


 突然目の前に現れた学生に声をかけられた。明るい髪色の二人組。いかにもバンドマンといった印象だ。


「音楽とか興味ない? ウチのサークル、初心者でも大歓迎だよ!」

「オレらと一緒に楽器やろうぜ。飲み会とかも多いし、超楽しいから」

「あー……」

「ここで活動してるからよかったら来てな!」

「新歓の演奏会もやってるから!」


 言いたいことを言って、チャラチャラした二人組はコピー機で大量生産したようなビラを押し付けて去って行った。

 こんなサークル勧誘も初めてではない。透陽が今まで聞いただけでも、音楽系に体育系、漫研やロボット研究会などなど、よりどりみどりだ。

 大学生活、ぜひサークル活動というのも楽しんでみたいのだが。


(キノコ研究会とか、ないんだよなぁ……)


 やはり頭の中にはくさびらがはびこっている。それもそうだ。奥羽透陽青年は、キノコのためにこの大学まではるばるやってきたのだから。


「そう言えば登山部とトレッキングクラブみたいなものがあったような……」


 入学時にもらった学生会のパンフレットにあったサークル一覧。そこで、そんなような名前を見かけた気がした。

 ちょっとサークル棟を覗いてみようか。そう考えた透陽は、キャンパスの端の方にある大きな建物へと足を向けた。




 この大学のサークル棟は少し古びた建物だ。日当りも悪く、少しジメジメとした印象がする。

 そのむねの周りにはサクラの木が幾本も。満開を過ぎ、散り始めている。風に舞う淡い色の花びらは、日本の春の情緒を醸していた。

 ところが湿っぽい環境とは裏腹に、人の活気で溢れていた。開け放たれた窓からは楽器を演奏する轟音が漏れているし、とにかく笑い声が絶えない。

 未知の空間に立ち入る緊張感を、透陽は感じていた。口の中が乾くような感覚だ。心臓が音を立てて脈を打つ。

 思わず足を止めて、深呼吸一つ。

 その時だった。


「はあるーのーうららぁーあのー、がっこーうはー、さーらーさーら、いーくーよー」


 思わずずっこけそうになった。調子っぱずれで舌足らずな女の歌声。おまけに歌詞も色々混ざって、意味が分からない。

 一体誰だ、犯人は。透陽はあたりを見渡した。が、行きかう女子学生は皆友だちと喋り歩いていて、とてもわけのわからない音楽を奏でている風ではない。

 いや、むしろ。この妙な唄を気にかけているのは、周囲を何度見渡せど、透陽一人だけだ。

 そうこうしている間にも、声は風に紛れて漂ってくる。船人がれんげの花を覗いてどうのこうの言っていた。まるで謎だ。


 透陽はその声の主に興味がわいた。

 花に誘われる蝶のように、ふらりと足取りを向ける。ツツジの垣根を越えて、建物周りのサクラの樹下へ。そのままぐるりと壁沿いを歩いて、角を曲がったところだった。


 前方、日向と日陰の境目に一人の少女がいた。

 今朝方見かけたモリーユ・コニカによく似た雰囲気だ。フレンチな空気を纏い、乙女座りをし、空中を見て肩を揺らしている。その口から紡がれる音は、間違いなく、くだんの歌声であった。

