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第3話:「慈愛」という名の赤字事業

黒田哲也が「王室筆頭顧問」として過ごす最初の数日は、オドオドしていた召喚直後の姿が嘘のように、猛烈な「フィールドワーク(行動観察)」に費やされた。

そして、彼とレオンハルトが最初に見つけた「メスを入れるべき腫瘍」――それが、王妃イザベラが主催する「慈善チャリティパーティ」だった。

「レオン、本気なの? 私の『慈悲の行い』を、止めさせると言うの?」

王妃イザベラの私室。レオンハルトに連れられてきた黒田は、王妃の「慈愛」という名の、冷ややかな拒絶に直面していた。

イザベラ王妃は、国民からの人気が絶大な「国母」である。彼女の善意は、この国において「神聖不可侵」な領域だった。

「母上、誤解です。我々は『慈善』を止めろと言っているのではありません。むしろ、その『効率』を上げたいのです」

レオンハルトが必死に言葉を継ぐ。

「効率?」

王妃は、初めて黒田を真正面から見た。その目は、理解できない異物を見る目だ。

「黒田教授。あなたの『知性S+』というのは、存じ上げています。ですが、慈悲の心を『効率』などという言葉で測るものではありませんわ」

「恐れながら、王妃陛下」

黒田は、物腰こそ柔らかく、しかし学者として毅然と反論した。

「私は昨日、あなたのパーティを『観察』させていただきました。あのパーティ一回にかかる『費用コスト』……最高級のワイン、楽団への報酬、食材、装飾。それらの総額は、集まった『寄付金リターン』の総額を、遥かに上回っています」

「……!」

図星を突かれ、王妃がわずかにたじろぐ。

「つまり、陛下」

黒田は、容赦無い事実ファクトを突きつけた。

「あなたは『民を救う』ためと称して、民から徴収した『税金(=王室の資産)』を、貴族に振る舞うために『浪費』しているのです。それは『慈善』ではなく、『赤字事業』と呼びます」

「な……!」

「黙れ、学者ッ!」

背後に控えていた騎士団長バルガスが、ついに堪忍袋の緒を切った。彼は黒田の胸ぐらを掴み上げ、壁に押し付ける。

「貴様、王妃様への無礼がすぎるぞ! 王妃様が、どれほど民を思い、心を痛めておられるか! その『慈愛の心』を『赤字』だと!? 人の心を持たぬのか!」

「(……出た。『人の心』論)」

黒田は、首が締まる苦しさの中、バルガスの背後で冷ややかに事態を傍観している貴族たちを観察していた。

(バルガス団長は『感情』で動いている。だが、あの貴族たちは違う)

「ぐ……バルガス、団長……。あなたの『精神論』は、もう聞き飽きました……」

「まだ言うか!」

「バルガス、やめなさい!」

レオンハルトの鋭い声が飛ぶ。

「教授を放せ。これは『議論』だ。暴力で解決する問題ではない」

バルガスは、悔しそうに舌打ちをすると、黒田を乱暴に突き放した。

咳き込む黒田を見て、王妃は決定的な一言を放った。

「わかりました、レオン。あなたの『筆頭顧問』様が、私のやり方を『非効率』と断罪なさるのはよくわかりましたわ。ですが、これだけは覚えておいて。貴族たちが寄付に応じてくれるのは、私がこうして『場』を設けているからこそ。この『繋がり』が、どれほど国を支えているか……『学者』様にはお分かりにならないでしょうね」

王妃は踵を返し、奥の部屋へ去っていった。

議論は、完全な「敗北」だった。


「……すまない、教授。まさか、母上やバルガス団長が、あれほど感情的になるとは」

自室に戻る廊下で、レオンハルトが落ち込んだ声で謝罪した。

「いえ、想定内です」

黒田は、ヨレたツイードジャケットの襟を直しながら、冷静に答えた。

「え?」

「レオンハルト殿。あなたは、今回の『交渉』の何が失敗だったと思いますか?」

「それは……私が母上を説得しきれなかったことと、教授の『合理的な正論』が、彼らの『感情』に受け入れられなかったことだ」

「半分正解です」

黒田は、いつもの「講義」モードでメガネを押し上げた。

「我々は、王妃とバルガス団長、そしてあの場にいた貴族たち……それぞれの『インセンティブ(動機付け)』を読み間違えた」

「インセンティブ?」

「『合理的な正論』で人は動きません。京堂大学(パラ経)の学生が、私の『理論』より『就活』を選んだのと同じです」

黒田は、昨夜のフィールドワークで書き殴ったノート(この世界に来てからレオンハルトに調達させた、最高級の羊皮紙だ)を開いた。

「この『赤字事業』の、真の『顧客』は誰か? そして『顧客』が本当に『欲しい』ものは何か? ……エスノグラフィー(行動観察)の結果は、こうです」

黒田は、分析結果をレオンハルトに突きつけた。

【慈善パーティのステークホルダー分析】

主催者:イザベラ王妃

表の動機: 民を救いたい(慈善)

裏の動機インセンティブ: 「慈愛深い国母」として国民や貴族から『称賛』されたい(=社会的承認欲求)

参加者:貴族たち

表の動機: 王妃の呼びかけに応え、寄付したい(慈善)

裏の動機インセンティブ: ①「寄付した」という『名誉』が欲しい。 ② 王妃や他の有力貴族と繋がる『社交の場』が欲しい。

支援者:バルガス団長

動機: 王妃の『慈愛』という「精神的な価値」を盲目的に信奉している。

「……つまり?」レオンハルトが眉をひそめる。

「つまり、彼らにとって『寄付金を集める』ことなど、二の次、三の次だということです」

黒田は断言した。

「王妃は『称賛』が欲しい。貴族は『名誉』と『社交』が欲しい。我々が潰そうとしたのは『赤字事業』ではなく、彼らの『欲望を満たす、唯一の場所』だった。だから反発されたのです」

