第四十二話:「経済制裁」と大国の傲慢
魔王軍への「インフレ輸出」と物資の「買い占め」作戦は、軍事的な勝利以上に敵の国力を削ぐことに成功した。 アデニア王国の勝利は確定したかに見えた。 だが、黒田哲也が警戒していた通り、敵の「E」は、盤面そのものをひっくり返しに来た。
王城の謁見の間。 そこには、これまでとは質の違う、圧倒的な「圧力」が満ちていた。
「……アデニア王国、王代理レオンハルトよ」 玉座を見下ろすように立っていたのは、隣接する軍事大国「ガリア帝国」の特使、カイザー将軍だった。 全身を、黒光りする重厚な鎧で固めた巨漢。その背後には、精鋭の近衛兵が控えている。
「我が帝国は、貴国の『背信行為』に対し、深い遺憾の意を表明する」 カイザー将軍は、一枚の羊皮紙を突きつけた。それは、Eがガリア帝国にリークした「アデニア商人の取引リスト」だった。
「貴国は、我々の共通の敵である魔王軍に対し、大量の『資金(銀行券)』を供与し、あろうことか『物資』を密輸しているそうだな?」
レオンハルトが反論する。 「誤解だ! 我々は魔王軍から物資を『買い占め』、敵の経済を破壊するために……」
「詭弁を弄するな!」 カイザーが一喝した。 「結果として、魔王軍の懐には貴国の『カネ』が大量に流れ込んでいる! これは明白な『利敵行為』だ! 我がガリア帝国は、アデニア王国に対し、直ちに以下の『経済制裁』を発動する!」
カイザーは、残酷な条件を読み上げた。 1. アデニア王国とガリア帝国の、全ての国境の封鎖。 2. アデニア製品(ガラス、鉄、小麦)の帝国領内への輸入禁止。 3. 違約金として、金塊一トンの即時支払い。
「拒否すれば?」バルガスが剣の柄に手をかけて唸る。 「我が帝国の『西方方面軍』十万が、貴国を『魔王の協力者』として焦土にするまでだ」
カイザーは冷酷に笑い、退出した。 「回答期限は三日だ。賢明な判断を期待する」
作戦室は、葬式のような空気に包まれていた。 「十万……」レオンハルトが頭を抱える。「我が国の全軍を合わせても一万に届かない。戦えば、一日で滅びる」 「だが、金塊一トンなど払えるか!」バルガスが机を叩く。「銀行の準備金が空になる! そうなれば取り付け騒ぎが再燃し、今度こそ終わりだ!」
「……Eめ」 黒田は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 「(見事な手だ。経済学では勝てないと見るや、『国際政治(大国の暴力)』という盤外戦術を使ってきた)」
黒田は、ガリア帝国からの「制裁リスト」を睨みつけた。 「国境封鎖と、輸入禁止……。これをやられれば、我が国の『輸出主導型経済』は死にます。 アデニア・グラスも、新型溶鉱炉の鉄も、最大の買い手であるガリア帝国を失えば、在庫の山となり、国内企業は連鎖倒産する」
「詰み、か……」 レオンハルトが力なく呟いた。
「いいえ」 黒田は、メガネをクイと押し上げた。 「まだです。Eは『理論』で我々を追い込みましたが、一つだけ『現場』の変数を読み間違えています」
「読み間違い?」
「ええ。バルガス団長。先ほどのカイザー将軍の『鎧』……よく観察しましたか?」 「鎧? ああ、黒光りする立派な……まさか」
黒田は、不敵な笑みを浮かべた。 「調べさせました。あれは、我が国の『新型溶鉱炉』で作られた鉄を使った、最新モデルです。 ガリア帝国は、軍事大国ゆえに、安くて高品質な我が国の『鉄』を、商人経由で大量に買い付けているのです」
黒田は、黒板に『サプライチェーン(供給網)』と書いた。
