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守銭奴、迷宮に潜る  作者: きー子
第一部
2/25

02.爺さん死す

 鍛えあげるという言葉は伊達ではなかった。爺さんの住まいはど田舎としか言いようのない森の中にあった。獣どころか、その延長線上にある異形──魔物さえ稀に目にすることがある始末であった。


 そこで俺は修業の日々を送ることになった。とはいっても、最初の一年ほどは日々の雑務に終始した。火のおこし方やら、風呂の焚き方やら、炊事に洗濯に掃除──その他諸々。たまにこの世界に関する座学。もしかして俺は便利に使われているだけなのではないかと考えたこともあったが、なんのことはない。つまるところ、一人で生きていくためのすべを叩きこまれていたのであった。そういった生活術の中には狩猟なんかもあった。元の世界では全く縁のなかった処世術だ。


 七歳になったころ、ひとりで森のど真ん中に放りこまれた。爺さんは俺を取り残してさっさと帰っていった。もちろん俺は帰り道を知らない。夜になれば一寸先も見えない真っ暗闇になる森で助けや目印を求められるわけもなく、結局そのまま一月ほど過ごした。迎えにきた爺さんを取りあえずぶん殴って、どつきあいの大喧嘩になった。我ながらアホだ。


 ともかくそれで半人前くらいには認められたのか、精気というものの扱いをならうことになった。精気とはつまるところ、この世界の生物全てが持つ生命力のようなものであるらしい。熱量のようなものかと思ったが、どうにも違う。熱量は寝ていても勝手に消費されるが、精気は寝れば回復する。身体を働かせ、発揮した力に応じた分だけ"使われる"ものが熱量であるならば、自分の意志で"使う"ことによって力を生み出すものが精気である、とのこと。この世界の人間は妙なものを持っているものだ、と他人ごとのように考えたものだ。


 持っているからといって誰でも使えるわけではないらしいが、特に問題はなかった。体内に流れるそれを感覚できるようになって、その後はほとんど自在に精気を扱えるようになった。実際その力はすさまじく、ちょっとした超人の気分にひたったものだ。爺さんの技術だけでぶちのめされてその自信は呆気無く砕かれるのだが。おまけに「技が育たぬうえ、お前自身が強くなれぬ」と、特別に許された時以外の使用を禁じられてしまった。教えた上で禁じるとはなかなか不条理な話だが、使いこむことで総量が増えたりはしないらしい。精気を増させるのはあくまで当人の成長のみなのだとか。どうにもオカルティックだったので話半分程度に聞いておいた。


 それで八歳のころからはほとんど剣術一本になった。こう踏まえてみると肉体の鍛錬がおろそかに思えなくもないのだが、剣の修行自体がでたらめに厳しかったためにそんな暇は全くなかった。毎日ボロのようにくたびれた後、各国の歴史や情勢などを叩きこまれては泥のように眠る日々であった。そんなことをしている内に、身体のほうもそれなりに鍛えられていった。


 十三歳のころ、爺さんに衰えが見え始めた。無理もなかった。大の男が五十でバタバタ倒れる御時世に爺さんはとっくに七十をこえていた。技のほうは滅茶苦茶に冴えていて相変わらず一本も取れないのだが、腰を抜かして立てなくなることがしばしばあった。十四になったころ、爺さんの睡眠時間が少し長くなった。かつては馬鹿みたいに早起きしていたのが嘘のようだった。


 俺が十五歳になった年の春、爺さんは死んだ。


 俺が爺さんに教わるべき大方のことを叩きこまれた、まさに矢先のことであった。結局、最後まで爺さんから一本を取ることは出来なかった。勝ち逃げをされたということだ。


 爺さんは簡単な遺書を残していた。俺に流派の当代をたくし、精気の禁をとくということだった。誰かに死を知らせてくれといった話は全く書いていなかった。遺体は森に埋めて土に還せ──という形で遺書は締めくくられていた。それがどうやら爺さんの唯一の望みであるらしい。


