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第8話:王立工房と「知識のカルテル」


宰相オーレリアスの「強欲」という名の全面的な支援と、騎士団長バルガスの「鋼鉄の剣」への期待。この二つの、本来なら相容れないはずの『インセンティブ』を束ねることで、黒田哲也の「産業革命」プロジェクトは、恐るべき速度で始動した。

王立工房ロイヤル・マニュファクトリー」。

その名は、オーレリアスのきんへの欲望を反映し、荘厳に響いた。

レオンハルトの王命のもと、東部の未開地(粘土と石炭の産地)には、バルガス配下の騎士団による「防衛拠点」が瞬く間に築かれ、その内側に、アデニア王国中から「最高の職人」たちが集められた。

黒田は、自らがデザインした「工房」の設計図を手に、意気揚々と最初の「講義」のために教壇(という名の、作業台)に立った。

集められたのは、王都でも随一の腕を持つ「鍛冶師」と「陶工」のギルドマスター(親方)たちだ。

「諸君。私は学者だ。黒田哲也という」

黒田は、エドム村の農民たちとは違う、プライドに満ちた彼らの目を見て、あえて物腰柔らかく切り出した。

「私には『モノ』を作る技術はない。だが、あなた方の『技術』を、飛躍的に高める『理論』と『資源』を提供できる」

黒田は、持ち込まれた「石炭」と「白い粘土カオリン」を指し示した。

「これだ。この『石炭』の『エネルギー』が、あなた方の『木炭』の限界を超える。『粘土』が、あなた方の『土器』を、王侯貴族がきんで買う『磁器』に変える」

彼は、現実世界あちらの学生に講義するように、熱を込めて語った。

コークス(石炭から不純物を取り除いたもの)の理論。高炉の原理。釉薬うわぐすりと焼成温度の化学。

黒田は、彼らがエドム村の農民たちのように、目を輝かせてこの「新しい知識」に飛びついてくると、心のどこかで期待していた。

だが、職人たちの反応は、冷ややかだった。

「……教授、とやら」

最初に口を開いたのは、腕周りが黒田の太腿ほどもある、鍛冶師ギルドの親方だった。

「我らは、アデニアの『鉄』と『炎』を、五百年守ってきた自負がある。この『黒い石(石炭)』は、不浄だ。不純な『熱』は、鉄の『魂』を汚す。そんな『異端』の教えに、我らの『伝統』を曲げることはできん」

「その通りだ」

陶工ギルドの痩せた親方が、神経質そうに続けた。

「この『白いカオリン』は、粘りがなさすぎる。我らの『秘伝』の土とは違う。こんなものでは、我らの『窯』では、ゆがみ、割れるだけだ。我らの『技』は、この土には通用しない」

黒田は、愕然がくぜんとした。

(……なんだと? やらない、と? 理解できない、と?)

彼は、現実世界(パラ経)の学生たちへの「苛立ち」を、今、鮮明に思い出していた。

あちらの学生は『理論』を学ばず『実践バイト』に逃げた。

こちらの職人は『伝統(古い理論)』に固執し、新しい『実践(実験)』を拒否している。

(……同じだ! どちらも『知る』ことから逃げている! 『固定観念フィックスド・マインドセット』の化け物め!)

「やれ、と申しておるのだ!」

宰相オーレリアスが、黒田の隣で怒鳴った。彼は「きん」が生まれるのを、今か今かと待っている。

「王命だぞ! 教授の言う通りに『鋼』と『ジキ』を作れ!」

宰相の『権力』と『きん』による圧力。

ギルドの親方たちは、顔を蒼白にさせ、しぶしぶ「実験」に取り掛かった。

結果は、惨憺さんたんたるものだった。

「教授! これはどういうことだ!」

バルガスが、実験場から「ソレ」を掴んで、黒田の胸に突きつけた。

それは、黒田の理論どおりに「石炭」で熱せられたはずの、剣の「残骸」だった。

木炭いつもの剣より、もろい! 訓練用の木剣で叩いただけで、『ガラス』のように砕け散ったぞ!」

「そ、そんなはずは……」

(まさか、石炭の『硫黄サルファー』が、鉄に混じった? コークス化(不純物の除去)が、不十分だった?)

「黒田殿!」

今度は、オーレリアスの金切り声が、陶工の窯から響いた。

黒田が駆けつけると、そこには「磁器」とは似ても似つかぬ、『白いゴミ』の山が築かれていた。

高温に耐えきれず、窯の中で溶け落ちた粘土。

熱が足りず、生焼けで割れた、無数の「皿の残骸」。

「……教授」

オーレリアスは、怒りを通り越して、冷え切った目で黒田を見た。

「私は、この『ゴミの山』に、金貨一万枚を『投資』したわけではない。あなたが言った『金貨100枚の磁器』は、どこにあるのかな?」

黒田は、返答できなかった。

バルガスは「やはり『異端』だ!」と激怒し、ギルドの親方たちは「だから言ったのだ。『伝統』を無視するからだ」と、安堵あんどの表情すら浮かべている。

レオンハルトの顔にも、焦りと失望の色が浮かぶ。

(……失敗だ)

黒田は、王立工房の自室(という名の、粗末な小屋)に戻り、頭を抱えた。

(理論は間違っていない。エドム村では成功した。何が違う?)

