戦国編・第四話:「インサイダー取引」と桶狭間の雨
桶狭間の戦いが迫る数日前。
黒田哲也は、清洲城下の視察(という名の散歩)に出ていた。
街はこれから始まる戦への不安でピリピリしていたが、ある一角だけ、呑気な行列ができていた。
城下で評判の「お春の団子屋」だ。
ここの「焼き味噌団子」は絶品で、限定百本を求めて、非番の足軽や町人が長蛇の列を作っている。
「……非効率だな」
黒田は眉をひそめた。
列の中には、織田家の足軽たちも混じっている。彼らが並んでいる一時間、軍事訓練もできなければ、休息も取れない。
これは織田軍にとって 「機会費用の損失」 だ。
黒田は店主のお春に声をかけた。
「女将。この行列、解消しよう」
「あら、お奉行様。でも、並んでいただくのが人気店の証ですから」
「いや、客にとっても『待ち時間』はコストだ。それに、列が長すぎて諦めて帰る客(販売機会の喪失)もいるだろう?」
黒田は、懐から木札の切れ端を取り出し、筆で番号を書いた。
「明日から 『整理券』 を配りなさい」
黒田の提案はこうだ。
開店前に「番号と時間の書かれた木札」を配る。
客はその時間に戻ってくれば、並ばずに買える。
さらに、 『優先パス(上乗せ料金)』 を導入し、通常一文の団子を「二文払えば、整理券なしで即時購入可」とする。
翌日。
店の前から行列は消えた。
足軽たちは整理券を受け取って一度解散し、指定の時間まで素振りの訓練をして、時間通りに団子を受け取った。
忙しい商人は、倍額を払って時間を買った。
「すげえ! 並ばなくていいし、団子の売り上げも増えた!」
お春は喜んだが、黒田は淡々と焼きたての団子(優先パスで購入)を頬張った。
「 『待ち行列理論』 の応用だ。
時間は資源だ。無駄に消費させてはいけない」
黒田は、空になった串を見つめ、ふと独りごちた。
「……さて。問題は、敵(今川)の時間と場所をどうやって『予約』するか、だが」
永禄三年(1560年)五月。
恐れていた事態がついに現実となった。
「海道一の弓取り」こと今川義元が、二万五千とも四万とも言われる大軍を率いて、尾張へ侵攻を開始したのだ。
対する織田軍は、かき集めても四千。
「兵農分離」で精強な常備軍を育てたとはいえ、 「10倍の戦力差」 は物理的な絶望である。
清洲城はパニックに陥っていた。
「籠城だ! 那古野城で耐えよう!」
「いや、降伏して属国になろう!」
家老たちが口角泡を飛ばして議論する中、信長は一人、奥の部屋で敦盛を舞っていた。
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり……』
「……殿。舞っている場合ではありません」
黒田哲也が、部屋の隅で帳簿を閉じながら言った。
「黒田か。……家老どもは煩い。余に『死に方』を選ばせようとしおる」
信長は扇子を投げ捨てた。
「余はまだ死なん。投資の回収が終わっておらんからな」
「ええ。せっかく育てた『正社員(常備軍)』を無駄死にさせるわけにはいきません」
黒田は、一枚の粗末な地図を取り出した。
「殿。戦力差が10倍ある場合、勝つ方法は一つしかありません。
敵の『総資産(全軍)』を相手にせず、敵の『CEO(総大将)』の首だけを、ピンポイントで狩るのです」
「義元の首か。だが、奴は四万の兵の真ん中にいる。どこにいるかすら分からんぞ」
「分かりますよ。……カネを払えばね」
黒田が信長に提示したのは、 「情報の非対称性」 を利用した、ある「契約」だった。
「殿。戦場となる地域の村長、酒屋、そして野伏たちを買収します」
「間者を放つのか? そんなものは今川もやっている」
「いいえ。間者ではありません。 『情報の独占購入』 です」
黒田の策は徹底していた。
彼は桶狭間周辺の住民に対し、相場の十倍の礼金を前払いし、こう契約させたのだ。
『今川軍の位置情報を織田家に知らせること。ただし、織田軍の情報は一切他言しないこと。もし破れば、村ごとの焼き討ち(ペナルティ)と、成功時の追加報酬の没収を行う』
通常、戦場の住民は、勝つか分からない方には味方しない。
だが、黒田は「前払い(確実な利益)」と「焼き討ち(極大のリスク)」を天秤にかけさせ、経済合理的に「織田に味方するしかない状況」を作り出したのだ。
そして、決戦当日の昼。
豪雨の中、一人の酒屋の主人が、ずぶ濡れになりながら信長の本陣に駆け込んできた。
「い、いましたぜ! 義元公だ!」
「場所は!」
「桶狭間山のお椀の底! 兵たちは雨で休んで酒盛りをしてまさァ!
間違いねえ、俺の店の酒を納入したからな! 今川の兵は『地元の酒屋なら安心だ』と疑いもしなかった!」
黒田は、信長を見た。
「確定情報です。
敵は四万いますが、今、義元の周りにいるのは五千ほど。
さらに豪雨で視界はゼロ。こちらの接近には気づきません」
「……勝った」
信長は、愛刀「長谷部国重」を抜き放った。
「全軍、聞け!
敵は油断しきった酔っ払いだ!
我らの『正社員』の働き、今こそ見せる時ぞ!
狙うは義元の首ただ一つ!
――出撃せよ!!」
永禄三年五月十九日。
織田信長による「桶狭間強襲」は、歴史に残る大番狂わせとなった。
だが、それは「奇跡」ではなかった。
豪雨の中、泥に足を取られる今川軍の農兵たちを尻目に、織田軍の常備兵たちは、毎日給料をもらって訓練した健脚で山を駆け下りた。
そして、黒田が規格統一させた「三間半の長槍」が、混乱する敵陣を正確に切り裂いた。
「な、なんだ貴様らは!?」
「速い! 動きが揃いすぎている!」
今川軍がパニックに陥る中、信長親衛隊が義元の本陣へ雪崩れ込む。
そして――。
「義元、討ち取ったりィ!!」
服部小平太と毛利新介の叫び声が、雨上がりの空に響き渡った。
戦いの後。
清洲城の評定の間には、今川義元の首が置かれていた。
家臣たちは涙を流して喜んでいる。
「信じられん……あの今川に勝つとは!」
「神が味方したのだ!」
そんな中、黒田だけは、黙々と戦費の計算をしていた。
「(情報料、特別ボーナス、武器の消耗……。経費はかかったが、今川領の物流ルートと賠償金で、ROI(投資対効果)はプラス2000%といったところか)」
「黒田」
上座の信長が、血の付いた鎧も脱がずに声をかけた。
「は」
「貴様の言う通りだったな。
カネで情報を買い、カネで育てた兵で、敵の頭を叩く。
……味気ない戦だが、実に『合理的』だ」
信長は、義元の首を見下ろして笑った。
「義元は『家格』と『伝統』に頼り、余は『銭』と『革新』に頼った。
これは、古い時代の終わりだ」
信長は立ち上がり、扇子で東の空を指した。
「次は美濃だ。そして京へ上る。
黒田よ。余の財布、もっと大きくせねば入らなくなるぞ?」
「承知いたしました。
次は……そうですね。 『天下布武』 のための、巨大な都市計画(インフラ整備)が必要でしょう」
桶狭間を越え、織田信長の名は天下に轟いた。
その影には、常にそろばんを持った男がいた。
次なるターゲットは、商業都市「堺」。そして、巨大な宗教勢力との「経済戦争」が待ち受けている。




