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第4話:重商主義の「亡霊」

黒田哲也が成し遂げた「慈善パーティ改革」――コスト9割削減、寄付金2割増――という「小さな成功クイック・ウィン」は、王城に二つの異なる波紋を広げた。

一つは、若き王代理レオンハルトとその側近たちの「熱狂」だ。彼らは、黒田の『知性S+』がもたらす「経済学」という未知の道具に、国家再生の光明を見出していた。

もう一つは、既得権益を守る「旧体制」の、冷ややかな「警戒」だった。

その「警戒」の筆頭、宰相オーレリアス公爵は、黒田の成功を祝うフリをしながら、即座に次の「試練」を突きつけた。

「教授。城の『家計簿』を改善したのは結構ですが、この国の『本当の経済』……魔王軍によって断ち切られた『北の交易路』については、いかがお考えかな?」


王国の「大会議室」は、重苦しい沈黙に包まれていた。

黒田が召喚されてから初めて開かれる、公式の「国家戦略会議」だ。

玉座(代理)に座るレオンハルトの脇に、黒田は「王室筆頭顧問」として席を与えられた。その事実だけで、対面に座る宰相オーレリアス、農務大臣、そして騎士団長バルガスの表情は、苦々しく歪んでいた。

「――では、会議を始める」

レオンハルトの宣言を合図に、宰相オーレリアスが、待ってましたとばかりに立ち上がった。

「レオンハルト若。そして『黒田教授』。まずは、王妃陛下の『慈善事業』の黒字化、実にお見事でした」

オーレリアスは、貴族特有のねっとりとした口調で、黒田に視線を固定する。

「ですが、教授。あなたの『節約術』が、この国の『本当の危機』に通用するとお考えかな?」

彼は、壁にかけられた巨大な王国地図を、長い杖で叩いた。

「問題は、ここです。『北の山脈』。魔王軍の主力がここを占拠し、我が国の『生命線』である北の交易路が、完全に断たれた!」

バルガス団長が、待っていたとばかりに叫ぶ。

「その通りだ! 北の民は飢え、鉄の供給も止まった! 今こそ、我が騎士団の全兵力を北に集め、魔王軍に総攻撃を仕掛けるべきです!」

バルガスは黒田を睨みつける。

「『慈愛の献金箱』とやらで集めた『はした金』で、兵士の『命』が買えるか、学者殿!」

「待て、バルガス」

オーレリアスが、芝居がかった仕草でバルガスを制する。

「教授は『知性S+』。我ら『武辺者』とは違う、素晴らしい『お知恵』をお持ちのはずだ。……ところで教授、我が国の『貿易』については、ご存知かな?」

(……来たか。重商主義者の「本丸」が)

黒田は、冷静にメガネを押し上げた。

「我が国の『富』の源泉!」

オーレリアスは、まるで生徒に語りかける教師のように、得意満面で語り始めた。

「それは『貿易』です。我々は、南の領土で採れる『鉄鉱石』を北の自由都市連合に売り、彼らから『小麦』と、そして何より『きん』を得ている! 国の富とは、保有する『きん』の量! それこそが『国力』!」