彼は、羊皮紙に、エドム村の『成功要因』と、今回の『失敗要因』を書き殴っていった。

エドム村:

対象:農民(非組織的)

状況:破綻寸前(失うものがない)

インセンティブ:『飢えの恐怖』からの解放+『税率3割』という明確な利益。

王立工房:

対象:職人(ギルド=組織的)

状況:伝統と既得権益(失うものがある)

インセンティブ:『宰相の圧力』と『王命』。(=やらされ仕事)

「(……これだ)」

黒田は、問題の『本質』を見抜いた。

「問題は『技術』じゃない。『組織』だ」

ギルドという『組織』は、新しい『技術イノベーション』を生み出すために存在しているのではない。

既存の『技術』を独占モノポリーし、価格と品質を『管理』し、『既得権益』を守るために存在している。

彼らは『成功』しても(ギルド内の地位は変わらない)、『失敗』すれば(伝統を汚したと責められる)、リスクしか無い。

(だから、彼らは『合理的』に『サボタージュ(非協力)』したのだ。口では『伝統』と言いながら!)

黒田は、現実世界(パラ経)で、サークル(※BoCSなど)活動に精を出し、ゼミの卒論をサボタージュしていた学生たちの顔を、鮮明に思い出していた。

彼らも「合理的」だったのだ。ゼミ(古い価値観)で評価されるより、サークル(新しい実践)で評価される方が、『インセンティブ』が大きかったのだ。

(……ならば)

黒田の「学者」の目が、再び「戦略家」の目に戻った。

(ギルド(組織)と戦うのは、非効率だ。バルガス団長(精神論)を説得するより難しい)

(ならば……ギルドという『カルテル』を、『経済学』で、内側から『破壊』すればいい)


翌日。

黒田哲也は、レオンハルトの王命(という名の、全権委任)を使い、王立工房に集められた全ての職人たちの前に立った。

オーレリアスとバルガスも、黒田がどう「言い訳」するのか見届けようと、腕を組んで見ている。

「諸君。昨日は、私の『理論』の不備で、多大な『ゴミ』を生み出してしまった。申し訳ない」

黒田の謝罪に、ギルドの親方たちの顔が、わずかに緩む。

「だが、私は諦めていない」

黒田は、工房の壁に、巨大な羊皮紙を貼り出した。

レオンハルトが、その内容を読み上げる。

「――『王立工房・革新懸賞イノベーション・バウンティ』制度を、本日より発令する!」

職人たちが、ざわめく。

黒田が、その『制度システム』の『デザイン』を説明し始めた。

ギルド(親方)への『固定給』は、本日をもって『廃止』する

「「な!?」」ギルドの親方たちが、激怒する。

代わりに、この工房で『問題』を解決した『個人』に対し、莫大な『懸賞金ボーナス』を支払う

懸賞金ボーナス』は、ギルドを通さず、『個人』に直接、金貨で支払われる

解決者は、『王室レオンハルト』の名において『ロイヤル・マイスター』の称号を与える

そして、黒田は、壁に貼り出された「最初の『懸賞金』リスト」を指差した。

【第一回・革新懸賞イノベーション・バウンティ

懸賞(壱):

課題: 『黒い石(石炭)』から、『毒(硫黄)』を取り除き、『真の熱』を生み出す方法の確立。(=コークス製法)

懸賞金: 500ゴールド

懸賞(弐):

課題: 『白いカオリン』が割れず、歪まず、美しく焼ける『新しいかま』の設計。

懸賞金: 500ゴールド

懸賞(参):

課題: 『白い泥』に混ぜ、強度を高める『つなぎ(釉薬)』の発見。

懸賞金: 300ゴールド

「(……これが、私の『行動経済学』だ)」

黒田は、職人たちの「インセンティブ」が、一瞬で変わるのを『観察』していた。

ギルドの親方たちは「伝統を金で買うのか!」「ギルドの権威を破壊する気か!」と、激しく反発している。

だが、彼らの足元(弟子)……これまで親方の下で、安い給金で働かされていた『若い職人』たち。

そして、ギルドに所属できなかった、腕はいいが『流れ者』の職人たち。

彼らの目が、昨日までの「無気力」から、『きん』と『名誉(称号)』への、き出しの『欲望』に変わっていた。

「(ゲーム理論における『囚人のジレンマ』だ)」

黒田は、冷ややかに分析する。

(ギルドが『団結(黙秘)』すれば、懸賞金は誰も得られない。だが、誰か『一人』が抜け駆けして『成功(自白)』すれば、その一人が『全て』を得る。……必ず、抜け駆けする『合理的』な人間が現れる)

オーレリアスは「ほぅ……『成果報酬型』か。無駄な人件費が削れる」と、コストカットの側面だけを見て、口元を吊り上げている。

黒田は、この「王立工房」を、単なる『工場ファクトリー』から、人間の『欲望』を燃料にして『イノベーション』を奪い合う『研究所ラボラトリー』へと、変貌させた。

ギルドという「知識のカルテル」は、今、黒田の仕掛けた『経済的インセンティブ』によって、内側から崩壊を始めたのだった。



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