「Eは、ガリア帝国に『アデニアを叩け』と吹き込んだ。 だが、ガリア帝国自身も気づいていない。彼らの軍事力が、今やアデニアの『経済力(鉄)』に依存していることに」
黒田は立ち上がった。 「レオンハルト殿。もう一度、カイザー将軍と会談を。 ただし、謝罪ではありません。『脅迫』しに行きます」
翌日。再度の会談の場。 カイザー将軍は、ふんぞり返って待っていた。 「金塊の準備はできたか? 弱小国の王よ」
「金塊は払わん」 答えたのは、レオンハルトの隣に座った黒田だった。 「そして、国境封鎖も輸入禁止も、謹んでお受けする。どうぞ、今すぐ実行してください」
「……何?」カイザーが眉をひそめる。「貴様、国が滅んでもいいのか?」
「滅ぶのは、そちらの『財政』ですよ」 黒田は、一枚の計算書を突きつけた。 「将軍。あなたのその立派な鎧、そして帝国軍十万の装備。 現在、その修理と新調にかかるコストは、我がアデニアの『安価な鉄』によって、以前の『半額』で済んでいるはずです」
カイザーの顔色が変わった。 「もし、我々への『経済制裁』を発動すれば、当然、我々からの『鉄』の供給は止まります。 帝国軍は、他国の高い鉄を買わざるを得なくなり、軍事予算は一気に『二倍』に跳ね上がる」
黒田は、畳み掛けた。 「さらに、我が国の『アデニア・グラス』。あれは帝国の貴族たちの間で大流行しているそうですが、輸入禁止になれば価格は暴騰し、貴族院からの不満が爆発するでしょう」
「貴様……我々を脅す気か!」 カイザーが立ち上がり、威圧する。 だが、黒田は動じない。
「脅しではありません。『相互依存』の確認です」 黒田は、静かに告げた。 「将軍。E(魔王軍)の甘言に乗って、目先の『金塊一トン』を得る代わりに、毎年『金塊十トン』分の軍事予算をドブに捨てるか。 それとも、我々との『貿易』を続け、安価な鉄で軍備を増強し、魔王軍を圧倒し続けるか。 ――どちらが、大国として『合理的』な判断ですか?」
カイザーは、ギリギリと歯噛みした。 彼は軍人だが、馬鹿ではない。帝国の財務官僚から「最近、装備の調達コストが下がって助かっている」という報告を受けていたことを思い出したのだ。 その「源泉」を自ら潰せば、責任を問われるのは自分だ。
長い沈黙の後。 カイザーは、吐き捨てるように言った。 「……魔王軍との『密貿易』の件は、不問に処す」
「賢明なご判断です」 「ただし! 今後、帝国への『鉄』の輸出価格を『一割』下げろ! それが手打ちの条件だ!」 「……飲みましょう」
ガリア帝国軍が撤収していくのを、城壁から見送りながら、レオンハルトは深い安堵の息を吐いた。 「助かった……。まさか、敵の『大国』を、我々の『顧客』にしてしまうとは」
「首の皮一枚でした」 黒田は、冷や汗を拭った。 「サプライチェーンを握っていなければ、即死していました。 ですが……これでEとの戦いは、完全に『泥沼』に入りました」
黒田は、東の空、魔王軍の本拠地がある方向を睨んだ。 「経済だけでは決着がつかない。 政治だけでも決着がつかない。 これからは、その両方を総動員した、国家総力戦です」
黒田は、フィールドノートを開いた。 「レオンハルト殿。急ぎましょう。 ガリア帝国という『重石』が取れた今、Eは必ず、次の『内部工作』を仕掛けてくる。 今度は、我々の『足元』……そう、『選挙(民意)』のような、コントロール不能な変数を狙って」
経済学者・黒田哲也の戦いは、国家の「経営」から、世界の「均衡」を巡る戦いへと、その規模を拡大させていた。




