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第三十四話:「信用」のエンジンと最初の一滴


敵の「学者」が提供した『複式簿記』と『高度な製紙技術』。

これらを「エンジン」として組み込むと宣言した黒田哲也の号令の下、アデニア王国は、その歴史上、最も「静か」で、最も「急進的」な改革の渦中にあった。

王都の一角、王宮に程近い一等地(かつては宰相オーレリアスの管轄だった税務署)が、急ピッチで改装された。

そこは、バルガス団長が想像したような、ドワーフの技術で作られた「難攻不落の巨大金庫」ではなかった。

むしろ、広々とした「窓口カウンター」と、奥には「帳簿」を管理するための整然とした「執務室オフィス」が広がる、開放的な空間だった。

掲げられた看板には、レオンハルト王代理の直筆による、力強い紋章と共にこう刻まれている。

「王立アデニア銀行」

「(銀行、か)」

バルガスは、その真新しい看板を、まるで得体の知れない魔獣でも見るかのように睨みつけていた。

銀行の「開所日」。

黒田は、レオンハルトと共に、その窓口に立っていた。

黒田が新ギルド(王立リスクマネジメント組合)と城の文官から選び抜いた、最も計算能力と「誠実さ」に優れた者たちが、最初の「銀行員バンカー」として緊張した面持ちで控えている。

彼らの手元には、敵が送ってきた技術で作られた『純白の紙』に、アデニア王国の紋章が精巧に印刷された、新しい「紙幣」が積まれていた。

「『王立アデニア銀行券』」

それは、もはや「小麦」という「現物」を担保にする「引換券(V2.0)」ではなかった。

それは、アデニア王国という「国家システム」そのものの「信用」を担保とする、真の「通貨カレンシー」だった。

「来たぞ」

レオンハルトが、息を飲む。

城下町の商人たちが、恐る恐る、しかし「黒田顧問の新しい仕組み」への好奇心を隠さずに、銀行の前に列をなし始めていた。

最初の商人が、窓口に進み出た。

「あ、あのう、顧問様。ここで、今までの『手形(V2.0)』を、その『新しい紙(銀行券)』に替えてもらえると」

「もちろんです」

黒田は、最も信頼できる銀行員に、複式簿記(まだ黒田が監査している)のやり方で、記帳させ、交換を実行させた。

「おお」

「今度の紙は、薄くて、インクも綺麗だ」

「さすが黒田様だ」

人々は、新しい「銀行券」の「質の高さ(偽造防止技術)」に感心し、次々と「旧手形(V2.0)」を「銀行券」に交換していく。

だが、黒田の表情は晴れなかった。

人々は「交換(両替)」し、その新しい「銀行券」を懐にしまい込むと、満足げに銀行を「出ていく」。

中には「この新しいカネを、銀行に『預けて』おきたい。安全だろうから」と言う者も現れた。

バルガスが、黒田の横で、皮肉げに腕を組んだ。

「教授。大盛況ではないか。皆、貴様の『金庫』の安全性を信頼しているぞ。

だが、貴様が言っていた『心臓』とやらは、どうした?

