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火の洗礼(2)

登場人物

《2030年パート》

森高護(28)……本編の主人公。学生時代、異能持ちの仲間とともに世界を救ったことがあるが、今は中古レコード店の店長代行。警視総監賞授与のための事実確認と称して、二人の刑事から学生時代のとある事件について聴取を受けている。


女刑事……三十半ばとみられる刑事。森高から12年前に起きたVISヴィズと呼ばれるテロ組織の起こした事件と、異能学生連続殺人事件について詳しい話を聞こうとしている。


若年刑事……何かと非正規でちゃらんぽらんな森高をバカにし、敵視するエリート街道まっしぐらの嫌味な刑事。挑発には乗りやすい。


《2018年パート》

森高護(15)……関西から上京してきた私立緑桜大学付属高校魔法科の一年生。異能学生の焼死体に遭遇したことから、異能学生連続殺人事件とその延長線上で起こったVISのテロ事件に巻き込まれていく。


杉宮健也……森高の同級生。情報収集を趣味とする三枚目。後に森高たちとともにVISと戦うことになる。魔法科では呪術を専攻する。


阿古川由紀……緑桜付属魔法科の二年生で風紀委員長。ツインテールのヴァイオレンスなちびっこ。入学式のころは生徒会長を信奉していたが……。


智章界治……緑桜付属魔法科の三年生で生徒会長。後にVISを率いてテロを主導することになるが入学当初はまだ一学生にすぎない。


瑞帆花楓……緑桜付属魔法科の一年生。入学式の早朝に銀杏の木から落ちてきた謎の少女。

⑰ 火の洗礼(2)

 