 俺は適当な穴を掘って、そこに爺さんの遺体を埋めた。その作業を苦もなく終えられる程度に俺の身体は大きくなっていた。背丈は170㎝足らずくらいはあるだろう。そのせいか、鍛えあげられた甲斐あってか、爺さんの身体はバカに軽く感じられた。こんな老体でどうやって俺の剣を平然といなしてくれやがったものか、全く謎である。


 遺体を埋めたところに十字を突き立て、簡便な墓とする。思えば俺は二十五も年を重ねていたくせに葬式のやり方も知らなかった。ちょっとどうかと思った。日本式で弔われたって爺さんも困るだろうが。俺は静かに掌をあわせ、爺さんの冥福を祈った。爺さんはそうするときいつも十字を切っていたが、どうにも性に合わなかった。結局人が見ていないときには俺はいつも手を合わせることにしていた。


 ──爺さんは生前、常々よく言った。金ではどうにもならないことが世には山ほどある。それをよくよく知っておけ、と。実際、剣術修行の合間にほうぼうを行く爺さんについて回ってもやり切れないような事件が腐るほどあった。目の前の死は、そんな"どうにもならないこと"のひとつだった。爺さんは大往生だった。例え万金を積んだとしても生き返ることはないだろう。


 悲しみはあまりなかった。涙も出なかった。爺さんの身体に老いが見えたときから、すでに覚悟はしていたせいだろう。衰えていく姿を間近で見続けなければならない悲しみは、知らず知らずに死への対抗を築き上げてくれる。


「さ……て」


 弔いを終えて、俺は支度を始める。すでに準備は出来ている。最低限の旅の荷を持つ。水筒やら、衣服やら、狩猟用の短刀やら。修行用のショボい木剣も持っていく。強い武器を使えば腕は腐ると、それしか使うことを許されなかったのだ。そのぶん年季だけはとてつもない。

 最後に爺さんの墓へ頭を下げて、もう行くことにした。振り返らずに、薄暗い森を歩む。


 なんのためかは言うまでもない。金稼ぎだ。先んじては衣食住を揃える金のためだ。金よ待て。金。



 深い森を抜けると、そこにはやっぱり森がある。この国は森だらけだ。控えめにいって未開の土地だ。そのせいかは知らないが、国の名前は"暗い国(ニヴェルラント)"。ふざけてるんじゃないかなと思う。おまけに北国であるからか、冬はふざけた寒さになる。今は春だからまだマシだが、それでも少し肌寒い。今の俺は長袖の布の服に飾り気のひとつもない簡素なマント。裾は擦り切れていて、小さな穴もあちこちにある。どこからどう見ても立派な貧乏人であった。事実、金はなかった。一文無しである。


 しかしありがたいことに地図がある。それは爺さんの残したもので、この国とその周辺のおおまかな地図が書かれている。信頼できるかはいまいち怪しいが、世界地図などとうたっているものよりは遥かにマシだ。最低でもだいたいの方角は合っているだろう。


 向かう先はちいさな地方都市。中心に"迷宮"があり、その周囲を取り囲むように発展している典型的な迷宮都市だ。この世界には"迷宮"なる魔物の巣食う土地がいくつもあって、だから迷宮都市という都市形態が世界各地にいくつもあるのだという。しかし危険かといえばそうでもなく、魔物は迷宮から出てくることがないから、むしろ活用できる魔物の部位の恩恵に与っているという面が強いそうな。つまり、魔物といえども見る人によっては経済動物に過ぎないということだった。皮肉な話。


 だが、この世界の事情は結構どうでもいい。重要なのは、迷宮の探索によって金が入ることだ。正確には、探索の過程で得る有用な魔物の部位を買い取りに出すのだ。俺にはあいにく剣と狩りくらいしか能がないので、他に安定的な収入を得る方法はちょっと思いつかない。人づてに依頼を受けるという手はないでもないが、コネクションがない。信頼もない。おまけに安定もしないので、却下である。俺は無心に金を稼ぎたいのだ。


