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第6話:宰相の目論見と黒田の罠

エドム村での「比較優位」戦略が見事な成功を収め、黒田哲也は王都へ凱旋した。

馬車には、かつて痩せ細っていた村の豚が丸々と太って積まれ、ワインとオリーブオイルの樽が揺れている。

その光景は、王都の住民たちに驚きと希望を与えた。

しかし、王城の中枢ちゅうすうに集まる旧勢力――宰相オーレリアス、農務大臣、そして騎士団長バルガス――の反応は、一様ではなかった。

「ふん。たかが村一つ、豚が肥えた程度で、この国の危機が救えるものか」

バルガスは、豚肉の匂いを嫌悪するように鼻を鳴らした。

農務大臣は、血相を変えてレオンハルトに詰め寄った。

「レオンハルト若! 『小麦を捨てろ』などという、とんでもない理論を許してはなりません! あの村は、『異端』に染まったのだ!」

彼らは、黒田の「成功」を、あくまで「局所的なもの」「異端」として葬り去ろうと躍起になっていた。

しかし、宰相オーレリアス公爵だけは違った。

オーレリアスは、黒田が提示したエドム村の「総生産価値500%増」というデータ(黒田が手書きでグラフ化したものだ)を、黙って見つめていた。その目は、侮蔑ではなく、冷ややかな「興味」をたたえている。

「……なるほど。見事ですな、黒田教授」

オーレリアスは、黒田に近づき、ねっとりとした笑みを浮かべた。

「まさか、王妃陛下の『慈愛』に続き、農村の『常識』までも、あなたの『奇策』で塗り替えてしまうとは。その『知性S+』、まこと恐るべし」

「宰相閣下」

黒田は、警戒を緩めず、オーレリアスの言葉の裏を測っていた。

「教授。この国を救うには、やはり『きん』が必要です」

オーレリアスは、言葉を選びながら、ゆっくりと語り始めた。

「私が信奉する『重商主義』は、この国の『富』が『きん』にあると説く。教授は、それを『古い』と仰った。だが、その『古い理論』こそが、この国をここまで支えてきたのだ」

黒田は、オーレリアスの言葉に、かすかな違和感を覚えた。

(……何か、おかしい。この男は、単なる『古い理論』の信奉者ではない。彼の目は、『利益』を見ている)

「そこで、教授にご提案です」

オーレリアスは、レオンハルトではなく、黒田に直接、視線を向けた。

「エドム村の成功は、認めましょう。ですが、一村の『ワイン』や『油』が、この国の『金庫』を満たすには、あまりに少ない」

オーレリアスは、地図の「東部」を指差した。

「我が国の東部には、未開の広大な土地が広がっている。あそこは、北の山脈に近いため、魔王軍の脅威に晒されているが、もし『安全』を確保できれば、大規模な『ブドウ畑』を開拓できるだろう」

「……それで?」黒田は先を促した。

「そこで、教授にお願いです」

オーレリアスは、黒田の肩に、親しげに手を置いた。

「あなたがエドム村で確立した『比較優位』と『廃棄物の活用』という『効率的な農法』を、あの東部の広大な土地で、『国家プロジェクト』として実行してはどうか? 私も、その『計画』には全面協力しよう」

黒田の脳裏に、一本の危険な「方程式」が浮かび上がった。

(……広大な未開の土地。そして、国家プロジェクト。大規模な『投資』。そして、俺が確立した『効率的な農法』)

「(この男は、俺を『利用』しようとしている……!)」

黒田の直感は、オーレリアスの真の「狙い」を捉えていた。


会議が終わり、レオンハルトは興奮を隠せない様子だった。

「教授! 宰相が協力してくれるとは! これで『比較優位』を国中に広げられる!」

「レオンハルト殿」

黒田は、冷静な声で忠告した。

「宰相は、我々と同じ方向を見ているわけではありません。彼が求めているのは、我々の『成功』そのものではない」

「では、一体何を……?」

「『大規模な国家予算』、そして『莫大な利益』です」

黒田は、宰相が提案した「東部の大規模ブドウ畑開拓計画」の地図に、ペン先を落とした。

「東部は、魔王軍の脅威に晒されている。そこに『投資』するとなれば、多額の『軍事費』と『人件費』、そして『建設費』がかかります」

「確かに……」

「そして、計画がもし成功すれば、莫大な『ワイン』と『オリーブオイル』が生産される。その『売却益』は、全て『国庫(=宰相の管理下)』に入る」

黒田は、レオンハルトの目を見つめた。

「彼の『重商主義』は『きん』の保有量を増やすこと。そのために、彼は『手段』を選ばない。我々の『効率的な農法』は、彼にとって『きん』を増やすための『道具』に過ぎません」

