地の果て
「捕まってたまるかよ!」
男はそう叫ぶや否や、窓から飛び出した。
ケチな盗みで警察に捕まった男。男は連行された警察署で、僅かな隙を見つけて逃げ出した。
警官はすぐにその異変に気がついた。待てと叫んで男の後を追う。
だが男は捕縛の縄をとき、制止の声を振り切り逃げていく。
街に潜み、闇に隠れ、人に紛れ、男は迫る追跡の手を振り切った。
男は警察の警戒線をも超え、待ち受ける警邏の目を盗んで逃亡を続ける。
ついには国境も超えた。男は幾つもの国境を抜け、何処までも逃走する。
「昔から、逃げ足だけは自慢なんでね」
男は追っ手の手を逃れる度に、誰にともなく呟く。それは男の自慢だったからだ。
男は勉強が苦手だった。だから子供の頃は、いつも授業を抜け出していた。
教師の罵声を背に、男は自慢の逃げ足で駆けていく。
「勉強なんてしなくったって、生きていけら!」
男は教師にそう言ってやり、実際その通りに生きてきた。
男は勉強しなくてもできる仕事の内、とても安楽な手段を選んだのだ。
こそ泥だ。
元より逃げ足には自信がある。天職とも言えた。
盗む。逃げる。
それを繰り返して、男は生きてきた。
「何処までも逃げてやる! たとえ地の果てまでもな!」
異国での逃亡生活も苦にならない。盗みは万国共通だからだ。逃げ足は世界一だったかもしれないからだ。
その上、新しい国に逃げ込むと、男への警戒は一からになる。
男は所詮、ケチなこそ泥。国際手配まではされていなかった。
男は一つの国で警戒されると、新しい国に入り込む。
そこでまた盗みをし、改めて手配される。そして更に逃げるのだ。
この繰り返しだ。
むしろそれが都合がいいと、男は海を越え、河を渡り、山を抜け、新しい国に入り込む度に、同じことを繰り返す。
盗む。逃げる。
それをやはり繰り返し、男は逃げながら生きていく。
男は盗みと逃亡を、左右の足にでも履いたかのように世界を駆けていった。
長い逃亡生活の果て、母国語すら忘れてしまう程の時間の末、男はついに警察に捕まった。
「刑事さん。教えて下さい」
長いこう留でやっと思い出した母国語で、男は口を開く。
「俺は昔から勉強が嫌いだ。子供の頃は、教師をバカにして授業も出なかった。その時の逃げ足のお陰で、こそ泥でやってこれた。ああ、こそ泥はいけねえことだとは思います。ですが本題はそこじゃねえんです。俺はろくに勉強をしなかった。国語も社会も理科も算数も、何もかもだ。だから長い逃亡生活で、言葉も忘れたし、文字も読めなくなった。そのせいで同じ国に、それも自分の母国に入り込むヘマをしちまった。だから捕まった。それは分かるんでさ。でもどうしても分からないことがあるんでさ」
男は真剣な眼差しを、刑事と呼んだ取調官に向ける。心底分からないようだ。
「俺は真っ直ぐ逃げた。何処までも真っ直ぐ、国に背を向けて逃げたはずだ。でも、どうして俺は元の同じ国に戻ってきたんですか? これじゃまるで、ボールの上を逃げてたみたいだ。俺は地の果てまで逃げるつもだったのに」