表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/60

第三十五話:「信用」という名の連鎖


「王立アデニア銀行」が、最初の「投資」、つまり鍛冶職人たちへの「未来の生産性」を担保にした一万の手形(銀行券)を「創造」してから、数週間が経過した。

この一件は、城下町はおろか、王城の中枢まで揺るがす「大事件」として、瞬く間にアデニア王国全土に伝播した。 その反応は、期待よりも、むしろ「恐怖」と「懐疑」に満ちたものだった。

「教授! 貴様は、ついに正気を失ったか!」 作戦室に怒鳴り込んできたのは、やはり騎士団長バルガスだった。彼の後ろには、血相を変えた農務大臣や、最近では黒田の「合理性」に一定の理解を示していたはずの、新ギルド(王立リスクマネジメント組合)の幹部たちまでが、不安げな顔で控えている。

「どういうことです? 団長」 黒田は、銀行の「帳簿(複式簿記)」の初期監査を行いながら、冷静に顔を上げた。

「どういうことだ、ではない!」 バルガスは、黒田が設計した、あの美しい「銀行券」の一枚を掴み、まるで「汚物」であるかのように突きつけた。 「この『カネ』だ! 以前の手形(V2.0)は、少なくとも『小麦』という『現物』の裏付けがあった! だが、貴様が鍛冶屋どもに渡した『一万』は、何だ!」

バルガスは、この国の人々の「素朴な不安」を代弁した。 「『未来の価値』だと? ふざけたことを! 連中が『炉』の建設に失敗し、夜逃げでもしたらどうなる!? 何の『裏付け』もない『紙切れ』が一万も市場に流れ込むのだぞ! 我々が必死で守ってきた、この『銀行券』そのものの『信用』が暴落し、ハイパーインフレが起きる! それがわからんのか!」

「まさに、その通りだ」 バルガスに同調したのは、意外にも、あの宰相オーレリアス(二重スパイとして軟禁中だが、経済会議へのオブザーバー参加は許可されていた)だった。彼は、自らの「重商主義」の理論が、別の形で証明されたとでも言いたげに、嘲笑を浮かべていた。 「黒田顧問。カネは『無』からは生まれんよ。『きん』という絶対の『価値』からしか」

黒田は、その「教室」に集まった、相変わらず「固定観念」に縛られた「生徒」たちを見て、深い、深いため息をついた。 京大の学生たちに、なぜ経済学の「本質」が伝わらないのかと嘆いていた、あの頃の「熱」が、再び彼の内側で燃え上がるのを感じた。

「皆さん」 黒田の声は、怒りではなく、むしろ「哀れみ」と「情熱」に満ちていた。 「あなた方は、経済学の『最も美しい点』を、全く理解していない」

黒田は、立ち上がった。 「バルガス団長。あなた方は『カネ』が『モノ』だと思っている。だから『金庫ストック』にこだわる。 違います。『カネ(信用)』とは『約束フロー』です!」

黒田は、黒板に、あの鍛冶屋(Foundry Guild)の名前を書いた。 「私が『創造』した『一万』は、市場に『無秩序に』ばら撒かれたのではありません。 それは『新型溶鉱炉を作る』という『明確な目的』のために『投資』された。 あの『一万』は、今、この瞬間も『パン』や『酒』のような『消費』に消えているのではなく、『石材』『ドワーフの技術者への報酬』『労働者の日当』という『次の生産(富)』を生み出すための『資本』に変わっているのです!」

「だ、だが、失敗したら!」

「それこそが『銀行』の仕事です!」 黒田は、バルガスの目を真っ直ぐに見据えた。 「『失敗』の『リスク』を引き受ける! もし彼らが失敗すれば、銀行(王国)は『一万』の『赤字(損失)』を計上する。その通りです。 ですが、団長」

黒田の言葉に、京大の講義では決して見せなかった「実践家」の厳しさが宿る。 「『リスク』を恐れて『投資』をしなければ、『損失』も出ない代わりに、『成長リターン』も永遠にゼロだ! 我々は、エコノミストが待機してくれている、この『時間』の中で、『ゼロ成長』のまま、座して死を待つ気ですか!?」

「うぐっ」 バルガスも、レオンハルトも、言葉に詰まる。

「見ていてください」 黒田は、静かに言った。 「あの『一万』は、『インフレ』など起こさない。 あれは、この国の『総生産(GDP)』そのものを『増やす』ための、最初の『起爆剤エンジンオイル』です」