 そういうわけで、迷宮都市に行くことにした。距離にして爺さんの家からは一週間と少しくらい。この辺りはどうしようもないど田舎だから、周りは全部切り開かれていない森といっていい。おかげで食事には事欠かない。兎やらを狩ればいいのだ。狩猟の技術は万全である。雨が多いし、川もしばしば見かけられるから水にも困ることがない。


 いっそ猟師でもやろうかと考えたことがあるが、売らなきゃ金にはならない。安定して取引できる相手もアテもない。おまけに肉は日持ちがしないので腐る。冷蔵? そんなものはない。というわけで、やはりやめた。


「くさい……」


 にしても獣の肉は臭い。いい加減慣れてはいるし食えるだけ良いのだが、なんとかしたい。町にいったらもっと良いものが食えるのだろうか。食えると思いたい。そういうわけで、道を急いだ。めちゃくちゃ走った。それで一週間のところを四日で済ませた。俺、頑張った。


 よく考えたら金が無いので町で飯が食えるわけがないと気づいた時には後の祭りだった。


 

 結論から言おう。都市は素晴らしい。森がない。昼には日が射す。素晴らしい。足元は石畳で歩きやすい。素晴らしい。


 都市の入口となる門は開かれていて、その両脇に衛兵が立っていた。入る前に入国審査をされる。物々しいがどうということもなく、出身地と名前、そして訪れた目的を問われた。それだけだ。


 目的は迷宮に出稼ぎ。出身地はどこかの農村だがもうわからない。名前はウィル・ヘルムート。ヘルムートは爺さんの名乗っていた姓で、名乗るように言われたのはつい最近だった。なんでも、爺さんの剣の流派の開祖がヘルムートの姓であったらしい。よくわからないが、ありがたく頂いた。名前だけでは、誰かとかぶったときに困る。実際には姓がないから出身地をあわせて名乗ることが一般的らしいが、その出身地がわからない。


 我ながら雑すぎる回答だが、特にお咎めはなかった。だが、ことを起こしたときには執政院直轄の騎士団がすぐにも駆けつけるとめいっぱい釘を刺された。どうもピンとこないが、とりあえず頷いておく。この都市で一番のお偉いさんが執政院とやらなのだな、ということだけはよくわかった。


 そういうわけで、町である。迷宮都市国家"フヴェル"が正しい名前らしい。街並みは石造りを基本としていて、白い。だが白いばかりではない。ところどころに木々の蔓や蔦が絡み、咲いた花が街並みを彩る。めちゃくちゃに枝やらが伸びているわけでは決してなく、しっかり人の手が入っているように見える。建物は木で出来ているのがもっぱらで、自然と調和している感じだ。いい雰囲気である。正直、自然はもうお腹いっぱいだが。


 迷宮に入るならば手続きが必要とのことで、衛兵に教えてもらっていた建物へと向かう。迷宮探索者ギルドなる組合がその建物を使っているらしい。何をするところかはよくわからないが、行ってみればわかるだろう。


 いざ前にしてみると、それは木で出来た平たい長屋であった。広そう。大勢の人を受け入れるようにできているように見える。中からは声が漏れ聞こえていて、そこはかとなく賑やかだ。というわけで、中に入ることにした。扉を押し開ける。


「いらっしゃーいまーせー!」


 景気の良い女性の声がした。酒場かなにかか? と思って周囲を見渡してみたら、実際酒場にしか見えなかった。木の椅子にまるで統一感のない面々────男も女も格好も年齢もお構いなしな感じで、それぞれが談笑していたり酒樽を傾けたりしている。盛大な笑い声がひっきりなしに上がる。下品を通り越して猥雑な雰囲気だ。よく俺に気づけたな。


「お客サマ? それとも何かご用ー?」

「あー……初めてなんだけども」


 適当に歩み寄って答える。女性は二十代半ばかそこらで、陽気な姉ちゃんといった雰囲気。肌が少しだけ浅黒い。真面目な話、女性と話す機会などここ十年とんとなかったといってもいいので死ぬほど緊張している。がしがしと頭を掻く。とにかく金だ。金。


