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守銭奴、迷宮に潜る  作者: きー子
第一部
7/25

07.不穏な噂に参る

 四日目の探索を終えた帰りのことであった。相も変わらずの単独行ながら首尾は上々。もはや恒例のように迷宮探索者(クロウラー)ギルドへと向かう。建物の内側からかすかに漏れる灯火と喧騒。全くもっていつもどおりの様子に奇妙な安堵を覚えながら木戸を開く。


 そのまま真っすぐにゲルダのもとへ行こうとした時だった。一瞬、視線が俺のほうに集中するのを感じる。先ほどまであったはずの喧騒が水を打ったように静まり返る。違和感。カウンターの席に着いたときにはまるで何事もなかったかのように元通りであったが、不信の感は否めなかった。


「今日も頼む。マスター」

「……また、随分なもんだ。今、他のクランの鑑定と重なってるからちょいと待ってな」


 頷いて袋詰にした部位を引き渡す。重みはなかなかのものだが、今日は多少稼ぎを落としているだろう。あまり数を回らせすぎるのもうまくないということで、ほとんど蛾の翅は無視する形で狩り続けたからだった。何の気兼ねもなく薄い翅をバラバラに出来るのは大変気持ちいい。札束を破り捨てるにも似た爽快感を感じる。絶対にそんなことはしないが。つまり俺はそういうやつだった。


 奥に引っ込むゲルダをよそに軽く周囲の様子をうかがう。そもそも俺はずっと一人でいるものだから余所余所しい空気なのはいつものことだが、それにしても不自然なものがある。覗き見るかのように視線を向けられているような感じだった。実際に軽く視線を見渡せば、ふと目のあった青年からものすごい勢いで視線をそらされてしまった。なにか悪いことしたっけ、と思う。いや、悪いことをしたならおっさんから何かいわれるはずだとも思う。


 その時。


「あ」

「あっ」


 目があった。今度はそらされなかった。俺にとっては数少ない見知った同業者であった。


「ウィルはんやー。どない調子?」

「景気は良いようだな」


 ふたりぶんの声。屈託ない笑みと仏頂面が並んでいる。『ライラック』のアカネとアオイだった。軽く手をあげて応じる。


 宿屋以外で彼女らと遭遇するのは初めてのことだった。というより、外で仕事以外の会話をすることが俺には全くなかった。それゆえかやけに周囲の耳目を集めているような気がしないでもない。完膚なきまでに俺のせいなので、ひどく申し訳ない気持ちになる。


「おう。あとの二人はどうしたん」

「フラウとフィリアは先戻っとぉるよ」

「あの二人に財布を任せるのはおっかないからな──」


 アカネがためらいなく俺の隣に。いつもと違って腰に剣を吊っているアオイがまたその隣で少し遠い目をしている。確かに、と思わざるをえなかった。どこで稼ぎを落っことさないとも限らない。フィリアに至ってはゲルダの対面に座るのにも難儀するのではないだろうか。


