やんごとなきことども
表題に用いた「やんごとなきことども」という言辞からしてそもそも妙な言回しであり、不敬でさえある。形容詞「やんごとなし」が接尾辞「ども」なんぞを伴う名詞を修飾する用法は、言辞相互の品格が釣り合わず、日本語としてあり得ない。
しかし、今の世の中、そのように木に竹を接ぐようなことが、盛んに論じられ、行われつつあるように思う。
一体、僕は懐疑的ながら自由主義や民主主義を奉ずる者である。この懐疑的ながらという気分は、かつて英国の宰相がDemocracyを語るにおいて用いた修辞と相通じているのかも知れない。
いずれにせよ、自由主義や民主主義を奉ずるという考えの人は、今のこの国において大半であろう。
そうして、かかる思考であればRepublicanismに傾くのは論理上の必然であろうと思うわけである。勿論僕もそうである。
こう言うと、意外に感ずる人があるやも知れぬ。何となれば、僕は懐旧趣味と言おうか、古色蒼然たる旧弊なものに甚く嗜好を有しているので、頭の中も襟懐も、神話的価値観に悉皆染まり切って生きていると思われていても仕方がない。
しかし、僕は昔からRepublicanismこそ民主主義と論理矛盾なく成立しうる国体であると思うている。
一方、世の中の一般は僕とは違って、この論理矛盾にも平気だという向きが圧倒的に多いらしい。何となれば、この国においてRepublicanismを奉ずる人は極めて少数派というのが現実である。
近頃、やんごとなき辺りの話題がどうも騒がしいが、何だかBreedingの話を聞いているようで厭に生々しく、関係の方々はさぞかし不愉快極まるのではなかろうかと、非常に気の毒に思っている。
先程、世の中には矛盾に平気な人が大多数と言うたが、思うに、太古からのMonarchyにかかる制度を二十一世紀の現代において維持するのは、最早、価値観のみならず物理的なことからも無理になっているのではなかろうか?
養子の話も随分と不躾な強引さがあるし、女系容認は二千年に近い伝統を破壊せんとする乱暴な話である。どちらもそれぞれに主権の存する国民の総意となるは難しかろう。
女性或いは女系擁護派は、現行の典範は古臭い男尊女卑などと非難するが、そもそも民主主義の価値観の国体において、神話の価値観と密接に連なるこの制度を維持するという、この最大の論理矛盾には、彼らは徹底的に口を閉ざしている。
女系擁護派には、古代のひめのすめらみこと数代を持出して、かの時代は双系であったなどと語る向きがあるが、どうも論拠に乏しく怪しい。実在のひめのすめらみことは、いずれも全て例外なく、父系を辿ればすめろきに至るという厳然たる事実について、双系論者は何らの有効な反論ができていない。
古代に行われた訪妻婚を女系擁護の論拠とする向きもあるが、訪妻婚であっても、家系にかかる意識そのものは、父系を辿るものであったことは間違いなく、母系或いは双系を家系の基礎として据える考え方は古代にも確認されておらず、かかる史料も当然見当たらない。そもそも、訪妻婚自体が特定の上流階級特有の例であり、庶民においては見られなかった、すなわち、国全体としては古代においても娶嫁婚が大勢であったとする説もある。
何より、かの時代に編まれた記紀の記述自体が、圧倒的な父系のNarrativeである。すめろきの系譜は、基本的に父から男子へと移行を続けている。これら、この国の古代の家系にかかる考え方には、当時、往来が頻繁になりつつあった大陸由来の家族制度の思想からも影響がありそうだが、今回そこまで脱線するのは控えておこう。
まあ、僕から見ると、記紀における姉神弟神の祈誓の場面には、唯一、女系の正統性を訴える要素があるやに見ゆるが、これを用いて女系擁護論を展開する人を見たことが無い。ただ、これも紀の一書において、生れませる子を姉と弟いずれの子と判ずるかに解釈の揺らぎがあり、そこに弱点が存するのではあるのだが――
ところで、Liberalistを自称したり、Communismを奉ずる人達は、本来ならRepublicanismを奉ずるであろうし、かつては確かにそうであった。
しかし、今世紀に入ったあたりからだろうか、これらの系譜に連なる人達も、Constitutional Monarchy を是としたり、剰え、His/Her MajestyやHis/Her Highnessに親和的な言辞を用い、やんごとなき系譜の維持にも積極的に口をはさむようになってきた。
これには、一面においてやんごとなき辺りがLiberalism的な価値観に歩み寄った振舞をなさることが、この国や欧州において増えてきたという事情もあり、Monarchyを維持するための戦略と分析する研究もあるようだが、畏れ多いのでこれ以上は語らない。
閑話休題。
そうして、件の〝進歩的〟な方々が、上御一人の言や振舞をあれこれ解釈して、その忖度を自らの主張に引き寄せ、葵の印籠と言おうか――、いやいや、更にゆゆしくも、錦旗として振りかざしていらっしゃる。
この光景には、何とも啞然となってしまう。
この人達の本来の思想とは相容れぬ筈の神話由来の権威なのだが、その前に見事なまでに額ずき、御庭の砂に塗れて入らせらるる滑稽を、御本人は襟裡においてどのように折合いを付けて入らせらるるのだろうかと、僕は随分と意地が悪くも、にやにやしながら眺めている。
<了>




