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戦国編・第九話:「川のカルテル」と物流買収


1.春の増水と、渡れない川

永禄四年(1561年)、春。

冬の間に降り積もった雪が溶け、尾張と美濃の国境を流れる木曽川は、恐ろしいほどの濁流となっていた。

轟々と流れる茶色の水面は、人と馬を拒絶する巨大な「水壁」だ。

「……これでは、渡れん」

川岸に立った織田信長は、苛立ちを隠せずにむちで長靴を叩いた。

対岸には、美濃・斎藤家の領土が見える。だが、この川を渡らない限り、一兵たりとも送り込むことはできない。

「殿。無理に渡河すれば、船ごと流されます。水が引くのを待つしか……」

家老の林秀貞が諌めるが、信長は舌打ちをした。

「待っていたら、斎藤軍に防御を固められるわ!

おい、船を出せ! 地元の漁師に銭を払って、船を徴発しろ!」

しかし、集められた漁師たちは、皆一様に首を振って怯えていた。

「お、織田様。勘弁してくだせえ」

「この時期の木曽川を出せるのは、 『川並衆かわなみしゅう』 の旦那方だけでさぁ」

「川並衆?」

「へい。この辺りの川を仕切ってる、荒くれ者たちで……。

奴らの許可なく船を出せば、俺たちの船は沈められちまいます」

信長が眉をひそめたその時。

川の上流から、数艘の小舟が、激流をものともせずに滑るように下ってきた。

彼らは織田軍の陣地を見ると、指笛を鳴らし、尻を叩いて挑発した。

「やーい! おかの武士様が、水遊びかー?」

「濡れて風邪ひくなよー!」

「貴様ら!!」

柴田勝家が弓を構えるが、小舟は巧みなさばきで旋回し、あっという間に中洲のあしの中へと消えた。

「……なるほど。厄介な連中だ」

黒田哲也は、その光景を冷静に観察していた。

彼らは単なる野盗ではない。この複雑な水流と地形を熟知し、水上輸送を独占している 「物流カルテル(独占連合)」 だ。

2.藤吉郎の提案と、黒田の試算

その夜、清洲城の作戦会議室。

議題は「いかにして川並衆を排除するか」だった。

「焼き討ちだ! 奴らの隠れ家である中洲を火攻めにしろ!」

勝家が息巻くが、黒田は首を振った。

「非効率です。彼らは船で逃げますし、何より彼らを殺せば、我々も川を渡れなくなる。

我々には、木曽川を渡る『ノウハウ』がない」

そこへ、末席にいた木下藤吉郎(秀吉)が、おずおずと手を挙げた。

「あ、あのう……。俺、奴らのかしらと、ちょっとした知り合いなんですが」

「なに? サル、本当か?」

信長が身を乗り出す。

「へい。 蜂須賀小六はちすか・ころく っていうんですがね。

昔、針売りをしてた頃に世話になりまして。……話くらいなら、できるかもしれません」

「よし!」

信長は即決した。

「サル、行ってこい。金なら出してやる。奴らを雇え。

言うことを聞かねば、一族皆殺しだと脅してこい」

「へ、へい! 行ってきやす!」

藤吉郎が飛び出そうとした時、黒田がその襟首を掴んだ。

「待て、藤吉郎。私も行く」

「え? 銭奉行様もですか? 相手は野蛮な川賊ですよ?」

「だからだ。金で雇うだけでは、彼らは裏切る。

もっと強力な、彼らが断れない 『ビジネスモデル』 を提示する必要がある」

黒田は、懐に一枚の地図(河川物流図)をねじ込んだ。

「行こう。交渉ネゴシエーションの時間だ」

3.中洲の宴と、川魚の味

数日後。

黒田と藤吉郎は、小舟に乗って木曽川の中洲にある川並衆のアジトへと向かった。

周囲は鬱蒼とした葦に囲まれ、迷路のようになっている。

「おう、藤吉郎じゃねえか! 出世したって噂だが、こんな所まで何のようだ?」

現れたのは、熊のような大男。川並衆の頭領、蜂須賀小六だ。

彼は焚き火で巨大なコイを焼いていた。周囲には、薄汚れた着物を着た手下たちが、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。

