この想いを天駆ける天馬(ペガサス)に乗せて
珍しく暖かな日の町を、俺は歩いていた。
人ごみが絶えない市街は、相変わらず自分の町が大きいことを教えられる。
今日は市街に数少ないCDショップに足を運んでいた。
店内は、やはり近辺には数少ないせいか意外にも人が多い。レジには常時数人が会計待ちをしている。
俺もその一人で、アルバムを片手に前の様子を見ながら立っているところだ。
やっと回ってきた会計で、もう片手に構えていた三千円と小銭を出して、その店をあとにした。
することのなくなった俺。
家に帰って、すぐにでもCDを聴きたいところだが、どうも気がすすまない。
そうやって市街をふらつく俺だが、一人その場で立ち尽くす女の子を見かけた。
年はどうだろう。小学校低学年くらいだろうか。近づいて分かったのだが、女の子は泣いていた。
「どうしたの?君。」
しゃがんで目線を合わす。
泣いている彼女を見ていると幼馴染の昔のことを思い出す。
泣き虫で、おっちょこちょいで、今年俺と同じ高校へ一緒に入ったくせに未だあどけない。
「お姉ちゃんが…。」
呼吸をすすりながら彼女は同じことしか言わない。でも、こういう状況は幼馴染に何度も経験させられたため、嫌でも慣れている。
「君、名前なんて言うの?」
「彩菜…。」
やっと他の事を喋ってくれた彼女だが、未だすすり泣きはやめない。
「兄ちゃんは蒼井薫って言うんだよ。」
小さな頭を撫でながら言った。
「薫兄ちゃん…?」
「そうだよ」とうなずいた俺は、彼女が落ち着いたのを確認した。
「彩菜ちゃんは、いくつ?」
「9歳。」
それを聞いた俺は「ふふ」と笑った。
「なんだ、もうすぐ4年生だろ?お姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃ。」
「うん」とうなずいた彼女は自分から事情を話してくれた。
曰く、買い物に来ていたが、一緒にいた姉とはぐれてしまったそうだ。
「一緒に探してやるからもう絶対泣くなよ?」
「うん」と先程の返事よりも機嫌良く答えて、俺の手を取った。
そうして片手にビニール袋、片手に彼女の手を取ったまま、先程はぐれたという地点にやってきた。
そこは市街よりも人通りが多い商店街だ。
ここで小学3年生の女の子がはぐれたというなら納得がつく。
「この子のお姉さんいませんか?」
「お姉ちゃん。」
と二人で叫びながら歩いていると一人の女の子が駆けつけてきた。
息せき切らしてきた彼女はかがんだ後、顔を上げて説教を始めた。
「もう、あれだけ私から離れないでって…。」
その説教を止めたのは俺だ。
「美琥…?」
彼女こそが先程言っていた幼馴染だ。
「薫がなんでここに?」
っていうかそれは俺の台詞…。
まぁそんなことはどうでもいい。
気になるのは美琥から妹がいるなんて話は聞いたことはない。知っていることと言えば、当の本人よりもしっかりした弟がいることだけだ。
「美琥に妹なんていたっけ?」
「まさか、従妹よ。。」
なるほど、それなら姉ちゃんって呼ばれるのも分かる。
「ありがとね、薫。」
「気にするなって、たまたま暇だっただけだし。」
捨て台詞を吐いて去る俺。
CDショップを出てきてすぐの違和感は消えていた。
もしかして俺は、この異変を五感…あ、いや、第六感で察知したのだろうか。
家を出る頃に見た薄い青は、もうオレンジに変わろうとしていた。
帰り道。
先程まで物静かで、綺麗な夕日に照らされたこの場には不似合いな着メロが鳴り出した。
ハードロック的なラブソングだった。
この曲はというと、美琥用に設定されたものだ。
ってことは、と思いながらケータイのメニューを展開させていく。
やはり行き着くのは美琥からの新規メールだ。
from:美琥
subject:さっきはありがと
内容:明日イトコの誕生会
するけど来ない?
「イトコ」とは彩菜のことか。
美琥のほうから食事に誘うなんて珍しい。
というかこれは美琥からというより、従妹の彩菜のほうが言い出しそうだ、と思いながらメールを返信する。
to:美琥
subject:Re:さっきはありがと
内容:って彩菜ちゃんが?
