入学式(2)
⑥ 入学式(2)
『皆さん、ご入学おめでとうございます』
とても心から祝っているようには聞こえないしかめ面で緑桜付属の理事長・西園寺遼子は檀上から挨拶した。
入学式という名の不要なセットアップメニュー。
長ったらしい祝辞の挨拶が指先ひとつでスクロールできたらどんなに楽か。
デジタルツールに触れてると、ときどきそれと同じ感覚で現実に干渉したくなる。
映像や音楽や文章。この頃には匂いまでデジタルデータに置換されてたっていうのに、未だにこういうアナログな儀式とか伝統行事を尊重しなきゃ授業のひとつも受けられないんだから人間ってのは、本質的にはアナログな生き物ってことだな。
「まさに西の魔女って感じだな」
理事長の派手目な緑色のドレスを差して、隣の席に座る男子生徒が苦笑した。
「杉宮健也だ。よろしく」
「よろしく……」
人懐こい笑顔が特徴のそいつからは若者向けの香水の匂いがぷんぷんした。
早くも出遅れた気がした。
彼ほど色気づくつもりはなかったけど高校デビューを果たすなら、春休みのうちから背伸びしていないと間に合わないんだ。
ましてや中学時代から身なりとか振舞いに気を遣ってたやつには到底かなわない。
残念ながら俺の容姿や身なりは中学時代から放置したままだった。
新調したのは眼鏡だけ。
それもスマートフォンと連動した最新モデル。
軽量化が進む前のモデルだったから、やたらに重かった。
鼻が凹んでるのはその名残だ。
コンタクトレンズ型ができたときにはブレインフォンが主流になってた。
「名前は?」
「ああ、僕はええっと、森高護」
「関西出身?」
「うん……な、なんで?」
「『僕の』ってところだけイントネーションが違ったろう。うちの親父も関西の出身だからわかるんだ。大阪の茨木ってとこだ。森高くんはどこの出身?」
「み、三重県」
「三重……三重といえば……忍者か! 確か甲賀の里があったよな!」
「伊賀だよ」
「そうだそうだ! 最近、司馬遼太郎の小説にハマっててさ。『梟の城』ってやつ。ひょっとして伊賀流の末裔とか?」
「まさか……そ、それより、さっき言ってた西の魔女ってなに?」
「ここの理事長の仇名さ。緑桜大学って小津グループの関連事業のひとつだろ。そこの女魔法使いだから『オズの魔法使い』に引っかけて、悪い悪い西の魔女ってわけだ」
バイブレーションが鳴って、杉宮は即座に左手首の腕時計を見た。
OZ社製のスマートフォン。
その付属デバイスで本体が受け取ったメールや着信の情報を腕時計の横についた超小型の照射機から左手の甲に映し出すことができる。
甲に映った情報は本体と同じようにタッチで操作することができる。
これも次世代型を模索するうえでのニッチな発展のひとつだ。
一見して手の甲を掻いてるようにしか見えないから、なにかとスマートフォンの使用を制限される場面の多い学生の間で密かにブームとなっていた。
腕時計にはしっかりOZ社製のロゴマークが刻まれている。
数ある小津グループ関連企業の中でもOZは戦後日本のエレクトロニクス分野におけるアイコンとも言うべき一大電気機器メーカーだった。
そんなデジタル世代の引率者とも言うべき企業を抱える元財閥が、一方では魔法なんていうオカルトでアナログなテクノロジーの第一人者なんだから、親父世代は相当なショックを受けたはずだ。
でも、そこまでおかしな話じゃない。
小津家は単に利口だっただけだ。
科学の発展が進んで呪いや迷信が合理主義に駆逐されてくなかで、魔法もいずれ時代遅れの産物になると早いうちから理解して、受容してたんだからな。
技術の継承という伝統だけは水面下で引き継ぎつつ、魔法とは相反する機械文明の発展に心血を注ぐ。
一族の財産を守るためには時代の変化も受け入れる。
真っ当な家柄だ。
時代と一緒に討死しようなんてのは、武士道に憧れがちな日本人の悪い性分だ。
杉宮のことは、当時は媚びた奴としか思わなかった。
緑桜学園でOZのスマートフォンを使うなんてベタもいいとこだ。
けど、それはアイツなりの場への馴染み方だったんだ。
奴とは二年生のときに寮のルームメイトになった。
おまけに三年間ずっと一緒のクラスだったから奴のことはトランクスの種類からオナニーのおかず、とっかえひっかえした女の名前まで全部知ってる。
逆にあいつも俺について、そんだけのことを知ってる。
いや、もっとかもしれない。
あいつは俺のただ一人断言できる、友人になった。