戦国編・第七話:「農繁期のストライキ」と人材派遣業
1.黄金色の誘惑
永禄三年(1560年)、晩秋。
尾張の野は、見渡す限りの黄金色に染まっていた。たわわに実った稲穂が頭を垂れ、風が吹くたびに「サワサワ」という乾いた音が響く。
それは、農民にとって一年で最も喜びにあふれる音であり、同時に、戦国大名にとっては「呪いの音」でもあった。
清洲城下の練兵場。
本来なら、掛け声と共に槍の訓練が行われているはずの場所が、今日は異様な殺気に包まれていた。
「ふざけるな! 俺は帰るぞ!」
「親父一人じゃ無理なんだ! 米が腐っちまう!」
「侍大将を出せ! 話にならねえ!」
数千の足軽たちが、槍を地面に投げ出し、座り込みを行っていた。
いわゆる、 「ストライキ(職場放棄)」 である。
「お、おい! 貴様ら! 持ち場に戻れ! 命令違反だぞ!」
現場監督を務める木下藤吉郎(秀吉)が、声を枯らして叫んでいるが、誰も聞く耳を持たない。
それどころか、いまにも藤吉郎に石が飛びそうな雰囲気だ。
「……酷い有様だな」
黒田哲也は、練兵場の隅でその光景を眺めながら、溜息をついた。
手元のスケジュール帳(大福帳)には、「秋季特別軍事演習」の予定が書き込まれていたが、これでは中止せざるを得ない。
黒田は、自らのミスを認めた。
「(私は『経済合理性』ばかり見て、『生活の理屈』を見落としていたか)」
彼ら足軽の正体は、半農半兵。
普段は兵士として給料(銭や米)をもらっているが、その本業はあくまで「農家」だ。
刈り入れの時期に労働力が不足すれば、一家が飢え死にする。
彼らにとって、「織田家への忠誠」よりも「明日の飯」の方が、遥かに優先順位が高いのだ。
2.藤吉郎の悲鳴と、失業率の問題
黒田は、怒号飛び交う群衆の中へ入っていった。
「藤吉郎。状況はどうだ」
「あ、黒田様! 助けてくだせえ!」
藤吉郎は、泥だらけの顔で泣きついてきた。
「こいつら、『今日帰してくれなきゃ脱走する』って聞きません!
でも、今帰したら、冬の美濃攻めの訓練が間に合わねえ! どうすりゃいいんで!?」
藤吉郎の悩みは切実だった。
一度帰せば、収穫が終わるまで一ヶ月は戻ってこない。その間、軍事力はゼロになる。もしその隙に今川の残党や、美濃の斎藤軍が攻めてきたら、尾張は終わりだ。
「……銭で解決できませんか? 特別ボーナスを出すとか」
黒田が提案すると、足軽の一人が食ってかかった。
「銭なんかイラネエんだよ!」
若者が叫んだ。
「銭があっても、稲は勝手に刈り取れねえんだ!
村には腰の曲がった爺様と婆様しかいねえ! 俺が帰らねえと、一年分の米がパーになっちまうんだよ!」
その言葉に、他の兵たちも同調する。
「そうだそうだ! 俺たちを殺す気か!」
黒田は、彼らの切実な目を見て、思考を高速回転させた。
(彼らが必要としているのは『金』ではない。『労働力』だ。
……労働力? 待てよ)
黒田は、藤吉郎に向き直った。
「藤吉郎。最近、清洲の城下町に、仕事にあぶれた『浪人』や『食い詰め者』が増えていると言っていたな?」
「へ? ああ、はい。
戦勝景気で人が集まったんですが、全員に仕事があるわけじゃねえですから。
昼間っからゴロゴロしてる奴らが多くて、治安が悪くなって困ってやす」
黒田の中で、パズルのピースがカチリと嵌った。
需要: 兵士たちの実家(農村)は、労働力が足りない。
供給: 城下町(都市部)には、失業者が余っている。
「……マッチング(需給調整)だ」
黒田は眼鏡をクイッと上げた。
「藤吉郎。そのゴロツキどもを、全員集めろ。
織田家が 『臨時雇用』 する」
3.織田人材派遣センター、設立
一時間後。
黒田は、練兵場に即席の演台を作り、拡声器代わりの竹筒を持って立った。
「全員、聞け!」
よく通る声に、騒いでいた足軽たちが静まり返る。
「君たちの言い分は分かった。帰郷を許可する!」
「おおっ!?」
兵たちが色めき立つ。
「……と言いたいところだが、それでは織田家が滅びる。
そこで、 『代替案』 を提示する!」
黒田は、藤吉郎に合図した。
練兵場の入り口から、ゾロゾロと数百人の男たちが入ってきた。
着物はボロボロ、無精髭を生やした浪人や、暇そうな町人たちだ。彼らは突然の呼び出しに、キョトンとしている。
「なんだありゃ? 乞食か?」
足軽たちがざわめく。
黒田は宣言した。
「君たちは、ここに残って訓練を続けろ!
