入学式(1)
⑤ 入学式(1)
俺が私立緑桜大学付属高校魔法科に入学したのは二〇一八年の春――正確には四月七日のことだった。
東京はどこもかしこも工事、工事、工事で公共事業のオンパレード。
街は世界的な体育競技大会の準備に追われてた。
現実のメトロポリス。
ハイテク国家と持て囃された日本の威信をかけた大事業の裏側では都内全域で煙草の販売を禁止したり、同人誌即売会の都外締め出しをやったり、非暴力的なデモ活動の鎮圧をやってみたり。
政府のなりふり構わない市民統制が露骨になってた。
時代はスマートフォンに飽きはじめてた。
なんせ、ジョブズが死んでから目立った変化もなかったからな。
ブレイクスルーになるような斬新なフォーマットは生まれなかったし、あっても魔法や陰陽術が古くから使っていた意思伝達方法を応用した携帯電話が、ニッチな受容を狙うように散発的に発表されたくらいだ。
世界は次の時代のツールを求めてた。
実際にはとっくに中東やアフリカの紛争地帯で実用が始まってたらしいけどな。
「よく知ってる。当時は大学生だったからな」
話が逸れはじめて女刑事は顔をしかめた。
俺は若い刑事を指差して、
「そこの彼は俺より年下っぽいから、時代背景くらいは話しておいた方がいいと思って」
「心配しなくても、お前よりは社会には詳しいつもりだ」
わぁお、挑発的。
でも『お前』呼ばわりしてくれたおかげで、この聞き取り調査とやらが好意的な茶番ではないことがはっきりした。
こいつは俺に敵意を持ってる。
俺は諭すように若年刑事に反論する。
「知識で、だろ。知識だけが必要なら、俺をここに呼ぶ必要はない。あんたたちが持ってる資料だけを参考にすりゃいいんだ。俺をここに呼んだのは経験的記憶とか、生の声に用があるからだろ。それともあんたたちの持ってる資料に疑わしい点でもあるのか。ん?」
「……」
若い刑事は唇の橋を釣り上げた。
強がりだ。
痛い点を突かれて、それを隠そうと強気の姿勢に出てる。
本当に警視総監賞を送りたいだけなら俺の話なんて聞かず勝手に表彰すればいいはずだ。
それなのにわざわざ俺をここに呼び出したのは警察の資料に連中がなんらかの疑問を持ったからだ。
それが何なのかはわからない。
話を続けていれば、奴らの出方からおのずと手がかりも見えてくるかもしれない。
とにかくまずは入学式の話からだ。
希望に胸をときめかせるって言うけど、当時の俺はまさしくそうだった。
ブカブカのブレザーが眼鏡をかけてるような冴えないガキだった。
生家は三重県の西部。
祖母は地元じゃ代々有名な一族の出身で、家を継がせるために孫の教育には熱心だった。
その甲斐あって中学は神戸のエスカレーター式の名門中学に通った。
でもそこの高等部には異能系の学科はなかった。
俺は異能力者になりたかった。
中学受験のときは逆らえなかったがどうしても異能系の学科がある高校に入りたくて、全国模試の成績と引き換えに編入試験のチケットを勝ち取った。
万能感への憧れってやつさ。
ほんと、惨めな中学生だったよ。
弱者のレッテルを貼られて、サンドバックも同然でやられ放題だった。
私立の進学校は公立と違って不良がいない分、陰湿で狡猾で性根のねじまがったクソ優等生が幅を利かせていた。
そんなとこで一度ヘマをやらかしたら、高等部を卒業するまでずっとその失敗がついて回る。
負け犬のレッテルが張られたら、例え成績で負かせることができても妬みの渦の中で捻り殺されるだけだ。
名誉挽回のチャンスなんてありゃしない。
高等部の三年間を代わり映えのしない面子に囲まれて生きるくらいなら、余所に編入してでも人生をやり直すしかない。
幸い俺には魔法の素質があった。
異能系学科を抱えてる学校はよく受験生を勧誘するために入試説明会の隅で無料の適正テストをやってた。
召喚術とか、錬金術とか色々な異能の適正を調べたけど、なかでも一番可能性があったのは魔法だった。
マナを感じやすい体質だって説明会のおばさんは言ってた。
属性は雷。
要するに電気系の現象や反応を操る術に長けた素質を持ってるってことだ。
もちろん素質がなくても筆記試験に合格すれば入学することはできる。
けど、どうせなら自分に合った異能学科に行きたいだろ。
二月の一週目に試験を受けて、その翌週に俺は合格通知を祖母につきつけた。
そのときの俺の態度と言ったら映画や漫画に出てくる自信過剰で生意気で挫折を知らないクソ餓鬼そのものだった。
一人前の気でいたんだ。
学費とか寮の費用のことなんててんで頭にない。とにかくあんたたちの言うような立派な大人になってやるから、僕のしたいようにさせてくれってさ。
緑桜の入学日。
桜の花びらはすっかり散って、名前の通り並木道には緑葉が並んでた。
校門に続く道を歩いてたら、頭上を先輩の魔法使いたちが飛んでった。箒に似た流線型の乗り物――空気抵抗を減らしつつ、安定した飛行姿勢を維持できるように設計された姿勢制御装置――で虹色の噴煙を引きながら。
まるで米軍の航空ショーみたいに編隊を組んで。
辺りを見回すと他の新入生たちも口をあんぐり開けて、空を見てた。
誰もが『自分の選択は間違ってなかったんだ』って確信するような眼をしてた。
この学校に来てよかったってね。
「異能使いの自由飛行は都内では一部を除いて禁止されてるはずだけど」
女刑事が異議を唱える。
俺は頷きながら、グラスに浮かぶ雫に指を湿らせた。
「当時もそうさ。今でこそ『マンアプリ』の普及で、自然公園とか浅瀬の上空十メートルに限ってのみ許可が下りたりしてるけど、俺たちの頃は学園の半径一キロと高度十メートル以上・三〇〇メートル以下の範囲でしか飛べなかった。三〇〇メートル以上はヘリや飛行機がぶんぶん飛んでる高度だから当然といえば当然だ。それに飛行するときには通信機代わりの思考石を耳につけることが校則で決まってた。念じるだけで意思が伝わるやつだ。制約だらけだったけど空を飛べる権利の代償と思えば安いもんだ。どんなにしょぼいテーマパークでも、ゴーカートは面白かっただろ。免許の取れない学生の唯一の運転体験ってやつ。あれと一緒さ」
魔法使いの場合、浮力を発生させてるのはあくまで自分自身で、杖は姿勢制御のための補助輪みたいなもんだから、乗り物の例えは不適当だがな。
学園は都心からだいぶ離れたところにある街を見下ろす丘に立ってた。
並木道を登ってくと地面からせりあがってくるみたいに校舎が見えてきた。
いかにも由緒正しい学園って感じの頑丈で風格の漂う外装でワクワクした。
なかでも中央に聳え立っているビッグベンみたいな時計塔が目についた。
上空を飛行していた先輩たちが八時十五分の長針の上に立つのを見て、俺は小さいころに見た映画の『ピーターパン』を思い出した。
学校なんてところはどこだって大なり小なりネバーランドのようなもんだ。
子どもだけの王国を大人たちが強権で統治しようとしている。
名門と言われる緑桜も例外じゃなかった。