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第四十一話:「インフレの輸出」と魔王の台所


戦時国債ウォー・ボンド」の発行と、バルガス騎士団による迅速な「魔獣討伐(物流回復)」によって、アデニア王国は取り付け騒ぎという死の淵から生還した。 それどころか、銀行の地下金庫には、国民の「タンス預金」までもが吸い上げられ、かつてないほどの「流動性(現金)」が積み上がっていた。

「笑いが止まりませんな、教授!」 騎士団長バルガスは、金庫室に積み上がった札束の山を見て、珍しく上機嫌だった。 「これだけのカネがあれば、城壁を金でコーティングすることだってできるぞ!」

「やめてください、団長。成金趣味は美しくない」 黒田哲也は、札束の山を冷ややかな目で見つめていた。彼の表情は、勝利の余韻に浸るものではなく、次なる危機の予兆を感じ取る学者のそれだった。

「レオンハルト殿。喜んでいる場合ではありません」 黒田は、浮かれる王代理に釘を刺した。 「この莫大な資金は、国民からの『借金』です。しかも『年利15%』という殺人てきな高金利を約束してしまった。 もし、このカネを金庫に眠らせたままにすれば、我々は一年後に利払いで破産します」

「む……では、どうする? 国内の公共事業に使うか?」

「それも危険です」 黒田は首を横に振った。 「物流が回復したとはいえ、国内の『供給能力』には限界があります。そこに、この莫大なカネを一度にばら撒けば、モノ不足が悪化し、今度こそアデニア国内で『悪いインフレ』が起きてしまう」

バルガスが頭を抱えた。 「使えばインフレ、使わねば破産だと? どうすればいいのだ!」

「簡単なことです」 黒田は、不敵な笑みを浮かべた。 「この余ったカネ(インフレの種)を、すべて敵国(魔王軍)に『輸出』してやるのです」


翌日から、アデニア王国の国境付近で、奇妙な現象が発生し始めた。 「新ギルド(王立リスクマネジメント組合)」の構成員や、黒田の息のかかった商人たちが、トラック一杯の「アデニア銀行券」を持って、魔王軍の支配地域との境界にある「闇市」や「緩衝地帯の村」に殺到したのだ。

彼らの目的は、たった一つ。 「買い占め」だ。

「麦だ! 麦を持っている奴はいないか! 魔王軍の公定価格の『二倍』で買うぞ!」 「魔石の燃料はあるか! 『三倍』出す! 全て置いていけ!」 「羊毛、鉄くず、何でもいい! 『現物』をよこせ!」

魔王軍の支配下にある農民や商人たちは、度肝を抜かれた。 彼らは普段、魔王軍の厳しい「統制経済」の下で、安い価格で物資を徴発されていた。そこへ、アデニアの商人が現れ、目のくらむような高値(アデニア紙幣)を提示してきたのだ。

「二倍だと!? 売る売る! 全部持ってけ!」 「魔王軍への納税? 知ったことか! この冬を越すカネの方が大事だ!」

アデニアの商人たちは、まるで巨大な掃除機のように、魔王軍領内の物資を吸い上げていった。 黒田の指示は徹底していた。 「武器や兵器は買うな。警戒される。 狙うのは『生活必需品コモディティ』だ。食料、燃料、衣料。 敵の国民が、明日生きていくために必要なものを、根こそぎ奪え」


その影響は、魔王軍の「台所」を直撃した。

魔王軍の首都。 連絡役のエージェントが、悲鳴のような報告を上げていた。 「報告します! 北部市場から『小麦』が消えました! 南部の『燃料用魔石』も在庫ゼロです!」 「市民から苦情が殺到しています! 『物資がない』『あっても値段が高すぎて買えない』と!」

物資がアデニア側に流出したことで、魔王軍領内では深刻な「モノ不足」が発生していた。 モノがなくなれば、当然、価格は高騰する。 魔王軍の支配地域を、猛烈な「ハイパーインフレ」が襲っていた。

さらに悪いことに、農民たちはアデニアに物を売って得た「アデニア銀行券」を隠し持ち、魔王軍が発行する「軍票(魔王通貨)」を受け取り拒否し始めた。 「軍票なんて紙屑だ! アデニアのサツをよこせ!」

通貨の信用崩壊。 それこそが、黒田が仕掛けた「インフレの輸出」の真の狙いだった。

「(Eよ。お前は『供給ショック(テロ)』で我が国の物流を断とうとした)」 黒田は、作戦室で報告書を読みながら、冷徹に呟いた。 「(だが、物流が繋がっている以上、その『パイプ』は逆流させることもできるのだ)」

「(我が国でだぶついた『過剰流動性カネ』を、全てそちらに押し付けた。 これでお前の国の『物価』は壊れ、『通貨』は死ぬ。 さあ、どうやってこの『火事』を消す?)」


魔王軍の最深部、薄暗い執務室。 そこには、人間とも魔族ともつかぬ、一人の「影」があった。 机の上には、アデニアから流れてきた「アデニア銀行券」と、暴騰する物価指数を示すグラフが置かれている。

「……見事だ」 その声は、怒りではなく、純粋な称賛に震えていた。 「テロによる供給ショックを、『国債』で吸収し、その資金力でこちらの物資を買い占める(バイイング・パワー)に転嫁するとは」

影――エコノミスト「E」は、立ち上がった。 「黒田哲也。貴殿は、私がこの世界に来て初めて出会った、対等な『プレイヤー』だ」

Eは、配下の将軍たちを招集した。 「経済戦争(フェーズ1)は、我々の敗北だ。 市場のメカニズムでは、もはやアデニアの『購買力』には勝てない」

将軍たちが色めき立つ。 「では、軍事侵攻(フェーズ2)ですか!?」 「愚か者。カネがないのに戦争ができるか。兵士の給料を何で払うつもりだ」

Eは、静かに告げた。 「盤面ルールを変える。 経済学エコノミクスから、政治学ポリティクスへ。 ――アデニア王国の『同盟』を崩す」

Eの指が、地図上のアデニア王国の隣にある、軍事大国「ガリア帝国」を指し示した。 「黒田の弱点は『外圧』だ。 彼の理論は『閉じた箱庭(国内)』では無敵だが、『理不尽な暴力(大国の軍事力)』という変数には弱い」

「ガリア帝国に『資金援助』を申し入れろ。 アデニア王国が『魔王と通じて密貿易を行っている』という証拠(=今回買い占めた物資のリスト)を添えてな」

Eは、冷酷な笑みを浮かべた。 「黒田哲也。貴殿の理論が、『外交問題』という非合理な泥沼の中でも通用するか、見せてもらおう」



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