表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/58

第三十九話:「足」による投票


アデニア・グラス(魔導ガラス)の輸出成功により、アデニア王国にはかつてないほどの「外貨(魔王軍の金貨や貴金属)」が流入していた。 王立アデニア銀行の地下金庫は、積み上がった金塊で黄金色に輝いている。

「素晴らしい!」 騎士団長バルガスは、その金塊の山を見て快哉かいさいを叫んだ。 「これだけの資金があれば、最強の騎士団が作れる! 教授、すぐに隣国から最新の剣と鎧を買い付けよう! 傭兵を雇うのもいい!」

「やれやれ……」 黒田哲也は、金塊の輝きには目もくれず、帳簿バランスシートの数字だけを追っていた。 「団長。あなたはまだ『きん』を『ゴール』だと思っている。 違います。これは『チケット』です。敵の『リソース』を奪い取るための、引換券に過ぎない」

「リソースだと? だから、剣や鎧を……」 「そんな消耗品フローを買ってどうするんです。私が欲しいのは、もっと根本的な、富を生み出し続ける『源泉ストック』です」

黒田は、レオンハルトとバルガスを連れ、作戦室の地図の前に立った。 彼は、国境付近の「魔王軍支配地域」を指差した。

「新ギルドの調査によれば、敵(E)の経済運営は極めて『合理的』かつ『効率的』です。 徹底した分業制。無駄のない生産計画。おそらく『計画経済』に近い体制でしょう」

「ならば、隙はないではないか」とレオンハルト。

「いいえ。そこが弱点です」 黒田は、メガネをクイと押し上げた。 「徹底した効率化は、往々にして『個人の自由』や『夢』を圧殺します。 敵側の職人や商人は、おそらく『歯車』として扱われている。報酬は出るが、自由な創業や、規格外のイノベーションは許されていないはずだ」

黒田は、バルガスに向き直った。 「団長。先日の『ガラス工房』の職人たちを見て、どう思いましたか?」 「どうって……皆、自分の作ったガラスが売れて、目を輝かせていたな。徹夜続きでも楽しそうだった」

「それです」 黒田は、地図上の国境線に、太い矢印を描き込んだ。 「人間は、きんだけでは動かない。『自己実現』と『自由』を求める生き物です。 我々には今、魔王軍のチケットが山ほどある。 そして、我々の国には『銀行(投資)』があり、『ハイウェイ(市場)』があり、何より『挑戦を許容する空気(自由)』がある」

黒田は、次なる作戦名を告げた。

「『ヘッドハンティング(人材引き抜き)』作戦を開始します」


翌日。 国境の市場や、交易路を通じて、魔王軍側に「あるプロパガンダ」が流れ始めた。 もちろん、黒田が意図的に流した情報だ。

『アデニア王国では、腕のある職人には、王立銀行が“無担保”で開業資金を貸してくれるらしい』 『身分も種族も問われない。ドワーフだろうが魔族だろうが、技術さえあれば“マイスター(親方)”として店を持てる』 『王都には、美味いパンと酒があり、夜にはガラスの灯りが輝く“自由な街”があるそうだ』

そして、決定打として、黒田は「制度」を用意した。 『高度人材移民ビザ(Highly Skilled Professional Visa)』だ。

「魔王軍の支配下から逃れてきた者のうち、一定の『技術』や『知識』を持つ者には、即座にアデニアの『市民権』と『居住権』、そして銀行からの『創業支援ローン』を与える」

効果は、劇的だった。 最初は、魔王軍で冷遇されていた亜人の職人たちが、夜陰に乗じて国境を越えてきた。 アデニア側が彼らを丁重に迎え入れ、約束通り「自分の工房」を持たせると、その噂は瞬く間に広まった。

次は、魔王軍に徴用されていた人間の魔導師や、計算に強い商人たちが逃げてきた。 「E」の管理する経済は安定的だが、息が詰まる。彼らは、リスクがあっても「チャンス」のあるアデニアを選んだのだ。

国境の検問所にて。 バルガスは、次々と亡命してくる人々を見て、呆然としていた。 「敵の兵士が攻めてくるのではなく……敵の『民』が、自らこちらへ走ってくるとは」

「これを、経済学では『足による投票』と言います」 視察に来た黒田が、満足げに言った。 「人々は、より良い公共サービスや経済環境を提供する場所へと、自らの『足』で移動する(投票する)。 我々は、剣を交えることなく、敵の『国力(人的資本)』を、根こそぎ奪い取っているのです」