そして、一月後。 その「起爆剤」は、アデニア王国始まって以来の、最も美しい「経済的爆発」を引き起こした。

王都の西、ハイウェイの起点に、黒い煙が高々と上がった。 あの鍛冶職人たちが、黒田の「投資」とドワーフの「技術協力」で見事に完成させた、「新型溶鉱炉」の火入れだった。

その生産性は、バルガスたちの「固定観念」を粉々にするのに十分すぎた。 ドワーフの技術を応用した溶鉱炉は、従来のアデニアの鍛冶場が「十日」かかっていた量の「鉄」を、わずか「一日」で生産してみせた。

そして、その「鉄」の「品質」は、バルガスの騎士団が使う「剣」よりも頑強で、農務大臣が欲しがる「農具クワ」よりも安価だった。

その「新型の農具」が市場に出回った瞬間。 経済は「連鎖」を始めた。

農具の生産性が上がった農民たちは、「小麦」の収穫量を増やした。 小麦の価格が安定し、王都の「パン」が安くなった。 生活に余裕が出た人々は、「パン」以外のもの、服や、靴や、酒を「消費」し始めた。 市場が、黒田のハイウェイ網を通じて、一気に「回り」始めたのだ。

そして、その「爆発」の震源地である、鍛冶職人(Foundry Guild)の親方が、王立アデニア銀行の窓口に、再び現れた。

彼は、黒田とレオンハルトの前に、深々と頭を下げた。 そして、新品の「銀行券」の束を、カウンターに差し出した。

「黒田顧問。レオンハルト様。 お借りした『一万』。 そして、この『信用リスク』に対する『手数料(利子)』、千。 確かに、お返しいたします」

銀行の元帳レジャーに、歴史的な「返済完了」の記帳がなされる。 銀行は、無から「一万」を創造し、その結果、国に「新型溶鉱炉(という資産)」と、数万の「新しい富(鉄と小麦)」と、そして「千」の「利益キャッシュ」をもたらした。

黒田の「理論」が、「現実」によって完璧に証明された瞬間だった。

バルガスは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。 「カネが、カネを、生んだ?」

次の瞬間。 銀行の「エンジン」は、第二の「点火」を迎えた。

それまで銀行を「安全な金庫」としか見ていなかった商人や、農民たちが、鍛冶屋の「大成功」を目の当たりにして、銀行の窓口に殺到したのだ。

だが、彼らの目的は「両替」でも「貯蓄」でもなかった。 彼らは皆、目を輝かせ、自らの「計画書プロジェクト」を握りしめていた。

「黒田顧問! 俺だ! 俺の村にも『水車』を作らせてくれ! あんたの言う『未来の価値』なら、俺たちにもある!」 「私だ! 私は『織物』の技術をドワーフから学んだ! 『新しい機織機』さえあれば、今の『倍』は布が作れる!」 「俺の農地だ! 『灌漑かんがい用水路』を引く『カネ』を貸してくれ!」

「投資」を求める、希望に満ちた「需要」の洪水。 レオンハルトは、この「熱狂」こそが、黒田の言っていた「経済の循環」なのだと、肌で理解した。

だが、黒田だけが、その「熱狂」の真っ只中で、一人、静かに頭を抱えていた。 彼は、京大で、山のような「質の低い」卒論の山に埋もれていた、あの日の悪夢を思い出していた。

来たか。

黒田の目の前には、今や「百」を超える「投資計画書」の山が積まれようとしていた。

エンジンは、かかった。 だが、この熱量(投資需要)を、誰が合理的に審査する? この計画書が、本当に未来の価値を持つのか、それともただの夢物語(詐欺)なのかを、誰が査定する?

黒田は、自分が「脆弱性の克服(非属人化)」のために創ったはずの「銀行」が、 結局、またしても「黒田哲也(という個人)」の「審査能力」という、最大の「属人的な脆弱性」に、直面している事実に気づいていた。

「レオンハルト殿」 黒田は、押し寄せる人々に、疲れた、しかしどこか楽しそうな笑みを向けた。 「どうやら、この国で、京大よりも『遥かに難しい』講義を、始めなければならないようです。 『銀行員(融資担当者)』を、ゼロから『育てる』講義ですよ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