「久しぶりだなお頭! いやあ、今日は織田様の使いで……」

藤吉郎が愛想笑いを浮かべて近づくが、小六はナタで鯉を叩き切りながら遮った。

「帰れ。織田の手先になる気はねえ」

小六は、焼けた鯉の切り身を口に放り込んだ。

「俺たちは自由だ。斎藤にも織田にもつかねえ。

銭を積まれれば荷物は運ぶが、戦争の片棒は担がねえのがルールだ」

彼らにとって、大名同士の争いは「稼ぎ時」ではあるが、どちらかに加担して全滅するのはリスクが高すぎる。中立を保ち、両方から通行料をせしめるのが、彼らの生存戦略だ。

藤吉郎が困り果てて黒田を見る。

黒田は、泥だらけの地面に座り込み、小六に向かって言った。

「……その鯉、不味そうですね」

場が凍りついた。手下たちが一斉に短刀に手をかける。

小六がギロリと黒田を睨んだ。

「なんだと? てめえ、死にてえのか」

「泥臭いと言ったんです」

黒田は平然と続けた。

「あなた方の商売と同じだ。

通行料を巻き上げ、たまに荷物を掠め取り、大名の顔色をうかがってコソコソ生きる。

……今の『中抜きビジネス』には、将来性がありませんよ」

「……面白い。続けてみろ」

4.「水運独占権」という餌

黒田は、懐から地図を取り出し、焚き火の明かりで広げた。

「小六殿。あなた方が恐れているのは、戦争が終わることでしょう?

戦がなくなれば、あなた方の傭兵としての価値はなくなり、ただの邪魔な川賊として討伐される」

小六の眉がピクリと動いた。図星だった。

「そこで、織田家からの提案です。

我々の傘下に入りなさい。ただし、傭兵としてではない。

『織田家公認・水運事業部(ロジスティクス部門)』 としてです」

黒田の提案はこうだ。

独占免許の付与: 織田家が支配する全ての河川において、川並衆以外の船の航行を禁止する。民間商人の荷運びは、すべて川並衆を通さなければならない。

固定給と歩合: 織田家から安定した扶持(給料)を出しつつ、運んだ荷物の量に応じた運賃収入を保証する。

身分保証: 川並衆の全員を「武士」として遇し、その土地(中洲や川岸)の所有権を認める。

「つまり、コソコソと通行料を取る山賊稼業から、堂々と運賃を取る 『公認の運送業者』 になれと言っているのです」

黒田は、小六の目を真っ直ぐに見据えた。

「斎藤についても、せいぜい使い捨ての傭兵止まりでしょう。

ですが、織田につけば、あなた方は木曽川、長良川、そしていずれは琵琶湖から大阪湾まで……日本中の水を支配する『水の王』になれる」

「……水の、王だと?」

小六は、焚き火を見つめた。

彼らは長年、「川の民」として差別され、陸の人間から疎まれてきた。

それが、堂々と表舞台で商売ができ、しかも川の支配権を認められる。

「……おい、藤吉郎」

小六が、低い声で尋ねた。

「この眼鏡の旦那の言うこと、信じていいのか?」

藤吉郎は、ニカッと笑った。

「お頭。この人は嘘はつかねえ。

ただ、損得勘定には厳しい。この人が『得だ』って言うなら、間違いなく得でさぁ!」

小六は、しばらく考え込んだ後、食いかけの鯉を黒田に放り投げた。

「……食え。契約成立だ」

黒田は、熱々の鯉を素手で受け取り、泥臭い肉にかぶりついた。

「(……不味い。だが、これで物流ルートは確保した)」

5.墨俣への布石

翌朝。

清洲城の信長の元に、驚くべき報告が届いた。

「川並衆、蜂須賀小六以下二千名、織田家に帰順!」

それだけではない。彼らは手土産として、斎藤軍の川の見張り小屋を襲撃し、数艘の軍船を奪ってきたという。

「でかしたぞ、サル! 黒田!」

信長は大いに笑った。

「これで川は渡れるな!」

「はい。ですが殿、彼らの真価は『戦い』ではありません」

黒田は、泥のついた服のまま言った。

「彼らには、木材運搬用の巨大ないかだを組む技術と、夜間でも川を遡る航海術があります。

これを使えば、敵の目の前に、一晩で巨大な拠点を出現させることも可能でしょう」

「……拠点を出現させる?」

「はい。敵地・墨俣すのまたへの築城計画。

彼らの『輸送力』があれば、私の描いた 『プレハブ工法』 が実現可能です」

黒田の眼鏡の奥が光った。

川並衆という「足」を手に入れたことで、歴史的な奇策「墨俣一夜城」の準備は整った。

だが、それを実行するには、まず大量の木材を規格通りに加工する「工場」が必要だ。

次なる課題は、木材調達と、前代未聞の「工業的築城」への挑戦である。

季節は初夏へと向かう。木曽川の水量は、これからさらに増していく。

(第十話へ続く)



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