 待ち時間ついでに他愛ない話でもする。俺にとっては貴重な情報収集でもあった。


「そっちはいつも下の方でやってるのか。他のクランとすれ違った試しがないんだが」

「せやね、うちらは二階中層。だいたいのところが二階で足止め食うてるんちゃうかなあ……」

「厄介なのでもいるのか」

「小型の竜──"彷徨う火蜥蜴"という奴だ。一匹でも面倒だが、それが沸くほどいる。難敵だな」


 アオイの渋面である。よほど手を焼かされている様子であった。


「戦力が揃ってると二階には届くようになるんやけど、でないと一階で逝ってまうんやね。そのせいで一階が半分空白地帯になってるんや思うよ」


 わからなくもない理由だった。この都市の場所が場所であるから、探索者も決して多い方ではないのだろう。そう考えると同時に、ふと疑問が浮かぶ。


「でも、二階に行くには一階を通らなきゃいけないんじゃないか」

「いや。一度到達さえすれば次からは入り口から直通で行ける。帰りも同じだな」

「──そうなのか」

「原理は寡聞にしてわからんが。迷宮とはそういうものだ、と思っている」


 うちもそういうのはさっぱりやわぁ、とアカネの談。迷宮と呼ばれるだけはあるということなのだろうか。全くもって初耳の話であった。


 しかし、迷宮という場所は大気中に極めて濃厚な魔力(マナ)が渦巻く場所だ。迷宮内の外界魔力を100としたら、迷宮の外のほとんどの場所は1にさえ満たないとも。深山や洞窟、墳墓などの閉ざされ淀んだ土地ならば10くらいは珍しくないようだが、それでも迷宮内部の濃度には遠く及ばない。つまるところ、その程度には迷宮が異常なものであるということ。もともと時間の流れが狂っている場所なのだ。空間が歪んでいても不思議ではない。


「なるほど、な」


 ──それにしても、と思う。


 周囲からの視線。やはり絶えずしてあるそれだが、単純な好奇の目で済ませるにはどうにも執拗な気がした。はっきりと見られている──というよりも、見張られていると感じるほどであったのだ。それは今日、ギルドに入ってからずっと感じているものだ。


「唐突ですまなんだが。──俺、なにか悪いことしたっけか」


 ちょっと声をひそめて問う。アオイがにわかに強張るが、アカネは全くの自然体そのもの。


「あー。それやね」


 応じるアカネも少しだけ小声になる。


「──ウィルはんによろしくない噂が立ってるみたいやの」

「俺に?」

「うちん時もあったわ。新人を試してんのかわからんねやけど……」

「どういうのだ」

「いうていいのん?」

「いいよ。そんなに繊細じゃない」


 むしろ俺は相当図太いほうである、と思う。むしろ今はアカネの隣で気を張っているアオイのことが気になって仕方がない。下手なことをいうと斬られそうなぴりぴり加減。クランの一員でもなんでもない俺にまで気を配っているアカネのことを気にかけているのが実のところだと思うが。


 やはりこの方たちは人が良すぎると改めて思った。


「連れ立ってったのを見捨てているからいつも一人やとか」

「ひどい話だ」

「ものの支払いを踏み倒したとか」

「ひどい捏造だ」

「とんでもない女たらしやとか」

「ひどい誤解だ」

「やたらと金に汚い、やとか」

「それは合ってる」

「そうなん!?」


 アカネがなにやらショックを受けている。アオイのほうは気が抜けたような呆れ顔だった。気が抜けるのはいいことだ。張り詰めていてばかりではとても疲れる。俺の印象は否応なく悪化しただろうが、ここは必要経費とする。


 にしても、噂。噂か。なにせ荒事だから新人イビリのたぐいがあるのは理解できなくもないが、なんともやり口が猪口才である。そもそも悪いうわさがあったとして、しばらくはひとりでいるつもりでいる俺にとっては大した問題ではない。はなから誰かと組むつもりがないからだった。噂をせき止めてくれる人がいないのはそれなりに問題ではあるか。


「うちん時はアオイと一緒になって、そんで自然と収まったんやけど」

「端的にいって、その時より悪質だな。ウィル、誰かに恨みを買ってはいないか」


 アオイの視線が俺を射掛けるように向けられる。鋭い切れ長の瞳。俺は額を押さえてしばし熟考する。


「全くもって無いな」


 無言で向けられる視線がなぜか冷たい。アカネまでもちょっと白んでいる。そんなに。


 あまりにも視線が冷たすぎると思っていたら、いつの間にか戻ってきていたゲルダの視線が加わっていたからだった。道理で冷たいと思った。


「これが今日の分だ。確かめてくれ」

「ありがたい」

「毎度っ」


 清算中のクランは『ライラック』のことであったらしい。酒も飲まずに居座っているわけである。俺はといえばいつもの通り。内訳を聞きつつ明日の探索のことを考え始める。今日の稼ぎは600EN。これで総資金は1500ENをこえた形だ。明日には紙幣でなく、現金で持つことも視野に入る頃合いだろう。