「(……まさに300年前の『重商主義マーカンティリズム』だ)」

黒田は、現実世界の学部生(パラ経)ですら、第一回の講義で鼻で笑うような「古い理論」が、この国では「常識」としてまかり通っている事実に、眩暈めまいを覚えた。

「その『きん』を生む道が断たれた!」

オーレリアスの声が、悲壮感を帯びる。

「このままでは、我が国は『きん』を失い、干上がってしまう! 黒田教授! あなたの『経済学』とやらで、どうやって『きん』を増やすのか、お示しいただきたい!」

宰相の「完璧な」論理(と彼が信じるもの)に、農務大臣以外の閣僚たちは「もはや打つ手なし」「バルガス団長の言う通り、総攻撃しかない」と青ざめている。

レオンハルトが、不安げに黒田の横顔を見た。

黒田は、その視線に応えず、静かに、そして物腰柔らかく(オドオドしていた頃を思い出すように)オーレリアスに質問した。

「……なるほど。危機的状況であることは、よく理解できました」

「わかったかね、教授!」

「はい。そこで宰相閣下。いくつか『データ』を確認させてください」

「データ?」

「ええ。学者なものですから、数字がないと落ち着かなくて。その『北の交易路』ですが……」

黒田は、ゆっくりと問いを放った。

「――我が国は、その貿易で『儲かって』いましたか?」

「……は?」

オーレリアスは、予想外の質問に目を丸くした。

「何を言っているのだ、教授。貿易は『富の源泉』だと……」

「いいえ、『データ』でお答えください」

黒田の口調は柔らかいままだが、その目は笑っていない。

「我々が輸出する『鉄鉱石』の売上(輸出総額)と、我々が輸入する『小麦』の仕入れ値(輸入総額)。差し引きして、『きん』は、プラスでしたか? マイナスでしたか?」

「そ、それは……」

オーレリアスは、黒田のS+の知性を持つ目に射貫かれ、一瞬、言葉に詰まった。

「……財務官! 帳簿を!」

分厚い帳簿が運ばれ、数人の文官が血相を変えて算盤のようなものを弾き始める。

バルガスは「カネ勘定など時間の無駄だ!」と苛立ち、レオンハルトは固唾を飲んで黒田を見ている。

やがて、財務官が、震える声で報告した。

「……で、出ました! 昨年度の北の交易……我が国の『鉄鉱石』の輸出総額は、金貨5万枚。対し、自由都市連合からの『小麦』の輸入総額は……金貨6万2千枚!」

「……なんだと?」

バルガスが素っ頓狂な声を上げた。

「ば、馬鹿な! 計算違いだ!」オーレリアスが叫ぶ。

「いえ、間違いありません! 差し引き……我が国は、年間『1万2千枚』の金貨を、『失って』おります!」

会議室が、先ほどとは全く別の意味で、凍りついた。

国の「生命線」であり「富の源泉」だと信じていた貿易が、実は、毎年莫大な「赤字」を垂れ流す「お荷物」だったのだ。

オーレリアスは、顔面蒼白で崩れ落ちそうになっている。

「そんな……そんなはずが……。だが、きんを失っても『小麦』は手に入っていた! やはり貿易は必要だ!」

「その通り!」

今度は、それまで黙っていた「農務大臣」が、待ってましたとばかりに立ち上がった。

「宰相の『重商主義』の『虚業』が、これで明らかになった! やはり『富の源泉』は『土地(=小麦)』! 我が国の『重農主義』こそが正義なのだ!」

(……ああ、もう一人、亡霊がいた)

黒田は、新たな面倒(300年前の理論)の登場に、深いため息をついた。

「バルガス団長!」農務大臣が叫ぶ。

「問題は、我らが『農地』を魔王軍に奪われたこと! 北の農地を奪還せねば、我らは飢え死にする!」

「そうだ、そうだ!」バルガスが、今度は農務大臣の意見に飛びついた。

「結局、戦うしかないのだ! 宰相の『カネ』も、農務大臣の『小麦』も、全ては『武力』で奪い返す!」

議論は、完全に振り出しに戻った。

いや、オーレリアスが「赤字」の事実に動揺している分、バルガス(軍事)と農務大臣(農本)の「奪還論」が勢いを増している。

レオンハルトが、助けを求めるように黒田を見た。

(教授、どうする!?)