カネが『集まる』だけで、『回って』いないではないか」

バルガスの指摘は、痛いところを突いていた。

人々は、銀行を「貯蓄ストック」の場所、つまり「安全な金庫」としか認識していない。

黒田が設計した「エンジン」は、まだ「点火」していなかった。

「(ダメだ。京堂大(パラ経)の学生と同じだ)」

黒田は、内心で舌打ちした。

「(彼らは『リスク』を恐れている。いや、それ以前に、『未来の価値に投資する』という『概念』そのものを、知らない)」

このままでは、敵(エコノミ_st)の「想定」通り、「貯蓄」しかできない「古い銀行」になってしまう。

黒田の「攻撃的な投資銀行」構想は、国民の「固定観念」という壁に、いきなりぶち当たっていた。

その時だった。

銀行の入り口で、数人の男たちが、衛兵に止められ、押し問答になっていた。

「頼む! レオンハルト様か、黒田顧問に会わせてくれ!」

「無礼者! ここは王立銀行であるぞ!」

黒田は、その声に聞き覚えがあった。

「(あの男たちは)」

それは、かつて「王都=ドワーフ間ハイウェイ」の建設現場で、ドワーフの「石工技術」を、誰よりも早く、熱心に学んでいた「元・職人ギルド」の親方たちだった。

「通しなさい」

黒田の声に、衛兵が道を開ける。

親方たちは、黒田とレオンハルトの前に駆け寄ると、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。

「黒田顧問! お願いがございます!」

「なんでしょう」

親方は、震える手で、一枚の「設計図」を広げた。

「ドワーフの技術を見て、わかりやした。今までの俺たちの『鍛冶場』は、非効率すぎた。

これです! この『新型の溶鉱炉』さえ作れれば、今までの『三倍』の速さで、ハイウェイ用の『鉄のクギ』や『農具』を生産できる!」

「素晴らしい『技術革新イノベーション』の案ですね」黒田は、素直に感心した。

「だが、問題がある」親方は、悔しそうに顔を歪めた。「この『炉』を作るには、莫大な『カネ(銀行券)』が、今必要なんです。だが、俺たちには『担保』になるような『小麦』も『土地』もない。あるのは、この『腕(技術)』と『設計図(計画)』だけだ!」

「金貸し(商人)どもは、『担保がないなら貸せん』と」

「お願いします! このままでは、俺たちの『技術』は、宝の持ち腐れだ!」

レオンハルトは、彼らの熱意に押され、同情的な顔をした。

バルガスは「担保もなしにカネを欲しがるなど、盗人ぬすっとと同じだ」と顔をしかめた。

だが、黒田哲也だけは、

この瞬間のために、この「銀行」を創ったのだと、

学者としての「天啓」にも似た歓喜に打ち震えていた。

「(これだ。これこそが『最初の燃料』だ)」

黒田は、親方たちを立たせた。

彼は、銀行の「執務室」に彼らを招き入れ、レオンハルトとバルガスを「証人」として同席させた。

「親方。あなたの『設計図』を見せてください」

黒田は、その図面を、まるで博士論文を査読する教授のように、鋭く、しかし熱心に「分析」し始めた。

「(なるほど。熱効率の計算は甘いが、ドワーF-uの『送風技術』を、見事に『模倣コピー』しようとしている。これなら『合理的』な『投資』に値する)」

黒田は、親方に向き直った。

「素晴らしい。だが、あなたは『カネ』も『担保』もない」

「うっ」親方たちが息を飲む。

「ですが」黒田は、現実世界(パラ経)の学生には決して見せなかった、最高の「笑顔」を浮かべた。

「この『王立アデニア銀行』は、あなたの『担保』を、知っていますよ」

黒田は、銀行員に、敵がくれた『複式簿記』の「元帳レジャー」と、新品の「銀行券」を持ってこさせた。

「あなたの『担保』は、その『腕(技術)』と、その『設計図(計画)』。

――そして、それを必ず成功させるという『未来の生産性キャッシュフロー』です」

黒田は、銀行員に指示し、「元帳」に歴史的な「第一号」の取引を記帳させた。

『借方(資産):貸付金(Foundry Guild) 10,000』

『貸方(負債):当座預金(Foundry Guild) 10,000』

黒田は、まだ誰も使っていない「銀行券」の束から、正確に「1万」を数え、親方の前に、ドン、と置いた。

「なっ」

「カネが」

「無から」

バルガスが「正気か、教授! そのカネは、王家の『資産』から出ているわけでは」

「ありませんよ、団長」

黒田は、熱を帯びた声で言った。

「この『1万』は、今、この『帳簿』の上で、彼らの『未来の価値(生産性)』を『信用』して、『創造』されたカネです」

黒田は、親方たちに「契約書(これも黒田が作った)」を差し出した。

「この『1万』で、あなたは『炉』を作る。

一年後、あなたは『炉』が生み出す『利益(鉄)』で、借りた『1万』と、この『信用リスク』に対する『手数料(利子)』を、銀行に返済する」

「もし、返せなかったら?」親方が、震える声で尋ねた。

「その時は、この『銀行(私)』の『負債(赤字)』となります。私が、この『システムの設計者』として、全責任を負う」

黒田は、京堂大(パラ経)で「理論は役に立たない」と言われた屈辱を、今、晴らしていた。

「これが『投資』です。

銀行とは、金庫(過去の富)を守る場所ではない。

未来(可能性)にカネを投じ、国全体の『富(GDP)』を『創造』する、エンジンなのです」

親方たちは、震える手で「1万」の銀行券を掴み、その場で泣き崩れた。

バルガスは、目の前で「無」から「カネ」と「希望」と「未来の工場」が生まれた「錬金術」を前に、ついに反論の言葉を失った。

黒田は、彼らが銀行を出ていくのを見送った。

「(エコノミストよ、聞こえているか)」

黒田は、まだ見ぬライバルに、心の中で語りかけた。

「(お前がくれた『道具』は、今、俺の手で『エンジン』となり、最初の一滴(投資)を燃やし始めたぞ)」



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