魔王軍の本拠地。 宰相オーレリアスからの報告書(黒田が書かせたもの)を前に、連絡役のエージェントが青ざめていた。 「報告します! 南部工業地帯の熟練工が、一割も減少! 生産ラインが止まりかけています!」 「東部の研究所からも、魔導師の脱走が相次いでいます!」

敵の「学者(E)」にとって、これは計算外の事態だったはずだ。 「効率」と「管理」で統制された世界には、「自由への渇望」という変数は組み込まれていなかった。

アデニアの王都では、亡命してきた職人たちが新たな技術をもたらし、それが銀行の資金で事業化され、さらに経済を加速させていた。 かつて「魔石のゴミ」だった廃棄場が「ガラス」に変わったように、敵にとって「歯車」だった人々が、ここでは「イノベーションの種」として花開いていく。

「(さあ、どうする? エコノミスト)」 黒田は、活気づく城下町を見下ろしながら、見えざる敵に問いかけた。 「お前が『国境』を封鎖すれば、お前の国の『不満』は内部で爆発する。 封鎖しなければ、人材は流出し続ける。 ――『北風と太陽』のゲームは、こちらの勝ちだ」

ヘッドハンティング作戦」と好景気により、王都の人口は爆発的に増加していた。 そこで持ち上がったのが、深刻な「住宅不足」と「家賃の高騰」だった。

「教授! なんとかしてくれ!」 バルガスが、またしても作戦室に怒鳴り込んできた。 「部下の兵士たちが『家賃が高すぎて王都に住めない』と泣きついてきた! 大家どもが、足元を見て家賃を釣り上げているんだ! 強欲な連中め!」

バルガスは、机を叩いた。 「すぐに布告を出そう! 『家賃の上限』を法律で決めるんだ! 『ワンルーム月・銀貨五枚まで』とな! 違反した大家は処罰する!」

「やめなさい、団長」 黒田は、即座にその「正義感」を止めた。 「それをやったら、王都から『空き部屋』が消滅し、二度と新しい家が建たなくなりますよ」

「なぜだ! 安くすれば、兵士も助かるだろう!」

「『家賃統制プライス・シーリング』の罠です」 黒田は、黒板に需要と供給のグラフを描いた。 「家賃を無理やり安く固定すれば、借りたい人(需要)はさらに増える。 一方で、大家(供給)はどう思うか? 『そんな安い家賃じゃ、儲からないし、修繕費も出ない』と考える。 結果、大家は部屋を貸すのをやめたり、ボロアパートを放置したり、新しいアパートを建てなくなります」

「む……」 「結果、家賃は安いが『永遠に空かない』部屋と、住む場所を失って路頭に迷う兵士ホームレスが大量発生します。最悪のシナリオです」

「では、どうすればいいのだ!」

「価格(家賃)が高いというのは、『部屋が足りていない』という市場からの『悲鳴シグナル』です」 黒田は、窓の外を指差した。 「シグナルを握りつぶすのではなく、応えるのです。すなわち『供給』を増やす」

黒田は、レオンハルトに新しい政策案を提示した。 「規制緩和と補助金です。 ①王都の『建築高度制限』を撤廃し、ドワーフの技術を使った『高層アパート』の建設を許可する。 ②銀行を通じて、賃貸住宅を建てる地主に『低金利ローン』と『建設補助金』を出す」

「高層アパート……?」 「ええ。上に伸ばせば、土地が狭くても部屋数は増やせる。供給が需要を上回れば、大家たちは客を奪い合うために、勝手に家賃を下げ始めます」

数ヶ月後。 王都の一角に、ドワーフの石工技術とアデニアの資金力が融合した、五階建ての「団地」が次々と完成した。 大量の「新築物件」が市場に供給されたことで、強気だった大家たちも「家賃を下げないと入居者が来ない」と焦り始め、家賃相場は自然と落ち着きを取り戻した。

「規制(禁止)するより、競争(供給)させる」 バルガスは、新居に入居して喜ぶ部下たちを見ながら、また一つ、黒田の「優しさ」の意味を理解したのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