その代わり、君たちがやるはずだった稲刈りは、この 『収穫応援部隊』 が代行する!」
「はあ!?」
足軽も、連れてこられた浪人たちも、同時に声を上げた。
黒田は説明を続けた。
「仕組みはこうだ。
君たちは訓練を続け、正規の給料をもらう。
その給料から、彼らへの『日当』を天引きさせてもらう。
彼らは君たちの村へ行き、織田家の旗の下、プロとして稲を刈る!」
「馬鹿な! 他人に大事な田んぼを任せられるか!」
足軽の一人が反論する。
「こいつらがサボったり、米を盗んだりしたらどうする!」
「それについては、木下藤吉郎が 『品質保証』 を行う」
黒田が振ると、藤吉郎が胸を張って前に出た。
「おう! お前ら、よく聞け!
この応援部隊は、百姓出身のこの俺が厳しく指導した精鋭だ!
稲の刈り方、束ね方、干し方まで、俺のマニュアル通りにやらせる!
もし米を一粒でも盗んだ奴がいたら、俺がその場で叩き斬る! 安心しろ!」
藤吉郎の「百姓出身」という言葉には、不思議な説得力があった。
そして何より、浪人たちの方も乗り気だった。
「おい、日当が出るってマジか?」
「飯も食わせてくれるのか? ありがてえ!」
「稲刈りなら昔やってたから得意だぜ!」
足軽たちは顔を見合わせた。
自分が帰れば、給料は出ないし、訓練も遅れる。
だが、彼らに任せれば、自分はここにいながらにして、実家の収穫が終わる。
手元に残る金は減るが、トータルで見れば……。
「……計算が合うな」
誰かが呟いた。
「俺たちが往復する時間も考えりゃ、任せた方が得かもしれねえ」
4.アウトソーシングの光景
翌日から、奇妙な光景が尾張中で見られた。
織田家の家紋が入った旗を掲げた「収穫応援部隊」が、村々に到着する。
「清洲から来ましたー! 〇〇さんの田んぼはどこですかー!」
「うへぇ、本当に来たよ」
最初は警戒していた村の老人たちも、彼らの働きぶりを見て驚いた。
藤吉郎の指導を受けた彼らは、恐ろしい手際で稲を刈り取っていく。
何しろ「刈った分だけボーナスが出る(歩合制)」と黒田に吹き込まれているため、目の色が違うのだ。
「早い! 若いもんより早いぞ!」
「婆ちゃん、お茶はいらねえ! 次の田んぼに行くぞ!」
一方、清洲城の練兵場。
足軽たちは、少しソワソワしながらも、槍の訓練に打ち込んでいた。
「おい、お前の村、もう終わったらしいぞ」
「マジか? 手紙が来たのか?」
「ああ。なんでも『今年の稲架掛けは今までで一番綺麗だ』って、親父が喜んでた」
兵士たちの顔から、悲壮感が消えていた。
彼らは初めて、「家業(農業)」と「職業(兵士)」を切り離す体験をしたのだ。
5.常備軍への第一歩
夕暮れ時。
黒田と藤吉郎は、あぜ道に座って、その作業報告書を見ていた。
「大成功ですね、黒田様」
藤吉郎が握り飯を頬張りながら笑った。
「浪人どもも『久しぶりに働いて飯が美味い』って感謝してますし、兵隊たちの士気も下がってない。
まさに、三方良しだ」
「ああ。だが、これは対症療法に過ぎない」
黒田は、遠くで訓練する兵士たちを見つめた。
「藤吉郎。これを恒久的なシステムにするぞ。
いずれは、彼らを完全に農業から切り離し、戦うことだけを専門にする集団…… 『兵農分離』 を完成させる」
「へいのう……ぶんり?」
「そうだ。農繁期だろうが冬だろうが、いつでも動ける軍隊。
それができれば、我々は日本の農業カレンダーを無視して戦争ができる。
……最強の軍隊になるぞ」
黒田の目は、すでにこの泥臭い人材派遣の先に、近代的な「常備軍」の姿を見ていた。
「ま、今はとりあえず……」
黒田は立ち上がり、背伸びをした。
「今年の秋刀魚でも食うか。
三河から届いた塩で焼けば、美味いだろう」
「へへっ、いいですね!」
秋風の中、尾張の経済システムは、また一つ進化を遂げた。
だが、平和な収穫の季節が終われば、いよいよ美濃攻略の軍靴の音が近づいてくる。
次なる課題は、敵地深くに入り込むための「調略」と、川並衆という「水上のアウトロー」たちとの交渉である。
(第八話へ続く)




