戦国編・第十一話:「ジャスト・イン・タイム」と墨俣の夜明け
1.嵐の中の納品
永禄九年(1566年)、六月某日。深夜。
尾張と美濃の国境地帯は、激しい雷雨に見舞われていた。
叩きつけるような雨音が、全ての音を消し去る中、木曽川の濁流を滑り降りてくる巨大な影があった。
上流の工場から出荷された、数千本の木材を組んだ 「筏」 の群れである。
「着いたぞ! 接岸しろ!」
中洲の墨俣にて、蜂須賀小六が叫ぶ。
川並衆の男たちが、慣れた手つきで筏を岸に引き寄せ、綱で固定する。
待ち構えていたのは、木下藤吉郎(秀吉)率いる二千の野伏たちだ。
彼らは普段、武器を持って戦う兵士だが、今夜だけは違う。
彼らは、システムの一部として動く 「組立工」 だった。
「急げ! 夜明けまでが勝負だ!」
藤吉郎が泥まみれになって指揮を執る。
通常の築城なら、ここから木材を切り出し、加工する工程が入る。
だが、今夜の墨俣には、ノコギリの音もカンナの音もしない。
筏を解体すると、すでに加工済みの柱、床板、壁材が現れる。
「荷揚げ班、A-1からA-50までを右へ!
組立班、図面通りの穴に柱を挿せ! 迷うな、番号を見ろ!」
黒田哲也は、傘もささずにその光景を見守っていた。
必要な物が、必要な時に、必要な量だけ現場に届く。
現代の自動車産業を支える 「ジャスト・イン・タイム(JIT)」 方式が、戦国の最前線で稼働していた。
2.プラモデル作戦
「おい、この柱、どっちが上だ?」
一人の男が手を止めて考え込んだ。
すかさず、黒田が飛んでいって怒鳴った。
「考えるな! 『上』と焼印がある方が上だ!
君たちの仕事は判断することじゃない。マニュアル通りに手を動かすことだ!」
現場から「思考」というノイズを排除する。
熟練工の勘に頼らず、誰でも同じ品質で作れるようにする 「標準化」 の威力は凄まじかった。
カッ、カッ、カッ!
雨音に混じって、木槌で木を叩く乾いた音だけが響く。
釘は一本も使わない。
ほぞ(突起)とほぞ穴を噛み合わせ、木の楔を打ち込むだけで、強固な結合が生まれる。
「は、早い……」
蜂須賀小六は、呆然と見ていた。
「まるで妖術だ。地面から木が生えてきやがる」
土台ができ、柱が立ち、壁が嵌め込まれる。
その間、わずか数時間。
嵐が去り、空が白み始める頃には、湿地帯だったはずの墨俣に、二層の櫓と、周囲を囲む頑丈な塀が出現していた。
それは美しさや優雅さとは無縁の、武骨な「要塞」だった。
だが、機能美という点では、これ以上の建築物はなかった。
3.敵への心理的ショック
翌朝。雨上がりの晴天。
対岸の稲葉山城にて、美濃の国主・斎藤龍興が目を覚ました。
「昨夜は酷い雷だったな……。川の様子はどうだ?」
龍興は欠伸をしながら、天守の窓から外を覗いた。
そして、凍りついた。
「な……なんだ、あれは……?」
昨日までは何もなかった川の合流点に、白木が眩しい「城」が建っている。
幻覚かと思い、何度も目を擦ったが、城は消えない。
それどころか、城壁の上には織田家の旗印「永楽銭」の旗が翻り、数千の兵が鬨の声を上げているではないか。
「え、エイエイオー!!」
「ば、馬鹿な! 一晩だぞ!?
城が一晩で湧いて出たというのか!?」
城内はパニックに陥った。
「魔法だ! 織田は妖怪を使役している!」
「あんな化け物と戦って勝てるわけがない!」
これが、黒田の狙った 「心理的効果」 だった。
軍事的には、単なる前線基地に過ぎない。
だが、「一夜にして城を出現させた」という事実は、敵兵に「織田軍は人智を超えている」という絶望的な恐怖を植え付ける。
恐怖は伝染し、斎藤軍の士気を崩壊させた。
戦う前から、勝負は決していたのだ。
4.現場監督の昇進
完成した墨俣砦。
まだ木の香りが漂う櫓の上で、織田信長は対岸の美濃を眺めていた。
「……見事だ、サル」
「は、ははーっ!!」
藤吉郎は、泥と涙でぐしゃぐしゃの顔で平伏した。
「死ぬ気でやりやした! これで、首が繋がりました!」
「うむ。約束通り、この城はお前に預ける。
今日から貴様は足軽組頭ではない。一城の主だ。
名も変えろ。…… 『木下藤吉郎秀吉』 と名乗るがよい」
信長は、藤吉郎に「秀吉」の名を与えた。
一介の農民から、城持ち大名への異例の 「飛び級昇進」 である。
「ははーっ! ありがたき幸せ!!」
信長は、傍らに控える黒田に向き直った。
「黒田よ。この城一つに、いくらかかった?」
黒田は即座に答えた。
「木材加工費、物流コスト、人件費……。
通常の築城の三倍の費用がかかりました。特に、夜間作業の割増賃金と、川並衆への成功報酬が嵩みました」
「高いな」
「いえ。通常の工期なら一ヶ月かかります。その間の兵糧や、敵に襲撃されるリスク(損害保険料)を考えれば……。
トータルコストでは、 『半額』 で済みました」
「ククク……。時は金なり、か」
信長は満足げに笑った。
「この城を足掛かりに、美濃を切り取るぞ。
だが、力攻めはせん。
……斎藤家の重臣ども。金で買える奴はいないか?」
5.次なるターゲット:「美濃三人衆」
墨俣の完成により、織田軍は美濃国内へ自由に侵入できるようになった。
だが、稲葉山城は金華山の頂にそびえる難攻不落の要塞。力攻めでは被害が大きい。
「殿。戦わずして勝ちましょう」
黒田は、一冊の名簿を取り出した。
「斎藤家を支えているのは、 『美濃三人衆』 と呼ばれる三人の重役たちです。
稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全。
彼らは実力者ですが、現当主の龍興が無能であることに不満を持っています」
黒田は眼鏡を光らせた。
「彼らにオファーを出しましょう。
沈みゆく泥船(斎藤家)から、急成長するベンチャー(織田家)への 『転職』 を」
一夜城の衝撃が冷めやらぬ中、黒田と秀吉による、大規模な引き抜き工作が始まろうとしていた。
戦場での槍働きではなく、密室での条件闘争。
「忠義」という名の精神論を、「待遇」という実利で切り崩す。
季節は盛夏へ。
熱気と共に、美濃攻略戦は最終局面へと向かっていく。
(第十二話へ続く)