「一人でよくやる。それだけでもちょっとした妬みを買ってもおかしくはないな」


 稼ぎを懐に入れつつ、アオイの評を神妙に聞く。褒められているのかけなされているのかよくわからない。


「さて。うちらはそろそろ戻ろか、二人も待っとるやろしね」

「ああ。ウィルも行くか」

「いや。こっちの洗い場借りてから行くよ」


 特に意識するわけではないのだが、あの宿はどうにも女性世帯である。堂々として洗い場を使うことが忍ばれる気持ちもある。


「宿のほうでええやん?」

「一緒に帰るのは恥ずかしい」

「嘘をつけ」


 一瞬にしてバレた。なぜだろう。いや、実のところまるっきり嘘というわけではないのだが。それを理由に渋っているわけではないが、わりと恥ずかしいのは事実である。なぜかは自分でもよくわからない。単純に気が引けるだけかもしれない。


「女性陣が先に使ってくれってこと」

「ん。せならお先なー」

「全く──ではな」


 去っていくふたりを軽く手をあげて見送る。軽く肩をすくめた。本当の理由は、よくない噂があるのならなおさら他人を共にするわけはないと思ったからだった。改めてゲルダのほうを向き直ると、瞳を険しく細めている。どうもこのおっさんはその辺の機微を察しているふしが無いでもない。


「というわけだ。洗い場借りるぞ」

「ああ。……ひとつ、言っておくぞ」

「うん」


 立ったところに、頷く。いつにない真剣な色があった。


「おまえはドーソンの恨みを買っている。それは承知しておけ」

「誰だっけ」

「おい……!」


 言われて考える。三秒ほどして、思い出した。初日にぶちのめした荒くれ者のような風貌の男のことだった。またすっかり忘れていた。どうも俺の中では"どうでもいいこと"の棚に突っ込んでしまっているらしい。


「あれのやることにしては、また」


 つまらない嫌がらせだと思う。効果の程といえば、クランを伴にする相手が見つかりにくくなるくらいのものだ。しかしゲルダが誰かに紹介しづらくなるのは問題だった。つまり俺に臨時収入が入らない。それは困る。とても困る。あくまで臨時なのだからあてにしているわけでは全くないが、期待できなくなるのは困るということだ。


「……あれは俺にとっても頭痛の種だ」

「ギルド長の権限でどうにかならんの」

「一度許可を出した探索者──ないしクランの認可については執政院の管轄下だ。執政院の利益を害さなければ問題がないとされる」

「つまり、功績自体はあげているわけだ」

「報告にあげた風評は重要視されない、ということでもある」


 市井に害をもたらすならばまだしも、組織内部の問題にはノータッチ、ということだろう。下請けの弱みといったところか。心なしかゲルダから中間管理職のにおいが漂ってくる。難儀なおっさんであった。


「解決には早いうちに仲間を見つけるのが最善だ。心得ておけ」

「りょーかい」


 またもクランについて勧められる。早く彼女のひとりでも作ってこいと母親にせっつかれていた学生時代を思い出して懐かしくなる。いや、そのことは今はいい。


 なんにしても、いざクランを結成する必要に駆られた時に難儀する可能性があるのは問題だった。悪いうわさが無いにこしたことはない。洗い場に入りながら考える。


「相変わらず難しい顔してるネー?」

「そんなつもりはないんだけど……」


 そろそろ馴染みの顔になりつつある蓮葉な姉ちゃんを横目に見つつ、脱いだ服を脇に。汚れをお湯でざっと洗い流す。濡れた髪を拭きながら考える。


 つまるところ、悪いうわさを消す手立てだ。とはいっても、ちょっとこの手のものを無くせるとは思えない。こういった理不尽から身を守るためにも金を稼いでいるつもりだったのだが。世の中とはどうにもままならないものだ。


