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戦国編・第六話:「隣国の若社長」と為替スワップ



1.三河のインフレ、織田のデフレ

永禄三年(1560年)、秋。

尾張の野山では、ススキが白い穂を揺らし、心地よい秋風が吹き始めていた。

桶狭間の戦いから三ヶ月。織田信長の領土は平穏を取り戻していたが、東の隣国・ 三河みかわ では、深刻な経済危機が進行していた。

三河の主、 松平元康(後の徳川家康) は、まだ十九歳の若武者だった。

彼は今川家から独立を果たし、岡崎城に戻ったばかり。いわば、親会社(今川)から独立したばかりの「ベンチャー企業の若社長」である。

だが、その経営状態は火の車だった。

「殿……。また商人が逃げ出しました」

「米の値段が、先月の二倍になっております」

岡崎城の評定の間。家老の酒井忠次が悲痛な報告を上げる。

元康は、手元にある一枚の銅銭を睨みつけた。

文字が磨り減り、縁が欠けた 「今川銭」 である。

「……紙屑同然か」

これまで三河経済は、巨大企業・今川家の経済圏に依存していた。

今川の銭を使い、今川のルートで塩や肥料を買っていた。

だが、元康が独立を宣言した瞬間、今川家は激怒し、三河への物流をストップ(経済制裁)した。

さらに悪いことに、今川義元が死んだことで「今川銭」の信用が暴落。

三河国内ではハイパーインフレが起き、誰も銭を受け取らず、物々交換に戻りつつあった。

「塩がない。肥料がない。銭は使えない。

このままでは、戦をする前に三河は干上がるぞ……」

元康は、苦渋の決断を迫られていた。

かつての敵、織田信長と手を組むか。それとも、痩せ我慢をして飢え死にするか。

2.清洲城での「トップ会談」

そんな折、織田方から「会談」の申し入れがあった。

場所は、尾張の清洲城。

元康は、少数の護衛だけを連れて尾張へ入った。

敵地へ乗り込む緊張感。だが、それ以上に元康が驚いたのは、尾張の街道の風景だった。

「……活気がある」

街道沿いの茶屋では、商人が「永楽銭」を使って団子を買っている。

荷馬車には、伊勢から来た塩や海産物が山積みになっている。

ボロボロの三河とは対照的に、尾張は戦勝景気に沸き、物流がスムーズに流れていた。

(これが、織田信長の経営力か……)

清洲城の大広間。

織田信長は、上座で干し柿をかじりながら、元康を待っていた。

その横には、眼鏡のようなものをかけた、妙に落ち着いた男――黒田哲也が控えている。

「ようこそ参られた、松平殿」

信長は、フランクに手を挙げた。

「堅苦しい挨拶は抜きだ。単刀直入に言おう。

余と手を組め。東の壁になれ。そうすれば、余は安心して西(美濃)を獲りに行ける」

元康は、慎重に口を開いた。

「……同盟の話、藪坂ではありません。

ですが織田殿。我が三河は今、貧困の極みにあります。

軍事同盟を結んだところで、兵に食わせる飯も、鎧を直す銭もないのが実情です」

元康は、足元を見られないよう、あえて窮状を訴えて支援を引き出そうとした。

いわゆる「泣き落とし」戦術だ。

だが、信長の横にいた黒田が、静かに割って入った。

「ですから松平殿。今回は軍事同盟ではなく、 『経済連携協定(EPA)』 を結びましょう」

「……いーぴーえー?」

元康が目を丸くする。

3.通貨スワップと塩の道

黒田は、大きな地図を畳の上に広げた。

そこには、尾張と三河、そしてその周辺の物流ルートが書き込まれていた。

「松平殿。あなたの悩みは二つ。

一つは、今川からの『塩止め』で領民が苦しんでいること。

もう一つは、三河で流通する『今川銭』の価値が暴落し、商人が寄り付かないこと」

黒田は、二枚の銭を取り出した。

一枚は織田の「良質な永楽銭」。もう一枚は三河の「粗悪な今川銭」。

「解決策を提示します。

まず、織田家は三河に対し、関税なしで『塩』と『海産物』を輸出します。

そして……これが重要ですが、 『為替レートの固定』 を行います」

黒田の提案はこうだ。

三河商人が持つ「ボロボロの今川銭」を、織田家が 「永楽銭1枚 = 今川銭4枚」 という公定レートで、無制限に交換・保証する。

「織田家が、三河の通貨の『保証人』になるのです。

こうすれば、他国の商人も安心して三河へ商品を売りにいけます。

『三河で稼いだ汚い銭も、尾張に持っていけば綺麗な銭に換えてもらえる』と信用が生まれるからです」

これは現代でいう 「通貨スワップ協定」 に近い。

信用力の低い通貨(三河)を、信用力の高い通貨(織田)がバックアップすることで、経済崩壊を防ぐ手法だ。

元康は、震えた。

(この男……。単なる人助けではない。三河の経済を、織田の経済圏に完全に『依存』させる気だ)

