第7話:「粘土」と「石炭」の価値
「――教授。我々は、あなたの『知性S+』を信じたい」
王城の大会議室。宰相オーレリアスは、東部未開地の視察から戻るやいなや、黒田哲也を詰問していた。
「だが、『粘土』と『石炭』だと? 冗談にもほどがある」
オーレリアスの背後では、騎士団長バルガスと農務大臣が、もはや隠そうともしない侮蔑の表情で腕を組んでいた。
「その通りだ、学者殿!」
バルガスが、耐えきれないというように机を叩いた。
「俺たちは魔王軍と戦っているんだ! 兵士は『パン(小麦)』を食い、騎士は『鉄』の剣で戦う! あんたは、エドム村の『豚』で満足できず、今度は俺たちに『泥』を食えと申すか!」
「まさに! 土地の『富』とは『食料(小麦)』のこと!」農務大臣も続く。
「粘土や石炭など、何の『腹』の足しにもならぬ! それに『金』を費やすなど、狂気の沙汰だ!」
旧体制の「常識」が、黒田の新しい「理論」に一斉に牙を剥いた。
彼らにとって、価値とは「今、目に見えるもの(食料、金塊)」だけだった。粘土は泥であり、石炭は汚れた石でしかない。
宰相オーレリアスは、この旧体制の二人とは、少し違っていた。
彼は、黒田を『狂人』とは見ていない。彼は、黒田を『理解不能な、しかし危険なトリックスター』として警戒していた。
「教授。私は、あなたが提案した『東部開拓計画』に、国家予算を投下するつもりでいた。それは、あなたがエドム村で示した『ブドウ』と『オリーブ』の『効率』が、莫大な『金』を生むと『合理的』に判断したからだ」
オーレリアスは、冷ややかに、自らの「重商主義」の正当性を説く。
「だが、あなたはそれを自ら蹴った。なぜ『儲かる』ブドウの話を捨て、儲かるはずもない『泥』と『石』の話を持ち出す?」
「(……やはり、この男は『合理的』だ)」
黒田は、バルガスや農務大臣のような「古い亡霊」とは違う、オーレリアスという「貪欲な資本家(の、前近代版)」に、ある種の「やりやすさ」すら感じていた。
(バルガス団長(精神論)や農務大臣(固定観念)を説得するのは骨が折れる。だが、この宰相(利益至上主義)は、違う)
「宰相閣下」
黒田は、オドオドしていた学者でも、激昂する教授でもなく、冷静な「コンサルタント」の顔で、オーレリアスにだけ向き直った。
「あなたは、正しい。我々には『金』が必要です」
「ほう?」
「そして、あなたの『重商主義』は、半分だけ正しい」
「半分、だと?」オーレリアスが、不快そうに眉をひそめる。
「あなたは『金』を『富』そのものだとお考えだ。だが、それは『手段』に過ぎません。……しかし、『金を欲しがる』という、その『動機』は、経済を回す上で最も重要な『エンジン』になる」
黒田は、レオンハルトに目配せをした。
若き王代理は、黒田との「講義」で、既に「次に何をすべきか」を理解していた。
「財務官!」レオンハルトが命じる。
「宰相が管理する『貿易台帳』を! ただし、『食料(小麦)』以外の、全ての『輸入品目』の台帳を持ってこい!」
「『小麦』以外……?」
オーレリアスは、レオンハルトの意図が読めず、怪訝な顔をした。
すぐに、分厚い羊皮紙の束が運ばれてくる。
黒田は、その台帳をパラパラとめくると、あるページを開いたまま、宰相の目の前に叩きつけた。
「宰相閣下。あなた方が、北の自由都市連合から『小麦』と共に、莫大な『金貨』を払って『輸入』しているもののリストです」
「……これは?」
「お読みください」
黒田は、リストの項目を一つ一つ、指差していく。
「『自由都市製・鋼鉄剣』……1000本」
「『自由都市製・焼成レンガ』……5万個」
「『自由都市製・硬質陶器(ポット、皿)』……3000セット」
「……それが、どうしたというのだ、教授」
バルガスが、苛立ったように言った。
「良い『武器』、良い『建材』、良い『器』を買うのは当たり前ではないか! 北の『技術』は、我らより遥かに進んでおるのだからな!」
「それだ」
黒田の低い声が、会議室に響いた。
「バルガス団長。あなたは今、この国の『敗因』を、ご自分で『白状』なさいました」
「な、なんだと!?」
「なぜ、北の『技術』が進んでいると? なぜ、我らには『良い武器』や『良いレンガ』が作れないと?」
黒田は、視察でこっそり持ち帰っていた「石炭」の塊を、ゴトリ、と会議室のテーブルの中央に置いた。
「答えは、これです。『熱』の差です」
「(……京堂大学(パラ経)の学生どもに、『産業革命』の講義をしても、誰も目を輝かせなかった。だが、今、ここでなら……!)」
黒田の「講義」が、この異世界で最も権力を持つ「学生」たち(王、宰相、騎士団長)に向けて、始まった。