 俺は慌てて起き上がった。


「おい、どこ行くんだ!」


 階段を駆け下りて、必死で逃げた。

 さながらゾンビやジェイソンに襲われてる気分だった。でも現実の敵はのろのろと追いかけちゃくれない。

 相手も全力だ。

 俺はすぐに阿古川に捕まった。

 生徒玄関の扉まであと一息ってところで足に何かが絡まった。

 鞭だ。

 二十一世紀の世の中にだぞ。

 足を引っ張られて俺は顔面から簀子板の上に倒れた。

 鞭を巻き取って阿古川が歩を緩める。

 俺は必死に下駄箱にしがみついて立ちあがろうとしたが足に力が入りすぎて、簀子板がタイル地の床を滑った。

 目を丸くしたのは阿古川だ。

 板に片足をかけてた阿古川はそいつがずるっと滑った拍子に足を取られて、ころっとこけちまった。

 腰を思いっきりうちつけて、女のスカートが捲れた。

 俺の目に女の下着が飛び込んだ。

 ピンクのレース付き。


「え、あ……」


 ラッキーとは言い難い状況だった。

 女は顔を真っ赤にして伏せてたがすぐに溜め込んだ怒りを爆発させるように鞭を振るってきやがった。

 俺は咄嗟に身を伏せた。

 鉄製の下駄箱に鞭の軌跡が焼き付いた。

 炎の鞭だ。


「逃げられると思うなよ」


 女は完全に頭に血が上ってた。

 敵意で塗りつぶした真っ黒な瞳を俺に向けたまま、女はゆっくりと立ち上がった。

 とにかく逃げないと。

 外は目の前だ。

 俺は玄関の扉に手をかけた。

 だが、すぐに鞭が俺の手を叩き落した。

 手の甲に鞭の焼印がつく。

 外に逃げるのを諦めて、俺は生徒玄関を突っ切って走った。

 俺の後を炎の鞭が嵐のように追い立てた。

 角を曲がりきれずに玄関脇に置いてあった冷水機に覆いかぶさるようにぶつかった。

 炎の鞭が首筋まで来てた。

 俺は冷水機を押し返すようにして間一髪で下駄箱の一角に飛び込んだ。

鞭の直撃を受けて、冷水器は大破。

 寸断されたパイプから大量の水が噴出して生徒玄関一帯が水浸しになった。

 威力のやばさに俺は声を失った。

 だが、おかげで阿古川の鞭と手袋は濡れて使い物にならなくなった。

 女は鞭を捨てた。


「全部狙って動いたのか。なかなかやるじゃんか。俄然、怪しくなってきた」


 もう勘弁しろ、とは言えなかった。

 女の目は怒りを通りこして、不気味に笑みで歪んでたからな。

 助け舟が出たのはやっとそのときになってだった。


「そこまでにしたまえ、ユキ」


 制止の声がかかって、俺は顔を上げた。

 騒ぎを聞き付けて六人くらいかな。両手を後ろに回した直立不動の体で風紀委員が生徒玄関を取り囲んでた。

 連中の後ろから声の主が現れた。

 生徒会長の智章界治だ。


「彼は新入生だ。まだここのことをよくわかっていないんだよ。風紀委員たるもの、そうした学生に対しては処罰より指導に当たらないとね」

「その指導に当たってたところです」

「これが、かね」


 阿古川は改めて惨状を見回すとそれでようやく冷静になったらしい。

 敵意が一気に萎えるのがわかった。

 我を失って暴走した自分を恥ずかしがるように阿古川は唇を噛んで俯いた。


「大丈夫かね」


 こけたまま呆けてる俺に智章が手を差し伸べた。


「す、すみません。会長まで濡れて――」

「濡れる? もう元に戻ってるよ」


 そう言われて気がつくと放水はすっかり止んでた。

 誰かがバルブを閉めたのかと思ったがそうじゃなかった。

 振り返ると大破したはずの冷水機がつい数分前と同じように無傷で立ってた。

 冷水機だけじゃない。

 炎の鞭で叩き壊された下駄箱や簀子や傘立ても全部何事もなかったみたいに治ってた。


「うそ……」

「これが魔法の力だ」


 アイツはそう言って俺の手をぐっと引き上げた。


「あの……あ、ありがとうございます」

「下校時間を過ぎると校内全域に侵入者を探知するためのセンサー魔法が走るようになっている。今はまだそれだけで済んでいるが八時を回って教職員もいなくなると今度は迎撃用の攻撃魔法まで作動する。警備会社を雇う変わりさ。術の発動者は理事長だ。代々歴代の理事長が引き継いで術を更新してきたものらしいが、時計塔のそれに限っては初代の理事長が発動したもののいくつかがその死後も消滅しないで残っている。

術の内容や発動の条件もわからないので高位の魔法使い以外は立入を全面的に禁止にしている、というわけなのだ」

「そう、だったんですか……」


 言いつつ、当時の俺は話の半分も理解してなかった。

 ただただ智章界治の存在感に圧倒された。


「忘れ物をしたそうだね。回収するのはまた明日にしたまえ。どうしても要り様ということであれば、すぐ他の者に取りに行かせるが」

「い、いいえ、いいんです! そういうことでしたら、ふ、風紀委員長さんのお、お仰られていたことももっともですし、また明日にします!」

「だそうだよ、ユキ」

「わかればいいんだよ……わかれば」


 阿古川は自分への苛立ちを抑えるように低く声を落として返事をした。

 濡れた体はいつのまにか乾いていた。

 手の甲の火傷も何事もなかったかのように治ってた。

 元に戻っていないのは阿古川由紀に対する恐れと智章界治に対して芽生えた信頼感。要するに心の変化だけだった。


「気をつけて帰りたまえ」

「は、はい。じゃ、さ、さようなら」

「さようなら。また明日会おう」


 俺は逃げるように生徒玄関を出た。急かされてるような気がしてな。

 会長は良い人に思えた。

 あの人の手は大きくて暖かかった。

 ああいう手をした人間に憧れるやつの気持ちはわかる。

 人は誰だって自分以上の存在を望む。

 自分以上の存在に自分の抱えてる厄介事を全部解決してほしいと望む。

 アイツにはそれを一手に抱え込むだけの力があった。

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