 白い薄衣のドレスの裾から、ちらりと素足が覗いている。こんなところまでコニカに似ている。もしかして、噂に聞いたモリーユ・エスクレンタ嬢ではないだろうか。


 まるで見惚れたように立ち尽くしていた透陽の存在に気づいたのだろう。フランス娘は声を止め、桜色の目を人間に向けた。きらきらと春の陽が宿る。


「なあに? お兄さん、私の唄が聞こえたの?」

「はい。えっと……もしかして、モリーユ・エスクレンタさんですか?」

「そうよ。でも、どうして知ってるの? はじめまして、なのに」

「今朝、コニカさんに聞きました」

「コニカが?」


 目を見開いてモリーユは立ち上がった。同時にドレスが翻る。大胆に左足を露出させたデザインなのだ、張りのある太ももがしっかり目に入った。

 だが、最も大事な部分は不自然なまでに布が動かない。透陽はほっと一安心した。どこか悔しいのは内緒だ。

 そんなことなど露知らずのモリーユは、素足でかたい地面を駆け、透陽に近寄った。

 そして、顔面同士を近づける。うろたえる透陽の耳に、臭いをかぐ様に息を吸っている音が聞こえた。


 一拍の後、何かを察知できたのか、モリーユの顔が太陽のように輝いた。網目状にふわりと編まれた黄土色の髪が、嬉しそうに揺れる。


「なるほどー。ほんとだー。コニカのニオイがするー」

「えっ」


 透陽は慌てて、自分の体臭を確認する。朝から一日中キノコ臭をまき散らしていたのだとしたら失笑ものだ。

 だが取り立てて妙なニオイはしなかった。キノコの娘同士にしかわからない香りがあるのだろうか、と考える。


 そんな人間の前に立ったまま、モリーユは聞いても居ないことをペラペラと喋り始める。どうやら自分がここに居る理由を説明しているらしい。


「コニカはねー、せっかちだから。もうこの辺に出てるかなーって思ったの。そしたら出てたけど、居なかったから、向こうのイチョウの木かなーって」

「ああ。朝向こうで会ったんだよ」

「そっかー。向こうだったかー。イチかバチかが外れちゃった。ちなみに、あれがコニカね。あとそこにも! 知ってるよね、きっと」


 透陽はモリーユがぴしっと指示した方を見た。サクラの花びらが散らばり、スミレがぽつぽつ咲く草地。そこから屹立きつりつする黒々とした傘のキノコが一本。一般的なそれとは違い、まるで筆の先が突き出ているような形状だ。

 網傘茸アミガサタケの名にふさわしい、立体感がある網目模様。おだやかな陽の光に当たり、透明感を醸している。

 尖った頭部はきりりとした印象を与える。それ以上に、太くしっかりした柄が、力強さを感じさせた。


(でも何だか……うん、アレだよなあ)


 透陽はぼんやりと思った。目の前にあるアミガサタケの柄の色は黄色味がかっていて、肉色に近い。そして先端が膨らむ太い棒状の立体物。

 男性の大事な一物をキノコに例えるようなネタはしばしば見受ける。しかし、一般的なキノコ型よりこれは一層――。

 そんな透陽の下品な思考など、目の前でニコニコしているモリーユ・エスクレンタには知る由も無い。いや、知られなくて正解だが。

 春陽はるひに佇むモリーユは、両腕を天高く伸ばす。まるで長い睡眠から覚醒したかのように。


「良い季節になったね。そろそろ私も本気だしていいかな」

「まだ本調子じゃないんだ」

「そうよー。コニカはあんなのだけど、私、まだこんなの! こんなのだよ?」


 そう言って、モリーユは右手の親指と人差し指を開いて強調する。二本の指の隙間は、五円玉が一枚入るかどうかという程度だ。

 なるほど、モリーユのキノコはまだまだ地上に出始めた子ども――幼菌だということだろう。目を凝らし、地上に散らばる枯れ葉や雑草をかき分けかき分けすれば見つけられるかもしれないが、透陽はとりあえずそこまでするつもりはなかった。どうせ見るのなら立派な姿が見たい。それと同時に、本人に見られながら必死の探索をする見苦しさに抵抗があった。この気恥ずかしさ、キノコの娘が見えてしまう弊害かもしれない。


「私、まだ目が覚めたところだもの。まだまだ調子がでないの」

「ああ……だからあんな歌になったのか。さては寝ぼけてたんだな?」

「えぇ!? 何かおかしかった? あれ、人間さんが作った春の歌じゃないの?」


 視線を交わした二人の間に、間の抜けた沈黙が流れる。天からはらはらとサクラの花びらが一枚、舞い降りて来た。

 ああ、確かに人間の代の春の歌だ。だがあんなヘンテコな歌詞では決してない。昔から人々に愛される童謡たちが、お互い入り乱れてハーモニーを醸すことはできない。それは不協和音だ。


「あんな歌詞じゃないよ。たぶん、三つくらい混ざってる」

「えー? でも、春になると聞こえて来るよ? 小さい子も歌ってるし、人間さんの学校とかからも流れて来るしー」

「そうなんだけど! そうなんだけど、そうじゃなくって……」


 モリーユは未だ納得がいかないようで、きょとんとした顔を見せている。

 参ったな、そりゃ俺だってちゃんと歌えるかって言ったら怪しいけど。そう、透陽は頭を掻いた。


 その時だった。背後に、突然、何者かの息遣いを感じた。

 目を見開くモリーユ。それにつられるように、透陽も慌てて後ろを振り返った。


キノコ目録

アミガサタケ/モリーユ・エスクレンタ

春に発生するキノコ。柄に特徴的な網目状の頭部をつける。頭部は卵型で淡い黄褐色。

発生環境は未特定。サクラの樹下に多いと言われる。生活環境のすぐ近くで見つかることも。

先述のトガリアミガサタケに遅れるように発生する。

フランス料理では「モリーユ」と呼ばれ、美味な食用キノコとして利用されている。が、加熱が不十分だと中毒するので要注意。

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