「あなた方の鍛冶師は『木炭』を使っている。木炭の火力には『限界』がある。鉄鉱石から不純物を取り除けず、脆い『鋳鉄』しか作れない。だから、北の『鋼鉄』の剣に、打ち負ける」
バルガスが、ハッと息をのむ。彼の言う通り、アデニア王国の剣は、戦闘中に「折れる」ことが多発していた。
「だが、この『石炭』は、木炭の『数倍』の火力を生み出す! この『熱』さえあれば、我々の鍛冶師でも、北を凌駕する『鋼鉄』が作れるようになります。バルガス団長、あなたは『泥』を食うのが嫌だと仰った。だが、この『石』は、あなたの部下の『命』を救う『鋼』に変わるのです」
「……!」
バルガスの目が、初めて「侮蔑」から「驚愕」に変わった。
黒田は、次に、農務大臣を睨んだ。
「農務大臣。あなたは『小麦』に固執するあまり、民が何に住んでいるか、忘れておられる。王都でさえ、家々のほとんどが『木造』だ。魔王軍の『火矢』一本で、街は壊滅する」
黒田は、オーレリアスが「泥」と呼んだ「粘土」のサンプルを、石炭の隣に置いた。
「この『粘土』を、『石炭』の『熱』で焼けば、どうなるか?」
「『焼成レンガ』です。火に強く、頑丈な『街』が作れる。もう『火』に怯える必要はなくなる。そして、この『粘土』をさらに精製し、高温で焼けば……」
黒田は、宰相オーレリアスの、金しか映らない「重商主義」の目を見据えた。
「――北の貴族が、こぞって買い求める『磁器』になります」
「じ、じき……?」
「北の連中が売っている『硬質陶器』など、ただの『土器』です。だが、この粘土と石炭(高火力)が揃えば、我々は『純白』で『光を通す』、この世で最も美しい器が作れる」
黒田は、オーレリアスに「罠」を仕掛けた。
「宰相閣下。あなたは『東部開拓』で『ブドウ』を育て、北に売る『金』を夢見ていた」
「ええ、そうですな。それが『国富』に……」
「なんと、時間がかかり、なんと『儲け』の少ない話でしょう」
黒田は、オーレリアスの『重商主義』のプライドを、くすぐりながら刺激する。
「『ワイン』など、所詮は『飲み物』です。価格には限界がある。
だが、『磁器』は? 『芸術品』です。価格は『青天井』。
あの『土器』を、金貨1枚で売っている北の連中に、我々の『純白の磁器』を、金貨『100枚』で売りつけるのです」
「……金貨、100枚……!?」
オーレリアスの、乾いた喉が、ゴクリと鳴った。
「『ブドウ』は、育つまでに『3年』かかる。だが、『粘土』と『石炭』は、今すぐ『掘れる』!」
黒田は、オーレリアスに「二択」を突きつけた。
「A:時間がかかり、儲けも少ない『農業』に投資する」
「B:今すぐ掘れて、儲けが『100倍』の『工業(磁器)』に投資する」
オーレリアスの『合理的(=貪欲)』な頭脳が、瞬時に答えを弾き出す。
「……教授。その『ジキ』とやら……本当に『金』になるのだな?」
「なります」
黒田は、断言した。
「よろしい」
宰相オーfゥレリアスは、立ち上がると、バルガスと農務大臣の反対を、手で制した。
「レオンハルト若! バルガス! 農務大臣! 我々は、この黒田教授の『奇策』に乗る!」
「な、宰相閣下!?」
「『ブドウ』ではなかったのか!?」
「黙れ、近視眼の者ども!」
オーレリアスは、すっかり『磁器で金儲け』をする自分の姿に酔っていた。
「教授の言う通りだ! 『金』は『土』から掘り出すのではない! 『価値』を『創造』して、北の愚か者どもから『奪い取る』のだ! それこそが『真の重商主義』!」
(……かかった)
黒田は、内心、オーレリアスの「強欲さ」に感謝した。
バルガスは「鋼鉄の剣」という『ニンジン』を、オーレリアスは「磁器の金貨」という『ニンジン』を。
黒田は、彼らの『インセンティブ』を完璧にデザインし、異世界における「産業革命」の第一歩を、彼ら自身の手で踏み出させたのだ。
「レオンハルト殿」
オーレリアスが、興奮してまくし立てる。
「直ちに『王立工房』の設立を! 予算は、私が、このオーレリアスが全権を持って管理する! 黒田教授には、その『技術顧問』として、最高の『ジキ』と『鋼』を作っていただこうではないか!」
レオンハルトは、黒田を振り返った。
黒田は、静かに、しかし力強く、頷いた。
(宰相。あなたは、自分が『ゲーム』を支配していると思っている)
(だが、あなたは気づいていない。あなたが『金』を追いかければ追いかけるほど、この国は『金』ではなく『生産力(=工業力)』を基盤とする、あなたの『理解できない』国に変わっていく)
(あなたが『重商主義』の夢を見ている間に、私はこの国で『資本主義』の『基礎』を築かせてもらう)
黒田の『社会実験』は、村から「国家」へと、そのステージを移した。