「では、どうすれば……。彼らの『欲望』を満たしたまま、『赤字』を解消するなど……」

「できますよ」

黒田は、現実世界では決して見せなかった、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「『デザイン思考』の出番です。彼らの『インセンティブ』を否定するのではなく、『より低コストで、より満足度の高い形』にデザインし直せばいい」


翌日。黒田とレオンハルトは、再び王妃イザベラの前にいた。

バルガスや、昨日同席していた主要な貴族たちも、不審そうな顔で集まっている。

「レオン。昨日、話は終わったはずです。私は……」

「母上。今日は、謝罪と、新しい『ご提案』に参りました」

レオンハルトは、黒田と打ち合わせた通りの「台本」を読み上げる。

「昨日、黒田教授は『効率』などという無粋な言葉を使いました。ですが、それは彼の『学者としての悪癖』です。彼はただ……母上の『慈愛』が、準備の『雑務』によってすり減っていることを、誰よりも憂慮していたのです」

「え……?」

王妃が、意外そうな顔で黒田を見る。黒田は(演技で)恐縮したように頭を下げている。

「考えてみてください」レオンハルトは続けた。

「パーティの準備は、どれほど大変か。料理の手配、楽団の選定、貴族への招待状……。母上は、そんな『雑務』に追われるお方ではない。もっと『本質的』な、民を思う祈りや、貴族たちの声に耳を傾けることに、その尊いお時間を使うべきです」

王妃は、ハッとした。

(確かに、パーティの準備は、もう何年も続けていて、正直『面倒』だった……)

「そこで、ご提案です」

レオンハルトが合図すると、侍従たちが「あるもの」を運び込んできた。

それは、王室の紋章が彫られ、金箔で豪華に装飾された、美しい「箱」だった。

「これは?」

「『慈愛の献金箱』です」

黒田が、デザイン案を説明する。(台本:レオンハルト)

「① 今後、コストのかかる『パーティ』は一切廃止します」

「(やはり、廃止するのか!)」貴族たちがざわつく。

「② 代わりに、王妃様の私室の『前』に、この献金箱を常設します」

「③ そして、『パーティ』という『雑な』形ではなく、寄付を持ってきた貴族と、王妃様が『直接』お会いし、お茶を飲みながら、感謝の言葉を伝える時間を設けます」

王妃の目が、わずかに輝いた。

(パーティでは大勢としか話せないが、これなら一人ひとりと……? しかも、面倒な準備は一切ない……!)

「④ さらに!」

レオンハルトは、もう一つのアイテム、豪奢な装丁の「本」を示した。

「寄付してくださった方の『お名前』と『金額』、そして王妃様からの『感謝の言葉』を、王室専属の書記官が、この『黄金芳名録』記します。この芳名録は、献金箱の横に『誰もが閲覧できる形』で掲示されます」

「な……!」

今度は、貴族たちが色めき立った。

(パーティの雑踏で寄付するより、王妃様に『直接』会えて感謝される!)

(しかも、自分の『寄付額』が、美しい書体で『掲示』されるだと!?)

(隣の公爵より『少ない』額を寄付するわけには、いかんだろう!)

黒田の分析(=行動経済学)は、彼らの心理を完璧に突いていた。

王妃のインセンティブ: 『準備の面倒』から解放され、『称賛(直接の感謝)』だけを得られる。

貴族のインセンティブ: 『社交(王妃との謁見)』が保証され、『名誉(寄付額の可視化=見栄の張り合い)』が刺激される。

「どうです、母上。これぞ、あなたの『慈愛』を、最も『効率的』に輝かせる、新しい『デザイン』です」

レオンハルトは、胸を張った。


一週間後。

レオンハルトの執務室に、歓喜の報告が届いた。

「レオンハルト殿! やりました!」

会計官が、震える声で帳簿を差し出す。

「王妃様の『慈愛の献金箱』……たった一週間で、先月のパーティ『3回分』の寄付金総額を上回りました!」

「本当か!」

「それだけではありません!」黒田が、別の報告書を持って入ってきた。

「ご覧ください。パーティ開催費用(食費、楽団、人件費)が、全て『ゼロ』になりました。つまり……」

「コストは、ほぼゼロ(9割減)。リターン(寄付金)は、2割増」

これが、黒田哲也が異世界で成し遂げた、最初の「事業仕分け」の結果だった。

「やったぞ、教授! これが……これが『経済学』か!」

レオンハルトが、興奮して黒田の手を握る。

「いえ、まだ『デザイン思考』と『行動経済学』の初歩です」

黒田は、興奮する若き王代理を抑え、冷静にメガネを押し上げた。

「『小さな成功クイック・ウィン』は達成しました。ですが、本当の『敵』は、王妃様の『善意』ではありません」

二人が窓の外に目をやると、バルガス団長が、なおも「効率的だが味気ない」と不満そうに『黄金芳名録』を睨んでいる姿が見えた。

そして、その背後から、冷ややかな拍手と共に、一人の男が現れた。

宰相、オーレリアス公爵だ。

「お見事です、黒田教授。王妃様の『お遊び』を、見事に『実益』に変えられた。その手腕、感服いたしました」

オーレリアスは、黒田の目を見て、凍るような笑みを浮かべた。

「……ところで、教授。城の中の『家計簿』を改善したのは結構ですが、この国の『本当の経済』……魔王軍によって断ち切られた『北の交易路』については、いかがお考えかな?」

黒田とレオンハルトは、本当の「戦い」が、今、始まったことを知った。



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