「つまり、教授を……利用しようと?」

「ええ。ですが、心配には及びません」

黒田は、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「『ゲーム理論』という学問があります。それは、合理的なプレイヤーたちが、いかに互いの行動を読み合い、最適な戦略を選ぶか、というものです」

「ゲーム……理論?」

「このオーレリアスという男は、確かに『合理的』だ。だからこそ、彼の『思考プロセス』は、手に取るように読める」

黒田は、宰相の企みを逆手に取る「罠」を仕掛けることを決意していた。

「レオンハルト殿。我々は、宰相の『提案』を受け入れましょう」


翌日。黒田は、宰相オーレリアスと共に、東部の未開の土地を視察していた。

そこは、確かに広大だが、同時に魔王軍の斥候せっこうが頻繁に出没する、危険な地域でもあった。

「どうです、教授。この雄大な土地! ここでなら、エドム村など比較にならないほどの『富』を生み出せるでしょう!」

オーレリアスは、遠い目をして、莫大な利益を夢見ている。

「確かに、素晴らしい土地です」

黒田は、辺りの土壌を丹念に調べ、何枚もの羊皮紙にメモを書き込んでいく。

「しかし、宰相閣下。ここを開発するには、莫大な『初期投資』と、何よりも『安全の確保』が必要です」

「その通り! それこそが『国家の力』!」

オーレリアスは、バルガスをちらりと見た。

「騎士団の精鋭を投入し、魔王軍の斥候を全て排除する。そして、開拓民のための『防衛拠点』も築く。これには多大な『国庫』からの出費を要するが、未来の『富』のためだ!」

(やはり。莫大な予算を、このプロジェクトに注ぎ込むつもりだ)

黒田は、オーレリアスの「狙い」を確信した。

彼が、黒田の「効率的な農法」という『道具』を使って「きん」を増やそうとしているのと同時に、この「国家プロジェクト」自体が、オーレリアスにとって『国庫(予算)』を動かすための『道具』なのだ。

大規模な予算を動かせば、当然、彼自身の「管理費用」や「影響力」も増大する。

「教授。この計画には、莫大な『きん』がかかります。ですが、教授の『知性S+』があれば、この国に『きん』を呼び込む、画期的な方法を思いつくはずだ」

オーレリアスは、黒田を試すように、挑発的な笑みを浮かべた。

「ええ。その通りです」

黒田は、穏やかな口調で応じた。

「宰相閣下。実は、先ほどからこの土地を調べていて、この東部にこそ、この国に『莫大なきん』を呼び込む、最大の『資源』があることに気づきました」

「なんですと!?」オーレリアスの目が、ギラリと光る。

「まさか、金鉱でも見つけたのですか!?」

「いいえ。そんなわかりやすいものではありません」

黒田は、オーレリアスに向き直ると、静かに、そして自信に満ちた笑みを浮かべた。

「宰相閣下。あなたが追い求める『きん』は、この東部の『山』に隠されています」

「この東部には、『質の良い粘土』が豊富にあります。そして、あの山には、『高品質な石炭』が大量に埋蔵されている」

オーレリアスは、怪訝な顔をした。

「粘土? 石炭? そんなものが、一体何になるというのだ、教授。それらでは『きん』は買えぬ」

「いいえ」黒田は断言した。

「宰相閣下。この『粘土』と『石炭』こそが、我々が、あなた方が追い求める『きん』を、北の自由都市連合から『奪い取る』ための、最高の『道具』になるのです」

黒田の脳裏には、近代経済学における「産業革命」と「貿易理論」の青写真が描かれていた。

(……宰相。あなたが『きん』を欲しがるなら、私は『きん』をあなたに与えましょう。ただし、その『きん』は、あなたの『古い理論』では決して生み出せない、新しい『価値』から生まれるものだ)

黒田は、宰相の「重商主義」という『亡霊』を、その『亡霊』が最も欲しがる『きん』で、完全に葬り去るための『罠』を仕掛け始めたのだった。



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