戦国編・第八話:「宣教師」と火薬のサプライチェーン
1.冬の清洲と「硝石」の欠乏
永禄三年(1560年)、冬。
尾張の空は鉛色に沈み、冷たい伊吹おろしが清洲城の板壁をガタガタと鳴らしていた。
農民たちは家で藁を編み、兵士たちは火鉢を囲んで暖を取る季節。
だが、黒田哲也の執務室だけは、凍りつくような「在庫不足」の寒さに震えていた。
「……足りない。全く足りない」
黒田は、倉庫から上がってきた在庫リストを睨みつけ、ため息をついた。
不足しているのは、米でも銭でもない。
「黒色火薬」 だ。
「黒田様。種子島(鉄砲)の数は揃いましたが、肝心の玉薬が……。これでは、一戦したら撃ち尽くしてしまいます」
配下の者が報告する通り、織田軍の鉄砲隊は拡大していたが、それを稼働させる燃料が致命的に不足していた。
火薬の原料は三つ。「硫黄」「木炭」、そして 「硝石」 だ。
火山国の日本には硫黄は腐るほどある。木炭も豊富だ。
だが、硝石だけは日本で産出しない。100%輸入依存なのだ。
「堺の商人どもめ。足元を見おって」
黒田は、堺の豪商・津田宗及からの請求書を握りつぶした。
そこには、前回の倍の単価が書かれている。
『硝石は南蛮渡来の貴重品ゆえ、相場が上がっております』
……嘘だ。織田家の需要が増えたのを見て、価格を吊り上げているだけだ。典型的な 「独占企業の横暴」 である。
「殿に報告せねばな。……機嫌が悪くなければいいが」
2.南蛮からのセールスマン
大広間へ行くと、織田信長は珍しく、異様な風体の客人と面会していた。
黒いローブに身を包み、高い鼻と、落ち窪んだ目をした異国人。
イエズス会の宣教師、ガスパル・ヴィレラである。
「デウスの教えは、愛と救いデース。オーダ様に、ぜひ洗礼を……」
通訳を介して熱弁するヴィレラに対し、信長はあくびを噛み殺していた。
「愛だの救いだの、見えぬものは要らん。
おい、バテレン(伴天連)。土産はないのか? 南蛮の珍しい菓子とか、南蛮時計とかだ」
「は、はい。コンペイトウがございます」
「甘いな。だが、それだけか? なら帰れ」
信長は興味を失っている。当時の武士にとって、キリスト教は「得体の知れない新興宗教」でしかなかった。
だが、部屋の隅で話を聞いていた黒田は、眼鏡(心の目)を光らせた。
(……イエズス会。彼らは単なる宗教団体ではない。
世界中に支部を持ち、貿易ルートを支配する、大航海時代の 『巨大多国籍企業』 だ)
黒田は、信長の前に進み出た。
「殿。このバテレンを追い返すのは、少々もったいないかと」
「ん? 黒田か。何がもったいないのだ。説教など聞いても腹は膨れんぞ」
「彼らの商品は『教え』だけではありません。
彼らは、マカオやゴアといった海外拠点から、独自の物流ルートを持っています。
……堺の商人を通さない、 『直販ルート(ダイレクト・セールス)』 を」
信長の目が、ギロリと光った。
「……ほう?」
黒田はヴィレラに向き直った。
「神父様。単刀直入に言いましょう。
我々は、デウスの教えには興味がありません」
ヴィレラは悲しげに十字を切った。
「Oh……それは残念デス。迷える羊よ……」
「ですが、 『硝石』 には興味があります」
その単語が出た瞬間、ヴィレラの目の色が変わった。宗教家の慈愛に満ちた目から、抜け目のない商人の目へ。
黒田は続けた。
「現在、我々は堺の商人から硝石を買っていますが、高いマージン(仲介料)を取られています。
あなた方イエズス会が、堺を通さずに直接、硝石を我々に卸してくれませんか?
もちろん、代金は銀で支払います」
ヴィレラは、流暢な日本語で切り返した。
「……我々は商人ではありません。聖職者デス。
火薬などという、人を殺す道具を売るわけには……」
「建前は結構です」
黒田は冷徹に言い放った。
「あなた方の目的は 『布教』だ。
だが、日本では寺社勢力の反発が強く、布教活動は難航しているはずだ。
寺を建てる土地もない。信者を守る武力もない。
つまり、あなた方の『顧客獲得コスト』 は高騰している」
黒田は、信長を指差した。
「この織田信長は、既存の仏教勢力としがらみがありません。
もし、我々と『独占貿易契約』を結ぶなら……
その見返りとして、織田領内での 『布教の自由』と、『教会の建設用地』 を提供しましょう」
ヴィレラが息を呑んだ。
それは、喉から手が出るほど欲しい条件だった。
硝石という「物理的な粉」と、布教許可という「法的な権利」。
異なる価値のものを交換する、高度な 「バーター取引」 の提案だ。
信長が、ニヤリと笑って割って入った。
「面白い。
バテレンよ。余は神など信じんが、お前たちの『火薬』の威力は信じている。
火薬を寄越せ。そうすれば、余がそのデウスとやらのパトロン(後援者)になってやろう」
ヴィレラは、しばし沈黙し……天を仰いで十字を切った。
「……デウスの思し召しに従いマショウ。
この国に光をもたらすためなら、悪魔の粉もまた、必要な糧かもしれマセン」
数日後。
清洲城の中庭で、持ち込まれた硝石を使った「試射」が行われた。
雪が舞う中、黒田と信長が見守る前で、鉄砲足軽が引き金を引く。
ドォォン!!
乾いた轟音と共に、的が粉砕された。
「……良い質だ」
信長は、立ち昇る黒煙の匂いを嗅ぎ、満足げに頷いた。
「堺の混ぜ物だらけの硝石とは違う。火力が強い」
「はい。これで中間マージンなしの 『最恵国待遇』 で、安定的に火薬が手に入ります」
黒田は、懐の契約書を確認した。
「これで冬の間に、十分な弾薬備蓄が作れます。
春になれば、美濃へ向けて大規模な侵攻が可能になるでしょう」
信長は、硝煙の向こうに見える、建設中の南蛮寺(教会)を見やった。
「黒田よ。
あのバテレンども、愛だの平和だのを説きながら、裏では殺しの道具を売りさばく。
……我ら武士よりも、よほど業が深いな」
「ええ。彼らにとって、異教徒同士の殺し合いなど、ビジネスの一部(必要経費)に過ぎないのでしょう」
黒田は、白い息を吐いた。
「ですが殿。これも 『グローバル経済』 です。
清濁併せ呑む者だけが、市場を制するのです」
雪は降り続く。
教会からは、美しい賛美歌が聞こえてくる。
その歌声の裏で、織田軍の火薬庫には、着々と黒い粉が積み上げられていった。
「神の道具」を手に入れた魔王・信長と、その会計係・黒田。
春の雪解けと共に、美濃攻略という巨大プロジェクトが動き出す。
(第九話へ続く)