「はァーい! それじゃああっちで新人の受付やってるヨ!」


 彼女に案内されてカウンターのほうへ向かう。いかにも強面な中年のお出迎えであった。なぜか安心した。


「用はなんだ、坊主。年は? 酒はいけるか?」

「十五だけど」

「じゃあ問題ないな。この国は十三からだ」

「別に酒呑みにきたわけじゃないんだけど」


 露骨におっさんから舌打ちが飛んだ。人のことを言えるような年ではないが。二十五といったら、俺もたいがいおっさんだ。にしても十三からか……。いや、いいんですけど。


「じゃあ、用を聞かせてくれ。俺はヒマじゃない」

「迷宮に入らせてくれ」


 本題を切り出すと、男がまじまじとこちらを見つめてくる。本気かこいつ、という目だった。


「その格好でか」

「おかしいかな」

「その若さで死にてえのか? しかも、一人でだ」


 値踏みするような目──それはどうも目の前の男からのものだけではないらしい。周りで騒いでいた人のいくらかの視線もこっちに向いている気がした。多分、彼らは迷宮探索の先輩方なのだろう。それでこの建物はギルドの運営と酒場のような業務を兼任している、といったところか。


「せめてまともに身の護りを固めてきな」

「金がない」

「は?」

「防具を買う金がない」


 正気を疑う目がバカを見る目になっていた。すこぶる腹が立つ。時折笑い声が飛んでくる。「ほとんど丸腰じゃねえか」「骨は拾ってやろうじゃねえの」「剣もずいぶんなボロみてえだぜ」嘲笑に混じって野次。大変腹が立ってきた。


 だが怒るのはよくない。貧乏は人を怒りっぽくする。貧すれば鈍する。実際貧乏なわけだが、だからといって鈍していいわけではない。むしろ貧乏であるからこそ鈍するべきではない。心まで貧乏になってはならない。鈍するべきではないから、金を稼ぐべきだ。金を稼いで鋭くあるのだ。よし。落ち着こう。


 まずは申請用紙を所望するものの、おっさんの返事は色よくない。まあ、自分が許したせいで若者を死なせるのは気持ちのよいことではないだろう。となれば、何らかの手段で実力を示せれば良いのだろうか。


 考えていたその時、肩を叩いてくる男がいた。大柄で総後ろ髪の男だった。肩鎧に上半身は半ば露出して筋肉があらわ。いかにも荒くれ者です、という風貌が口を開く。せせら笑うように口端がつり上がっている。


「おいおい、ガキがそんなおもちゃで何をしにいく気だ」

「稼げりゃなんだっていい」

「剣は振れるのかよ。鉄の剣は重たくて持てませんってか? 流派はどこだ?」

「ヘルムート流」

「はっ。聞いたこともねえな、どこの田舎剣術だ?」

「あんたよりは使える」


 いい加減腹が立ってきたものの適当に返していると、相手もなかなかトサカに来ているらしい。その手が剣の柄にかかっている。


「今ならまだ、謝ったら許してやるぜ? ここに額を擦りつけて、なッ」

「お、おい」


 おっさんは事態の推移に困惑中。喧嘩そのものというより、新人の暴走に手を焼いているという様子である。一方で荒くれの男は、床を靴で踏みにじるようにしていた。鞘から刃があらわになる。


「好きにしろ」

「そォかよ、それなら痛い目みな、ァッ!!」


 声に応じて立ち上がる。男の剣はすでに振り上げられているが問題ない。脚に椅子を引っ掛けて立ち上がった拍子に蹴り上げる。今まで座っていた椅子が男めがけてすっ飛んでいく──鼻っ面直撃コース。思わずといったように男が後ずさってかわす。だが、バランスが完全に崩れていた。いい的である。


 踏み込んで木剣を振るう。その頬にブチかましてやる。


「ぐげえ゛ッッ」


 男が軽く吹っ飛んだ。転がっていた椅子の脚に思い切り首をぶつけていた。あれは痛い。そしてそのまま、ぶっ倒れた。


 すっきり!


「……おい」


 おっさんの声がした。にわかに周囲がざわついている気がする。そういえば、今、公衆の面前だった。


「はい」


 やっちゃった。


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