返信されてきたメールは推理通りだった。
さっきは珍しいと言ったが、そもそも美琥とは会う機会がなかったせいか、そう思った。
最近までは美琥も彼氏をつれまわしていたが、別れたせいか、前よりは少し会う機会が増えた。
そんなことを考えていると、家はあっという間だった。
…目覚めると朝だった。
朝日が窓辺から差し込んで、俺の顔をくどくどと照らすため目を開けあられずにはいられなくなったのだ。
ベッドでケータイをいじっているうちに眠りについたようだ。
昨日の昼から何も食べていなかった俺は即、台所へ向かった
無意識に朝ご飯の用意する俺。
今日、美琥の従妹の誕生会がされると今日初めて思い出したのはテレビを見ながら朝食を取るときだった。
ちょうど、芸能人の誕生日特集というやつを見かけたからだ。
忘れっぽい俺にはタイミングが良すぎるものだった。
でも、まだ時間がある。
磨きのかけられた居眠りで再び眠りにつくことにした。
次に目覚めたのは夕方。
もうそろそろいい時間であった。
といっても、正確には美琥から送信されたメールの着メロによって起こされた。
体を起こして仕度を始める俺。
開く意味のないメールを既読設定にして家を出る。
家は向かいにある。
ありふれた少女漫画の設定のようだが、そう甘いものではない。相当のことじゃないとああいう風にはいかない。
ああいう風には…。
いつものようにインターフォンなしで、美琥の家に上がり込む。
リビングでは既に誕生会の用意がされていた。
用意と言っても、折り紙をつなぎ合わせたり、横長の画用紙に「おめでとう」とかというように派手にはいかない。ただクラッカーが置いてあるだけだ。
…ていうか。
懐かれた。
彩菜に…。
異常なほど俺にくっ付いてくる。
よほどあの時助けられたのが嬉しかったのだろう。
そのまま俺が身動きのつかないまま彩菜の誕生会は始まった。
彩菜は美琥やその両親の言いかけにもまったく答えず、俺にばかり話し掛けてくる。
俺は美琥の両親に「お似合いだな」という言葉に傷食らいながら彩菜が寝付くまで延々と話をさせられることになった。
でも、それも悪くはなかった。
すっかり日は落ちていた。
住宅街に訪れた闇。でも、月や無数の星たちが少しその場を照らしてくれた。
俺はベランダにいた。
ベランダに設けられたテーブルにケータイを置きながら、椅子に体を重く沈めていた。
その様子を見かけた美琥が、ベランダに出てきた。
「お疲れ。」
そう言って、美琥は向かいにある椅子に腰掛けた。
「ああ、ありがと。」
首にさえ力が入らない俺はケータイに目を向けたまま答えた。
沈黙…。
どうだろう、かなりしばらく互いに黙りつづけていた。
その沈黙を絶たせたのは美琥だ。
「昔のこと思い出しちゃった。」
「え?」
美琥の突拍子な発言に動揺したが、時間が経つにつれて俺はしだいにその言葉の意味を理解していった。
「ああ、彩菜ちゃんのこと?」
力なく頭をあげて言う。
「うん。」
「俺も思い出してた。」
俺も同じことを考えてたことに驚いたのだろうか、美琥は表情を崩した。
「昔は私がくっついてばっかだったもんね。」
そう言って美琥が苦笑をする。それを見た俺は遅れて笑う。
「そうだな。」
再び沈黙は訪れた。
互いに会話は得意なはずなのに続かない。
というか、変な空気が漂っているのだ。
変というとおかしいのだが、なんだか凄く緊張する。
俺が美琥の緊張を感じ取っているのか、美琥が俺の緊張を感じ取っているのか分からないが、どちらかが一方的に緊張を誘っていることは確かだった。
…続く沈黙。
まるで星が放つ擬態語が聞こえそうなくらいだった。
でも、その音に耳を傾ける前に美琥が話を切り出した。
「昔みたいにしていい?」
突拍子過ぎた。
意味が理解できなかった訳じゃないが、その発言に驚いた。
けど…。
嘘はつけない。
「いいよ。」
その俺の言葉を聞いて、美琥は俺の所へ椅子を持ってきた。
寄り添ってくる美琥。
俺は美琥の頭に手を置いて、秋の大四角形を見上げていた。
誓おう、俺と美琥がどれだけ時を経て変わろうと、この気持ちは星空のように変わらない、と。
俺はずっと、秋の大四角形、ペガサス座を見つめつづけていた…。