第五十一話:「焦土」という名のマーケティング
「敵、二十万。我が軍、一万五千」
王城の作戦室。
バルガス騎士団長は、絶望的な戦力比を示す駒を見つめ、苦渋の声を絞り出した。
「籠城するしかない。王都の城壁はドワーフの技術で強化されている。備蓄もある。耐え抜けば、あるいは……」
「いいえ、団長。籠城は下策です」
黒田哲也は、即座に否定した。
「二十万の軍隊に包囲されれば、物流が完全に止まる。そうなれば、アデニアの経済は『窒息死』します。Eの狙いは、まさにそれだ」
「では、打って出るのか!? 自殺行為だ!」
「打ちますよ。ただし、剣ではありません」
黒田は、巨大な地図の上に、いくつもの「旗」を立てた。それは軍隊の配置ではなく、国境沿いの「村」や「宿場町」だった。
「レオンハルト殿。
二十万の軍隊とは、軍事的には『脅威』ですが、経済学的に見れば、ただの巨大な『非生産的消費集団』です」
黒田は、電卓(魔導計算機)を弾いた。
「彼らは何も生産せず、ただ毎日、膨大な食料と燃料を消費しながら移動する巨大な『口』だ。
補給線が伸びれば伸びるほど、その維持コストは指数関数的に跳ね上がる」
黒田は、不敵な笑みを浮かべた。
「彼らを、歓迎してやりましょう。
アデニア王国の領土に入った瞬間、彼らに『世界で最も高い買い物』をさせてやるのです」
ガリア皇帝ナポレオン率いる十五万の大軍と、魔王軍五万の混成部隊は、アデニア国境を突破した。
彼らの士気は高かった。
「アデニアは豊かな国だ!」
「ガラスも鉄も、奪い放題だぞ!」
兵士たちは、略奪という名の「ボーナス」を期待し、進軍速度を上げていた。
だが、最初の村に到着した時、彼らは異変に気づいた。
「……誰もいない」
村はもぬけの殻だった。
だが、通常の「焦土作戦」とは様子が違う。
井戸は埋められておらず、畑も焼かれていない。家々も破壊されていない。
ただ、徹底的に、綺麗に、「モノ」だけが無かった。
食料庫は空っぽ。
家畜小屋も空っぽ。
井戸の水はあるが、それを汲む「桶」すら残っていない。
「なんだこれは? 夜逃げか?」
ガリア軍の将軍が困惑していると、村の広場に、一枚の立札があるのを見つけた。
『アデニア・スーパーマーケット国境店 臨時休業のお知らせ』
『当店の在庫は、ご好評につき“完売”いたしました』
「完売、だと……?」
その頃、黒田が整備した「王都ハイウェイ」の上り車線は、前代未聞の大渋滞を起こしていた。
国境付近の全住民が、家財道具と商品を荷馬車に積み込み、王都へ向けて「戦略的撤退」をしていたのだ。
黒田は、銀行の資金を湯水のように使い、国境付近の「全ての在庫」を、市場価格の「三倍」で買い上げた。
農民たちは、麦一粒、鶏一羽残さず、全てを「銀行券」に変え、黒田が用意した避難用馬車で、悠々と逃げていたのだ。
「焼くな。持ち去れ」
それが黒田の号令だった。
「敵に『現地調達(略奪)』のコストを払わせるな。一粒の麦さえ与えるな」
進軍から三日目。
二十万の大軍は、深刻な飢えに直面していた。
「報告! 次の町も、その次の村も、空っぽです!」
「略奪しようにも、奪うものがありません!」
「後方の補給部隊からの輸送が遅れています! ハイウェイの橋が落とされ、迂回を余儀なくされています!」
黒田は、ハイウェイを「住民の避難(吸い上げ)」には使わせたが、敵がそれを使う段になると、要所要所を爆破して「物流コスト」を最大化させていた。
そんな中、ガリア軍の先遣隊が、奇妙な集団と遭遇した。
街道の脇に、アデニアの商人が「露店」を開いていたのだ。
「よお、旦那方。腹が減ってるようだな」
商人は、湯気の立つ「焼き立てパン」と「冷えたエール」を並べていた。
兵士たちは、喉を鳴らして駆け寄った。
「売ってくれ! 金ならある!」
彼らは、略奪品や、ガリア帝国の通貨を差し出した。
「あいよ。ただし……」
商人は、値札を指差した。
『パン一個:金貨一万枚』
「はあ!? ふざけるな! 金貨一万あれば、城が買えるぞ!」
兵士が激怒して剣を抜く。
商人は、涼しい顔で指を鳴らした。
背後の藪から、武装した「新ギルド(王立リスクマネジメント組合)」の狙撃手たちが現れ、兵士たちの足元を射撃した。
「おいおい、野蛮だねえ。ここは『自由市場』だぜ?」
商人は笑った。
「嫌なら買うな。だが、この先百キロ、食い物を売ってるのは俺たちだけだ。
これは『独占価格』ってやつさ」
兵士たちは、屈辱に震えながら、なけなしの金貨を差し出した。
ガリア帝国で一ヶ月分の給料が、たった一個のパンに消えた。
この報告を聞いた黒田は、作戦室で頷いた。
「よし。これで敵の『購買力』を吸い上げた」
これが黒田の描いた 「焦土マーケティング」 だ。
物理的に焼き払うのではなく、経済的に「価格」を吊り上げることで、敵の資金(戦費)を枯渇させる。
二十万の兵士は、アデニアに進めば進むほど、法外な物価に苦しみ、持参した資金を吐き出し、無一文になっていく。
魔王軍の本陣。
ガリア皇帝ナポレオンの隣で、Eの代理人である魔将軍が、苦々しげに報告を受けていた。
「兵站の維持費が、想定の十倍に達しています」
「兵士たちの不満が限界です。『アデニアに行けば金持ちになれると聞いたのに、逆に貧乏になった』と」
ナポレオン皇帝は、焦りを隠せなかった。
「ええい! 小細工だ! 王都さえ落とせば、アデニア銀行の金庫がある!
全軍、前進! 多少の飢えなど気にするな!」
E(の意思)は、冷ややかに見ていた。
(黒田め。空間(距離)を、コスト(金)に変換している。
だが、それだけでは二十万の暴力は止まらないぞ。
資金が尽きれば、彼らは『獣』になる。カネなど払わず、殺して奪うようになる)
黒田も、それを理解していた。
「焦土マーケティング」は、あくまでジャブだ。
敵のHP(資金と士気)を削るための前哨戦。
「バルガス団長。敵の『財布』は空になりました」
黒田は、作戦室の奥にある、厳重にロックされた箱を開けた。
「そろそろ、彼らが『獣』になる頃合いです。
ですから、獣になる前に、彼らに『人間としての尊厳』を取り戻すための、新しい『商品』を提供しましょう」
黒田が取り出したのは、大量の「ビラ」だった。
空から撒くための、プロパガンダ用紙。
だが、そこに書かれていたのは、扇動の言葉ではない。
極めて即物的な、一つの「契約書」だった。
『転職オファー(ジョブ・オファー)』
黒田は、レオンハルト王に告げた。
「殿下。銀行の準備金を、全て解放してください。
二十万人の敵兵。
――その『全員』を、アデニア王国の『公務員』として雇用します」
歴史上、最も馬鹿げた、しかし最も経済学的な「買収工作」が始まろうとしていた。