もしこの協定を結べば、三河は生き返る。だが、織田家に見捨てられた瞬間、三河経済は即死するようになる。

それは、軍事的な従属よりも強い、逃れられない鎖だ。

「……条件は、なんでしょうか」

元康は、冷や汗を拭いながら尋ねた。タダでこんな提案をするはずがない。

黒田はニヤリと笑った。

「三河で採れる 『綿花めんか』 。

これを、織田家に優先的に、かつ安定価格で卸していただきたい」

4.三河木綿という戦略物資

「綿……ですか?」

元康は拍子抜けした。三河は土地が痩せており、米があまり取れない代わりに、綿花の栽培が盛んだった。だが、それはあくまで農民の副業レベルだ。

「はい。これからは綿の時代が来ます」

黒田は熱っぽく語った。

「今、兵士の服は麻ですが、冬は寒い。綿が入った着物なら、冬の行軍でも凍えません。

さらに、火縄銃の『火縄』には、良質な三河木綿が欠かせない。

綿は、米や鉄に次ぐ、次世代の 『戦略物資』 なのです」

黒田の狙いは、三河を「織田軍の繊維工場」にすることだった。

織田は塩と銭を送り、三河は綿を送る。

これは、リカードの 「比較優位」 に基づく、完璧な貿易モデルだ。

元康は、じっと黒田の目を見つめた後、深く息を吐き出した。

「……参りました。

織田殿の武力も恐ろしいが、この奉行の知恵はもっと恐ろしい」

元康は、信長に向き直り、深々と頭を下げた。

「この話、乗らせていただきます。

松平家は、織田家の『盾』となりましょう。その代わり、我が領民を飢えさせないでくだされ」

「うむ! 契約成立だ!」

信長は上機嫌で、元康に自分の食いかけの干し柿を放り投げた。

「食え、元康。甘いぞ」

元康はそれを両手で受け取り、泥臭く、しかし力強くかじりついた。

その目は、すでに「田舎大名」のものではなく、乱世を生き抜く「経営者」の目に変わっていた。

5.タヌキの皮算用

会談が終わり、元康たちが帰路についた夕暮れ。

黒田は城門で彼らを見送った。

「黒田様、ひとつお聞きしたい」

去り際に、元康が馬を止めて尋ねた。

「貴殿は、なぜそこまでして三河を助ける? 弱らせてから攻め取れば、綿も土地もタダで手に入ったはずだ」

黒田は、夕日を背に答えた。

「攻め取れば、三河は戦場になり、綿畑は焼けてしまうでしょう。

それに、元康殿。

あなたは『優秀な支店長』になれる。

私が直営するより、あなたに経営を任せた方が、利益リターンが大きいと判断しました」

「……支店長、か」

元康は苦笑いした。

「手厳しい評価だ。だが、いずれ『本店』を追い抜くかもしれませぬぞ?」

「その時は、私があなたに再就職(転職)をお願いするかもしれませんね」

元康はニヤリと笑い、馬を走らせた。

後の天下人・徳川家康。

この日、彼は織田信長というカリスマから「強さ」を、黒田哲也という異能から「経済の仕組み」を学んだ。

後の「江戸幕府260年の安泰」の基礎となる経済感覚は、この清洲の夕暮れに芽生えたのかもしれない。

「……食えない男だ」

見送る黒田の横で、信長が呟いた。

「ああいう奴が一番しぶとい。せいぜい使い倒してやるさ」

「ええ。東はこれで安泰です」

黒田は、北の空を見上げた。

そこには、次のターゲットである美濃・斎藤家の居城、稲葉山城がそびえている。

「さて、殿。

次は『商社』としての織田家の力、美濃の川並衆に見せつけてやりましょうか」

清洲同盟の成立により、背後を固めた織田軍。

次なる戦いは、剣ではなく「物流」を制する者が勝つ、美濃攻略戦である。

(第七話へ続く)



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