黒田は、静かに立ち上がった。

先ほどまでの柔らかな物腰は消え、学生たちを「不可」で切り捨てた、あの「講義」モードの顔になっていた。

「――全員、黙りなさい」

その静かな一言に、会議室が水を打ったように静まる。

「宰相閣下。あなたは『国富とはきんである』という『重商主義』の呪いにかかっている」

「農務大臣。あなたは『国富とは土地(小麦)である』という『重農主義』の呪いにかかっている」

「そして、バルガス団長。あなたは『問題は全て武力で解決できる』という『精神論』の呪いにかかっている」

黒田は、巨大な地図の前に立つと、オーレリアスが叩いた「北」ではなく、全く別の場所……王都の遥か「南」を、指でトン、と叩いた。

「あなた方三人が、三者三様の『古い理論』で、この国を『破産』させようとしていることが、よくわかりました」

「な、なんだと……?」

「問題の『本質イシュー』を、誰も見ようとしていない」

黒田は、レオンハルトに向き直った。

「レオンハルト殿。我々が今、直面している『本当の危機』は何か?

『魔王軍』ではありません。

『交易路の遮断』でもありません。

きんの流出』でもない」

黒田は、一度、言葉を切った。

「――この国が、『自国の資源リソースを、全く使いこなせていない』こと。

それこそが、我が国の『本当の危機』です」

「……どういう、ことだ?」レオンハ"ルト"が尋ねる。

「宰相。あなたは『赤字』を垂れ流してまで『小麦』を輸入していた。なぜです?」

「そ、それは、我が国だけでは食料が足りぬからだ!」

「では、農務大臣。あなたは『富の源泉』たる『土地』を持ちながら、なぜ国民を食わせるだけの『小麦』を生産できない?」

「ぐっ……それは、南の土地は『小麦』の生産に向いておらぬからだ! 北の肥沃な土地は魔王軍に……」

「それだ」

黒田の低い声が響く。

「なぜ、小麦に向かない『南』の土地で、必死に『小麦』を作ろうとする?」

「(……京堂大学(パラ経)の学生に、無理やり『理論』を叩き込もうとしていた、昨夜までの俺と一緒じゃないか……)」

黒田は、南の土地を指したまま、続けた。

「(エスノグラフィー(行動観察)の結果、城で飲まれているワインは、どれも一級品だった)」

「レオンハルト殿。南の土地は、何に適していますか?」

「南……? 陽光が強く、水はけが良い。昔から『ブドウ』と『オリーブ』の名産地だが……そんなもの、腹の足しにはならん」

「いいえ、なります」

黒田は、断言した。

「諸君。我々は『北』を、取り返す必要はない」

「「「!?」」」

「我々は『貿易』を、する必要もない」

黒田は、現実世界では決して見せなかった「戦略家」の顔で、冷ややかに宣言した。

「我々が今すぐすべきこと。

それは、『南』の土地で、非効率な『小麦』作りを即刻中止させ、持てる資源リソースの全てを『ブドウ』と『オリーブ』の生産に全振り(集中投資)することです」

「何を言っているんだ、この学者は!?」

「小麦の代わりにブドウを作れ? 餓死させる気か!」

「やはり狂っている!」

非難が渦巻く中、黒田は動じない。

「レオンハルト殿。経済学の父、アダム・スミスは言った。『富とはフロー(流れ)である』と。そしてデヴィッド・リカードは教えた。『比較優位』に特化せよと」

黒田は、レオンハルトにだけ、この世界の誰も理解できない「真実」を告げた。

「我々が目指すのは『鎖国さこく』です。いや、『合理的経済封鎖スマート・オートマキー』だ」

「北の交易路が『赤字』だったのなら、むしろ幸運。魔王軍が、我々の『無駄遣い』を止めてくれたのです」

「我々は、まず『内需ないじゅ』を立て直す。食料を、南の『ブドウ(ワイン)』と『オリーブ(油)』で、自給自足する」

「パン(小麦)の代わりに、ワインを飲めと!? 貴様!」バルガスが再び剣に手をかける。

「ああ、バルガス団長。あなたは本当に『合理的』な思考ができない」

黒田は、初めてバルガスを哀れむような目で見た。

「レオンハルト殿。次の『社会実験』の許可を。

――私に、南の『使われていない農地』と『食うに困った農民』を、少しだけ貸していただきたい」



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