 では、なにが出来るだろう。改めて俺の武器になるものを見る。まずは剣。この世界の基準よりほんの少しはマシであろう頭。後は金。それだけだ。自分という人間にちょっとがっくり来るが、ともかくあるものを総動員する。頭はすでに使っている。剣が役に立つような話ではない。だから金。金しかない。では、金で何ができるだろう。色々と考えられるが、重要なのは人を動かせることだろう。金は人を動かす。俺が金のために毎日あくせくと探索しているように。


 とはいえ、俺の持ち金は決して大金ではない。何人を動かせるだろう。数は力だが、その数を頼りにすることが出来そうにない。貧乏だからだ。だからまずはひとり。狙いを絞ってひとりを動かす。もし足りないならば適宜増やすとして、ひとりだ。最大限の効果を望むことのできるひとりに働いてもらう。


 噂というものは人の口を渡って伝わるものだ。つまり人が集まらなければならない。探索者間の噂で、こいつらが集まる場所といえばそれはもう、このギルドしかない。そしてこのギルドに強い影響力を持つ一人。ゲルダのおっさん。これを金で動かすか? 否。ゲルダはあくまで事務方だ。その手の話に積極的に関わる人間ではない。つまり────そのひとりは、ごくごく身近にいた。まさに今、洗い場の外にいる姉ちゃんである。彼女はいつもギルドにいて多くの探索者と関わっている。実際に接客を行っているのだから当然のように接触も多い。つまり、たったひとりの働きで最大限の影響力を発揮できる。


 だが、噂を消す方向ではうまくない。いくら否定してもこの手の話はすぐにはびこる。本気で信じている人間などほんの一握りにも満たないだろうが、面白半分で酒の肴にするものはいくらでもいる。考える──先ほどのアカネとの会話を思い出す。突破口。全くの嘘ばかりでなく真実味のある噂もあるということ。つまり、より愉快で真実味に溢れた噂があればつまらない話は自然に淘汰されるはずであった。


 身体を拭いて、服を着なおす。そしてくだんの姉ちゃんに声をかけた。


「ひとつ、頼みたいことがあるんだけど」

「……なに? 一発ヌいとこっか? サービスするヨ?」

「なんで心配されてるの俺……」


 普段は陽気な風体を崩さない彼女がやけに気遣わしげな眼をしていた。そんなに難しい顔をしていたのだろうか。確かに近ごろ使っていなかった頭をフル回転させてはいたが。


「いや。俺に関する悪い話があるって聞いたから」

「ウン」

「ついでに追加で噂を流しておいてくれないかなって」


 姉ちゃんがすこぶる不思議そうな顔になったので、ひとまず100EN紙幣を握らせる。その眼が輝く。とてもわかりやすくていい。


「で、どーゆーのにスル? 私がテキトーにしよっか?」

「女にも出す金まで渋る守銭奴だと」


 こういうのはそれなりに下世話であったほうがいい。そのほうが面白がられるはずだ。


「ついでにクソインポ野郎って言っといてもいいネ?」

「いいよ」

「いいノ……?」


 なぜ俺が聞き返されるんだろうか。むしろよい創意工夫である。そのほうがインパクトがあっていい。しかし女性のネタはどうにもえげつないのが難点だと神妙に思った。


「無理に押さえつけてもな。波にのるくらいでちょうどいい」


 適当に言っておく。いぶかしむように瞳を細めていた姉ちゃんも、それで笑って頷いた。すこぶるいつも通りの陽気な様子であった。少しだけ和む。昨日と変わらない風景を見られるのはとてもいい。


「というわけで、任せた」

「まっかせなさーイ!」


 去り際に背中から聞こえた声はあまりにも陽気すぎた。予感があった。彼女の話術を俺は侮っている気がする。もしかしてこれはやりすぎてしまうのでは……? といういやな予感がしたが、つとめて気にしないことにした。


 取りあえず対応策は打った。それだけのことでも存外落ち着くものである。そのまま今日は宿屋に戻ることにする。


 ただ、粘り着くような視線がギルドを出ていく際にもあったのは気にかかった。 

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